5 / 38
第5話 私は…お腹の子の運命は?
しおりを挟む
「…お願いです。もう、どこにも行く場所がないんです…」
カウンターの隅、閉店後のガールズバー。紗英はオーナーの前で、声を震わせながら頭を下げた。深夜2時を過ぎた店内には、酔いの残るアルコールの匂いと、女たちの香水がまだほんのりと漂っている。
「本当に、住むところがないの?」
オーナーの男、五十嵐は眉をひそめながらも、どこか興味深そうな目で紗英を見つめていた。
「昨日、アパートのポストに“督促状”って貼られてて…管理会社から電話も来て…。もう今週中には出ていかなきゃいけないって言われて…」
五十嵐はタバコに火をつけて、ふーっと煙を吐いた。
「まぁ、うちで稼いでもらってるしな。1部屋、空いてるマンションあるよ。ワンルームだけど。風呂とトイレついてりゃ十分だろ?」
「…はい。ありがとうございます。本当に…助かります」
紗英はその言葉に泣きそうになった。
「ただし、住まわせるからには…ちゃんと働いてもらうよ。指名ももっと取ってもらわないと。わかってるよね?」
「……はい」
声が震えたが、逆らう余地などなかった。紗英にはもう、“選ぶ”権利がなかったのだ。
その夜、五十嵐に連れられてたどり着いたワンルームマンションは、繁華街から少し外れた雑居ビルの一室だった。コンクリート打ちっぱなしの床に、最低限の家具。ベッドはスプリングが鳴り、カーテンは薄く光を通した。けれど、雨風をしのげるだけで、紗英には十分だった。
部屋に荷物を運び終えると、五十嵐は言った。
「あと、携帯ももう止められたって言ってたよな?」
「…はい。昨日で…電源が入らなくなりました」
「じゃあ、これ使え。仕事用だ。番号も決まってるし、LINEのアカウントも作っといた」
差し出されたのは、古い型のスマートフォンだった。ケースには店のロゴが貼られていた。
「この携帯で、お客とやりとりしてもらうから。営業メッセもちゃんと送ってくれよ? 今日も“ヒマしてます”って送っただけで、2人来たからな」
「……はい」
“自分の声”を失った気がした。もうこの携帯が、唯一の外との繋がり。
数日後。
ワンルームに移ってからというもの、紗英は毎日をただ“耐える”ように過ごしていた。
仕事は深夜2時過ぎまで。帰宅してシャワーを浴びると、もう朝だった。食事はコンビニの菓子パンとインスタントスープ。まともな栄養など摂れていなかった。
お腹に手をあてながら、ふと考える。
「こんなんで…育つのかな、赤ちゃん」
答えは返ってこない。ただ、自分の呼吸だけがやけに大きく響いた。
寝る前には、仕事用の携帯に届くLINE通知が鳴りやまなかった。
《今日ヒマ?》
《指名したいから顔出して》
《昨日のドレス可愛かったね》
画面の文字が、どこか薄汚れて見えた。
“愛”なんてどこにもない。ただの消費と、欲望と、孤独の擦れ合いだった。
ある日、仕事終わりに五十嵐が言った。
「紗英ちゃん、最近ちょっと痩せた? 大丈夫か?」
「…はい、大丈夫です。ちょっと食欲がなくて…」
「無理しないでとは言えないけどさ、体調崩すなよ? …あ、来月からは日中のVIP接客もあるから、頼むよ?」
「……日中、ですか?」
「うん。店とは別の“場所”で会うやつ。ちゃんと金は出すし、お前も安定して稼げるよ」
その“別の場所”がどういう意味なのか、紗英にももう分かっていた。
けれど、断るという選択肢が、心のどこにも残っていなかった。
「…わかりました」
うなずいた瞬間、自分の中で“何か”が崩れ落ちた音がした。
カウンターの隅、閉店後のガールズバー。紗英はオーナーの前で、声を震わせながら頭を下げた。深夜2時を過ぎた店内には、酔いの残るアルコールの匂いと、女たちの香水がまだほんのりと漂っている。
「本当に、住むところがないの?」
