先生、付き合ってもらえますか?

リョウ

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「ちゃんと、誠意見せてよ」

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  放課後。俺は直ぐにみなが荘へと帰宅した。
 いつ夢叶先生から連絡があってもいいように。

「あっ! 先生来るんだったら片付けといた方が」
 
 歳上で、先生なのだ。部屋が汚いなんてことがバレれば、元々ない評価がマイナスになってしまう。
 ま、まずは机の上だな。

 教科書類は置き勉しているから少ないはずだ。にも、関わらず机の上にはものが山積みになっている。

「なんで物って増えるんだ?」

 整理整頓をしなければ、いつの間にか紙類が増えている。何かを買ったわけでもないのに、だ。
 謎すぎるだろう。
 とりあえず、居室から袋を引っ張ってきて、俺は机の上にあるゴミを袋のなかに入れていく。
 ダメ、絶対。そう書かれた違法ドラッグのチラシや、学校が配布する冊子等など。

 訳の分からない紙がいっぱいだな。いつの間にこんなの貰ってたっけ?

 思っていた以上にゴミがあったらしい。机の上のゴミだけでゴミ袋は半分ほどが埋まった。
 部屋を見渡すと、もうゴミはほとんどないように思う。元々、殺風景な部屋であるためゴミが溜まる場所は机の上くらいしかない。
 ゴミ袋の口を縛り、部屋の隅に放る。

 それから、起きっぱなしでぐちゃぐちゃになっているベッドをメイクをする。
 そうなると気になって来るのが、床の汚れ具合だ。別段いつもは気にならないが、夢叶先生が来るとなれば別。
 気にならなかったはずの埃や、汚れが異様に気になる。

「掃除機かけるか」

 居室に戻り、キッチンの隣にある物置部屋に入る。そこに置いてある掃除機を取り出す。
 何年も前の掃除機だからな。普通に重たいんだけど。
 へっぴり腰になりながらも、どうにか部屋まで運び掃除機をかける。

「こんな時間に掃除機かける意味あルイベ?」
「俺にとっては絶対、今すぐやらなきゃなことなんです! というか、ルイベって何ですか?」

 事情を知らない綾人さんが、轟音を立てる掃除機を訝しそうに見ながら訊く。

「海斗みたいに誰か来るわけじゃないでショウユ?
 ちなみに、ルイベは北海道の郷土料理だヨウカン」
「夢叶先生が来るんですよ」
「えっ?」

 素の驚きを見せる綾人さん。数回早い瞬きをしてから、ようやく口を開く。

「夢叶先生って、あの夢叶先生?」

 語尾に名詞をつけることすら忘れている所から見ても、本気で驚いているのが伺えた。

「そうですよ。あと、いつもの忘れてますよ」

 おっと、と言わんばかりに口元に手を当てる綾人さん。それを横目で見ながら、俺は掃除機の電源を切る。

「ほ、本当に来るノリ?」
「本当ですよ。今週寮監だった光吉先生の代理らしいです」
「へぇー、そうなんダイコン」

 電源コードを纏め終え、部屋を見渡す。
 机の上は綺麗に整理整頓されているように見える。ベッドはきちんと整えられており、今日寝る時が楽しみになる。
 床にも目に見える埃はなく、綺麗に片付けられている。が、逆に生活感が薄いような気がする。

「まぁ、それはいいか」

 そう呟きながら、俺は部屋にある窓を開ける。空気の入れ替え、忘れてた。
 それからゴミ袋を持ち、玄関のほうへと向かう。
 玄関を出たところに、ゴミ捨て場があるのだ。

「張り切ってるネコ」
「べ、別にそんなんじゃないですよ」

 改めて口に出されると、すげぇ恥ずかしい。あぁ、恋人が来る前ってこんな気分になるんだ。
 玄関を開けると、空は燃えるよな朱に染まっていた。
 今朝の夢叶先生の笑顔が、声が、脳内で再生される。嘗ては焼却炉としても使われていたらしい、ゴミ置き場にゴミ袋を投げ入れる。
 優しくて、尊くて。それでいて可愛らしい。
 俺の憧れで、恋慕を抱いてる人。
 いつ来るんだろう。まだかな? まだかな?
 不安と期待が入り交じり、妙にソワソワしてしまう。

「稜くん、こんなところでどうしたの?」

 ゴミ置き場の前に立ち尽くしていた俺に、可愛らしい声がかかる。
 みなが荘を囲む塀から覗くのは栗色の髪だ。お団子ヘアーが特徴的で、塀越しでもそれが同級生の内田亜沙子うちだあさこだという事がわかる。

「ごみ捨てたんだけど」
「ヤバっ、ちょーウケるんですけど」
「何が? 意味わかんないんだけど」
「意味わかるっしょ」

 亜沙子は腕を組みながら、みなが荘の敷地内に入ってくるや俺の前に立つ。
 すらっとしたスタイルはかなりいい方だと思う。
 きりっとした目は少し釣り上がっていて、きつい印象を受ける。ウエストを折り、丈を短くしたスカートは確実に校則違反だろう。
 てか、ちょっと風吹いたらパンツ見えそうだし。

