先生、付き合ってもらえますか?

リョウ

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「俺の好きな人は先生です」

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 南夢叶みなみゆめか。めちゃくちゃ可愛い名前じゃない?
 これが俺の好きな人の名前だ。

「こら、稜くん。寝ちゃダメだよ」

 教卓の目の前。それが俺、前田稜まえだりょうの定位置だ。
 幾回席替えをしようとも、俺は必ずそこへ行く!
 だって、そこが1番夢叶先生をじっくりと見れて、会話出来る場所だから。

「寝てないですよ、夢叶先生」
「ならいいんです」

 くしゃっと笑う夢叶先生は、いつ見ても可愛くて。授業中でも、そうじゃなくても抱きつきたいと思っちゃう。

 高校に入学する前。
 高校生になったら彼女作って――、なんて思ってた。
 だけど、今はそんなのいらない。
 だって、本当の恋。見つけたもん。
 ビシッとしたスーツに身を包む夢叶先生。始めて見た時に、一目惚れしちゃった。

「アヘン戦争は現在の中国である清とイギリスとの間で1840年から2年間続いた戦争です」

 黒板に文字を書きながら、夢叶先生は授業を進める。夢叶先生は社会の、歴史の先生だ。
 長い黒髪は腰より少し高い所まで伸びており、陽光を反射して煌めいている。
 あぁ、ちょっと触ってみたいな。絶対、いい匂いがして、サラサラしてるんだろうな。

「こらー、稜くん。どこ見てるの?」
「え、あっ。えっと……」
「ちゃんと黒板見て、板書してよ? じゃないと、せっかく私が書いた意味。ないじゃない」

 夢叶先生は少し口を尖らせながら、俺を見て言う。あ、これもしかして俺に気があるやつ?
 って、そんな訳ないか。分かってるよ。分かってる。
 年齢は俺より10上で27歳。病的にまで真っ白な肌は本当にキメが細かい。長く丁寧に手入れされた眉、目に入ってしまいそうなほど長いまつ毛。そして丸く大きな目。幼顔のせいもあってか、俺らと同じように制服を着れば高校生で通ってしまいそうな程だ。

「はーい。ゴメンなさい」
「分かればよろしい」

 満足気に頷き、夢叶先生はアヘン戦争についての詳しい説明を始めた。



 それからしばらくしてチャイムが鳴った。

「はい、それじゃあ今日はここまで。みんな、しっかり復習しておいてね。それから、前回宿題にしてたワークを回収するねー」

 夢叶先生の言葉に、各列の最後尾の人が中腰程度まで立ち上がり、前に前にワークを回していく。

「おっ、今日はちゃんとやってるねー」

 夢叶先生が他の列の一番前の人と話している。
 それを見るだけでも、すっごい胸の所がモヤモヤする。モヤモヤして、ぐちゃぐちゃしてて、言葉に出来ないもどかしさが俺を満たしていく。
 そんな時だ。背中にちょん、と何かが触れるのを感じて振り返る。

「これ」
「あぁ、どうも」

 後ろまでワークが回ってきていたようだ。俺は列全員分のワークを受けとり、自分の分も重ねる。それを見てたらしい夢叶先生が俺の元へとやってくる。
 3センチ程の高さのヒールをコツコツと音を立てながら、俺の元まで移動してくる。

「ちゃんとやったかい?」
「当たり前ですよ」
「ほんとかな? 結構前田くんの噂聞くんだよ?」
「え、なんですか。噂って」

 夢叶先生どうこうって言うより、シンプルに気になる。

「提出物出さないとか、授業はいっつも居眠りしてる、とか」
「あ、あはは」

 乾いた笑みを浮かべるしかない。てか、誰だよ!
 夢叶先生に悪印象を与えるような噂流したの!
 絶対に許さん……。

「変な顔するんじゃなくて、他の先生たちはいっつも困ってるって言ってたよ」

 主犯は教師陣か。これは絶対に提出物を出すわけにはいかんな。今こそ反逆の時!

