『赦しの魔女』なので、復讐はしないと決めています

逢坂ネギ

文字の大きさ
18 / 30

第18話 揺らぐ決意

しおりを挟む
 いつも通りの贅沢な部屋の中。その上品な空間を踏み荒らしたのは、恐ろしい顔をした軍警だった。
 
『セレスティア・ド・アルノ! 貴殿を国家反逆罪で逮捕する!』
『反逆罪……?』

 恐ろしい響きの言葉に、体が凍りつく。メイドが悲痛な叫びを上げる。怯え震えるセレスティアを軍警たちは取り囲み、逮捕状を突きつけた。

『身に覚えがございません』
『言い訳なら審判院で聞こう。さあ、早く!』

 腕を掴まれ、部屋を追い立てられる。お嬢さま。世話役のメイドが泣きそうな声で床に崩れている。セレスティアは困惑したまま、住み慣れた部屋から連れ出された。

(……お兄さま)

 手枷の鎖がちり、と鳴る。セレスティアは祈るようにうずくまる。審判院でのやり取りは、何も分からないまま進んでいく。
 まるでセレスティア本人でさえ、本当に罪を犯してしまったと思ってしまうほど。

 でも、まだ希望はあった。

 兄ならば。きっと、助けに来てくれる。

 優しく、人を見る目のある兄ならば。審判院の酷い裁判を、軍警の悪辣な対応も、きっと日の元に晒してくれる。彼はいつも、セレスティアに優しくて——なにより、無実の罪で裁かれている状況は、アルノ家としてもよくないはず。
 
(わたしは殿下の婚約者だから……きっと、王家に反抗する軍部の策略なのかもしれない)

 兄ならば。ルシアンお兄さまならば、それらを見抜いて暴いて、セレスティアを助けに来てくれるはず。

 けれどドレスは、粗末なお仕着せしか与えられなくなった。
 けれど髪は、断ち切られて短くなってしまった。
 けれど食事は、かびたパンと薄いスープだけになった。
 けれど、けれど、けれど——。

 何日も閉じ込められた薄暗い地下牢の中。どやどやと足音が聞こえても、セレスティアは顔を上げられなかった。

『女囚! 貴様にアルノ侯爵家より通告だ』

 アルノ。お兄さま。
 乾いたくちびるが震えて、セレスティアは顔を上げる。乱雑に切られた髪の裾が、ぶるぶると震えていた。

 ああ、お兄さま。ルシアンお兄さま! 
 やっぱり、セレスティアのことを、助けに来てくれた!

『——以上、刑の執行をもって、セレスティアとの家門関係を完全に断絶する』
『……え』

 こぼれた声が、湿気た石の床に転がる。祈りを結んでいた手首の方から、じゃら、と鎖の落ちる音がした。
 
『まって』
『ああ、それと。侯爵閣下より言伝だ』

 我がアルノ家のために、罪を認めて刑に臨め。それがお前に課された最後の役目だ。分かるだろう、セレスティア。

 その言葉を最後に、地下牢は闇に包まれる。セレスティアは——『わたし』は動けないまま、浅い息を繰り返す。

 今まで、色々な役割を与えられた。大貴族アルノ家の娘。貴族社交界の『飾り人形』。王太子殿下の婚約者。
 そして、罪を被って家のために死ぬ、家名から消された犯罪者。
 
 それが、セレスティアに与えられた、最期の役目。

「……ネ」

 声が聞こえる。死ねと罵る声か。あるいは、

「リュネ……リュネ!」

 はっ、と『わたし』は目を覚ます。木で出来た天井。ざらりとしたシーツの感触。微かな草と土のにおい。

 それと、人の姿。

 黒い髪。金色の目。整った顔立ち。
 アルノの男。

 呼吸が、崩れる。

「全然起きてこねえから……どっか具合悪いのか」
「やめて!」

 ぱちん、と伸ばされた手を弾いて、ようやく『わたし』——リュネは息を吸った。
 カイルの目が驚いたように丸くなっている。打たれた手は、ひらりと宙にあるままで。その光景に、一瞬、言葉が頭の中から消えた。
 今、自分は何をした?

「……ぁ、その……ごめんなさ」
「いーよ。寝とけ」

 カイルはそう言って、リュネにかかっていた布団を肩まで引き上げた。起き上がろうとすると、それを手で制して、まっすぐとした目線で見返す。

「カイル、待って。わたし」
「気にしてねえから。ちゃんと目ぇ閉じろよ。本読んだり、薬混ぜたりしてんじゃねーぞ」

 部屋のドアが静かに閉まる。ややあって、外のドアが開閉する音がした。昨日言っていた、外回りのことを彼は覚えていたのだろう。

 リュネは、ベッドの中で小さく背を丸める。目を閉じれば、まだ生々しい夢の感触。目を開けば、カイルへの酷い行い。
 脳裏にちらつくルシアンの影が、春祭りからずっと消えない。

「……わたしって、全然ダメだわ」

 ぽつりとこぼした言葉が、泣きそうにふらふら震えていた。

☆☆☆

「おかえりなさい。外回りやってくれて、ありがとう」
「……おー。具合は」
「ばっちり。寝不足だったのかも」

 そう微笑んで、夕食を振る舞う。カイルから聞く村の様子はいつも通りで。くすくすと笑うことだってできた。
 でも明日には、ルシアンが自分を追ってここに来るかもしれない。みんなに、カイルに迷惑がかかるかもしれない。
 