「分かんねぇよ」

 そんな亜沙子に取り合ってる暇などない。今日は夢叶先生が来るんだ。
 いつ連絡があるかわかんねぇし、早く戻んないと。

「ちょっ、どこ行くし?」
「部屋ん中戻るんだよ」
「あ、ウチも戻るし。ちょっと待つし」

 校則で、化粧が禁止されている。そのため、女子たちはあからさまな化粧ができない。その中でも、亜沙子はかなり可愛い、ほうだと思う。
 いや、一緒の寮で生活してるから補正が入ってるのかもしれないが。
 それでも俺がそう感じるのは、やはり亜沙子の顔が目鼻立ちのはっきりとしたものだからだろう。

「待たねぇよ」
「鍵とか閉めるとマジで許さないかんね?」
「それはダチョウ俱楽部的なあれか?」
「違うし!!」

そう言いながら俺の後ろをついてくる亜沙子より先に寮内に入るや、俺は勢いよく扉を閉める。
 そして、そのまま鍵を閉める。

「あぁ、マジで閉めてるし! 有り得ないでしょ!!」

 玄関の向こう側で扉を叩いて怒っている様子の亜沙子。

「あははは」

 思い通りの反応を見せる亜沙子に、思わず笑ってしまう。

「女の子イジメちゃだめでショウユ?」

 落ち着きのある態度で、綾人さんは俺に言う。嗜めるような、諭すような、そんな雰囲気を纏わせている。
 ほんとに、語尾の名詞が台無しにしてるよな。
 しかし、すっかり毒気は抜ける。

「悪かったな」

 そう言いながら、俺は玄関の鍵を開ける。瞬間、扉が開き、顔を真っ赤にした亜沙子が俺を睨みつけている。

「ご、ごめんって」

 確かに悪いことしたけど。そんな顔されるほどか?
 じゃれあい的な?
 ガチなやつじゃないってわかるだろ?

 怒りからなのか。それとも今にも泣きだしそうなのか。
 どちらかは分からないが、亜沙子は頬を膨らませて、顔を真っ赤にし、目じりにはうっすらと水が溜まっているような気がしなくもない。

「ちゃんと誠意、見せてよ」
「え、えっと……」

 ちゃんと誠意って言われても。めちゃくちゃ難しいんだけど。
 なんでもするから、なんて言ってしまえば最後。マジで、俺の人生が終わりそうなことを言い兼ねない。だから、それだけは回避をしなければ。
 でも、それじゃあどうすればいい?
 刹那の間に、脳をフル回転させて考える。
 まぁ、シンプルに考えれば謝罪、だよな。

 きちんと気をつけをした状態で頭を下げる。六十度ほど頭を下げた状態で、口を開く。

「ごめんなさい」
「あ、えっと……」

 俺の対応が意外だったのだろうか。頭を下げたまま視線だけを上げると、亜沙子は分かりやすく、戸惑った様子だった。
 組んでいた腕から、右手だけを持ち上げて髪をいじる。そして亜沙子は視線をあちらこちらへと泳がせる。

「そ、そんな態度取られたら? こっちも困るって言うか?」
「何だよ、それ」

 誠意を見せろって言ったのはそっちだろ?
 というのは口の中で押しとどめ、口先をとがらせる。

「そういう態度がダメなんだし! 分かる?」
「……」

 黙るしかない。だって何に怒ったのか全然わかんないもん。

「これはウチの言う事聞いてもらうしかないし」
「えっ?」

 最初から狙いはこれだったのだろう。戸惑いを隠せていなかった先ほどとは打って変わり、分かりやすく態度を大きくする。

「だから、ウチの言う事聞いてもらうしかないって言ってるんだし」
「なんでだよ」
「そりゃ稜くんが締め出しとするからだし」

 口先をとがらせ、いじけたような表情を浮かべる亜沙子。

「だからそれは謝ったじゃん」
「許してないし」

 亜沙子はまた頬を膨らませる。おたふく風邪の人も驚きの膨らみようだ。
 膨れっ面で、ツンとした雰囲気の亜沙子に、俺はため息をついた。

「な、なによ?」

 少し体を震わせた亜沙子。一体どうして、なぜ亜沙子が体を震わせたのかは分からないが、それを気に留めることなく、俺は言葉を紡いだ。

「最初からお願いがあるならそう言えよな。俺、謝り損じゃん」
「謝り損も何もないと思うんだけど……」
「てか、お願いがあること、否定しないのな」

 まぁ、何となく分かってたけど。

「ち、違うし! た、たまたま否定するの忘れてただけで、お願いなんて今から考えるし!」

 めちゃくちゃ必死になってるのが、手に取るようにわかる。顔を真っ赤にして、どんどんと詰め寄ってくるから、亜沙子との距離が近くなる。

「わ、分かったから。……離れてくれる?」

 互いの息遣いですらも分かってしまいそうなほどの距離感。俺がいくらマトリックスをしても、亜沙子が近づいてくるから意味ないし。

「ご、ごめん」

 亜沙子は自分が距離を詰めている、ということに気づいていなかったのか。
 俺の言葉で我に返ったのか、ハッとした表情を浮かべてから言う。
 その声は恥ずかしさと照れが混ざったような、勝気な顔立ちの亜沙子には似合わないものだった。
 表情もそれに準じたものを浮かべており、見ているこっちがむずがゆくなるような、乙女チックな表情《かお》だ。

