上 下
40 / 201

40、Thank you all Listener!

しおりを挟む
 響季の呼吸が一瞬止まり、零児がゆっくり目を閉じた。二人の神経が、一つずつ耳に嵌めたイヤホンに集中する。

  呉式「このコーナーはですね、私とリスナーさんとが家族になりたいという願いから、えー、番組当初からあったコーナーで。長いですねぇー(笑)番組当初からあったんで、このコーナーも20年続いた訳です。すごいっ(笑)継続は力なりっ」

  呉式が湿っぽい空気を打ち払うように、どうでもいい古臭い格言で笑いを取る。それが聞き取れないほど響季の鼓動が耳に反響する。

  呉式「このメールが番組最後のメールになるのかな。えーと、ラジオネーム」

  そのラジオネームを聞いた瞬間。
  響季があっ、と声をあげた。深夜、公園であげるにしては大きすぎる声だ。
  そして響季が零児の顔を見ると、零児は目をいつもと変わらない大きさで開き、放送を聴いていた。

  それは、今読まれているメールは。

  番組スタッフが選び、呉式穂乃佳が読んでいるメールは。

  一週間前、響季が書いたメールだった。
  零児が読んだメールだった。
  20年続いた声優ラジオの最終回宛てに、零児が送信したメールだった。

  
  呉式「『僕はラジオにメールを送るのが好きでした。そんな僕はある女の子に恋をしました。彼女は物静かで聡明な女の子。僕はといえば、聡明ではありませんが物静かな方。そんな二人ですから僕と彼女が話すことはありませんでした。しかし僕と彼女の間にはある共通点がありました。それはラジオです。彼女は勉強をする時にラジオを聴くのが習慣で、』

  
  響季が書いたメールが今まさにラジオ番組で読まれている。
  電波を通じて声優に読まれ、自分の耳に還ってくる。
  それは何度味わっても不思議な体験だった。
  自分の頭の中で考えた文章が綺麗な声、綺麗な発音、綺麗な発声で読まれる。
  それが、電波の届く限りの範囲で放たれる。
  こちらからの一方通行だと思っていた糸電話が、地球と宇宙ほどかけ離れた糸電話が、本当に繋がっていたようなあの感覚。
  途方も無い距離を感じていたのに、それが一気にゼロになったようなあの感覚。
  受け取るばかりではない、こちらからも発信し、番組に参加しているというあの感覚。
  自分ではないもう一人の自分が、電波の海を暗躍している。

  誰かに伝えたくてしょうがない、自慢したくて仕方ない。でも誰にも知られたくない。
  それを、忘れていたあの嬉しさを、響季は深夜の公園で久しぶりに味わった。


  呉式「『僕がラジオ番組で貰ったバッジをカバンにつけていたのを見て、たまたまその番組を知っていた彼女が話しかけてくれました。それから少しずつ話すようになりました』おおー、何の番組だったんでしょーかねー」

  この文をどうするか迷い、響季は思い切って書いた。別の番組できっかけを作ったとなればパーソナリティはあまりいい顔をしないと思ったからだ。だが、

  呉式「『二人でこの番組の公開録音にも行きました』えー?来てくれたんだー。ありがとー。いつの公録だっただろう」

  そのすぐ後に巻き返し、擦り寄る。
  当然響季は公録なんて行っちゃいない。
  ネットで調べたら、定期的にこの番組が公開録音をしていたから書いただけだ。

  呉式「『何度か一緒に遊ぶようになり、僕から告白し、付き合うことになりました』おおー、すごい。『僕は出来れば、彼女とずっと一緒にいたいと思います。彼女が最初で最後の人でいいです。出来るだけ彼女に嫌われないよう、捨てられないように努力します』そんなことないよー。伝わってると思うよー。『ずっと一緒にいたい証しとして、ペンダントを彼女に送りたいです』」

