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第四章
その三
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晋と時夜はダイニングに戻って電話を探しはじめた。どうしたらいいか解らない他のメンバーも、自分達の後にくっついてくる。
手分けして探してみたけれど、ダイニングには電話はなかった。隣の和室に移動して探してみるが、やっぱり電話がない。
「電話、ないね……」
薄暗い声で八重子が呟く。和樹が泣きそうな顔をしている八重子を睨み付けた。
「おい、諦めた顔してないでさっさと探せよ!もっとよく探せ!」
「ひっ、ご、ごめんなさい」
「謝る暇があるなら早く探せ!」
か細い声で謝り、小動物のように身を竦ませる八重子を更に和樹が怒鳴りつけた。
少なくとも女性陣には紳士的に振る舞っていた一樹の豹変ぶりは、腹立たしいのを通り越して可哀相だった。
どこでも偉そうに振る舞っていた和樹が酷く取り乱す様子に、美沙が苛立ちを募らせている。
「悪い、俺、ちょっと便所行きたくなってきちまった」
屋敷に閉じこめられたことに少し動揺していたものの、相変わらず能天気で明るい声で圭吾が言う。
「しょうがねぇなー。行ってこいよ」
同じくらい軽い声で時夜が答えた。
「おう、行ってくるな」
圭吾は爽やかな笑みを浮かべて手を振り、部屋の外に出て行った。
おおらかな圭吾と能天気な時夜を見て少し気持ちが落ち着いたのか、美沙と八重子が顔を見合わせて笑う。
「もー、圭吾くんも時夜くんも緊張感ないんだからぁ。ねえ、八重子」
「そうだね」
「まったくだね。流石は頭の軽い二人だ」
苛立っていた和樹も花が綻ぶような美沙の可憐な笑顔に癒されたのか、少し落ち着いたように見える。
しかし、和んでいる場合だろうか。今の所、屋敷の外に出られないという実害しかないけれど、誰かが悪意を持って自分達を屋敷に閉じこめたのだとすれば、出られなくて困ったということだけでは済まされない気がする。
深刻に考え過ぎなのだろうか。いや、物事はつねに悪い方向に考えるべきだ。晋は一人、難しい顔を浮かべたまま電話を探した。
「この部屋にもねーな。よし、映写室も探してみるか。行こうぜ」
時夜に先導されて他の部屋へ移った。
映写室やベッドルームを探し、その次に入った応接室でようやく電話を見付ける。
「これで助かるっ!」
さっきまでは晋の後ろについて回り、金魚のフンのようだった和樹が、我先にと電話に飛びついた。
嬉々として古風な黒電話の受話器を持ち上げた和樹の顔が一変する。
落胆した顔をしたかと思えば、次には憤慨して受話器を乱暴に電話台へと叩きつけた。
大きな音に美沙と八重子がビクッと肩を飛び跳ねさせる。
「ちょっと、びっくりさせないでよぉ!なんなの、もう」
ジロリと美沙が和樹を睨むと、和樹は鋭い一重の瞳で彼女を睨んだ。
どうやら電話が通じなかったらしい。晋は不機嫌な和樹を見て彼の絶望を悟った。
「電話が通じない、なんでなんだ!」
怒鳴り散らす和樹に、美沙が顔を顰める。
「電話が通じないってどういうことなの?」
「そのままの意味さ!」
「ねえ、見て。電話線が切れているよ」
八重子が青い顔で切れた黒いコードを持ち上げる。礼子は電話が本土と繋がっており、緊急時や物資が必要な時は電話を掛けられると言っていた。
もともとは繋がっていたけれど、自分たちが来てから誰かが故意的に切ったのだろう。
誰が電話を切ったのだろうか。自分達のメンバーの誰かではないだろうから、家主の礼子が切ったと考えるのが妥当だが、そんなことをしたら困るのは礼子だ。彼女が切ったとは考えにくい。じゃあ、誰が。
もしかすると、あの牛の面の化け物だろうか。だとしたら最悪の事態だ。この屋敷の中に、化け物がいる。
