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第14話 ここから始まる物語
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地域センターの小さなホールに、子ども連れの家族や地域の人々がぽつぽつと集まりはじめた。紗英は、緊張した面持ちで舞台袖の控室に座っていた。
「大丈夫、ちゃんと伝わるよ」
篠田の声は、相変わらずあたたかかった。
読んだのは『ちいさなライオンの夢』という物語。勇気を出せない小さなライオンが、仲間たちと出会いながら一歩ずつ自分らしさを見つけていく、そんな優しい話。
舞台に立った瞬間、紗英は心の中で深呼吸した。客席を見渡すと、まだ幼い子どもたちがお母さんやお父さんの膝の上で期待に満ちた目を向けている。その中に、紗英と同じくらいの年齢の女性もいた。ひとりで来ているのか、少し寂しそうに見えた。
物語を読み始めると、不思議なことが起きた。声に出すたびに、小さなライオンの気持ちが自分の心と重なっていく。森で迷子になったライオンの不安、仲間を見つけたときの安堵、そして最後に自分らしい吠え方を見つけたときの喜び──すべてが、この数ヶ月の自分の体験と響き合っていた。
読み終わった瞬間、拍手が起きた。
子どもたちが笑っていた。中には涙ぐむ母親の姿もあった。
舞台の下に降りたとき、ある若い母親が紗英に声をかけてきた。
「ありがとうございました。うちの子、ライオンの話、大好きになったみたいです。声が、とても優しくて…沁みました」
そして、ひとりで来ていたあの女性も近づいてきた。
「私…最近、すごくつらいことがあって。でも今日のお話を聞いていたら、何だか希望が見えてきたような気がします。ありがとうございました」
その言葉が、心の奥まで染み込んでいった。自分の声が、誰かの心に届いたのだ。
その夜。
部屋に戻ると、紗英は久しぶりにノートを開いた。
ペンを取るのは、いつぶりだろう。
「私は、どこかで、ずっと誰かに自分の物語を読んでほしかったんだと思う。でも今は、自分の手で、自分の物語を書いてみたいと思う」
そう書いて、涙がこぼれた。
ふと、今日出会った人たちの顔が浮かんだ。笑顔の子どもたち、涙ぐんでいた母親、希望を見つけたと言ってくれた女性。みんな、それぞれの物語を抱えて生きている。
「私の物語は、きっと私だけのものじゃない」
そう続けて書いた。
次の日、篠田に思いきって聞いてみた。
「…私、文章を書いてみたいんです。絵本とか…子ども向けの話を」
「いいじゃないか。君には言葉の力がある。…今の気持ち、ぜんぶ物語にしてごらん」
篠田は少し考えて、続けた。
「それに、君の体験は決して無駄じゃない。辛かった時間も、迷った時間も、すべてが君の言葉に深みを与えてくれる。君にしか書けない物語があるはずだ」
紗英はうなずいた。これまで生きてきた痛みも、失ったものも、そして少しずつ取り戻してきたものも。全部、どこかの誰かに届くように──。
それから紗英は、毎日少しずつ物語を書き始めた。最初は思うようにいかなかった。何度も書き直し、時には一日中何も書けない日もあった。でも、読み聞かせのボランティアを続けながら、子どもたちの反応を見ているうちに、だんだんと自分なりの表現が見つかってきた。
ある日、いつものように図書館で物語を書いていると、隣の席に座っていた老人が声をかけてきた。
「お若いのに、随分と集中して書かれてますね。小説でも?」
「絵本を書いているんです」
と紗英は答えた。
「そうですか。私も昔、孫に手作りの絵本を作ったことがありました。下手くそでしたが、孫は喜んでくれましてね」
老人の優しい笑顔に、紗英も微笑み返した。物語は、世代を超えて人と人をつなげてくれるのだと感じた。
数ヶ月後。
ハローワークの職員の紹介で、地域の出版社が主催する「絵本コンテスト」の案内が届いた。
迷った。でも、応募してみようと思った。
タイトルは──
