剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)

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仇討娘入門始末

煮染めの甘さ

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「お深雪みゆさん、とりあえず、今日はうちにおいで。広くはないが、ゆっくりできるから」
「道場はちょうど建て替えだが、場所を変えて稽古はするから、いつでも来なさい」

 お静と正助が二人して、お深雪を説得しにかかった。
 いきなり、長屋に連れて行こうとしてもついてくるかわからない。
 まして、仇討ちを諦めさせるなど、知らない大人が話ですぐに納得するとは思えない。
 そこは本人の希望に添いながら、少しずつ、考え方を変えていくしかないのだ。

「はい!ありがとうございます。ご厄介になります!」

 意外と素直にハキハキと受け入れた。
 概ね、武家の子女というのは、幼いうちから礼儀作法を仕込む。
 町人などの子どもに比べれば行儀がいいものだが、お深雪の両親は特に厳しく育てたのだろう。
 実に織り目正しく、平伏して見せた。

 だが逆に冬吉は心配なのである。
 その折り目の正しさが、より頑な心情を示しているように見えてしまう。
 
 冬吉は、武士としての生き方を捨てている。
 武士であることが馬鹿らしくなった、そう言う思いがあることを否定できない。
 その考えをお深雪に押し付けるつもりはないが、この娘が士道に準じて不幸になっていくことは、看過できないのだ。

 これも、時間をかけて工夫を重ね、変えていくしかないことなのだろう。



「美味しい。こんなの初めてです!美味しい!」

 歳の割に随分大人びた言動の多いお深雪が、興奮した様子で叫んだ。
 食べているのは、冬吉が急ぎで炊いた菜飯と、いつもの熊七の煮しめ、香の物に大根の味噌汁である。

 急いだので、それほど手の込んだものではない。
 しかし、この幼い娘にとっては、食べたことがないほど美味いのだという。

「いつから仇討ちの旅に?」
「六つの時ですから、もう四年なります。母は針仕事が得意でしたので、行く先々でつくろい物の仕事をしながら旅をしていたんです。でも、こんな美味しい物を食べることはありませんでした。美味しい!」

 この時代の着物というのは、長く使うことが前提であった。
 穴が開けば当て布をして繕い、丈が合わなくなれば糸を解いて仕立て直す。
 布は貴重であったので、そうして修理しながら何年も着続けるのである。

 針仕事は女性の重要な家事労働であったのだが、誰でも得意不得意はあるし、独身の男も多い。
 よって、そうした繕い物のを請け負うという商売もなくはないのだが、それだけで路銀が賄えたわけではないだろう。
 娘には言えない仕事もしながら旅をしていたのかもしれない。

「道場を探したのは母の遺言でした。何かあって一人になったら、剣術の道場に行って入門しなさいと」

 ほとんど箸を止めずに、食べながら話す。
 ここだけ行儀が悪いが、それだけ腹が減っていたのだろう。
 
 しかし、本当に母親は、娘が仇討ちを果たすことを望んでいたのであろうか。

 藩内の陰謀によって父を殺された恨みはわかる。
 しかし、藩のやりよう、妻子に仇討ちをさせるのは明らかに理不尽なのだ。
 必要があらば急ぎで養子を取らせることで、家を存続させることもできる。
 家は断絶させるにしても、藩に残ることができれば、親類の家などに世話なることもできたであろう。

 おそらくこの賢い娘の母親なら、仇討ちそのものの虚しさを知っていたと思うのだ。
 お深雪の父親を斬った男は、おそらく金や何かのしがらみによって、命令されてやったに過ぎない。
 恨むべき相手は、その後ろで指示を出した、おそらくは不正を働いた上司であり、その上司がまた、母と娘の二人を仇討ちを理由に藩から追い出した。

 娘の一生を、仇討ちのために使うことがいかに馬鹿らしいか、明白なのである。

 ならば、娘に望むのは、自分が死んだ後の身の安全ではないのか。
 剣術道場に入門しろという遺言は、道場に年端も行かぬ娘が入門を希望すると言う珍事にによって、周りの大人が娘の面倒を見てくれることを願ってのことではないだろうか。
 また、身に危険が迫ることがあったとしても、道場になら守ってくれる者がいることも期待できる。

 とは言え、樋口道場の門を叩いたのは偶然であった。
 道場主と言えども、情に厚い人物だけではない。
 剣術を学ぶ者の中にも、ろくでもない男たちはいくらでもいるのである。
 母親は一か八かの賭けに出たのだろう。