晋は全員が牛の面の化け物の餌食になる結末を想像した。みんなにこのことを話すべきだろうか。いや、不確定な予測でみんなを混乱に陥れるのはやめた方がいいだろう。
「大丈夫だって。夕方になれば、ちゃんと船のおっさんが迎えに来てくれる。そうしたら、海岸に来ていない俺達に気付いて、きっと探しに来てくれるって」
「そ、そうだよね、時夜くんの言う通りだよ。きっと船長さんがこの屋敷を見つけてくれるよ。ね、八重子」
美沙が同意を求めたけれど、八重子は俯いたまま返事をしなかった。いつもなら、八重子は従順な犬のように彼女に同調するはずなのに、珍しい反応だ。
緊急事態に飼い犬に手を噛まれ、美沙は怒りを露わにして、八重子を鋭い目で睨む。八重子はその視線に気付いたが、やはり何も答えなかった。
八重子も自分と同じで、最悪の結末を想像したのかもしれない。思えば、八重子は初めからミノタウロスがいるとか、朱里はミノタウロスに食べられたと言っていた。彼女はなにか自分が知らない情報を得ているのか。
まさか、彼女が朱里をどこかに幽閉し、自分たちをここに閉じこめた犯人の片棒を担いでいるのだろうか。いや、それにしては怯えすぎている。
迫真の演技では片付けられない、真に迫った恐怖が八重子の黒い瞳に滲んでいる。彼女が犯人の一人ということはないだろう。
状況を見て犯人をあげるなら、一日目の夜に消えてしまった朱里だって怪しいし、屋敷の主の礼子も怪しい。犯人捜しをしたってしょうがない。考えるべきなのは、自分達が助かる方法だ。
「ねえ、アタシたちちゃんと家に帰れるよね?」
美沙が泣きそうな顔で時夜を見上げる。時夜はにっと笑って朱里の細い肩を優しく掴んだ。
「あたりめーだろ、美沙ちゃん。大丈夫だ。船のおっさんが屋敷に来てくれる。もしそれで外からも開けられなくても、屋敷に閉じこめられてるって中から叫んで伝えれば、警察を呼んできてくれるさ」
「そうだよね、大丈夫だよね」
「大丈夫なわけがあるかっ!それまで、此処で待つしかないんだぞ。僕は嫌だ、こんな場所一刻も早く出て行きたい!」
「そんなこと言ってもしょうがねーだろ、一条。そう興奮すんなよ。大丈夫だって、閉じ込められただけで、化け物が出たってわけじゃねーんだしよ」
和樹を宥めるように時夜が言った。恐怖による怒りで興奮していた和樹が、時夜の飄々とした声に少し表情を和らげる。
その直後、一階から低い叫び声が聞こえてきた。断末魔のような恐ろしい悲鳴。その場にいた全員の顔色がさっと青褪めた。
「あの声、まさか圭吾じゃねーか?」
普段は能天気な時夜も流石に引きつった声を出した。美沙が頭を抱えてしゃがみこむ。
「いやぁぁっ、ウソでしょっ?なんでっ!?圭吾くん、どうしちゃったの!?」
「圭吾はトイレに行っちまったんだったな。オレが見てきてやるよ」
時夜が真っ先に部屋を出ようとした。その腕を八重子が掴む。
「ま、ま、待って、椿木くん。今の声、普通じゃなかった。きっと何かあったんだよ。もしかすると、わたしたちをここに閉じ込めた化け物に襲われたのかもしれない。出て行ったら危ないよ」
「そうだよ、時夜くん。キミが行って、圭吾くんを襲った化け物が僕たちの存在に気付いたらどうする気だい?ここに隠れてしばらく様子を見ていてはどうかな」
引き攣り笑いを浮かべながらも、冷静さを取り繕うとする和樹が酷く滑稽だった。時夜を案じている八重子と違い、和樹は保身のために時夜を引き留めたのが見え見えだ。
仮に圭吾が怪物に襲われたとして、自分達がその化け物に見つからない為に、圭吾を見捨てようと和樹は言っているのだ。
「残りたいなら一条はここに残れよ、俺は圭吾の様子を見に行く」
八重子に引き留められている時夜の横をすり抜けて、晋は先に部屋を出た。時夜もやんわりと八重子の腕を振り払い、廊下に出てくる。