「それで、願いはなんだよ?」

 簡単なやつがいいな。すぐやって、パって終わる感じのやつ。

「そ、そんな急に言われても? 今から考えるし?」
「あー、はいはい。そういうのいいから」

 慌てて考える素振りを見せる亜沙子にそう言うも、わざとらしく顎に手を当てて、首を左右にひねって見せる。

 こんなに演技が下手な奴っているんだな。
 女優とか声優とか。相性が悪いにもほどがあるだろう。

 そんなことを思いながら亜沙子を見ていると、彼女は手を打った。ただ手を打つだけにもかかわらず、とても嘘くさく感じるのは亜沙子の演技力に問題があるからだろう。
 だが、そこを追求すればまた何を言われるかわからないから黙っておく。
 その代わりに違う言葉を口にする。

「思いついたか?」
「うん! ばっちり」
「で、ばっちりなお願いは何だ?」
「え、えっとね……」

 お願いは決まったにも関わらず、亜沙子は急に歯切れが悪くなる。意味が分からん。意味が分からなさ過ぎて、首を傾げると亜沙子は短く息を吐き捨て、ゆっくりと口を開いた。

「う、ウチ――」
『ジリジリジリジリ』

 蚊の鳴くような、か細い声でお願いを口にする亜沙子。だが、それを掻き消す大きな着信音が寮内に鳴り響く。

「あっ!」

 表情が綻ぶのがわかった。時計で時間を確認すると、いつの間にか六時十五分を少し回っていた。生徒の完全下校時間である六時を超えているあたり、この電話は九割九分九厘の確率で夢叶先生からだろう。
 浮足気味になるのを抑え、俺は受話器を取った。

「もしもし」
「あ、もしもし。南夢叶です」
「先生、俺ですよ」
「あ、稜くん?」

 普通に生活していれば決して聞くことのできない、超至近距離から聞こえる夢叶先生の声音。
 最初の少し緊張した声も、相手が俺だとわかり打ち解けた声も。どれも愛おしくて、胸がルンっと跳ねるのがわかる。

「そうですよ」
「いまちょうど仕事終わったの。稜くんさえ良ければ迎えに来てもらえるかな?」

 学校から電話してきているからだろう。周りを気にしたような、囁く声だ。
 それが妙にくすぐったくて、俺の心を掻き立てる。
 好きだ。声だけでも、そう思えてしまうほどに。俺は夢叶先生のことが好きなんだ。
 自然と笑みがこぼれ、表情が和らぐ。

「大丈夫ですよ! 今から行きます。五分後くらいには着くと思います」
「うん、わかった。ありがと。校門前で待ってるね」

 なんだか本当に付き合っているような。そんな気分になれた。
 互いが互いにお互いを尊重して、遠慮しているのが初々しくて。

「はい。待っててください」

 そう言って電話を切ったのがとても勿体ないことのように思える。
 ツー、ツー、ツーとなる受話器を、ぼーっと眺めながら、俺は受話器を戻す。

「ねぇ」

 そんな俺を呼ぶ声がする。
 あっ、そうだった。
 夢叶先生との幸せの時間で忘れていたが、亜沙子と会話中だった。

「電話の相手……」
「ん? 夢叶先生だけど?」
「ずいぶん楽しそうだったし」

 どこか切なさを感じる声音で、ポツリと言葉をこぼす亜沙子に、違和感を覚えながらも口を開いた。

「そうか? で、お願いってなんだ? 手早くいって欲しいんだけど」

 早く行かないと夢叶先生を外で待たせることになるし。

「うん。それのことなんだけど」

 勢いのない、弱々しい声で。切なさを押し殺したような、ぎこちない笑顔で。
 亜沙子はゆっくりと言った。

「忘れちゃった。だから、また今度。思いついたら言うね」

 先ほどまで、見てる方の鳥肌が立つようなサブい演技をしていたはずなのに。
 夢叶先生との電話が終わるなり、途端にこちらの胸がギュッと締め付けられるような表情を浮かべている。

「ど、どうしたんだ?」

 その変化に思わずそう訊く。すると、亜沙子は不器用なぎこちない笑顔を張り付けて、そっと言葉をこぼした。

「待ち合わせでしょ? 早く行ってあげれば?」
「え、あ。おう」

 亜沙子らしさなど微塵も感じられない感情のこもってない声音を受け、俺は玄関に向かった。

 夢叶先生のことだけを考えていればいいんだ。
 そう思っても、亜沙子の不器用な笑顔と感情のこもらない言葉が脳裏を過ぎる。
 妙な違和感を拭い切れないまま、俺は夢叶先生を迎えに行くために、みなが荘を出たのだった。
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