『くまくんのとおいみち』
それは、読み聞かせで初めて読んだ本の続きを紗英なりに描いた物語。
迷って、泣いて、でも帰り道を見つけていく──くまくんの姿に、自分を重ねながら。
物語の中で、くまくんは森で様々な動物たちと出会う。迷子になったうさぎを慰めたり、傷ついた鳥を看病したり。そうして誰かを助けているうちに、くまくん自身も少しずつ強くなっていく。最後に、くまくんは家に帰り着くのだが、そこにはかつて助けた動物たちが待っていて、今度は自分が道に迷った誰かを助けるために旅立つ──そんな希望に満ちた結末にした。
原稿をポストに入れたあと、深呼吸した。
季節は春。
公園のベンチには、小さな子どもと母親が座って、笑いあっていた。
紗英もその笑い声に小さく笑って、歩き出す。
振り返ると、自分が歩いてきた道のりが見えた。遠回りして、時には立ち止まって、それでもここまで来られた。そして今、新しい道が目の前に続いている。
どんなに遠回りしても、私の物語は、ここから始まる。
三ヶ月後、紗英の元に一通の封筒が届いた。出版社からだった。
手が震えながら封を切ると、中には丁寧に書かれた手紙が入っていた。
「この度は、絵本コンテストにご応募いただき、ありがとうございました。審査の結果、『くまくんのとおいみち』が佳作に選ばれましたことをお知らせいたします」
紗英は思わず声をあげそうになった。佳作。賞金は少額だったが、何より嬉しかったのは、審査員のコメントだった。
「作者の実体験に根ざした深い共感力が、子どもにも大人にも響く物語を生み出している。特に、困難を乗り越える過程で他者への思いやりを育んでいく描写が秀逸」
その日の夕方、紗英は篠田に電話をかけた。
「先生、佳作をいただきました」
「そうか!おめでとう。でも驚かないよ。君になら、きっとできると思っていた」
「ありがとうございます。先生に出会えて、本当によかった」
電話を切った後、紗英は窓辺に立った。夕日が部屋を優しく染めている。
明日からも、きっと新しい物語が始まる。今度は、自分の足でしっかりと歩いていこう。
そう思いながら、紗英はまた新しいノートを開いた。次の物語のために。
「大丈夫、ちゃんと伝わるよ」
篠田の声は、相変わらずあたたかかった。
読んだのは『ちいさなライオンの夢』という物語。勇気を出せない小さなライオンが、仲間たちと出会いながら一歩ずつ自分らしさを見つけていく、そんな優しい話。
舞台に立った瞬間、紗英は心の中で深呼吸した。客席を見渡すと、まだ幼い子どもたちがお母さんやお父さんの膝の上で期待に満ちた目を向けている。その中に、紗英と同じくらいの年齢の女性もいた。ひとりで来ているのか、少し寂しそうに見えた。
物語を読み始めると、不思議なことが起きた。声に出すたびに、小さなライオンの気持ちが自分の心と重なっていく。森で迷子になったライオンの不安、仲間を見つけたときの安堵、そして最後に自分らしい吠え方を見つけたときの喜び──すべてが、この数ヶ月の自分の体験と響き合っていた。
読み終わった瞬間、拍手が起きた。
子どもたちが笑っていた。中には涙ぐむ母親の姿もあった。
舞台の下に降りたとき、ある若い母親が紗英に声をかけてきた。
「ありがとうございました。うちの子、ライオンの話、大好きになったみたいです。声が、とても優しくて…沁みました」
そして、ひとりで来ていたあの女性も近づいてきた。
「私…最近、すごくつらいことがあって。でも今日のお話を聞いていたら、何だか希望が見えてきたような気がします。ありがとうございました」
その言葉が、心の奥まで染み込んでいった。自分の声が、誰かの心に届いたのだ。
その夜。
部屋に戻ると、紗英は久しぶりにノートを開いた。
ペンを取るのは、いつぶりだろう。
「私は、どこかで、ずっと誰かに自分の物語を読んでほしかったんだと思う。でも今は、自分の手で、自分の物語を書いてみたいと思う」
そう書いて、涙がこぼれた。