 不安が、ずっとそこで、じっとリュネをにらみつけている。

「なあ、リュネ」

 カイルのその呼びかけに、リュネはどきりとして本のページをめくった。顔を上げると、彼は向かいの椅子で膝を立てて座っている。いつも通りに。

「なあに」
「春祭りの夜、やっぱりアルノの野郎になんか言われたろ」

 ごまかそうとして、けれどリュネは少し息を吐いた。カイルの視線は鋭い刃のようで、雑な嘘などつけないと感じてしまったから。

「……もう過ぎたことだから」
「いーや、過ぎてねえ。少なくとも、あんたの中じゃあ。あの日から様子がおかしいじゃねえか」

 がたん、と彼の長い足が床を踏む。

「あんた、アルノ家と何か関わりがあるんだろ」

 リュネは視線を逸らし、本のページをめくる。心臓の音がうるさくて、文字が頭に入ってこない。

「ずっと不自然に思ってた。丁寧な言葉遣いも、妙に舌になじむ味付けも。貴族文書だって、すいすい読んでみせたところだって」

 でもな。
 ちらりと視線の端に、彼の靴が見えて。リュネはその姿をなぞるように顔を上げる。
 微かな明かりに照らされた彼は、険しい顔をしていた。

「だからといって、全部暴きたいわけじゃない。言ってたろ、お互い隠したいことがあるって。それは分かる。でも」

 カイルはそこで言葉を区切った。何か探すようにまなこを揺らし、拳を握る。リュネの膝の上で、本がくしゃりと音を立てていた。

「それが、あんたを苦しめてるなら、嫌だ……なあ、リュネ」

 カイルが、ゆっくりと膝を折った。まるで赦しを乞うように。あるいは、祈るように。

「俺は、あんたに苦しいまま笑って欲しくないんだ。だから、力になりたい」

 細く、息の交じった声は、泣いているみたいにも聞こえて。リュネはぐっとくちびるを噛んだ。

「……あなたに、そんな道を選ばせてしまった」
「は? んなわけあるか。これは俺の選択だ。思い上がんな」
「でも」
「あのなあ」

 腕を、取られる。視線が奪われる。
 膝から読みかけの本が、ばたりと落ちた。ぐらりと揺れた視界の中で、呆気に取られたまばたきの中で、カイルの双眸が輝く。
 暗闇に差し込む、希望の光のように。

「苦しんでる人がいるとき助けたいって思うのは、あんただってそうだったじゃねえか。なら、俺がそう思うことだって、何も変じゃねえだろう! なあ、リュネ!!」

 くちびるが、震える。
 指先が、スカートの端を握りしめる。
 ぱた、ぱたと熱い水滴が頬を伝う。それに気がついて、リュネは慌てて指で目元を拭った。

 それでも涙が、あとから、あとから止まらなくて。

「……な、泣かせたのは、悪かったけどよ」
「違う……今、わたし、あなたにとても酷いことを言った……あなたの、選択を……っ、わたし信じっ、信じるって、言ったのに……うたがっちゃった……」

 ごめんなさい。
 掠れた声が、震えたままでそれを口にする。しゃくり上げる肩が、つっかえる言葉が、喉奥から漏れる嗚咽が、止められない。止め方が分からない。

 ひいひいと子どもみたいに泣き続けるリュネに、カイルは黙って寄り添っていた。
 
 
「……今から話すのは、わたしの主観の話。ただの、夢物語と思って聞いてくれても構わない」

 ようやくリュネが泣き止み、目元と鼻を真っ赤にさせた頃。短くなったロウソクの火を取替えながら、そう前置いた。

「わたしにはね、わたしじゃなかった頃……リュネとして、生まれる前の記憶があるの」

 カイルのまなこが一瞬ちらりと揺れる。けれど、口をきっと結んだ彼は、黙って引き寄せた椅子に座った。
 リュネはそれを見届け、言葉を続ける。

 それは、誰にも言うはずのなかった、過去の話。

「彼女の名前は——セレスティア。セレスティア・ド・アルノ。アルノ家の三女で、王太子殿下の婚約者で……」

 閉めた窓ががたがたと揺れる。二人の影がふらふらと壁に描かれる。
 ろうそくの炎のゆらめきを見つめながら、リュネは静かに口を開いた。

「国家反逆の罪で、火刑にされた」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

さようなら、私を「枯れた花」と呼んだ貴方。~辺境で英雄を救って聖女と呼ばれたので、没落した元婚約者の謝罪は受け付けません~

有賀冬馬
恋愛
「お前のような見栄えの悪い女は、俺の隣にふさわしくない」 婚約者アレクに捨てられ、辺境へ追いやられたセレナ。 けれど、彼女が森で拾ったのは、アレクなど足元にも及ばないほど強くて優しい、呪われた英雄ライアンだった。 セレナの薬草が奇跡を起こし、王都を救う特効薬となったとき、かつて自分を捨てた男との再会が訪れる。 「やり直そう」と縋り付くアレクに、セレナは最愛の人と寄り添いながら静かに微笑む。 ――あなたが捨てたのは、ただの影ではなく、あなたの未来そのものだったのですよ。

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す

RINFAM
ファンタジー
 なんの罰ゲームだ、これ!!!!  あああああ!!! 本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!  そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!  一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!  かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。 年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。 4コマ漫画版もあります。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした

しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」 十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。 会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。 魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。 ※小説家になろう様にも投稿しています※

処理中です...