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8.源氏の将星編

第56話(1184年3月) 毒入り外交

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 備中国(岡山県西部)を落し、その先の備前国(岡山県東部)まで迫った出雲大社だったが、源氏軍にすでに抑えられていることを知ると進軍を止めた。

 木曽義仲は騎馬隊を連れて前線から戻ると、休んでいる貴一と弁慶に言った。

「スサノオ! 鎌倉とやらないのか。敵は2万。おぬしなら勝てる数だ」

「お前なあ……。騎馬隊と違って弁慶隊は走り通しているんだぞ。ヘトヘトの状態で戦わす気か?」

「くそっ! 巴、降りろ! 血のたぎりが抑えきれん」

 義仲は馬から飛び降りると鎧を外し始めた。巴も下馬すると木曽兵に命じる。

「円陣! 殿とわらわを隠せ!」

 木曽兵が義仲と巴御前を囲むように、外を向いて円陣を組むと、すぐに中から色っぽい声が聞こえてきた。
 弁慶があきれて言う。

「おいおい、どこでおっぱじめてんだ。いいのか、鬼一。あんなのに騎馬隊を任せておいて」

 貴一が弁慶をなだめる。

「あの二人の子が鎌倉で人質になっている――たぶんもう殺されているだろう。でも、義仲にはどうすることもできない。やりきれないの気持ちをああいう形でぶつけあっているのさ」

「だとしてもなあ……。やっぱ変だぞ」

「さあ、獣の夫婦は放っておいて、弁慶は兵に酒と食事をふるまってくれ。ここからは外交で時間を稼ぐ」

 貴一が紙を取り出すと幾人かの名前が記されていた。弁慶がのぞき込む。

■贈1万石
後白河法皇・源頼朝

■贈5万石
九条兼実・源範頼・源義経・河野通信

「そうそうたる顔ぶれだな。どうするのだ」

「賄賂だよ。数万石の兵糧か、それ相当の貢物を送って領土を認めてもらう。場合によってはもっと贈る。まあ土下座外交だね」

「はぁ? 前に長明が進言したとき、奥州藤原氏のやり方はせぬと言っておったではないか。そのときよりも、貢物の送り先が増えておるのではないか」

「嫌味を言うな。あのときとは状況が違う。伸びしろの無くなった山陰に引きこもって時間稼ぎしても敵が強くなるだけだけど、今は違う。新しく奪った山陽道を開発する時間が欲しい。2年あれば国力を倍増できる――それにね、これは離間の計でもあるんだ」

 貴一は弁慶に中国の故事を語った。

 劉邦りゅうほう項羽こううが戦っている時代、劉邦は項羽と項羽の軍師・范増はんぞうを離間させるため一芝居を打つ。項羽の使者が来た際に豪華な食事を出し、その後、わざとらしく驚いて「范増の使者じゃなく、項羽の使者だったのか」と言って、粗末な食事に替えたのだ。使者は怒って項羽にそのことを報告すると、項羽は范増が劉邦と内通していると疑いはじめ、離間は成功した。

「だから、それぞれ贈る量が違うのか」

「そう。上の人間より下の人間のほうを意図的に多くしてある」

「ところで、この河野通信こうの みちのぶってのは、誰だ?」

「ああ、この男だけは別だ。出雲大社に誘おうと思っている。なかなかの武将だぞ。平家の勢力圏だった瀬戸内海で、ずっと抵抗し続けている伊予水軍の頭だ」

 出雲大社の船数は南宋との貿易で増えてはいたが、水軍の将がいないのが課題だった。
 ふうん、と言いながら弁慶は貢物の数をかぞえてため息をつく。

「石見銀山が無ければとっくに破産だな」

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 京・六条の義経屋敷

「また酒席に出かけられるのですか? ここのところ毎日です。控えられては?」

 上機嫌で正装に着替えている義経の背に熊若は声を掛ける。

「公卿が戦話を聞きたがっておるのだから仕方あるまい。ついて参れ」

「公卿は義経様を誉めてはおりません。媚びているだけです。戦場では人の心理を見事に見抜く義経様が、なぜ政治になると人の言葉を疑いなく受け入れるのですか? 京の政界は魑魅魍魎が巣くうところです。そんなことでは――」

「黙れ! 貴様の役目は軍師か? お目付け役か?」

「――護衛です」

「そうだ。役目以外のことに口を出すな」

 義経は頭を下げる熊若の横を荒々しく通り過ぎた。

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 京・霧の神社

 本殿の裏でパァーン!という音が鳴り響く。

「鉄の筒先から火薬と鉛玉を詰め、後ろの狭い穴から火をつけて爆発させる。なるほど簡単な理屈だ。しかし造る技術が無い……」

 阿部国道が火縄銃を試し打ちしていた。
 静御前がそばで見ている。

「――硝石が日本にもあったのですね」

 国道は静御前を連れ、倉の扉を開けた。そこには多くの大甕おおがめが並んでいた。

「我が祖、安倍晴明は熱心な勉強家でな。出世してからも財を惜しまず中国から珍しい鉱物を手に入れ、死ぬまで研究することを止めなかった。硝石もその一つだ――とはいえ、大甕一杯分しかないがな」

「再び南宋に渡り、出雲より先に密輸の道を探りましょうか?」

「いや、それよりもやってほしいことがある」

「何なりと」

「天下一の白拍子に戻り、英雄の前で舞うのだ」
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