ふと、今日出会った人たちの顔が浮かんだ。笑顔の子どもたち、涙ぐんでいた母親、希望を見つけたと言ってくれた女性。みんな、それぞれの物語を抱えて生きている。
「私の物語は、きっと私だけのものじゃない」
そう続けて書いた。
次の日、篠田に思いきって聞いてみた。
「…私、文章を書いてみたいんです。絵本とか…子ども向けの話を」
「いいじゃないか。君には言葉の力がある。…今の気持ち、ぜんぶ物語にしてごらん」
篠田は少し考えて、続けた。
「それに、君の体験は決して無駄じゃない。辛かった時間も、迷った時間も、すべてが君の言葉に深みを与えてくれる。君にしか書けない物語があるはずだ」
紗英はうなずいた。これまで生きてきた痛みも、失ったものも、そして少しずつ取り戻してきたものも。全部、どこかの誰かに届くように──。
それから紗英は、毎日少しずつ物語を書き始めた。最初は思うようにいかなかった。何度も書き直し、時には一日中何も書けない日もあった。でも、読み聞かせのボランティアを続けながら、子どもたちの反応を見ているうちに、だんだんと自分なりの表現が見つかってきた。
ある日、いつものように図書館で物語を書いていると、隣の席に座っていた老人が声をかけてきた。
「お若いのに、随分と集中して書かれてますね。小説でも?」
「絵本を書いているんです」
と紗英は答えた。
「そうですか。私も昔、孫に手作りの絵本を作ったことがありました。下手くそでしたが、孫は喜んでくれましてね」
老人の優しい笑顔に、紗英も微笑み返した。物語は、世代を超えて人と人をつなげてくれるのだと感じた。
数ヶ月後。
ハローワークの職員の紹介で、地域の出版社が主催する「絵本コンテスト」の案内が届いた。
迷った。でも、応募してみようと思った。
タイトルは──
『くまくんのとおいみち』
それは、読み聞かせで初めて読んだ本の続きを紗英なりに描いた物語。
迷って、泣いて、でも帰り道を見つけていく──くまくんの姿に、自分を重ねながら。
物語の中で、くまくんは森で様々な動物たちと出会う。迷子になったうさぎを慰めたり、傷ついた鳥を看病したり。そうして誰かを助けているうちに、くまくん自身も少しずつ強くなっていく。最後に、くまくんは家に帰り着くのだが、そこにはかつて助けた動物たちが待っていて、今度は自分が道に迷った誰かを助けるために旅立つ──そんな希望に満ちた結末にした。
原稿をポストに入れたあと、深呼吸した。
季節は春。
公園のベンチには、小さな子どもと母親が座って、笑いあっていた。
紗英もその笑い声に小さく笑って、歩き出す。
振り返ると、自分が歩いてきた道のりが見えた。遠回りして、時には立ち止まって、それでもここまで来られた。そして今、新しい道が目の前に続いている。
どんなに遠回りしても、私の物語は、ここから始まる。
三ヶ月後、紗英の元に一通の封筒が届いた。出版社からだった。
手が震えながら封を切ると、中には丁寧に書かれた手紙が入っていた。
「この度は、絵本コンテストにご応募いただき、ありがとうございました。審査の結果、『くまくんのとおいみち』が佳作に選ばれましたことをお知らせいたします」
紗英は思わず声をあげそうになった。佳作。賞金は少額だったが、何より嬉しかったのは、審査員のコメントだった。
「作者の実体験に根ざした深い共感力が、子どもにも大人にも響く物語を生み出している。特に、困難を乗り越える過程で他者への思いやりを育んでいく描写が秀逸」
その日の夕方、紗英は篠田に電話をかけた。
「先生、佳作をいただきました」
「そうか!おめでとう。でも驚かないよ。君になら、きっとできると思っていた」
「ありがとうございます。先生に出会えて、本当によかった」
電話を切った後、紗英は窓辺に立った。夕日が部屋を優しく染めている。
明日からも、きっと新しい物語が始まる。今度は、自分の足でしっかりと歩いていこう。
そう思いながら、紗英はまた新しいノートを開いた。次の物語のために。
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