「それは知らない話です」
「それじゃあダメだぞ。進級出来なくなる」

「先生といられるなら、俺ずっとここにいますよ」  
「あはは。有難い話だけど、それはそれで先生困るんだなー」
「先生が困るなら卒業します」
「そうしてくれると嬉しいな」

 そう言うと、夢叶先生は俺からワークを受けとり、他の列から回収してワークに重ねる。
 細く長い指。今すぐなめ……じゃなくて握りたい。あぁ、爪の形も綺麗だなー。俺好みだ。
 そうこうしている間に、夢叶先生は全ての列からワークの回収を終えたらしい。

「おっ、と。結構重たい」

 授業に使用する教科書類に加え、回収したワークを持った夢叶先生が思わずそう口走ったのを、俺は聞き逃さない。
 休み時間になり、周りがどれほどうるさくなっても、俺だけは先生の声に気がつける。なぜなら好きだから。

「夢叶先生、俺手伝いますよ」

 先生の隣に行き、俺は先生の腕の中にあるワークを取りながら言う。
 ツンっと、張りのある胸がすぐそこにあり、手を滑らせれば触れることも可能であろう。
 見ていて思うが、結構でかい。
 カッターシャツにシワをつけることなく、張っている。今すぐにでも揉んでみたい。
 これであと少し.......、ボタンを1つでも開けて隙を見せてくれたりすると最高なんだけど。
 そうしてくれないのが、夢叶先生なのだ。

「え? せっかくの休み時間なのに……いいの?」

 夢叶先生は俺の提案に驚きの表情を浮かべながら、少し上目遣いで訊いてくる。

 何だよ、その表情。教師のそれじゃないだろう。
 あぁ、でも。めちゃくちゃ可愛いんだよな、夢叶先生。

「ぜ、全然大丈夫ですよっ!」

 夢叶先生と居れるなら、たとえ火の中水の中。

「ほんとに? それじゃあお願いしちゃおうかな」
「はい!」

 嬉しさからか、いつもよりも元気な声で返事をした俺に、夢叶先生は少し不思議そうな顔を浮かべる。
 だが、そんなことお構いなしに俺は先生の隣に並んで教室を出る。

 うぅ。何だか一緒に帰ってるカップルみたい。
 嬉しさとか、気恥しさとか。
 こっちが一方的に思っているだけの事だとしても。
 めちゃくちゃ嬉しくて、心臓が口から飛び出しそうな程には緊張していた。

「ねぇ、稜くんってさ。部活してたっけ?」
「いや、してないですよ」

 俺の答えに、夢叶先生は「だよね」と呟く。

「それがどうかしたんですか?」

 何故そんなことを訊いてくるのか。さっぱり、皆目見当もつかない俺は聞き返す。

「部活して疲れてるから、毎日寝てるのかなって思ったんだけど。私の授業の時は眠ってないしね」

 夢叶先生の顔を一分一秒でも長く見るためですよ!

「勉強が好きくないからですかね」
「勉強が好きな人なんて、多分いないんじゃないかな?」

 俺の答えに夢叶先生はいつものニコニコした表情とは違う、授業をする時のような真剣な表情で優しく告げた。

「それって、夢叶先生もですか?」

 教師、なんて聞くといつも勉強していて、勉強することが苦じゃない人がなるイメージが強い。
 だから、勝手に教師は勉強が好きなものだと思っていた。でも、その当の本人から好きくない、なんて台詞が飛び出てきた。
 驚きから何も言えない俺に、夢叶先生は苦笑気味に言う。

「私が言うのも違うかもだけど、勉強ってしんどいじゃん?」
「はい!」
「そこ強く言われると、立場的にはなんて言えばいいのか……」
「でも、先生が言ったんですし」
「まぁ、そうなんだけどね」

 職員室に向かうため、夢叶先生と俺は階段を降りながら話す。

「でも、子どもがしんどいって思うことはもちろん大人だってしんどいし。好きじゃない。でも、大人が勉強しろって言うでしょ?」
「はい。親には毎日のように言われます」

 その言葉を聞いた夢叶先生は、声を上げて笑う。

「ちょっ、先生。そんな笑うところじゃないでしょ」
「そうなんだけど、可笑しくて」

 屈託のない、真っ直ぐな笑顔。淀みのない綺麗なエモーションに、思わず見とれてしまう。

「どうしたの。急にぼーっとして」

 見とれていた俺に、そんな声をかける夢叶先生の声色は本気で心配をしているように感じられた。
 顔立ちはもちろん好きだ。一目惚れしたくらいだもん。それに加え、先生の優しさに触れる度俺の心はどんどん夢叶先生に惹かれているのが分かる。

