彼女の中指が勃たない。

坪庭 芝特訓

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『顎関節症』 3カクカク目

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「調べたんだけどさ」

 数日後。中学三年間の思い出を絵巻にするという、途方もなく面倒な美術の課題をやっつけながら未希が話してくれた。

「耳の。痛みの」
「うん」
「耳、痛み、奥、みたいにスペース空けてネットで調べたら」

 絵筆をパレットに置きつつ、未希が言葉を区切る。

「顎関節症ってのがヒットして」

 言われたガクカンセツショウという言葉を、茅春が脳内で漢字に変換してみる。
 ガク、の漢字がいまいちわからないが意味自体はわかる。
 それが、耳の痛みの正体かと。だが、

「あ」
「心当たりある?」

 心当たりは、あった。
 しかし。まさか、寝不足から来るあくびが原因か。
 毎日夜更かしし、朝日を拝んで寝ることに悦に入った結果かと。
 それならばあまりにもアホ過ぎる。

「昔テレビで見たんだ。顎関節症っていうやつ。お医者さんとかがコメントするような番組で、こういう人は病気になりますよみたいの」

 未希がそう話す。
 茅春もおそらく見たことはある。よくあるバラエティ番組だ。

「それで、女の人がなりやすいって言ってて。ハイヒール履くとさ、姿勢が悪くなるじゃない?だからそれで身体が無理するっていうか、そういうのも関係してて。でもハイヒールなんて履かないしなあとか思いながら、こうやって耳のとこ」

 言って未希が両方の耳の穴の手前の部分に両人差し指を置き、口を開けたり閉めたりする。それを見て、

「あっ!」

 その姿に、茅春は既視感があった。
 いや正確には見たことはないが、やった覚えがあった。
 その反応を見ながら、

「こうやって耳のとこに指置いて、カクカク口開けたり閉めたりしたら顎の関節がダイレクトにわかりますよーって言ってて。やってみたら、おー!ホントだおもしろーい!って調子に乗ってカクカクやっちゃって。次の日すごい耳が痛くなって。顎じゃなくて耳の方が」

 そう、実践して教えてくれた。
 それは、茅春と全く同じだった。
 課題と宿題をやっつけてる間。好きなアーティストの見たい動画がいよいよ無くなり、かつて出演したラジオ番組を聞いてみたのだ。
 古臭い音だけのメディアではあるが、視界が奪われないのと動画の時間が長い分、作業用にはうってつけだった。
 その中で話していたのだ。
 顎関節症について。
 口を開ける職業だからかアーティストがなりやすい病気らしく、耳の穴の手前の部分、顎の開閉を司るパーツが何らかの理由でズレたりすると顎関節症になりやすいと言っていた。
 何らかの理由とは、例えば片方の歯だけで噛むだとか、片方の肘だけで頬杖をつくだとか、片方の肩だけでショルダーバッグを背負うだとか色々あるが。
 先程未希が話してくれたように、茅春も同じように指を置き、カクカクと確認していたのだ。
 そして初めての感覚が面白くて確認作業をし過ぎた。
 それを茅春が話すと、

「じゃあそうかもね」

 笑いながら未希がそう言う。
 二人揃っておバカだ。
 しかし原因がわかってよかった。
 あまりにもおバカな原因だが。しかし、

「ちは、イーッてしてみて」

 未希が突然、自分の歯を剥き出してみせる。
 言われたとおり、茅春がやってみせる。

「歯並び綺麗だね」
「あぃがと」

 意図がわからず、とりあえずありがとうと言っておくと、

「ちはさ、前に噛み合わせ悪いって言ってなかった?」

 そう言われ、茅春がハッと息を呑む。
 確かに昔歯科検診で言われた。
 耳を患いやすい分、歯は丈夫でほとんど歯医者には行ったことがなかったのに、言われたのだ。
 噛み合わせが少し悪いですねと。
 だが本来の検診では虫歯もなく歯並びも綺麗と、歯医者に行く機会がないのでそんなこと忘れていた。

「噛み合わせ悪いとそれを無理に合わせようとしちゃうから、顎に負担がかかるんだって」

 確かにそんなことを、ラジオでも言っていた。
 深夜のあくび連発。
 確認作業。
 プラス噛み合わせの悪さ。それらが原因か。
 思わず自分の耳から顎にかけてのラインに触れ、

「……よく覚えてるね」

 噛み合わせのことを茅春が言うと、

「好きな子のことはなんでも覚えてるもんだよ。お粥の好みも。気持ちいい場所も」

 なんだか照れくさいことを言われてしまった。
 だが問題なのは、

「顎関節症か…」

 提示された病名である。
 なんだか大変そうなイメージがあるが。

「とりあえず、一度ちゃんと歯医者さん行ってみたら?顎だからえーと、口腔外科かな?」
「えっ!?こわい!!ぜったいやだ!」

 未希の勧めを茅春が子供みたいに跳ね除ける。
 歯医者なんてほとんど行ったことが無い。
 耳鼻科よりも怖そうだ。
 おまけに口腔外科なんて名前が大仰でいかにも怖そうだ。

「また痛くなったら困るでしょう?」

 それを、未希がお母さんみたいに諭す。
 茅春は比喩的表現として耳が痛かった。


                                  (了)

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