オーナーの男、五十嵐は眉をひそめながらも、どこか興味深そうな目で紗英を見つめていた。
「昨日、アパートのポストに“督促状”って貼られてて…管理会社から電話も来て…。もう今週中には出ていかなきゃいけないって言われて…」
五十嵐はタバコに火をつけて、ふーっと煙を吐いた。
「まぁ、うちで稼いでもらってるしな。1部屋、空いてるマンションあるよ。ワンルームだけど。風呂とトイレついてりゃ十分だろ?」
「…はい。ありがとうございます。本当に…助かります」
紗英はその言葉に泣きそうになった。
「ただし、住まわせるからには…ちゃんと働いてもらうよ。指名ももっと取ってもらわないと。わかってるよね?」
「……はい」
声が震えたが、逆らう余地などなかった。紗英にはもう、“選ぶ”権利がなかったのだ。
その夜、五十嵐に連れられてたどり着いたワンルームマンションは、繁華街から少し外れた雑居ビルの一室だった。コンクリート打ちっぱなしの床に、最低限の家具。ベッドはスプリングが鳴り、カーテンは薄く光を通した。けれど、雨風をしのげるだけで、紗英には十分だった。
部屋に荷物を運び終えると、五十嵐は言った。
「あと、携帯ももう止められたって言ってたよな?」
「…はい。昨日で…電源が入らなくなりました」
「じゃあ、これ使え。仕事用だ。番号も決まってるし、LINEのアカウントも作っといた」
差し出されたのは、古い型のスマートフォンだった。ケースには店のロゴが貼られていた。
「この携帯で、お客とやりとりしてもらうから。営業メッセもちゃんと送ってくれよ? 今日も“ヒマしてます”って送っただけで、2人来たからな」
「……はい」
“自分の声”を失った気がした。もうこの携帯が、唯一の外との繋がり。
数日後。
ワンルームに移ってからというもの、紗英は毎日をただ“耐える”ように過ごしていた。
仕事は深夜2時過ぎまで。帰宅してシャワーを浴びると、もう朝だった。食事はコンビニの菓子パンとインスタントスープ。まともな栄養など摂れていなかった。
お腹に手をあてながら、ふと考える。
「こんなんで…育つのかな、赤ちゃん」
答えは返ってこない。ただ、自分の呼吸だけがやけに大きく響いた。
寝る前には、仕事用の携帯に届くLINE通知が鳴りやまなかった。
《今日ヒマ?》
《指名したいから顔出して》
《昨日のドレス可愛かったね》
画面の文字が、どこか薄汚れて見えた。
“愛”なんてどこにもない。ただの消費と、欲望と、孤独の擦れ合いだった。
ある日、仕事終わりに五十嵐が言った。
「紗英ちゃん、最近ちょっと痩せた? 大丈夫か?」
「…はい、大丈夫です。ちょっと食欲がなくて…」
「無理しないでとは言えないけどさ、体調崩すなよ? …あ、来月からは日中のVIP接客もあるから、頼むよ?」
「……日中、ですか?」
「うん。店とは別の“場所”で会うやつ。ちゃんと金は出すし、お前も安定して稼げるよ」
その“別の場所”がどういう意味なのか、紗英にももう分かっていた。
けれど、断るという選択肢が、心のどこにも残っていなかった。
「…わかりました」
うなずいた瞬間、自分の中で“何か”が崩れ落ちた音がした。
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
私と先輩のキス日和
壽倉雅
恋愛
出版社で小説担当の編集者をしている山辺梢は、恋愛小説家・三田村理絵の担当を新たにすることになった。公に顔出しをしていないため理絵の顔を知らない梢は、マンション兼事務所となっている理絵のもとを訪れるが、理絵を見た途端に梢は唖然とする。理絵の正体は、10年前に梢のファーストキスの相手であった高校の先輩・村田笑理だったのだ。笑理との10年ぶりの再会により、二人の関係は濃密なものになっていく。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる