浮気相手を褒める旦那に離婚を決意しました

柚鳥

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3話

 アンゼリカは自邸の書斎で手紙を広げていた。窓から差し込む朝の光が、彼女の手に握られた一通の封書を照らしている。それは匿名で送られてきたものだったが、内容はソニアの過去を暴くものだった。彼女がかつて別の貴族と不倫関係にあり、その証拠となる手紙の写しが同封されていた。アンゼリカの唇に、かすかな笑みが浮かんだ。

「……ソニアも詰めが甘いわね。相手を選んで陥れればいいのに」

 彼女は呟き、手紙を丁寧に折り畳んだ。ソニアがアンゼリカの評判を落とす噂を流そうとしていることは、彼女の耳にすでに届いていた。社交界の情報網は、アンゼリカが思っていた以上に彼女に味方していた。かつての地味な貴族の妻は、今や財力と知恵で人々の信頼を勝ち取っていた。

 アンゼリカは立ち上がり、鏡の前でドレスの襟を整えた。彼女は今夜の舞踏会で、ソニアの策略を逆手に取るつもりだった。彼女の目は、かつての怯えを失い、鋭い光を宿していた。





 舞踏会は華やかな喧騒に包まれていた。シャンデリアの下、貴族たちが笑い合い、グラスを傾ける中、アンゼリカは淡い金色のドレスで登場した。彼女の周囲には、彼女を慕う人々が自然と集まっていた。ソニアは群衆の中でネスターの腕にしがみつき、アンゼリカを睨んでいた。

「なんて得意げなの……許せないわ……。でも今だけよ、そんなふうにしていられるのは」

 ソニアの声は毒々しかった。彼女はすでに、アンゼリカが遺産を不正に得たという噂を密かに流し始めていた。だが、アンゼリカの穏やかな微笑みを見る限り、その策略が効いているようには見えなかった。だが噂が十分に広まるにはまだ時間が必要だと自分に言い聞かせる。

 しかし、ネスターの忍耐力はそこまでではなかった。彼はソニアの手を振り払い、苛立たしげに言った。

「もういい、ソニア。こんなことで彼女の名誉を地に落とせると思うのか?」

「なによ? 私のやり方に文句があるっていうの? 今に見てなさい、彼女の評判を地に落としてやるわ!」

 ソニアの声が高くなった瞬間、会場が一瞬静まり返った。彼女の発言を耳にしたアンゼリカは都合がいいと判断した。

 アンゼリカが中央に進み出て、穏やかな声で話し始めた。

「みなさん、今夜は私のために集まってくれてありがとう。この場を借りて、ある話をしたいの」

 彼女の声は柔らかだったが、会場全体を包み込む力強さがあった。ソニアの顔が強張った。ネスターも何か不穏なものを感じ、身を固くした。

「最近、私について奇妙な噂が流れているわ。私の遺産が不正だとか、裏で何か企んでいるとか……」

 アンゼリカは一瞬、ソニアの方をちらりと見た。その視線に、ソニアは体を震わせた。

「でも、噂を流す人は、自分の過去を隠したいものなのね。たとえば……ある女性が、かつて既婚の貴族と親密な関係を持っていた事実を」

 会場にざわめきが広がった。アンゼリカは懐から一枚の紙を取り出し、読み上げた。

「『私の心はあなただけのもの。妻では決して得られない情熱を、わたしはあなたに捧げる』……この手紙、誰のものかしら?」

 ソニアの顔が真っ白になった。彼女は叫び声を上げ、アンゼリカに詰め寄ろうとしたが、周囲の貴族たちに制止された。

「嘘よ! そんなもの、捏造に決まってる!」

「あら、どうしてあなたがそこまで気にするの? もしかして誰のことなのか心当たりがあるの?」

「っ……!」

 それだけで誰の手紙なのか察することはできた。察せないような人物は社交の場にすら参加できない。ここは選ばれた身分だけの場。そして醜聞を目の当たりにできることを喜ぶような人が多い場でもある。

「捏造よ! そんな手紙、捏造に決まっているわ!」

「なら、この筆跡を鑑定してみる? あなたのものだと、すぐにわかるわ」

 アンゼリカの声は冷静だった。彼女は手紙をそっとしまい、微笑んだ。

「私は誰かを貶めるつもりはない。でも、自分の名誉を守るためには、真実を明らかにする必要があるわ」

 会場は騒然となった。ソニアの不倫の噂は、瞬く間に社交界に広がり、彼女の華やかな仮面は剥がれ落ちた。貴族たちは彼女を避け、冷ややかな視線を向けた。ソニアは涙を浮かべ、会場を飛び出した。

 ネスターは呆然と立ち尽くしていた。彼はアンゼリカの知略と、彼女が手に入れた力に圧倒されていた。彼女はもはや、彼の知るアンゼリカではなかった。





 数日後、ネスターはアンゼリカの邸宅を訪れた。応接間で向かい合った二人の間には、かつての親密さは微塵もなかった。アンゼリカは落ち着いた表情で彼を見つめ、静かに言った。

「……何の用?」

 ネスターは目を伏せ、絞り出すように言った。

「ソニアとは終わった。あいつは……俺を騙していた。アンゼリカ、俺は間違っていた。お前を失ったことが、どれだけ愚かだったか……」

 彼は膝をつき、彼女の手を取ろうとした。だが、アンゼリカは静かに手を引いた。

「復縁してほしい。もう一度、やり直そう」

 彼の声には切実さが滲んでいた。だが、アンゼリカの目は冷たかった。

「……あなたはソニアと一緒にいるメリットがなくなったから私と復縁を望むのね。でも、私にはもうあなたはいらないわ」

「アンゼリカ、頼む! 俺はお前を愛している!」

「愛?」

 アンゼリカは小さく笑った。その音には、哀れみと皮肉が混じっていた。

「あなたが愛したのは、私の地位や名誉だった。今、それが私自身の手にあるとわかったから、欲しくなっただけよ」

 ネスターは言葉を失い、ただ彼女を見つめた。アンゼリカは立ち上がり、窓の外を眺めた。

「さよなら、ネスター。私には新しい人生がある。あなたは、自分の道を歩みなさい」

 彼女の声は穏やかだったが、決然としていた。ネスターは肩を落とし、部屋を出て行った。アンゼリカは振り返らず、窓の外の青空を見上げた。彼女の背中は、過去を完全に振り切った者の強さに満ちていた。

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