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5.源氏旗揚げ編

第33話(1178年1月) 天岩戸 あまのいわど

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 因幡国から戻ってきてからずっと、貴一は自分の屋敷に引きこもっていた。周りには、因幡の惨劇のことは言わず、体の病気と勉強のためと言って、行政は鴨長明、軍事は弁慶に任せっぱなしにしていた。
 そして、今日も貴一は一人反省して落ち込んでいる。

――煙の調合に失敗すると、ああまで自分がコントロールできなくなるんだな……。

 調合した煙を吸って、敵を数人斬るところまでは記憶はあったが、そこから先は何か別人に体を乗っ取られたようだった。目から入る信号は、脳に立ち寄る時間が無駄だと言わんばかりに、貴一の脳を無視して、迅速に体に命令を下した。

――『敵を最速で斬れ』と自己催眠をかけたはずなのに、『最速で斬れ』ということしか催眠がかからなかった。大衆催眠効果を蓮華れんげに示せたのは良かったけど……。

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 視界から動くものが消えたとき、貴一はようやく我に返ることができた。目の前には幼子を抱いた母親の死体があった。強い母親だったのだろう。死んでもなお子供を守ろうと、目は真っ直ぐ、貴一を睨んでいた。だが太刀は容赦なく、母ごと幼子を貫いていた。

 弁慶たちが来た。みな沈んだ顔をしている。
 貴一の肩を掴んで弁慶が言う。

「因幡国府中に火をつけた。おぬしには悪いが死者を供養している時はない。すぐに帰るぞ」

 中世では人の死は身近だ。幼子の生存率も低く、賊に無残に殺される子も多い。育てられない赤子を親が殺すこともある。貴一も転生してからは、子供の死など見慣れていたはずだった。しかし、自分の手で殺したと思うとやりきれなかった。
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「おい、鬼一。いい加減にしろ! あれから三カ月も経っているんだぞ。いつまで引きずっているつもりだ。わしに何もかも押し付けるんじゃない!」

 弁慶が鉄の扉をガンガンと激しく叩く。初めは同情してくれていた弁慶だったが、一カ月も経つと慰めの言葉は叱責に変わった。

「何とか言え馬鹿。こんな頑丈な鉄扉までつけおって。宝物庫かここは!」

「――うるさい! 文句ではなくメシを持ってこい! メシ!」

 貴一は鉄扉の下部に取り付けた、食事の取り入れ口をパカパカ開けながら言い返す。
 こんなやりとりが、さらに一カ月ほど続いた。
 引きこもっているとはいえ、ネットがあるわけでもないので暇つぶしは書物だった。「古事記」「日本書紀」を読んでいると、少しだけ貴一の気が晴れた。

――あははは、神様も無茶苦茶ヒドイことやってるよねー。

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「長明様、いつまでスサノオ様を放っておくつもりなんですか? 冷たくないですか」

 出雲大社の境内ではしびれを切らした蓮華が小夜をつれて、鴨長明に訴えていた。

「ククク、どうしろというのだ。この世にスサノオ様に引きずりだせる強者などいない」

 長明は羽毛氈(団扇に羽毛をつけた物)を扇ぎながら笑う。

「笑い事じゃありませんよ。神楽隊も弁慶隊も困っているんです。長明様も協力してくださいよ」

「協力といっても、何か策があるのか?」

 蓮華は考えていたことを長明に説明した。

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――なんで俺の屋敷の前でやる? 嫌がらせのつもりか? 今日で3日目だぞ。

 鉄扉の向こうからどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。貴一の屋敷の前で長明たちが新年会と称して、出雲国の幹部を集めて宴会をしているのだ。神楽隊もいるので、男たちのテンションは上がりまくりである。皆が鉄扉の向こう側にいる貴一に声をかける。

「鬼一、出て来いよ」
「スサノオ様、いっしょに歌いましょうよー」
「法眼様、ときには気晴らしは必要です」
「おぬし、出るキッカケを失っているだけだろ」

――あー、そういうことかい。そういや、俺好みの曲ばかり歌ってるな。そんな浅はかな作戦に乗ってたまるか。俺は天の岩戸のアマテラスじゃないっつーの!……ん? なんだ、この匂いは?

「法眼様、今日は特別に長明様にお許しをいただき、若ヤギを焼いております。でも、獣を食べられるのは、私と鉄心様ぐらいで、食べきれそうにありません」

「熊若、柔らかいなこの肉。箸が止まらん!」

――あー、そういや、肉食ってなかった。でもガマンガマン!

 しかし、あふれ出してくるヨダレは止まらない。立ち上がる足も止められなかった。

 ギイィーーーーッ。鉄扉が重い音を立てて開かれると、歓声が起こった。蓮華たちは抱き合って喜んでいる。
 しかし、鉄扉が完全に開くと、歓声はざわめきに変わった。

「「「誰?」」」

「スサノオだけど」

 貴一の身体は引きこもり生活で、まんまるに肥っていた――。

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 焼け跡しか残っていない因幡国府に、長身の男と少女が立っていた。
 周りを見渡しながら男は言った。

「この国府には2000の兵が集まっていた。それが一夜にして皆殺しだ。静よ、神の子と呼ばれる、そなたにもこれだけの殺戮は出来ぬ」

「はい、安倍様。手足を繋いでいる筋が持たないと思います」

 くやしそうに唇を噛みしめていたのは、昨年の八坂神社で圧倒的な称賛を浴びた、静御前だった。落ち着いた話し方と仕草は、十三歳とは思えぬほど大人びている。

「そうだ。だが、気にすることはない。鬼一とそなた、どちらも私の作品といえるが、元となっている身体が違う。相手は剣術狂いの男だ。だが、そなたには鬼一と違って、兵を倒さずとも相手の大将に迫れる技がある」

「舞――ですね」

「そうだ。煙を使わずとも、そなたの舞は天下一。誰もが近くで見たくなる」

 安倍国道配下の陰陽師が、数人の子供を連れてきた。みな痩せこけている。
 配下が報告する。

「安倍様の言う通り、食べ物を放っておいたら、まんまと引っかかりました。しかも生意気に襲ってきましたよ。ふらふらになった身体で」

 暗い眼をした子供たちを見て、国道は言った。

「いくら皆殺しと言っても、隠れていれば見逃す。ふっ、暗く沈んだ瞳の中に、憎悪の炎がよく燃えておる。小僧たちよ、よく生き延びた」

「お前らも、おっとうやおっかあを殺したやつの仲間だろ!」

「殺したやつが憎いか?」

「当たり前だ!」

 国道は人型に切り抜いた紙をひらひらさせながら言った。

「それでいい。私はそなたたちの味方だ。言うことを聞けば仇も討たせてやろう。これからは私を親と思って使えるのだ。如律令にょりつれい!」

 国道が陰陽術の呪文を叫ぶと、子供たちは気を失って、バタバタと倒れていった――。
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