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「全然待ってないよ。むしろ今来たところ」
しおりを挟むついつい早く着いてしまった。この待ちわびた日に、俺は心を踊らせていた。
夢叶、まだかな?
でも、早く着いたからって連絡をするのも急かすみたいで違うよな。
約束の時間の1本前の電車に乗って、姫坂駅までやって来ていた俺。
とりあえず周囲を見渡すが、やはり夢叶が来ている様子はない。
「だよな」
独りでそう呟き、中央改札の前にあるベンチに腰をかける。とりあえずここでスマホでもいじって待ってるか。
初デート、だよな。こんな格好で良かったのかな?
プールに行くと聞いていたため、俺の格好はあまり着飾っていない。Tシャツにジーパンといった王道というか、間違えのないそれだ。
でも、変に着飾って夢叶がシンプルで来ると浮いちゃうし。その逆もあるし。
ちゃんと聞いてればよかったか?
でも、それはそれで男らしくないよな。
何分、経験がない。だから何をしても、どうしても、不安がある。成功を知らないし、失敗も知らない。
恋愛ってまじでムズい。
そんなことを思っていると、不意に俺に近づいてくる足音がした。一直線にこちらに向かって来ているのが分かる。勘違いかもしれないが、一応顔を上げてみる。
「夢叶!」
間違えじゃなかった。綺麗にお粧しをしている。だが、派手ではない。まぁ、昨日えげつないくらい派手な人を見たから、余計にそう感じるのかもしれないけど.......。
それでも俺が隣に並んでも、遜色が無いように感じられる。そんな格好だ。
「あれ? この時間に来れば待たせることはないって思ったのに」
「全然待ってないよ。むしろ今来たところ」
一度言ってみたかった台詞の1つだな。
「嘘でしょ。稜くん電車で来るんだから、来たところのはずないじゃん」
直ぐに見破られる。てか、見破られるとめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。そこは気づいても、「そっかー」とか「よかったー」って言って欲しかったよ!
「ま、まぁ。それは置いといて、さ」
「うん、まぁ、いいわ。今日は来てくれてありがとね」
そう言う夢叶の表情に、少し翳りがあるように見えたのは気のせいだろうか。朝だし、そう見えただけかもしれないな。
大して気にすることもなく、俺は笑顔を浮かべて答える。
「夢叶も誘ってくれてありがと」
「じゃ、行こっか」
夢叶は恥ずかしげにそう言うと、俺に手を差し出した。
耳まで真っ赤にしている。
「うん」
短く答えてから、夢叶の手を取った。細く長い指が俺の手に絡まる。
何だかそれだけで少しエロいような感じがして。夢叶の顔を真正面から見られなくなる。
恋人繋ぎをしたまま、俺たちは駅の南側に出た。いつも遊ぶ北側ではなく、ロータリーやバス停などある南側だ。
目的地のプールは姫坂駅からは少し遠く、市民プール行きのバスが出ている。それに乗るために、南側へ行く。
こうしていれば、俺たちは恋人に見えるのかな。夢叶は童顔で、実年齢より若く見える。だから、何も事情を知らない人たちには恋人に見えてて欲しい。
姉弟とか、そんな風には見られたくないな。
「どのバス停に行けばいいんだ?」
「えっとねー、青色の4らしいよ」
各色によって分けられたバス停。眉間にシワを寄せ、記憶を遡るような表情で。夢叶は昨日調べてくれたであろう台詞を口にした。
それを聞いて思う。あぁ、こういうのちゃんと調べられるようになって、俺が引っ張るくらいにならないとだな。
全部引っ張ってもらってると。年下って頼りない、とか。そんなこと言われるかもしれない。
既に反省点を見つけてしまい、バレないようにため息をこぼした。
「じゃあ、あそこに並ぶってこと?」
「うん、そうだね」
まだギリギリ駅内。その中から見える青色の4の看板。その前には既に、幾数人が並んでいるのが見受けられた。
短い問答をしてから、駅から出る。すると、真夏の燦々の太陽がジリジリと俺たちを照りつける。その陽射しを受けるだけで、汗が滲み出す。