「ま、待ってくれ、置いて行かないでくれたまえ!」
和樹も転がるように部屋を飛び出してきた。女子と応接室に残るよりも、強い男子と行動を共にした方が安全だと踏んだのだろう。
「アタシも行くっ!」
「わ、わたしも」
美沙と八重子も二人で残っているのは怖いと、危険の爆心地であろうトイレに向かう自分達についてくる。
急いでトイレの前にやってきた晋達五人は唖然とした。
トイレの前の廊下が鮮やかな赤に染まっていた。ツンとした鉄錆と埃臭さが混じって不快な臭いが充満している。
夥しい血。ナメクジが這ったように、トイレの中から廊下へ血の痕が続いている。自分たちが来たのとは逆の方向に向かって、紅の軌跡が伸びていた。
トイレの中にも、廊下にも圭吾の姿はない。
どこに行ってしまったのだろう。
遠くからズルッ、ズルッと不気味な音が聞こえていた。耳を澄ませる。奇妙な音は紅い軌跡の先から聞こえているようだ。
「圭吾っ!」
晋は血の痕を追って走り出す。
「おいっ、やめとけ晋!」
時夜が叫んで呼び止める声を振り切り、晋は血の痕を追って長い廊下を走る。
この痕を追えば、間違いなく圭吾を襲って連れ去った犯人に遭遇する。非常に危険だ。頭ではそう分かっていたが、追わずにはいられなかった。
血は映写室の前で途絶えていた。映写室の中には恐らく襲われて怪我をした圭吾と襲った犯人がいるはずだ。
緊張で枯れた喉を潤す為に唾を飲み込むと、晋は思い切って映写室のドアを開けた。
「いない。いや、そんなはずは―…」
映写室の中には誰もいなかった。
確かに血の痕はこの部屋のドアの前で途絶えていたというのに何故。引きずる音が聞こえたのはついさっきだ。それを追ってきたのだから、犯人はまだいるはずなのに。
混乱する頭では何の考えも浮かんでこない。とりあえず部屋をぐるりと眺める。しかしここには隠れられる場所などない。晋は顔を顰める。
「晋、突っ走るなよ。こっちへ来い」
時夜に引っ張られて晋は映写室を出た。
手分けして探してみたけれど、ダイニングには電話はなかった。隣の和室に移動して探してみるが、やっぱり電話がない。
「電話、ないね……」
薄暗い声で八重子が呟く。和樹が泣きそうな顔をしている八重子を睨み付けた。
「おい、諦めた顔してないでさっさと探せよ!もっとよく探せ!」
「ひっ、ご、ごめんなさい」
「謝る暇があるなら早く探せ!」
か細い声で謝り、小動物のように身を竦ませる八重子を更に和樹が怒鳴りつけた。
少なくとも女性陣には紳士的に振る舞っていた一樹の豹変ぶりは、腹立たしいのを通り越して可哀相だった。
どこでも偉そうに振る舞っていた和樹が酷く取り乱す様子に、美沙が苛立ちを募らせている。
「悪い、俺、ちょっと便所行きたくなってきちまった」
屋敷に閉じこめられたことに少し動揺していたものの、相変わらず能天気で明るい声で圭吾が言う。
「しょうがねぇなー。行ってこいよ」
同じくらい軽い声で時夜が答えた。
「おう、行ってくるな」
圭吾は爽やかな笑みを浮かべて手を振り、部屋の外に出て行った。
おおらかな圭吾と能天気な時夜を見て少し気持ちが落ち着いたのか、美沙と八重子が顔を見合わせて笑う。
「もー、圭吾くんも時夜くんも緊張感ないんだからぁ。ねえ、八重子」
「そうだね」
「まったくだね。流石は頭の軽い二人だ」
苛立っていた和樹も花が綻ぶような美沙の可憐な笑顔に癒されたのか、少し落ち着いたように見える。
しかし、和んでいる場合だろうか。今の所、屋敷の外に出られないという実害しかないけれど、誰かが悪意を持って自分達を屋敷に閉じこめたのだとすれば、出られなくて困ったということだけでは済まされない気がする。
深刻に考え過ぎなのだろうか。いや、物事はつねに悪い方向に考えるべきだ。晋は一人、難しい顔を浮かべたまま電話を探した。
