『赦しの魔女』なので、復讐はしないと決めています

逢坂ネギ

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第8話 退屈な日々

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 ばたん、とドアが開いた音を聞いて、リュネは本から顔を上げた。深い金のまなこが、ちらりとこちらを見る。赤くなった鼻の頭を見つけて、リュネは椅子から立ち上がった。

「おかえりなさい」

 暖炉に薪を放り込む。カイルは寒そうに手を擦り合わせると、椅子をそばに寄せて小さく座った。火にかけていたケトルをとって、カップに中身を注ぐ。柔らかい香りに、カイルの視線がふい、と動いた。

「散歩? 外は冷えたでしょう。よく火に当たって」
「暇で暇で仕方なくてな」
「退屈くらいが丁度いいのよ」

 お茶を渡して、ついでにリュネは自分のカップにもそれをいれた。少し甘みのある爽やかな味は、カイル好みのあんまり苦くないハーブティー。飲みごたえこそ軽いけれど、これはこれで良いものだと思った。

 カイルはカップを早速よく傾け、暖炉の前で腕を伸ばしている。風のない今日は薪の爆ぜる音以外、静かで平和そのものだった。

「なあ」
「なあに」
「村で、お前の話を聞いた」

 どうやら、彼は村の方に出ていたらしい。リュネはページをめくって尋ねてみる。
 
「誰かとおしゃべりしたの?」
「違う。酒場で、お前の話をしてるオッサンたちの話を聞いた」
「……魔女の意見としては、治りかけなんだから、飲酒は控えて欲しいんだけど」
「うるせーな。俺が言いたいのはそこじゃねえんだよ」

 リュネは顔を上げる。カイルが、肩越しにこちらを見ているのに気づいたから。相変わらず重くて見えづらい前髪の向こう、琥珀色のまなこが鈍い光を放っていた。

「あんたは、なんでも許すわけじゃないんだよな」
「そうよ」
「でも、『赦しの魔女』って呼ばれてるし、村の奴らは、あんたのこと聖女さまかなにかみたいに話してる」
「そうなのね」
「なんでだ?」

 手が止まる。落ちてきた髪を、耳にかける。カイルは変わらずそれをじっと見つめ、はっきりと続ける。
 
「なんで、あんたはそんなに人のことを許してばっかりなんだ?」

 なぜ。なぜ。リュネは頭の中で繰り返す。なぜ自分は、人のことを赦すのか。
 沈黙が、部屋を貫く。リュネは炎の赤を見ていた。遠い過去の、自分ではなかった頃の記憶がよみがえるようで。

「……そうすれば、昔のわたしを赦せるように、なるかもしれない、から」
「昔?」
「そう。昔」

 リュネの言葉に、カイルはぴんときていないらしい。椅子をがたりと揺らして、足を投げ出す。

「……なんだそれ。意味わかんねえ。自分を許すってなんだよ? それが他人を許すに繋がるとか、わけわかんねえ」
「そうね。でも、誰かの未来や、選択肢を信じて赦すことで……昔のわたしが救われるのだと、そう思いたいんだわ、きっと」

 何も選ばなかったセレスティア。ただ言いなりに生きてきたセレスティア。その結果破滅した、悲劇の悪女。
 二度と戻ることの出来ない生を、どうしてだかリュネは記憶して、今、生きている。

 ならば、ただ盲従していただけの、過去の『わたし』を赦してやりたいと思ったから。後悔と怒りに終わった彼女の生を、なんとか肯定してあげたいから。

 黙りこくったリュネに、カイルは不審そうに髪を揺らした。

「あんた、一体何を——」
「魔女さま!」

 と、その場に嵐が駆け込んでくる。冷気と共に現れた男は、息を切らしてやってきた。リュネは弾かれるように立ち上がり、男の肩を支える。

「どうかしたの?」
「火事だ!」

 火事。木造建築の多い地区では、致命傷にもなりかねない。リュネはかけていたローブマントを肩にかけ、急いで支度をする。

「急いで行くわ。どこ?」
「村の……牧草庫でっ……」
「わかった。カイル」

 彼もまた、火事という言葉に緊急性を感じたのだろう。リュネの言葉を待つ前に、燃えやすそうな薬草や本を遠ざけていた。

「もし、体調が良ければ、手伝ってくれない?」

 琥珀色のまなこがちらりとまたたく。リュネは大きく頷き、彼に手を伸ばした。

☆☆☆

「魔女さま」
「魔女さまだ」

 牧草庫の周辺には、多くの村人が集まっていた。皆仕事中だったのか、あるいは火を消し止めるためだったのか。真っ黒な煤のついた顔が、リュネたちを見てぱっと明るくなる。

 リュネはその人波をかきわけ、牧草庫の主——この村で一番大きな牧場主の男に声をかけた。がらがら声を張り上げて、彼は周りの住民や労働者の管理をしているようだった。リュネを見つけると、彼は泣き出しそうな顔をして駆け寄ってくる。

