まったく知らない世界に転生したようです

吉川 箱

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陰謀詭計のジングシュピール

第153話

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「その噂を流すとどうなるんだ? スヴェン」
 何一つぴんとこない、という瞳でローデリヒがぼくを見る。調略とは無関係のローデリヒが羨ましく、そして少し心配になった。
「シェーファー公のご令息の死が、例えミレッカーと無関係だとしてもヴェルンヘル様が疑念を抱いているとなれば牽制になります。逆にシェーファー公のご令息の死へ本当に、ミレッカーが関わっていたとしたら相当に焦るでしょうね」
「下手に関わった人間を処分すれば、逆に自分が関わっているとスヴェンに悟られかねない。お前なら、割り出すだろう? スヴェン」
 ジークフリードは僅かに片眉を上げてぼくを見た。シェーファーはぼくとジークフリードを交互に見つめている。
 ぼくを膝に乗せたイェレミーアスの、胸が揺れるのを背中に感じた。無邪気な笑い声を含んだ囁きが耳を掠める。
「殿下とエステン公爵閣下に探りは入れられない。シェーファー公は皇宮騎士団の実力者であった。私なら、シェーファー公の奥方を狙う。保護が必要だ。違うかい? ヴァン」
「なので、この冬は奥さまと皇宮にてお過ごしいただきたいのですが、いかがでしょう?」
「……それは……ありがたいことですが……」
「シェーファー公は今、平民居住区から皇宮へ通っておられますね? とりあえずは奥さまとご一緒に皇宮へ移動していただいて、風花の月にぼくらと一緒にぼくのタウンハウスへ移ってください」
「父上の間者すら入り込めぬ、厳重な警備の邸宅だ。安心しろ。父上が悔しがって癇癪を起こすほどでな……くっ……ふふっ……」
 ジークフリードは思い出し笑いをして、クッションへ顔を埋めた。シェーファーはさらに困惑した表情で、身を縮めている。
「奥さまの安全を確保出来次第、不審な死を遂げた身内を持つ方をジーク様の元へ案内していただければと思います」
「堂々と、表立って、だ。よいな、オリバー」
「そうすることで、シェーファー公自身を害することの危険度を上げます」
「これも、ミレッカーの動きを制する抑止力になる、ということだね? ヴァン」
「はい。とりあえず、今一番危険なのは後ろ盾のないシェーファー公の奥さまとぼくです。殺してもさして脅威になりませんから。権力のある人間がその死を追及する可能性がないので」
 言い終わらないうちに、ルクレーシャスさんがぼくの手を掴んだ。
「君、本気で言っているかい? わたくしが君を殺されても、知らん顔していると?」
「……」
 ぱちぱち、と瞬きしてルクレーシャスさんの目を見つめ返す。真剣な金色の虹彩には、押さえた怒りと勇者の話をした時に似た色が浮かんでいる。
「おいで、スヴァンくん」
「……」
 イェレミーアスの膝から、ルクレーシャスさんのお膝へ移動させられた。きゅっと口を噤んでルクレーシャスさんの顔を上目遣いで見やる。
「君が少しでも傷つけられたら、わたくしは犯人を百年追い回すよ。わたくしはそんなに薄情ではないし、君のことを大切に思っているし、君が思うより君を愛しているんだよ。普段は君が争い事を望まないから堪えているだけだ。知っておきなさい」
「……はい」
 じわ、と目の奥が熱くなった。洟を啜りながら、ちらりと目を上げる。ルクレーシャスさんは、怒った顔などしていなかった。
 寂しそうな、悲しそうな、置いて行かれた迷子みたいなそんな表情だった。
「ルカ様?」
「うん?」
「ごめん、なさい」
 ぽろん、と温い雫が目から零れ落ちた。顔を見られたくなくて、ルクレーシャスさんの胸へ顔を押し当てる。大きくて節くれ立った手が柔らかくぼくの頭を撫でる。
「分かればいいんだ、君は自分のことを大事にしないから。わたくしはそのことが悲しいんだよ」
「オレもだぞ、スヴェン」
「私もだよ、ヴァン」
 ローデリヒがソファを立ち、ルクレーシャスさんの脇へ回った。それからぼくの頬をつつく。
「オレだって、スヴェンが自分のこと後回しにしたら心配だぜ?」
「……リヒ様……」
「おう」