 尊敬だろ、そう言われたこともある。その時はまだ分かっていなかった。
 ただ顔立ちが好きで、頭のいい大人の女性。
 それだけで、好きという恋愛感情と勘違いしていたのかもしれない。だけど、今なら分かる。
 俺は、本気で先生のことが好きになっているってことに。

「いえ、何も無いです」

 慌てて表情をつくり、俺は夢叶先生の隣に並ぶ。

「それでね、大人がそれでも勉強をしろって言うのは――」
「子どもの、俺たちのためなんですよね」
「そ、そうだよ」

 台詞を取られたことに、少し残念そうな表情を浮かべている。
 その表情がまた可愛くて。胸がズキン、と痛む。

「言葉では分かってても、理解はしてないんですけどね」

 嘲るように言うと、先生は窘めるような表情でかぶりを振った。

「この言葉の意味が本当に理解できるのって、大人になってからだと思う。だから、私は思うの――」

 階段を降り終え、残すは廊下を真っ直ぐと歩いていくだけとなったそこで、夢叶先生は一度言葉を切った。
 そして、優しい声音で言い放つ。

「ある程度勉強すれば、あとは自分の好きなようにすればいいって。放任っぽく聞こえちゃうかもしれないけど、やりたいことをやれないまま大人になるほど辛いことはないから」

 ――私みたいに。

 最後にそう加えられたことを、俺は聴き逃しはしなかった。でも、それを追求できるほど、俺に勇気はなかった。それに、仮に追求したところで、夢叶先生のためになるようなことは何も出来ない。
 そう思い、何も触れることなく短く答えた。

「そうですね」

 そう言ったところで、職員室前にたどり着いた。

「ありがと、本当に助かった」

 夢叶先生はニコッと微笑みながらワークを抱える腕を差し出す。
 俺の持っているワークを乗せろ、という意味だろう。先生に負担をかけるのは、正直いい気はしない。
 だが、重たいとは言え1人で持てる分を生徒に持たせていると夢叶先生が思われるのも癪だ。
 俺は渋々、先生の持つワークの上に、自分が持っていたワークを重ねる。

「うっ」
「大丈夫ですか?」

 ゆっくりと置いたつもりだが、先生の口からは声がこぼれる。

「うん、大丈夫。それにしても、稜くんって意外と優しいね」

 よいしょっ、とワークを持ち直す夢叶先生。そのこぼれる声を聞けただけでも嬉しくて。
 何だか色っぽい声音に、ドキッとしていたりして。

「そ、そんなことないですよ」
「えー、あると思うけどな。あっ、そうだ。彼女とかいないの?」

 ワークを持ちやすい位置に持ち直した夢叶先生は、悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。その言葉に、俺はドキッ、とした。
 俺に相手がいるのか、いないのか。それを確かめられているような気がした。でも、顔を見てそうじゃないと分かった。
 近所の世話焼きのおばさんたちと似たような、俺を気遣うようなそんな雰囲気があった。
 それと同時に、俺は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 夢叶先生の目に、俺は男として映っていない。それがひしひしと伝わったから。
 俺と夢叶先生はあくまで生徒と先生。幾ら距離が近くなろうが、それが変わることは無い。
 決して、それ以上にもそれ以下にもなることは無い。

「いないですよ。だって、俺の好きな人は――」

 だから、と言うわけでもない。でも、気がつくとそこまで口にしていた。
 そこまで言ってしまってから気づいて、慌てて口を噤む。だが、夢叶先生はそこで引き下がるような人ではない。

「好きな人は?」

 ニマニマ、と楽しそうな表情を浮かべながら言う。
 大人の余裕、とでも言うべきだろうか。
 それが何だかとても悔しかった。
 あと、10年早く産まれてて、夢叶先生と同い年なら。もし、生徒と先生という間柄でない出会いをしていたら。

 もし、もし、もし。
 イフの話が脳裏が過ぎり、擦り切れそうになるほどに脳を活性化させる。
 どんなに願っても、祈っても変わらない事実に嘆きを覚え、俺は呟いた。

「夢叶先生ですよ」
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