夫が愛人を妊娠させたようです

6話

　リンドンは港町の安宿の窓辺に立ち、曇った空を睨んでいた。部屋は狭く、カビ臭い匂いが漂っている。彼の手には粗末な紙に書かれたアメリアの噂――彼女が貴族社会で新たな地位を築き、遠い街で豪華な屋敷に住んでいるという情報――が握られていた。回復してからの数ヶ月、彼の心は復讐の炎で燃えていた。アメリアにすべてを奪われた屈辱、エルザの嘘に騙された愚かさ。それを晴らすため、彼は再び立ち上がった。

「……アメリア、お前を許さない」

　彼は呟き、拳を握りしめた。かつての傲慢な貴族の面影は薄れ、目には執念だけが宿っていた。リンドンはアメリアの新たな生活を崩す計画を練っていた。彼女の屋敷に忍び込み、過去の偽造の証拠を暴く。それが無理なら、彼女の評判を地に落とすスキャンダルをでっち上げる。彼の頭は、復讐のシナリオでいっぱいだった。

　そのとき、宿の扉を叩く音が響いた。リンドンが怪訝な顔で扉を開けると、そこにはエルザが立っていた。彼女は以前の華やかなドレスではなく、質素な服をまとっていたが、唇にはあの高慢な笑みが浮かんでいた。

「……エルザ！？　どうやって……」

「ふふ、驚いた？　わたし、牢から出たのよ。ほら、毒殺未遂なんて軽い罪だったし……ちょっとした口添えもあったからね」

　エルザは軽い口調で言った。リンドンは目を細め、彼女を部屋に引き入れた。

「口添え？　誰の？」

「アメリアよ。彼女、貴族たちに『エルザは改心した』なんて言って、わたしの釈放を後押ししてくれたの。……皮肉よね」

　エルザの言葉に、リンドンの顔が歪んだ。アメリアの名前を聞くだけで、胸が焼けるような怒りが湧いた。

「アメリアだと？　あの女……何を企んでるんだ！」

「さあね。でも、わたし、彼女に借りを作ったままじゃ気分が悪いわ。リンドン、あなたも彼女を許せないんでしょ？」

　エルザはソファに腰掛け、意味深な視線をリンドンに投げた。彼は一瞬躊躇したが、すぐに頷いた。

「……ああ。俺は彼女を潰す。どんな手を使ってでも」

「じゃあ、一緒にやらない？　わたし、アメリアの屋敷の内情を少し知ってるの。貴族たちの噂もね。あなたにはそれ、役に立つでしょ？」

　エルザの提案に、リンドンの目が光った。彼はエルザの裏切りをまだ許していなかったが、復讐のためなら手を組む価値はあると思った。彼女の情報と彼の執念を合わせれば、アメリアを追い詰められるかもしれない。

「いいだろう。……だが、エルザ、俺を騙すような真似はするなよ」

「ふん、わたしをそんな女だと思ってるの？　もう、騙すなんて面倒なことしないわよ」

　エルザは笑って手を振ったが、その目はどこか冷たかった。リンドンはそれに気づかず、計画を話し始めた。彼はアメリアの屋敷に忍び込むための資金が必要だと考え、隠していた最後の財産――先祖伝来の宝石と金貨――をエルザに預けた。彼女はそれを使って貴族たちの動きを探り、アメリアの弱点を暴く手筈だった。





　数日後、エルザとリンドンはアメリアの屋敷の近くで落ち合う約束をした。リンドンは港町の宿で彼女を待ったが、約束の時間になってもエルザは現れなかった。嫌な予感が胸をよぎり、彼は彼女に預けた財産の隠し場所を急いで確認した。そこは空だった。宝石も金貨も、すべて消えていた。

「くそっ……また、騙された！」

　リンドンは壁を叩き、怒りに震えた。エルザの笑顔が脳裏に浮かぶ。あの甘い言葉、協力の申し出――すべて、彼の財産を奪うための芝居だったのだ。彼女はアメリアへの復讐など考えてもいなかった。ただ、リンドンの最後の資産を奪い、姿を消した。

　彼は宿の床に崩れ落ち、力なく笑った。その笑いには自嘲と絶望が混じっていた。アメリアに敗れ、エルザに二度も裏切られた。彼の傲慢な自信は、完全に砕け散っていた。港町の外では、冷たい風が吹き、波が岸を叩いていた。リンドンは立ち上がり、窓の外を見やった。そこには、ただ灰色の海が広がるだけだった。

「……もう、何も残ってない」

　彼は呟き、部屋を出た。その背中には、かつての貴族の威厳は微塵もなかった。