「この部屋にもねーな。よし、映写室も探してみるか。行こうぜ」
時夜に先導されて他の部屋へ移った。
映写室やベッドルームを探し、その次に入った応接室でようやく電話を見付ける。
「これで助かるっ!」
さっきまでは晋の後ろについて回り、金魚のフンのようだった和樹が、我先にと電話に飛びついた。
嬉々として古風な黒電話の受話器を持ち上げた和樹の顔が一変する。
落胆した顔をしたかと思えば、次には憤慨して受話器を乱暴に電話台へと叩きつけた。
大きな音に美沙と八重子がビクッと肩を飛び跳ねさせる。
「ちょっと、びっくりさせないでよぉ!なんなの、もう」
ジロリと美沙が和樹を睨むと、和樹は鋭い一重の瞳で彼女を睨んだ。
どうやら電話が通じなかったらしい。晋は不機嫌な和樹を見て彼の絶望を悟った。
「電話が通じない、なんでなんだ!」
怒鳴り散らす和樹に、美沙が顔を顰める。
「電話が通じないってどういうことなの?」
「そのままの意味さ!」
「ねえ、見て。電話線が切れているよ」
八重子が青い顔で切れた黒いコードを持ち上げる。礼子は電話が本土と繋がっており、緊急時や物資が必要な時は電話を掛けられると言っていた。
もともとは繋がっていたけれど、自分たちが来てから誰かが故意的に切ったのだろう。
誰が電話を切ったのだろうか。自分達のメンバーの誰かではないだろうから、家主の礼子が切ったと考えるのが妥当だが、そんなことをしたら困るのは礼子だ。彼女が切ったとは考えにくい。じゃあ、誰が。
もしかすると、あの牛の面の化け物だろうか。だとしたら最悪の事態だ。この屋敷の中に、化け物がいる。
晋は全員が牛の面の化け物の餌食になる結末を想像した。みんなにこのことを話すべきだろうか。いや、不確定な予測でみんなを混乱に陥れるのはやめた方がいいだろう。
「大丈夫だって。夕方になれば、ちゃんと船のおっさんが迎えに来てくれる。そうしたら、海岸に来ていない俺達に気付いて、きっと探しに来てくれるって」
「そ、そうだよね、時夜くんの言う通りだよ。きっと船長さんがこの屋敷を見つけてくれるよ。ね、八重子」
美沙が同意を求めたけれど、八重子は俯いたまま返事をしなかった。いつもなら、八重子は従順な犬のように彼女に同調するはずなのに、珍しい反応だ。
緊急事態に飼い犬に手を噛まれ、美沙は怒りを露わにして、八重子を鋭い目で睨む。八重子はその視線に気付いたが、やはり何も答えなかった。
八重子も自分と同じで、最悪の結末を想像したのかもしれない。思えば、八重子は初めからミノタウロスがいるとか、朱里はミノタウロスに食べられたと言っていた。彼女はなにか自分が知らない情報を得ているのか。
まさか、彼女が朱里をどこかに幽閉し、自分たちをここに閉じこめた犯人の片棒を担いでいるのだろうか。いや、それにしては怯えすぎている。
迫真の演技では片付けられない、真に迫った恐怖が八重子の黒い瞳に滲んでいる。彼女が犯人の一人ということはないだろう。
状況を見て犯人をあげるなら、一日目の夜に消えてしまった朱里だって怪しいし、屋敷の主の礼子も怪しい。犯人捜しをしたってしょうがない。考えるべきなのは、自分達が助かる方法だ。
「ねえ、アタシたちちゃんと家に帰れるよね?」
美沙が泣きそうな顔で時夜を見上げる。時夜はにっと笑って朱里の細い肩を優しく掴んだ。
「あたりめーだろ、美沙ちゃん。大丈夫だ。船のおっさんが屋敷に来てくれる。もしそれで外からも開けられなくても、屋敷に閉じこめられてるって中から叫んで伝えれば、警察を呼んできてくれるさ」
「そうだよね、大丈夫だよね」
「大丈夫なわけがあるかっ!それまで、此処で待つしかないんだぞ。僕は嫌だ、こんな場所一刻も早く出て行きたい!」