  最後の一文は余計だったかと、響季は自分が書いたメールを聴きながら思った。改めて聴くとグッズ欲しさに書いたように聴こえた。

  呉式「はい。で、このメール、実は続きがあるんですねぇ(笑)なんとここからは彼女さんからのメールです。『と、ここまで書いたのは私の彼氏で、私はその彼女であるところの、ラジオネーム、』」

  
  さっきよりも大きな声が響季の喉から出た。しかし実際には空気の塊が喉から出ただけだった。
  響季は知っていた。
  そのラジオネームを。
  聴いたことがあった。
  そのネタ職人のネタを。

  自分が聴いていたラジオ番組に、いつもいた。
  斬新で、文学的で、言葉遊びの雰囲気も出し、しかし長すぎず、耳と胸にスッと入るようなセンスの良さを感じるあのラジオネーム。
  新番組が始まるとふらりと現れ、去っていく。
  自分のように卑怯な手などどこにも使わず、ネタコーナーにふらりと立ち寄っては笑いをかっさらい、去っていく。

  知っていた、笑わせてもらっていた、尊敬すらしていた、悔しいとさえ思った。
  どんな人物だと想像していた。きっとろくでもない奴だと勝手にやっかんでいた。
  暇な大学生か。教室ではクラスメイトとまったく喋らない中学生男子か。
  あるいは過去のしがらみを忘れられず、ラジオという文化にしがみつくいい歳した中年か。
  誰にも気付かれない、深夜のテロ行為。寂しい自己表現。
  しかしネタコーナーが始まると、彼の登場を待ち望んでいた。
  退屈なネタコーナーに一気に火種を放りこむような彼を。
  的確で、破天荒で、哲学的で、存在感があり、スマートで、時には激情型で、卑屈で、ネタの中からいつもの気配をそっと消し、最後にパーソナリティが読んだラジオネームで彼だったと知ることもある。

  どんな奴だと思っていた。

  その人が今、自分の隣にいた。
  こんなに近くにいた。

  「はっ」

  空気の塊は笑い声となった。

  「あっはっはっ。あああーっ。うわあー」

  感情が上手く処理できない。
  響季が後ろの柵に背中をぶつけ、ずるずると崩れ堕ちる。
  笑いが止まらない。涙が出てくる。
  背中をぶつけた拍子に響季の耳からイヤホンが外れた。
  勢いで零児の耳のイヤホンも外れかかる。
  が、零児ももういらないとばかりにイヤホンを外した。

  呉式はまだ何か言っていた。
  おそらくこれからしんみりとしたオルゴール音楽でもかかり、涙声で最後の言葉をリスナーに伝えるのだろう。
  だがそんなこともうどうでもよかった。今までの20年分など知る由もない。
  自分達が生まれる前の歴史など、重みなど二人には必要ない。

  零児は喜怒哀楽の、喜と楽が一緒に訪れた少女を見る。
  響季は深夜の公園の中心で寝転びながら、少女を見上げる。
  ずっと知っていた。聴いていた。
  目の前にいたこの子が。
  意外な真犯人。
  こんな可愛いらしい子があんなネタを。
  シュール、自虐、替え歌、DTネタ、妄想ネタ、標語、格言、下ネタ、大喜利、ミニコント台本、新コーナー案、地味にキツい罰ゲーム、ゲストへのおもしろ質問メール、正式名称としては不採用だが面白い、番組から生まれた声優ユニットのユニット名、この食材に何を混ぜてパーソナリティに飲ませたら面白いか。
  なんでも書けたあのネタ職人がこんな子だった。
  女の子だった。
  そのことだけが、真実だった。

  「あー」

  ひとしきり笑ったあと、響季がお腹をおさえながら起き上がる。

  「あなたでしたか」
  「知ってた?」
  「知ってたさ、そりゃあ」
  「メール、読まれてたね」
  「うん。ああーっ、ペンダント届くの楽しみー」
  「番組終わるどさくさで送られて来なかったりして。終わるし別にいいやって」
  「あり得る」

