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「でも、嫌ならしょうがないか」
しおりを挟む翌日。俺はいつものようにみなが荘から学校に行った。海斗先輩はいつの間にかみなが荘から出て行ってて、それを綾人さんに聞いても何も教えてくれない。
まぁ、どうせ女の人の所なんだろうけど。
「おはようございます」
教室に入ると、夢叶先生がいた。登校してくる生徒一人一人に声をかけている。
それは俺も例外ではない。
「お、おはようございます」
どこかぎこちない挨拶に、夢叶先生は小さく微笑んだ。
昨日の告白が脳裏を過ぎるのに、先生はまるで何もなかったかのようだ。
やっぱり、子どもの戯言のように思ってるんだろうな。
「今日は遅刻じゃないのね」
「遅刻はほとんどしてませんよ」
「そうだっけ?」
教卓前の俺の席。その上にカバンを置いた所で、夢叶先生が話しかけてくれた。
丁寧に化粧がされている。朝だと言うのに、しんどそうな、眠そうな顔一つせずに凛とした様子で俺を見た。
たったそれだけ。何も変わったことはない。
にも関わらず、俺の鼓動は早くなっている。
「そうですよ。しっかり俺を見ててください」
早る鼓動を抑えるようにして、言った。周りにクラスメイトもいるし、緊張した。でも、考えていることが口から出た。いや、正確には出てしまったと言うべきだろう。
「そ、そうだね」
俺の言葉に、夢叶先生は少し早口で答える。いつもの夢叶先生らしくない、慌てた様子を変に思った。その違和感を確かめるため顔を上げると、夢叶先生が顔を少し朱に染め、視線が泳いでいるのが分かった。
「せ、先生?」
「あ、おはようございます」
不思議に思い呼びかけるも、夢叶先生は視線を泳がせながら無視をした。無視して、新たに教室に入ってきたクラスメイトに声をかけた。
な、なんで?
夢叶先生に無視されたことが辛くて、指一本すら動かす力が湧いてこない。
もう何もしたくない。絶望感、脱力感。そう言ったものが全身を蝕んでいくのが分かる。
「何ぼーっとしてんだよ」
このセリフ……。昨日夢叶先生に言われたのと同じ。
昨日のことで、まだ24時間も経っていないというのに遠い昔の事のように感じてしまう。だが、今そのセリフを吐いたのは先生ではない。
「何にもないよ、卓」
野球部で2年生ながらエースナンバーを背負っている瀬尾卓也。
高身長で坊主頭という見た目で、常に野球のことを考えているやつだ。高一から同じクラスで仲が良い。
「ほんとか? そうには見えなかったぞ?」
「そう見せてないだけだ」
「変わった見せ方するよな」
鵜呑みにはしていなことが直ぐにわかった。少し疑った表情が残っている。でも、卓はそれ以上何も聞いてこない。
決してこちらの触れられたくない部分には触れてこない。
それが良いところであって、悪いところだと俺は思う。
「そういう男なんだよ」
「あっそ。まぁ、それはいいとして結局部活には入んないの?」
「予定はないな」
全教科置き勉をしているので、カバンの中にあるのは筆記用具くらいだ。それらを取り出し、机の上に出しながら答える。
「何でだよ。せっかく運動神経良いんだし何かやればいいじゃん」
自慢じゃないが、そうなのだ。勉強は出来ないが、スポーツはできるタイプ。つい先日行われた新体力テストでは、学年ベスト3に入るほどの成績を残している。
「んー、面倒臭いしいいや」
別段やりたい競技もないし、俺は卓の誘いを断る。すると卓は、少し残念そうな顔を浮かべて言う。
「そっか。でも、嫌ならしょうがないか」
「あぁ。すまんな」
「いや。まぁ、また気が変わったら言ってくれよ」
卓がそう言うと同時にチャイムが鳴った。
朝のホームルームが始まる合図だ。夢叶先生は各教室にある事務机から教卓の前まで移動すると、俺たちの方をむく。
「みんな、おはようございます」
夢叶先生はまずはじめに挨拶を口にする。それに対し、俺たち生徒から疎らに挨拶が返される。ちなみに俺は、いつもは元気に返していた。でも、今日だけはそんな気になれなかった。
いつもどんな顔で、どんな風に話していたかさえ分からない。
全部がぐちゃぐちゃで、わけわかんなすぎて夢叶先生を直視することすら出来ない。
うつむき加減のまま、夢叶先生の続きの言葉を聞く。
「1時間目の現代文なんだけど、担当の光吉先生がお休みになられたので、自習となります」
「自習かー」
「ラッキーじゃん」
夢叶先生の言葉にあちらこちらから喜びの声があがる。
「あ、今みんな楽できると思ったでしょ?」
顔は上げていない。でも、その声音で分かる。どこか嬉しそうで、楽しそうな表情を浮かべていることが。
「でも、ちゃんと代わりの先生が来るから」
「えぇー」
「来なくてもちゃんとしますよー」
手のひら返しのブーイングに、夢叶先生は声を上げて笑った。
俺は全く笑えない。自習なんてそんなのどうでもいい。
どうすれば、夢叶先生にちゃんと気持ちを伝えられるのか。どうすれば、好きだって分かってもらえるのか。
そんなことばかりが頭の中を巡っている。
「えぇー、でも私が来ることになっちゃってるから来るよ?」
「えっ……」
夢叶先生の言葉に、思わず言葉が洩れた。
私が来ることになっちゃってるって、夢叶先生が自習の見守りに来るってこと?
今日は歴史の授業がないから夢叶先生に会える時間は少ないな。なんて思っていただけに、急に胸が踊る。それと同じくらいに胸が締め付けられる。
先生と居られることが嬉しい。でも、先生は俺を無視する程に嫌ってしまったのではないか。
先生の笑顔が、声が、その全てが幸せに変わるような気がする。
しかし、先生といる時間が長ければ長いほど、生徒としての認識が強くなり、俺の思いは届かなくなるのでは。
夢叶先生への思いが膨れて溢れる。だが、それでいいのかという思いが、純粋な気持ちを捻れ、拗れさせる。
俺は間違った恋をしてしまっているのかもしれないな。
眼前には、楽しそうに話している夢叶先生がいる。きっと、夢叶先生は先生でいる事が楽しいんだ。もし、俺と先生に何かしらの過ちが出来てしまえば、夢叶先生はもう先生には戻れない。
だったら、隠したままの方が良かったのかな。
いつの間にか、俺は両手を強く握りしめていた。
爪が皮膚にくい込み、真っ赤になっている。
あぁ、もう。訳わかんねぇ。
これからどうすればいいのかな……。
「それじゃあ、ホームルームはこれまでね」
俺が色々と考えているうちに、ホームルームの終わりが告げられた。
1時間目が自習になること以外全く聞いていなかったが、まぁ何とかなるだろう。
最悪の場合、卓に聞けばいい事だし。
「あ、そうだ」
ホームルームを終え、教室を出ていこうとした夢叶先生が足を止める。呟くように言葉を零しながら、俺たちの方を……いや、俺を見ながら言う。
「稜くん、ちょっといいかな」
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