「そんなこと言ってもしょうがねーだろ、一条。そう興奮すんなよ。大丈夫だって、閉じ込められただけで、化け物が出たってわけじゃねーんだしよ」
和樹を宥めるように時夜が言った。恐怖による怒りで興奮していた和樹が、時夜の飄々とした声に少し表情を和らげる。
その直後、一階から低い叫び声が聞こえてきた。断末魔のような恐ろしい悲鳴。その場にいた全員の顔色がさっと青褪めた。
「あの声、まさか圭吾じゃねーか?」
普段は能天気な時夜も流石に引きつった声を出した。美沙が頭を抱えてしゃがみこむ。
「いやぁぁっ、ウソでしょっ?なんでっ!?圭吾くん、どうしちゃったの!?」
「圭吾はトイレに行っちまったんだったな。オレが見てきてやるよ」
時夜が真っ先に部屋を出ようとした。その腕を八重子が掴む。
「ま、ま、待って、椿木くん。今の声、普通じゃなかった。きっと何かあったんだよ。もしかすると、わたしたちをここに閉じ込めた化け物に襲われたのかもしれない。出て行ったら危ないよ」
「そうだよ、時夜くん。キミが行って、圭吾くんを襲った化け物が僕たちの存在に気付いたらどうする気だい?ここに隠れてしばらく様子を見ていてはどうかな」
引き攣り笑いを浮かべながらも、冷静さを取り繕うとする和樹が酷く滑稽だった。時夜を案じている八重子と違い、和樹は保身のために時夜を引き留めたのが見え見えだ。
仮に圭吾が怪物に襲われたとして、自分達がその化け物に見つからない為に、圭吾を見捨てようと和樹は言っているのだ。
「残りたいなら一条はここに残れよ、俺は圭吾の様子を見に行く」
八重子に引き留められている時夜の横をすり抜けて、晋は先に部屋を出た。時夜もやんわりと八重子の腕を振り払い、廊下に出てくる。
「ま、待ってくれ、置いて行かないでくれたまえ!」
和樹も転がるように部屋を飛び出してきた。女子と応接室に残るよりも、強い男子と行動を共にした方が安全だと踏んだのだろう。
「アタシも行くっ!」
「わ、わたしも」
美沙と八重子も二人で残っているのは怖いと、危険の爆心地であろうトイレに向かう自分達についてくる。
急いでトイレの前にやってきた晋達五人は唖然とした。
トイレの前の廊下が鮮やかな赤に染まっていた。ツンとした鉄錆と埃臭さが混じって不快な臭いが充満している。
夥しい血。ナメクジが這ったように、トイレの中から廊下へ血の痕が続いている。自分たちが来たのとは逆の方向に向かって、紅の軌跡が伸びていた。
トイレの中にも、廊下にも圭吾の姿はない。
どこに行ってしまったのだろう。
遠くからズルッ、ズルッと不気味な音が聞こえていた。耳を澄ませる。奇妙な音は紅い軌跡の先から聞こえているようだ。
「圭吾っ!」
晋は血の痕を追って走り出す。
「おいっ、やめとけ晋!」
時夜が叫んで呼び止める声を振り切り、晋は血の痕を追って長い廊下を走る。
この痕を追えば、間違いなく圭吾を襲って連れ去った犯人に遭遇する。非常に危険だ。頭ではそう分かっていたが、追わずにはいられなかった。
血は映写室の前で途絶えていた。映写室の中には恐らく襲われて怪我をした圭吾と襲った犯人がいるはずだ。
緊張で枯れた喉を潤す為に唾を飲み込むと、晋は思い切って映写室のドアを開けた。
「いない。いや、そんなはずは―…」
映写室の中には誰もいなかった。
確かに血の痕はこの部屋のドアの前で途絶えていたというのに何故。引きずる音が聞こえたのはついさっきだ。それを追ってきたのだから、犯人はまだいるはずなのに。
混乱する頭では何の考えも浮かんでこない。とりあえず部屋をぐるりと眺める。しかしここには隠れられる場所などない。晋は顔を顰める。
「晋、突っ走るなよ。こっちへ来い」
時夜に引っ張られて晋は映写室を出た。
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