まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

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穂刈月の幽霊騒動

第119話

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 手放しで二人を褒め千切る。そうと決まれば、やることは一つだ。
「ルチ様! ルチ様! ゼクレス子爵邸に、ぼくら以外は入れないようにしてください!」
 ぼくが大きな声で呼ばうと、すぐにコモンルームへ藍色のベールが降りる。耳元へ、吐息がかかった。長い指が、ぼくの頬を撫でる。勿忘草色の瞳はねだるように拗ねた色をしている。
『……分かった。けど、ご褒美』
「……」
 久しぶりのダダを捏ねられた。まぁ、最近はイェレミーアス優先でルチ様を構ってあげられなかったから仕方ない。
「ご褒美、何がいいですか」
『今夜は、二人きり』
「……」
 振り返ってイェレミーアスを見つめる。こつん、と側頭部におでこが当たる感触がした。
「……仕方ないね。今夜は譲ろう」
『……』
 むっ、と唇を突き出してルチ様は体ごと傾いて消えた。コモンルームに色が戻る。
「ヴァン。私とあの精霊、どっちが大事?」
「え……? えっと、え~っと、……どっちも大事、ですよ……?」
 何その「私と仕事どっちが大事なの」みたいな質問。前世でもそんな状況になったことない現世六歳児にする質問かな。そもそも、誰のためにルチ様へあんなお願いしたと思ってるの……。と頭に浮かんだけれど飲み込んだ。言葉に詰まったぼくを、イェレミーアスは強く抱きしめた。
「ヴァンは、悪い子だね」
「……」
 なんだろうな、何なのこの変な雰囲気。これぼくが悪いのかな。目を閉じて両手でこめかみを揉んだ。イェレミーアスがぼくを抱き込んで拗ねているのが、背中から伝わって来る。
「イ、イェレ兄さま?」
「自業自得だねぇ、スヴァンくん」
「なんだろうな……寵愛も、あんま羨ましくねぇや……」
 ローデリヒの呟きに、ルクレーシャスさんが頷きながらどら焼きに齧りついていた。
「……フレート、シェーファー男爵令息についても情報を集めてください」
「かしこまりました。ゼクレス子爵邸へは、いつ参られますか」
 だって今日このままここに居たって、イェレミーアスと変な雰囲気になって拗ねたルチ様を相手にしなくちゃなんないんでしょ。それならもう、忙しくて帰りが遅かったことにした方がいいじゃんか! ゼクレス子爵邸へ行くとなれば、ルチ様も付いて来るだろうし。フレートの顔を見ながら、ぼくはどこでもいいから出かけたい気分で答えた。
「……今夜。今夜、行きます。フレートも同行してください。ぼくと、ルカ様と、イェレ兄さまと」
「オレも行くぜ! 置いて行くとか言わねぇよな!」
 完全に今夜もぼくんちで夕飯を食べる気だよね、ローデリヒはね。君、ちゃんと自宅に帰ってるんだろうな。エステン公爵に申し訳ないよ。
「……リヒ様も、です。ゼクレス子爵邸から離れたところへ馬車を置いて、歩いて行きましょう」
「かしこまりました」
 フレートが腰を折ると、コモンルームを出て行く。待ってほしい。ぼくを置いて行かないでほしい。でも特に用はないのでフレートを呼び止めることもできない。
「……皆様も、よろしいですね?」
「ああ」
「よっしゃ!」
「わたくしの魔法で行けばいいじゃないか」
「ルカ様の魔法は目立つでしょ」
 魔法陣は光るから、ルクレーシャスさんがここにいると大声で叫んでいるようなものである。それに魔法が使える人間からすれば、魔法陣を見れば誰の魔法なのか一目瞭然らしい。そもそも幽霊を装っている人間を待ち伏せしたいのに目立ってどうする。ルクレーシャスさんは何か言いたげにぼくを睨みながら、どら焼きを口いっぱいに詰め込んだ。
「ヴァンのことは私が抱っこして行くから、心配しなくていいよ」