「ああ魔女さま。来てくださってありがたい」
「怪我人はいる?」
「大丈夫です。人のいないタイミングなのが幸運でした」

 けれど、と牧場主は顔についた煤を手の甲で擦って、咳き込みながらつぶやいた。
 
「なんとか火は消し止めましたが……これでは冬を越せません」

 リュネもまた、思わず言葉を失ってしまう。そこらの家が二、三個入りそうな倉庫は、そのほとんどが燃え尽き、黒い煙をぶすぶすと上げるだけになっていた。
 
 秋頃までしっかりと蓄えていた草たちは、燃え残りのわずかを残して灰になってしまっている。その残りでさえ、火消しに使った水に浸っており、おおよそすぐに使えるものではないだろう。

「ひでえな。ほとんど燃えちまってる」

 カイルがぼそりとつぶやく。リュネはそれに同調しかけて、くちびるをきゅっと噛んだ。
  
「とりあえず、近隣の村に支援を求めましょう。使者を出して。それから、領主さまのところへも」
「分かりました。しかし、今日明日の分が足りるかどうか……」
「わたしも、おばあちゃまの伝手を探ってみます。大丈夫。今できることを精一杯やりましょう」
「魔女さま……ああ、ありがとうございます……」

 牧場主の汚れきった、働き者の手を取る。彼は顔をくしゃくしゃにして、リュネの手をしっかりと握った。
 
 起きたことに絶望する前に、まずは手を動かさなければ。

「おい、魔女!」

 リュネや牧場主があれこれ相談をしていると、遠くでカイルの呼び声が聞こえた。後を任せて、リュネはそちらへ向かう。ざわざわとした集団を、カイルはじろりとにらみつけていた。

「どうかしたの」
「こいつがやったんだと」

 彼があごをしゃくったその先に——少年がいた。大人たちに囲まれ涙目にこそなっているが、その顔はふてくされたように歪んでいる。
 
「だから火遊びはするなと、前から散々言われていただろう」
「一体どうしてくれるんだ! お前のせいで家畜たちが冬を越せなかったら……どうやって責任を取るつもりなんだ!?」

 だというのに、少年は反抗心を隠そうともせず叫ぶ。
 
「そんなの……僕だって、燃やそうとしてつけたんじゃない!」

 その言葉に、大人たちは更に激昂して、少年を責め立てた。少年も負けじと言い返し、輪の中の女の足を蹴り飛ばす。

 これはまずい。リュネが輪を割って入ろうとすると、カイルがぼそりとつぶやいた。
 
「ありゃ同情の余地なしだな。放火の罪は重いぜ」

 どうする? 彼の目はそう言うみたいにリュネを見ている。
 どうする、なんて、ねえ。
 リュネはまっすぐ輪を割いて、少年の元にしゃがみ込んだ。大人たちが困惑したようにリュネと、少年を見下ろす。

 リュネは冷静に、静かなまなざしで少年を見つめる。

「魔女さま……」
「火遊びをしたの?」
「でも」
「もう一度尋ねるわ。火で遊んでいたの?」

 リュネの、真剣な問いかけに、険しい顔をした彼はしぶしぶ、と言ったふうに小さく首を動かした。

「火打ち石を拾って……ぱちぱち火花が散るのが楽しかったんだ……でも、燃やそうなんて」
「火遊びが、いけないことは知っていた?」

 また、彼はいやいや頷く。でも、と、ぶすくれた口が、尖ったままの言葉を連ねた。

「……こんな事になるなんて。ちょっとくらいならいいじゃんって」
「そうね。ちょっとくらいだったのよね。でも、冬は火の精霊が元気だから、よく火が燃えるの。学校で習ったでしょう?」

 少年はそっぽを向く。その頬に、ぽろりと涙がひとつぶ。リュネは彼の顔に視線をより近づけ、淡々と続けた。

「それに、たとえわざとでなかったとしても、悪いことをした時に、まず言うべきことはなんだったかしら」
「……ごめん、なさい」
「その調子。さあ、もう一回」

 彼を立ち上がらせ、リュネはその背中をそっと支える。取り囲んでいた大人たちがざわつきながら後ずさった。
 少年は顔をぐしゃりと歪め、涙をぽたぽた落としながら、頭を下げる。ごわごわになった、けれどしっかりとした声で。

「ごめんなさい……!」


 
「おい、正気か?」

 牧場主に少年を引渡した後。夕日を背に、カイルが尋ねてきた。リュネは振り返り、尋ねる。
 
「なによ」
「放火だぞ? それにあのガキ、反省なんかしてねえ。絶対にまた同じことするぞ」
「かもね」
「じゃあ許すなよ。あんなやつ、許されるわけない。俺だって……」

 そこで途切れる。カイルの声は、なんだかいやに苛立って聞こえた。まるで、赦せないとでも言うみたいに。
 そんな簡単に、赦されてはならないと叫んでいるみたいに。

「でも、もう二度としないって約束したわ」
「……そんなの、ただの口約束だ」
「ええ。でも、信じない理由はないでしょう? わたしは、彼の未来を信じたい」

 リュネは首を傾げて言った。夕焼けのオレンジの光が、彼女の輪郭を華々しく彩る。淡い金色の髪が、結び目の先でひらりと揺れて輝いていた。

「……意味わかんねえ」

 握りこんだ、カイルの手が震える。そのつぶやきは、闇の中に溶けていくようだった。
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