  そう言って二人は笑いあう。
  そして零児がぽつりと、

  「もうあの名前使えないなあ」

  と、言った。
  響季が気付く。名前とは、ラジオネームだ。
  零児のもう一つの名前。現実の煩わしさから解放される名前。
  べつにそのまま使えばいい。
  しかし使えない、使わないとはその名前との決別を意味する。
  長年使ってきたラジオネームとの。

  「新しい名前、考えるの?」
  「それか、もう辞めるか」

  ふう、とため息をつき、零児が星の出ていない夜空を見上げる。
  それは15歳の少女であり、引き際を決めた天才の横顔だった。
  自分の我儘に付き合わせたせいで、天才的なネタ職人の引退を早めたとしたら。
  響季の胸がちくりと痛む。

  「で、読まれたから」

  天才ネタ職人が、ただのネタ職人の方を見やる。賭けの結果は、響季の勝ちだ。

  「う、うん」

  響季が手を差し出し、

  「まずは、握手から」
  「よろしくね」
  「うん、よろしく」

  ぎこちなく差し出された手を、零児が小さな手で握り返してくる。
  小さいこの手から紡がれたネタに、いつも笑わせてもらっていた。
  そのブレインに、源流に繋がった。
  響季の身体がびりびりとした感動に包まれるが、繋がれた手を、零児がぐいと引っ張った。

  「わっ」

  バランスを崩した響季が、目の前の小さな身体の中に収まる。
  そして頬に自分の柔らかな頬を愛おしそうに擦り付け、キスを落とした。そのまま甘えるように首筋に顔を埋める。

  「えっと、零ちゃん」

  ゴロゴロと猫のように甘える友達に響季が言う。
  さっき知ったばかりのラジオネームが口から出そうになるが、どうにか飲み込む。

  「友達、ですよね。んっ」
  「うん」

  首筋に、甘い濡れた感触。控えめにだが口付けられた。

  「友達だよ」
  「友達にしちゃあベタベタが過ぎません、かね。あうわっ」
  「そうかな。普通だよ、これぐらい」

  零児が真っ赤な響季の耳に口付ける。
  どんな雑音放送も、新曲も、ネタも、ラジオネームも、放送作家が小声で出す指示も、放送中にも関わらず鳴った声優のお腹の音も聞き逃さない、高性能な耳。
  しかし響季は自分のここがひどく弱いことをいま知った。

  「そう、かな」
  「そうだよ」

  それにしてはなんだろうか、この胸の高鳴りは。友達に対してこんなに鼓動が早くなるのは変じゃないだろうか。
  戸惑う響季の耳に、零児が小さな声で、だいすきだよ、と囁く。

  「えっ!?」
  「友達として」
  「ああ、そっか」

  そうだよね、友達としてだよねと言いながら、ヘラヘラ笑いながら、響季が小さな天才の背中に手を回す。
  お返しになのか、小さな手で頭を撫でられた。その感触が嬉しくて、心地よかった。


  好きだと、思った。
                                      (了)
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

不完全防水

BL / 完結 24h.ポイント:411pt お気に入り:1

いたくないっ!

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:3

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:766pt お気に入り:713

こころ・ぽかぽか 〜お金以外の僕の価値〜

BL / 連載中 24h.ポイント:1,001pt お気に入り:783

罰ゲームで告白した子を本気で好きになってしまった。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:347pt お気に入り:104

マジカル☆パステル

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:7

親友彼氏―親友と付き合う俺らの話。

BL / 完結 24h.ポイント:610pt お気に入り:20

孤独なまま異世界転生したら過保護な兄ができた話

BL / 連載中 24h.ポイント:61,663pt お気に入り:3,763

出雲死柏手

エッセイ・ノンフィクション / 完結 24h.ポイント:745pt お気に入り:3

処理中です...