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第一話 蜘蛛の糸 ※暴力・恐喝の表現あります
しおりを挟む由美とその両親の3人が暮らしているアパートは、破格の家賃に見合った、とても窮屈な部屋である。
オンボロでお世辞にも綺麗とはいえない家だが、そこは確かに由美にとっての我が家であった。
「それにしてもよりによっておれらみたいなのから金盗むなんてよ。とんでもない親をもっちまったなあ、由美ちゃん」
頬に深い傷跡が刻まれている、どう見てもカタギではない容貌の男が、由美に向かって声をかけた。
まるで同情しているみたいな口ぶりであったが、床にあぐらをかいて座っている男の足元には革靴が履かれたままであり、畳の上には彼の足跡がはっきりと残されている。
つい先ほどその足が蹴破った玄関扉は、変形して開けっぱなしになっているし、側から見ればどうみても修羅場といったところである。
けれども一向にパトカーのサイレンが聞こえてくる気配はない。
というのもこのアパートに住んでいる者たち皆、後ろ暗い訳あり人間ばかりであったからだ。
借金とりに脅されている少女がいようと、ああ自分の所じゃなくて良かったと安堵しているような輩なのである。
よって由美にとっての救いは、現れることはないのであった。
「自分の娘を囮にして逃げるとは、ヤクザもんでもやんねえよ」
おー、こわ。と笑っている男の話をまとめると、どうやら由美の両親はとある組のお金を持ち逃げしてしまったらしい。
しかもすでにどこか異国の地へ高飛び済みで、何も知らない由美だけがこの家に取り残されたまま。
つまるところスケープゴート、自分たちが逃げ切るための時間稼ぎとして利用されたというわけだ。
いっそ荒唐無稽な話にも聞こえるだろうが、由美の知る両親ならばさもありなん、というのが正直な話であった。
彼らと暮らしてきた十数年間、一度だってまともな親であったことなどなかったのだから。
だから由美は突然現れた強面の男が語る両親の話を、疑うことなく信じたのだった。
(結局どんなに尽くしたってあいつらが愛せるのはお互いだけ、私はただの道具だったのね)
両親の愛を得るために必死に生きてきたというのに、こんな風に捨てられるなんて馬鹿みたいだと、由美は心の中で自嘲する。
黙りこくっている由美のことを置物だと思っているのか、男はそちらを気にすることなく話し続ける。
「どこに逃げたって、逃げ切れるわけもねーのによ。お嬢ちゃんの親も馬鹿だよな、1億盗られて諦めるやつがいるかよ」
「いっ、1億!?」
考えつかないほどの大金が出てきて、思わず由美はそう叫んだ。
男はひょいとこちらへ視線をやると、唇の端を吊り上げて笑いながらこうも言った。
「そうさ、1億だよ。わかってんのか、両親が捕まらない以上、娘であるお嬢ちゃんがこれを払うことになるんだぜ」
「そんな大金、どうやって…」
どんな高額な給金で働いたって、気が遠くなるほど長い年月をかけたって、1億なんて大金を稼げる当てなどありはしない。
まだ幼い少女である由美の反応は、当然のことである。
しかしそれはあくまでも表社会であれば、の話であった。
「うーん、今回は額が額だからな。ま、一つで生きられる臓器はとって売って、残りは身体を売って稼いでもらうことになるだろうなぁ」
男は今晩の夕飯のメニューを決めるみたいに、さらりと由美の今後を語ってみせた。
その地獄のような内容に、由美は咄嗟に言葉も出せず、ただ唇を慄かせるのであった。
「お、そういや確認だがお嬢ちゃん経験済みじゃないよな?いや最近マセた娘がおおいからよ」
明け透けな質問に、由美はぼっと顔を赤く染める。
「な、そんなことっ、」
「そういうのはいいからよ、処女かどうかハキハキ答えろや」
ドスのきいた声で重ねて尋ねられ、由美は仕方なく小さな声で答えた。
「し、しょじょ、です」
「おっ!じゃあオプション料金も貰えるからラッキーだったなあ!頑張って稼ぐんだぞ、由美ちゃん♡」
恐怖のあまり顔面蒼白になっている少女の前で、男はケラケラと笑いながら話し続けている。
(人でなしっ!こいつもっ、私を捨てたあいつらも、皆人間なんかじゃないっ!バケモノよ!)