いやいや、暑すぎるだろう。
「あ、夢叶。荷物持つよ」
暑そうで、額に滲んだ汗を拭おうとしている。片手は手を繋いでいるし、もう片方の手はカバンとプールバッグのような荷物を持っている。
こんな彼氏っぽいことすら気づかなかったのか。
拭いにくそうになって、初めて気づく。まだまだ全然ダメだな、ほんとに。
「え、重くないし。大丈夫だよ?」
俺の提案に少し驚いた様子を見せた夢叶。俺が彼氏らしいことを口にするのが意外だったのか。まぁ、詳しいことは夢叶にしか分からないけど。動揺を見せる夢叶に、繋いでいない方の手を伸ばす。
「いいから」
優しさを含ませた、俺なりの言葉で夢叶の遠慮を跳ねのける。
夢叶は何度か瞬きをし、周囲を見渡してから。顔を赤らめた。それが受けた陽射しが強いからなのか、それとも照れからなのかは分からないが。
夢叶は視線を俺と絡めることはなく、荷物を差し出してきた。
どうしてこっちを見ないのか。ちょっと分からないけど、俺は荷物を預かり、俺が持ってきたプールバッグと一緒に片手で持つ。
「ありがと.......」
男子中学生がバレンタインデーにチョコをはじめて貰った時のような。熱を帯びた言葉に、無性に恥ずかしくなった。
どんな顔で、どんな態度を見せればいいのか分からず。
「ど、どういたしまして?」
この場に相応しいのか、相応しくないのか分からない言葉を口に出していた。
自然と付き合うものになる。なんて甘んじた考え方をしていたから、経験というものが著しく乏しい。
あぁ、失敗したなぁ。もう少し、ほんの少しだけでも経験があったなら。もう少しいい言葉を掛けられかもしれないのに――
「あはは。何その疑問形」
「仕方ないだろ! 返答が分かんなかったんだから」
「なんか.......稜くんらしい」
ふふっ、と。どこかイタズラっぽさの混じった態度だ。人差し指を口元に当て、微笑みを見せる夢叶。
「もっとかっこいい感じで、俺らしいって思って欲しかったし」
「ちゃんと、かっこいいって思ってるよ?」
リスのようにちょこんと首を傾げた夢叶は、自然の摂理を語るように、何故そのようなことをいちいち聞くのか、それらを多分に含んだ声色で言い放った。
「あ、すいません」
バス停にまでたどり着き、俺たちは最後尾に並んだ。そんな時だ。不意に、近くを通った男性が夢叶にぶつかった。本当に、たまたまだと思う。
見知らぬ男性は、夢叶にぶつかったことを謝罪した。低く渋い声色で、どこか西門先生と似たような声色だと感じた。
「い、いえ.......」
短く答えた夢叶。だが、その声は震え。繋いだ手も小刻みに震えており、恐怖が文字通り手に取るように分かった。
少し前までは楽しそうな表情だった。いや、違うな。来た時は少し変な雰囲気はあった。でも、気にするようなものでは無いと思っていた。
くっそ。もっと、ちゃんと夢叶を見ていたら。こんな不安に押し潰れそうな表情をさせることは無かっただろうに。
自分の怠慢が、情けなさが身に染みる。
「どうした?」
重くなりすぎないように。ものすごく心配はしているんだけど。声のトーンを間違えると、この後に響きかねないから。
だからと言って軽くなりすぎないように。心がけて、そう聞くと。
「な、なんでもないんだ」
夢叶は先程の震えが嘘かのような表情と、声色で答えた。だが、俺にはそれが嘘だとすぐに分かった。表情や声は誤魔化せても、体は嘘を付けなかったらしいから。繋いだ手は震えたままだったから。
「そ、そうか」
でも、俺はそう告げた。俺に言えない何かなら、今はまだ聞くような事じゃない。そう判断したから。
それに今日はまだ長いし、何かの拍子で言ってくれるかもしれない。
訊くだけじゃなくて。ちゃんと、ちゃんと伝えられるような彼氏になりたいから――
そんなことを思っていると、バスが来た。俺と夢叶はそれに乗り込み、姫坂市民プールへと向かうのだった。
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