 冬吉とお静がお深雪を連れ帰ると、長屋に住む他の者達も皆出てきた。
 仗助はお夏を船宿から引き取ったばかりの頃の着物などを取り出して来た。
 お夏のその頃よりもさらに小柄なので、たけがだいぶ大きいが、仕立て直せば着れる。

 お夏は早速話しかけ、仲良くなろうとしていた。
 女の子に慣れてないのか、熊七はしどろもどろで名乗った後は、顔を赤くして仗助の影に隠れている。

 とりあえず、皆で必要なものを買い揃えたりしている内に、日は暮れていく。
 夕餉はお静の住む、大家部屋で皆で取ることにした。
 歓迎の宴である。

 長屋では、管理人である大家の住む部屋が一番広い。
 それは、長屋に住む者達の家財道具の貸し出しもするので、その置き場所を確保するためである。
 しかし、実質草間の奉公人の宿舎となっている今は、余計には貸出用の家財道具は置いていないので、六人が一緒に食事を摂っても狭いということはない。

 お深雪を囲んで、皆でいろいろな話をした。

「さっきも食べたこの煮しめはね、熊七が作ったものなんだ。うまいだろう」

 冬吉はできるだけ、砕けた言葉を使おうと意識している。
 自分もついつい、武士の時の癖で丁寧なもの言いになってしまうことが多いが、まだ幼いお深雪なら、町人の言葉に慣れていくのも早いはずである

「熊七さんすごいっ!こんな美味しいもの、生まれて初めて食べました」

 手放しの賞賛に、熊七は顔を真っ赤にして照れた。
 


「ええと、冬吉さんはどうして町人になられたんですか?」

 そう尋ねてきたお深雪。
 無邪気な質問に、お夏や他の奉公人の緊張が走った。
 一般的に浪人であっても、武士が武士を捨てて町人になるというのは、なかなか決心がつかない。
 江戸には何十年も貧乏な浪人生活を続ける者も多いのだ。

「私は確かに元は武士ですが、藩を出た後、諸国を歩いているうちに、包丁のことで身を立てたくなったのです。元々好きで諸国を歩いている間も、あちこちで食い物屋を手伝って路銀を稼いでいましたから」

 お夏たちは、ホッとしたような、がっかりしたようなていである。
 もう少し具体的な話が聞けるのではないかと思ったのだ。
 とは言え、幼い娘の問いに小難しい話をするわけにもいかないので、こんなものだろう。

「その、武士であることに未練はなかったのですか」

 おずおずとした様子で、さらに問う。
 本来女性の場合は、武家の娘か町人、百姓かということは、経済的な面以外ではあまり関係ない。
 苗字帯刀みょうじたいとうが武士の持つ主な特権だが、苗字は女性が名乗ることはあまりないし、刀を持ち歩くのも、雪枝のような変わり者以外はやらない。
 しかし、仇持あだうちという武家にしかない風習に振り回されているが故に、普通の娘よりは意識するところが強いのであろう。

「身分そのものには未練はなかったですね。剣術は好きだから道場には通っていますが、江戸に出てくると、武士でいるより町人となった方が、好きなようにできるので」

 冬吉は、武家のしがらみを断ち切ることができなければ、包丁人となり、草間を開くこともできなかった。
 もし、武士のまま半左衛門と出会っていれば、用心棒ならともかく、包丁人として認められ、居酒屋を開かせてもらうなどできなかったであろう。
 町人になる覚悟を決めてたからできたことである。

「羨ましいです。私は、仇討ちを遂げねばならないので、そういうことはできません」

 これである。
 これが、武家の子弟に植え付けられる考えなのだ。

 冬吉は、元々料理好きで、武士らしからぬ嗜好を持っていた。
 だから、仇討ちへの使命感から早くに逃れられたのである。
 真面目で素直なお深雪には、それは難しいかも知れなかった。

「そんなことはないですよ。私も仇持かたきもちです」
「えっ!?」

 お深雪だけでなく、お夏や仗助、熊七も仰天した。
 冬吉が仇持ちであることよりも、それを自分から口にしたことに驚いたのだ。

「私の義父ちちの仇ですが、非は義父ちちにありました。藩の事情で仇討ちの旅に出ましたが、探し出して斬る気にもなれず、ふらふらとしていたのです」

 冬吉は自分の恥を晒している
 これ自体、武士のままであればできぬことであったかもしれない。
 旅先で多くの人々と出会い、多くの人生を知ることで、町人の方が自分にあっていると悟った。
 武士ならば仇討ちを果たせないのは恥であるが、町人であれば気にする必要もないのだ。