 にっこり微笑むイェレミーアスを見つめる。イェレミーアスは今日も、完璧に美少年である。
「心配、した方がいいぞスヴェン。心配、するべきだ。抱っことかそんなんじゃなくてなんていうかこう、人生的な何かをだな……」
「わたくしのクソ鈍い弟子には何を言っても無駄だよ、皇太子」
 クソ鈍くて悪かったな。頼れるけど過分に失礼な師匠を睨む。けれど頼れる師匠はお耳をつーんと立てたまま、無心でどら焼きを口へ詰め込んでいる。ローデリヒへ視線を流すと、にこにこしたまま首を横へ振られた。
「……」
 やっぱ肝試しといえば夏だよね。うん。もう夏の終わりだけれども。頷いて胸の前で手を打つ。
 ぼくは考えることを放棄した。
 夕食後、西門からほど近いタウンハウスから馬車で、城壁沿いに南下する。南門と西門の丁度中間地点に、ゼクレス子爵邸はあった。広さもタウンハウスからの近さも、ぼくの希望に叶った土地だ。ゼクレス子爵邸の近くにある、マウロさんが売買を取り仕切っている別の土地へ馬車を停めた。
 ここからは歩きになるが、ぼくが歩くと周囲に気を遣わせることになるので普段通り、イェレミーアスに抱っこしてもらった。歩幅がね、小さいからね。歩くの遅いんだよね。仕方ない。だってぼくまだ六歳だもの。
 イェレミーアスの首へ手を回し、周囲へ視線を向ける。そういえばこの辺りに、リヒテンベルク子爵の家もあるんじゃなかったっけ。そして南東にはアンブロス子爵の家があるはずだ。領地を持たないから、アンブロス子爵の家はタウンハウスではなく本邸である。子爵と言ってもアンブロス子爵のように領地を持たない騎士爵と、領地を持つリヒテンベルク子爵とでは大違いである。
 そう、領地がある方が当然、稼ぎがいい。領地からの税収があるからだ。だから権力も強い。一方騎士爵は、常に戦わなければならない。戦えなくなったら収入が途絶える。領地収入という安定した財政が確保できない。まぁ、だからこそシーヴ・フリュクレフとエーリヒ・アンブロスの結婚は遠からずアンブロスがフリュクレフ公爵家へ入り婿という形になるしかない、と見込んでの皇命だったわけだが。
 そう考えると、それなりに税収もあり、野心もあるリヒテンベルク子爵が何故、アンブロス子爵の愛人という状況に自分の娘を置いているのか疑問が残る。確か、リヒテンベルク子爵にはもう一人娘がいるはずだ。それでも野心のある人間が、娘を力のない騎士爵の愛人にさせておくだろうか。
 「椿の咲くころ」を物語や演劇として広めて、本妻であるはずのシーヴ・フリュクレフを貶める策を見事に成功させた男がそんなことをする狙いは何だろう。他に企みがある、と考える方が自然だ。
 劣化したプラスチックみたいに色のぼやけた金髪を思い浮かべる。そこまで知恵の回る人間には見えなかったが、果たして。
「――」
「ヴァン?」
「あ、はい」
「もうすぐゼクレス子爵邸だよ」
 しばらく歩くと鉄の柵に囲まれた塀が見えて来た。夏の間に雑草が伸びてしまったのだろう。アイアンの塀越しに窺うが、伸び放題の草に隠れて中はよく見えない。フレートがマウロさんから預かった門扉の鍵を取り出し、ぼくへ頷いて見せた。門扉は少し軋んだ音を立てて開く。
「裏に柵を引っ張ると外れるところがあるんだよ。こないだもオレ、そこから入ったんだ」
「まずその部分を修理しないといけませんね……」
 二重の意味で頭が痛い。こめかみを揉みながら、後から詳しい場所を教えてもらえるようローデリヒに頼んだ。しかしローデリヒは公爵令息という自覚が薄すぎる。一人でこんなところを探索するなんて、危ないだろうに。その程度には剣の腕に自信があるかもしれないが、エステン公爵家の一人息子という立場を理解しているのだろうか。心配になってしまう。
 本来なら馬車が通るように整備されていただろう道は草で埋もれつつある。
「どうする? 屋敷の中を見るか?」
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