由美は心の中で絶叫しながらも、このまま黙っているだけでは状況は変わりはしないこともわかっていた。
だからこそ、恐怖で締め付けられる喉を無理やり開き、男に向かって声をかけることにしたのだった。
「あ、あのっ、私、一生懸命働いて稼いできますっ!どんなに時間がかかっても、かならず、必ず返しますから。だからっ」
重ねるように床に平伏し、由美は必死に懇願した。
それしか自分が助かる方法はなかったから。
「……」
命乞いする由美に対し、男は言葉を返さなかった。
由美は震える身体を鞭打ち、懸命に土下座の姿勢を取り続ける。
この体勢では男の表情を窺うことすらできない、どんな反応が返ってくるかわからぬまま、沙汰を待つのだった。
すると男の方から衣擦れの音がした、彼が立ち上がったのだ。
ざらついた足音が、由美の方へと近づいてくる。
「!ぅっ、」
頭部に走る鋭い痛みに、由美は思わずうめき声を押し殺しきれなかった。
由美の長く伸ばした黒髪を鷲掴みにされ、強制的に顔を上げさせられたのだ。
無理やりに合わされた視線の先には、めんどくさそうに顔を歪めた男がいた。
「やっぱ先にキメてからじゃないと、五月蝿くて敵わねえな。今からでも持って来させるか」
「な、なに…?」
「あ?…くくっ、いや可哀想なお嬢ちゃんがスナオになれる、素敵なお薬をやろうと思って、な♡」
にたりと笑いながら男がいうが、どう考えてもそれがマトモなブツなわけがない。
由美も良くは知らないが、彼の言う通りにしていいわけがないと直感で理解していた。
ーぶぶっ
そんな時、男の胸元にある携帯が音を立てて振動した。
男は掴み上げていた由美の頭をぽいと投げ捨てると、携帯を取り出し発信元を確認し始めた。
どうやら重要な相手であったらしい、彼は床に這いつくばる由美を見下ろしながらすぐに話し始める。
「はい、柏木です。ーああ、例の件ですか?今ちょうど店に売りにいくところですけど。ーはぁ、そりゃそちらがいいなら構いませんが。わかりました、それじゃそういうことで」
ぴっと音を立てて切られた電話の内容は理解できなかったが、もはや由美にとってはどうでもよいことだった。
このさきには地獄が待っているのだから。
瞬きもせず涙を流している由美にかけられた言葉は、予想もしていない内容であった。
「あー、今さっきいった予定だがな。お嬢ちゃんの意思によっちゃ、もう一つ選択肢ができた」
「、選択、肢?」
自分の臓器だけでなく純潔も奪われ、ひたすらに貪られる未来よりも酷いものがあるというのだろうか。
ゆっくりと頭を上げると、男の方へ視線をあげる。
男はモルモットだよ、と興味なさげに告げた。
「よく知らんがたまに研究所の奴らが実験のために被検体を買いにくるんだよ。で、今回はお嬢ちゃんが条件にぴったり合うらしい」
「ひ、被検体って」
「ある手術を受けた後、その臨床データを5年間とりたいんだそうだ」
こんなことに大金使うなんて、学者ってのは理解できないね、と男はまるっきり馬鹿にして吐き捨てた。
手術、恐ろしい響きにぞっとする。そんなの臓器を取られるのとおんなじじゃないか。
そう思っている事などすらお見通しなのだろう、男は重ねて続けた。
「あっちはお前が拒否するなら受け入れる、と言ってる。別に構わねえぜ、こっちとしてはどちらにしろ金が入ってくるんだ」
どう考えても怪しい提案なのはわかっている、それでもこの身を汚され、奪われるよりはましだ。
由美はそう考え、口を開いた。
「わかりました、…手術を受けます。」
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