「仇討ちは、途中で辞めても良い物なのですか?」
「為さねばならぬわけを、よく考えてみましょう。私にはそのつもりはありません」

 冬吉は、嘘を言った。
 今は、義父の仇ではなく、別の理由でその男を斬り捨てねばならない。
 その思いは誰にも言うわけにはいかないが、お夏だけは、なんとなく冬吉の言動に違和感を覚えている。

 冬吉は今、毎朝秘密の稽古に出かけている。
 それは、仇討ちのためではないかもしれないが、誰かを斬るためのものあるのは、帰ってきた時の様子で分かった。
 道場から帰ってきた時の、良い汗をかいたスッキリした様子とは明らかに違う。
 どこか鬼気迫る、稽古というよりも修行と言うべき何かをしているに違いないのだ。


 お深雪は考え込んだ様子であった。
 話が仇討ちという深刻な物であるのに、思案顔は愛嬌のある可愛らしいものであった。

 悲壮感はないのだ。
 自らが考えてそうしているのではなく、そう言う物だと単に思ってただけなのだから。

「今は、すぐにはわからないこともありますよ。でも、どちらにしろ大人になってからのことね」

 お夏が助け舟を出した。
 いつもよりは頑張っているが、冬吉は元々口のうまい方ではない。
 まして、幼い娘を説得するなど、向いていないに違いない。

 しかし、冬吉の考えはわかった。

 母と長いこと仇討ちの旅を続け、その前は武家の娘として過ごしていたお深雪は、他の人生を知らない。
 世の中にはいろんな人々がいて、いろんな苦労があり、いろんな幸せがある。
 それをまず知ることだ。

 そういう意味では、居酒屋はうってつけの場かもしれない。
 草間には武士も町人も、時のよっては近隣の百姓身分の者も訪れることがある。
 それぞれの生き方も違うが、それぞれに幸せも苦労もある。
 
 また、どんな生き方をするにしろ、人と接する仕事の経験は、必ずどこかで役立つものである。
 特に女性の場合は、人との接し方が人生を左右しやすい。

 冬吉がお深雪を受け入れ、将来の面倒まで見ようというのなら、仕事を教えるのはお夏である。
 自分も、この娘のためにできることをしよう。
 そう考えた。

 お夏自身、あまり尋常な十七年の人生を送ってきたわけではない。
 最近まで知らなかったことも多いが、元詐欺師にして、本格の盗人の娘として生まれ、すぐに母を失い、船宿に預けられた。

 父親と祖父に引き取られた後も、実の血縁とは知らなかった。
 そして、血縁上の叔父が祖父を殺し、その仇を冬吉の助力で父が打った。

 そんな巡り合わせで、草間で働いている自分だが、そうなれたのは多くの人々の庇護があってのことだと今はわかる。
 ならば、お深雪にとって、自分もその役割を果たすべきだ。
 お夏は冬吉と同じ結論に辿り着いたのである。

「大人……、どうしたら大人になれるのでしょう?」

 質問が急にかわいらしくなった。
 小首をかしげる姿が年相応以上に幼くなる。
 思わず微笑しながら、お夏は答えた。

「まずは、ちゃんと食べて、寝て、いろんなことをしてみることね。お店が出来上がったら、一緒にお客さんをおもてなししましょう」
「おもてなし、ですか?」

 お夏には船宿にいた頃には、義理の姉のような感じの娘がいた。
 同じように、姉としてお深雪に接することにする。
 
「そう、美味しいものを食べて、楽しい気持ちでお帰りいただけるようにするのが私たちの仕事よ」
「面白そうっ!よろしくお願いしますっ!」
「ああ、平伏しなくていいのっ。うちの店は、武士も町人もないんだから」

 この武家風の折り目の正しさは、店が始まる前には、直してもらわないとならない。
 お夏の頭の中の覚書に一つ書き加えられた。

「いや、主人と奉公人すら分け隔てがないのは、ちょっとどうかと思うんだがなぁ。せめて、見習いよりは広い部屋に住んでくれりゃいいのに」

 仗助の執念深い言葉に一同は笑った。

 冬吉から、自分一人で背負わねばならないと言う気負いが消えた。
 口には出さないが、お夏に感謝しながら、あまりものの上酒を舐め、熊七の煮しめを口にした。

 いつもより少し甘かった。

 熊七は準備の間に、何か味を直しているようだったので、子ども向けに甘めに仕上げたのかもしれない。

 みながみな、この幼い娘のために、何ができるかを考えている。
 草間はこう言う店であった。
 


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