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第一章 やっちゃった朝
4話 叱られて、現実
カチャカチャ……パチパチ。
クリニックの鍵を回して電気をつけると、静かな朝の空気が広がった。
(……よかった、一番乗り)
ロッカーエリアに向かいながら、胸の奥がちくっと痛む。
昨夜のホテルのシーツの感触が、まだ身体のどこかに残っている気がした。
川崎 美衣奈──25歳。
このビルの3階にある「ブランシュ歯科クリニック」で働く歯科衛生士。
勤めて3年目。
患者さんからは「優しい」とよく言われるし、同僚からは「みいなは流されやすいんだよ~」と笑われる。
……でもいちばん“流されやすい”場所は、恋愛だけ。
着替えを終えて髪を結んだちょうどそのとき。
「おはよー、みいな。今日早いじゃん」
勢いよく扉が開いて、同期の原田 美咲が入ってきた。
明るくて、ちょっと世話焼きで、みいなの一番の理解者……なんだけど、今日ばかりはタイミング悪い。
「あ、美咲、おはよ。うん、今日ちょっとね」
みいながロッカーの扉を閉めた瞬間――
「あ!そいや昨日飲みに行ったんじゃなかった? ほら、マチアプの人と!」
「しーーっ、ちょっと……!」
声を抑えようとしても、美咲の顔はもう“察し”の色。
「大丈夫、まだ誰もいないって」
「まぁ……行ったけど」
美咲の眉がぐいっと持ち上がった。
「え、で今日早いってさぁ……まさかあんた、また?」
「……お察しの通りです……」
「はぁーー!?
今度は絶対帰るって言ってたじゃん」
美咲の声がロッカー室に響く。
みいなは肩をすくめ、昨夜の断片が勝手に蘇る。
──手、繋がれた
──あの部屋の匂い
──あの目
“あぁ、またやった”とも“ほんとは止まりたかった”とも言えなくて。
だから、いつもの逃げ場みたいに、小さく笑うしかできなかった。
「……だってさ、美咲。帰り際に“もうちょっと一緒にいたい”とか熱い目で言われたら……帰れないって……」
「いや分かるけど!分かるけどっ!!」
美咲が頭を抱えた。
「みいなねぇ……毎回言ってるけど、あんたほんと流され体質なんだから!」
「……反論できない……」
「で?どうだったの?実物は?」
みいなが視線を泳がせる。
「……かっこよかった……優しかった……あと、匂いが……いい感じで……」
「うわもう、終わったやつだよそれ!!」
ふたりの笑い声がロッカー室にこだました。
でもみいなの胸の奥には、まだ消えないざわつきが残っていた。
“ほんとはやめたいのに”
“でも、優しくされると……悪くなかったって思っちゃう”
美咲はため息をつきつつ、でもどこか姉っぽい。
「みいなさ、ちゃんと選べばモテるのにもったいなすぎ」
「やめてぇ、それ言われると刺さる……」
今朝のことを、まだ頭のどこかで引きずっている。
後悔、とまでは言えない。
でも、胸の奥に残った小さなざらつきが、消えきらなかった。
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