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第11話 再会の朝
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春の風が京都の町を包み込む朝、美咲は桜月庵の暖簾をくぐった。
「おはようございます」
「おはよう、さくら……あ、美咲さん」
悠人は笑いながら、玄関先で迎えた。少し照れくさそうなその笑顔に、美咲も思わず頬を緩めた。
「まだ“さくら”って呼ばれるの、ちょっとくすぐったいです」
「そっか……でも、俺にとってはずっと妹の“さくら”だから」
「じゃあ、ふたりきりのときだけ、そう呼んでください」
ふとした会話に、ようやく兄妹らしさがにじみ出る。
その日の桜月庵は開店前から忙しく、美咲も見習いとして厨房に入ることになった。白い割烹着に身を包み、和菓子作りの手伝いを始めると、すぐに集中力が試される。
「このあんこの炊き方は、火加減が命なんだ。少しでも焦げついたら台無しになる」
「はい、わかりました」
慎重に木べらを動かす美咲の姿を、悠人はそっと見守っていた。そこには、かつての“妹”さくらの面影と、大人になった今の美咲の姿が重なって見える。
ふと、厨房の隅に立つ年配の職人・佐々木が声をかけた。
「この子、ええ筋してるな。初めてにしちゃ、手つきがしっかりしとる」
「ありがとうございます。でも、まだまだです」
「初日からそう言えるのは立派や」
佐々木の笑顔に、美咲も少し肩の力を抜いた。
その日の午前中、美咲は桜月庵の手伝いをしながら、常連客とも挨拶を交わす。
「まあ、新しいお嬢さん? 悠人くんの親戚か何か?」
「いえ、昔ご縁があって……今は修業中です」
微笑む美咲に、町の人々もあたたかく声をかけてくれた。
──この町が、わたしを受け入れてくれている。
それが嬉しかった。東京の暮らしでは味わえなかった“繋がり”が、少しずつ心を満たしていく。
午後、美咲は休憩時間を使って、桜月庵の裏庭を歩いた。そこには、古い桜の木が一本、春の風に揺れていた。
「昔……この木の下で、よく遊んだ気がする」
ふと、幼い日の記憶がよみがえる。手を繋いで走った兄。転んで泣いて、でもすぐに笑った自分。
「“さくら”って、あなたのための名前だったんだね」
悠人がいつの間にか後ろに立っていた。
「うん……そうかもしれない」
「無理にすべて思い出さなくていい。でも、これから一緒に、新しい思い出を作っていこう」
「ありがとう、お兄さん」
その瞬間、美咲の心の奥にあったわだかまりが少しずつ解けていくのを感じた。
その夜、美咲は久しぶりに恵子と電話をした。
「お母さん、京都での生活、少しずつ慣れてきました」
「そう……よかった。本当によかったわ」
「いろんなことがありました。でも、今は心から前を向けそうです」
「美咲……いえ、さくら。あなたが幸せなら、それがいちばん」
「ありがとう。どちらの名前も、私の大切な一部です」
電話の向こうで、恵子が静かに涙を流している気配が伝わった。
美咲──さくらの心は、ようやく過去と未来をつなぐ場所を見つけつつあった。
翌朝、彼女は再び割烹着を身に着け、桜月庵の厨房に立った。
「さあ、今日もがんばろう」
新しい一日が始まる。
それは、過去に縛られるのではなく、未来へ進むための一歩だった。
「おはようございます」
「おはよう、さくら……あ、美咲さん」
悠人は笑いながら、玄関先で迎えた。少し照れくさそうなその笑顔に、美咲も思わず頬を緩めた。
「まだ“さくら”って呼ばれるの、ちょっとくすぐったいです」
「そっか……でも、俺にとってはずっと妹の“さくら”だから」
「じゃあ、ふたりきりのときだけ、そう呼んでください」
ふとした会話に、ようやく兄妹らしさがにじみ出る。
その日の桜月庵は開店前から忙しく、美咲も見習いとして厨房に入ることになった。白い割烹着に身を包み、和菓子作りの手伝いを始めると、すぐに集中力が試される。
「このあんこの炊き方は、火加減が命なんだ。少しでも焦げついたら台無しになる」
「はい、わかりました」
慎重に木べらを動かす美咲の姿を、悠人はそっと見守っていた。そこには、かつての“妹”さくらの面影と、大人になった今の美咲の姿が重なって見える。
ふと、厨房の隅に立つ年配の職人・佐々木が声をかけた。
「この子、ええ筋してるな。初めてにしちゃ、手つきがしっかりしとる」
「ありがとうございます。でも、まだまだです」
「初日からそう言えるのは立派や」
佐々木の笑顔に、美咲も少し肩の力を抜いた。
その日の午前中、美咲は桜月庵の手伝いをしながら、常連客とも挨拶を交わす。
「まあ、新しいお嬢さん? 悠人くんの親戚か何か?」
「いえ、昔ご縁があって……今は修業中です」
微笑む美咲に、町の人々もあたたかく声をかけてくれた。
──この町が、わたしを受け入れてくれている。
それが嬉しかった。東京の暮らしでは味わえなかった“繋がり”が、少しずつ心を満たしていく。
午後、美咲は休憩時間を使って、桜月庵の裏庭を歩いた。そこには、古い桜の木が一本、春の風に揺れていた。
「昔……この木の下で、よく遊んだ気がする」
ふと、幼い日の記憶がよみがえる。手を繋いで走った兄。転んで泣いて、でもすぐに笑った自分。
「“さくら”って、あなたのための名前だったんだね」
悠人がいつの間にか後ろに立っていた。
「うん……そうかもしれない」
「無理にすべて思い出さなくていい。でも、これから一緒に、新しい思い出を作っていこう」
「ありがとう、お兄さん」
その瞬間、美咲の心の奥にあったわだかまりが少しずつ解けていくのを感じた。
その夜、美咲は久しぶりに恵子と電話をした。
「お母さん、京都での生活、少しずつ慣れてきました」
「そう……よかった。本当によかったわ」
「いろんなことがありました。でも、今は心から前を向けそうです」
「美咲……いえ、さくら。あなたが幸せなら、それがいちばん」
「ありがとう。どちらの名前も、私の大切な一部です」
電話の向こうで、恵子が静かに涙を流している気配が伝わった。
美咲──さくらの心は、ようやく過去と未来をつなぐ場所を見つけつつあった。
翌朝、彼女は再び割烹着を身に着け、桜月庵の厨房に立った。
「さあ、今日もがんばろう」
新しい一日が始まる。
それは、過去に縛られるのではなく、未来へ進むための一歩だった。
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