 にかっと笑ったローデリヒのシャツを掴んで、思い切り鼻をかんだ。今日くらい、今くらい、六歳児のふりで甘えてもいいだろうか。
「お菓子のカスだらけの指でさわったぁぁぁぁぁ……!」
「お、ちょ、妖精がそんなとこで鼻かんじゃダメだろ! なんだよ、ほら、払ってやったからもう大丈夫だよぉ! 泣くなってぇ!」
「リヒ! そんなごしごし拭いたらヴァンの肌が赤くなるだろう!」
「うわぁぁぁん、リヒ様のシャツ汗臭いぃぃぃぃ」
「悪かったなっ!」
「可哀想に。ほら、私の膝へ戻っておいで、ヴァン」
 イェレミーアスへ抱きよせられ、膝へ戻る。胸元から出したハンカチで優しく頬を拭われた。
「あはははは、ほんとリヒくんはしまらないね」
「ちぇっ。ベステル・ヘクセ様がいちばんスヴェンに甘いんだからなぁ」
 ズビ、と洟を啜って完全に置いてけぼりになったシェーファーへ顔を向ける。きょとんとしていたシェーファーは、ぼくと目が合うなり笑う。
「ははっ。大人顔負けかと思えばちゃんと幼子で、スヴァンテ様はなんとも不思議なお方ですな」
「……そうです。ぼくがどれだけ小賢しかろうと、ぼくは六歳の子供です。どうしたって大人と渡り合おうというのは無理な話です。だからシェーファー公、ぼくらに力を貸してください」
 ぼくらには、圧倒的に大人の味方が少ない。心から信頼していい大人の存在は必要だ。
「……はい。息子の無念が、晴らせるなら」
「……実は、ご子息の死がミレッカーの関わった不審な死かどうかというのは分からないと思っています」
「……そう、なのですか……」
「ええ……」
 殺したい相手が都合よく、アレルギー体質の人ばかりとは限らない。皇国では、医術はデ・ランダル神教と密接に関わっている。つまりとんでもオカルト理論がまかり通っているのだ。だからこそ、見た目では分からない毒などを盛られたら判別が付かないのである。そういう毒を、薬学士が知っていたら。
 そういう確率はある。というか、ある、のだろう。フリュクレフは国土の八割が高山地帯で、独自の進化を遂げた植物が多い。それゆえ発達した薬草への知識を持っているのだ。そういえば、毒と知っている人も多いだろうトリカブトは高山植物である。
 独自の薬草の知識がある、ということは独自の毒草の知識がある、ということでもあるのではないだろうか。薬草でも、過ぎれば毒になるものなどもあるだろう。そういう薬草を使われたのだとしたら、知識のないものに知る術はない。
「ご子息の死を調べるには、時が経ちすぎてしまっているのです……」
「そう、ですね……」
「けれど、状況から鑑みるにかなり怪しくはあります。証拠を集める中で、真実が見えて来る可能性もあります。……ぼくらにご助力願えますか?」
 シェーファーは、息子の死を天命と受け取ることもできる。自ら危険へ飛び込む必要はないのだ。
「息子の件のみに限りません。わたくしの憤りを、スヴァンテ様はご理解いただけるのではないでしょうか。わたくしども平民は、貴族の横暴に少なからず人生を左右されながら生きている」
 やはり、シェーファーは気づいている。感じている。だからぼくは正直に答えた。
「……はい。ぼくは、それを変えたいとも思っています。その点に於いて、ぼくは陛下の味方ではありません。ひょっとしたら、ジーク様とも袂を分かつことになるかも知れません」
「スヴェン……?」
「ヴァン……」
「搾取されるのみの層を作るというのは、その層が薄くなった時に崩壊する社会を作る、ということなのですよ。ジーク様」
「どういう……?」
「それはとりあえず保留です。さて、シェーファー公。いくつかお伺いしたいことがございます」
 この場に居るのはぼくとシェーファー以外、全員搾取する側の人間だ。今はこのことに言及する必要はない。ぼくはジークフリードへ、軽く頭を振って見せた。
「ご令息は、体の弱い方でしたでしょうか。例えば、季節の変わり目に必ず咳き込むなどの症状はございましたか?」
「……いいえ。わたくしに似て、病気一つしない子でした」
 となるとやはり、いくら医療の発達していない皇国だとしてもインフルエンザで死ぬとは思えない。まぁ、健康健康のためにと行っている朝のジョギングなどで心臓発作を起こして突然死、というケースもあるので断定できない。
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