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27.本音
しおりを挟むミアが医務室のベッドの上で目を覚ます頃、窓からは夕陽が差していた。
どこから記憶が途切れたのか定かではないが、自分が長らく眠りこけたのだということはわかる。
おかげで身体の倦怠感は抜けていた。
ゆっくりと上体を起こせば、
「気分は?」
今日だけでもう何度目かわからない『ビクッ!』反応をしたミアは、気配もなくベッドの脇に腰掛けていたらしいグレンに「…ダイブ、ヨクナリマシタ」と片言気味に返した。
差し出されたコップをおずおずと受け取り、ちょろちょろと水を舐めるように飲む。
(き、気まずい……)
喧嘩のようなやり取りをしてから、まともに口を聞かずにしばらくが経ってしまっている。
しかし先ほどは彼に助けられたのだ、誤解を解いてくれただけでなく、きっと医務室まで持たなかった自分を運んでくれたのはグレン以外にいない。
──お礼を言わなければ。
「あの「すまなかった」
パチパチと瞳を瞬かせて固まったミアへ向けて、グレンはどこか逡巡するような様子で重たげに口を開いた。
「彼女たちにはああいったが、僕だって同じようなものだ。憶測を押し付けて、君を傷付けた…あんな、乱暴を……」
言い淀むグレンに、ミアは一度きょとんと眼を丸めた後、じわじわと顔を赤く染めた。
視線を彷徨わせ辺りを気にしていれば、グレンがこの部屋は今自分たちしかいないと言う。
都合がいいのか悪いのか、ともあれこんな話は二人きりでしかできない。
「あ、あの時は一発ぶん殴ってやりたい気持ちだったけど、貴方には迷惑を掛けちゃったし、悪いと思ってるならもうそれで、わたしも、気にしないことにするから」
「……絶交、は」
先程まできびきびと場を収めていた男とは別人のようにしゅんとして機嫌を伺うような視線を向けてくるグレンに、不覚にも胸の奥が擽られる。
ミアはふるふると首を振った。
「も、もういいわよ…! でもいくら腹が立ったからって、あんな事しちゃ駄目! わたしじゃなかったら警察沙汰…って、グレンはならないか…むしろ喜ぶ女の子の方が多いのかしら…?」
「他の男に構う姿を腹立たしく思うのも、少し遠ざけられただけで馬鹿みたいに乱されるのも、いつも心配で仕方ないのも、ああいった欲求にかられるのも、君だからだ」
「ま、また性懲りもなく貴方は、」
「ミア、ちゃんと聞いて」
戸惑いに揺れるミアの視線を逃がさないように、グレンは彼女の両肩を掴んで引き寄せた。
その手は壊れ物を扱うように繊細で、簡単に振り解けるはずなのに、ミアの体は思うように動かない。
「君が好きだ。君だけを愛している。君が僕と同じ気持ちじゃないことはわかっているが、ただ僕の気持ちを疑わず、知っていてほしい」
真剣な眼差しも、いつもより少し高い手の温度も、ゆっくりと紡がれる言葉も、何もかもが彼の想いに嘘偽りがないことを証明していた。
『どうせ冗談だ』なんて、いつものように割り切れるものじゃない。
でも、こんなのおかしい。絶対おかしい。
彼を疑っているわけじゃない、でも、手放しに信じられない。
ミアはこの世界の在り方も、自分の在り方も知っている。
前世を思い出した時から呪いのように染みついた固定観念が思考を、行動を縛ってしまう。
そんな臆病で、そのくせ期待を持ちたがっている自分自身が、嫌いだ。
「ぅ、ぅぅ………」
グチャグチャになった感情に押し上げられるように涙が零れた。
堰を切った涙は勢いよく溢れ出し、堪えようとギュッと目を閉じようが収まる気配はない。
瞼の奥から頭の先までが茹ったように熱い。
「そんなに、嫌か」
「ち、ちが、ちがくて、」
「落ち着いて、もう君を悩ますようなことは言わない」
気遣うように覗き込まれる。
どうしてそんなに優しくするんだと、いっそ文句を言いたい。
「まだ体調が万全でないのに、嫌な話をしてすまなかった。──忘れてくれていい」
そう言ってグレンが寂しげに笑うから、
「い、嫌じゃない!」
離れて行こうとする彼を追うように袖を握って、ミアは必死に声を上げた。
「ただ貴方の言葉が、信じるのが恐ろしいくらい、ゆ、夢みたいだから……」
しゃくりを上げて泣きながら言うミアに、グレンは瞠目した。
「嫌なわけない、寧ろ嬉しくて嬉しくて、わたしもうどうしたら……」
ミアは顔を覆って項垂れた。
戸惑うグレンはゆっくりと口を開く。
「……僕は……期待をしても、いいんだろうか…?」
もしかして君は僕を好いてくれているのか、そんな問いかけに、ミアはボロボロと涙を流す瞳をカッと見開いた。
「貴方みたいな人、好きにならない方が難しいのよ!!」
そう憤慨気味に言うミアにグレンはぴしりと体を固めた。
大体ね、と口火を切ったミアは、これまでグレンの言葉一つ一つにどれだけ翻弄されてきたかを息巻きながら、ガミガミと小言のように並べていく。
「わたしみたいな平々凡々な人間じゃ心臓がいくつあっても足りないの! いくらメンタルを鍛えたってこればっかりは無理だわ! だからもうこれ以上わたしのことを悪戯にドキドキさせるのはやめ──」
言い終わるよりも先にグレンに抱き締められ、ミアは声にならない悲鳴を上げた。
「君は本当に、僕をどうしたいんだ」
ぎゅうぎゅうと苦しいほどの抱擁と、悩まし気な声が耳元を擽った。
それはこっちの台詞だ! なんて言い返す余裕もない。
振り絞った力でジタバタと暴れれば、余計に力が込められ逆効果だった。
極めつけに、耳に唇が当たるほどの距離で可愛い、好き、愛してるなど甘ったるい言葉が囁かれ続け、ミアの脳は溶けた。
文字通りクタクタになってしまったミアの両肩を支えながら、グレンはゆっくりと体を離した。
俯くミアの耳が真っ赤に染まっているのが、愛しくて仕方がなかった。
しかしどうにもしょんぼりとした様子であるのは気掛かりだ。
じっと見つめれば、ミアはぽつりぽつりと言葉を零した。
「……貴方がわたしに好意を持つのは、多分誤作動みたいなもので、そのうちハーニッシュさんにばかり構うようになるんでしょ…どうせ放るくせに、好きだなんて言わないで……」
ぎゅ。
再び抱き込まれた。
ミアがまた音もなく悲鳴を上げて震えているのを肌で感じ、グレンはクスクスと笑う。
話を聞いていなかったのかと乱暴に背中を叩いても、「ばか、あほ」とキャパシティーの少ない悪態を並べても、寧ろグレンは嬉しそうにするだけである。
「君が悪い。抱き締めずにはいられないくらい可愛い」
「だから、そういうのを止めてっていってるのに…!」
ぅ…とまた子どものように涙を流し始めるミアの背中を、グレンは愛おしそうに撫でた。
「そんな風に嫉妬なんてしなくても、僕の心はミアだけのものだよ」
「はぁ!?!? 嫉妬とかそういう次元の話ではないわ!!」
「では”不安”か? 君はいつも釣り合いがどうのとくだらない話をするからな。で、ミアは僕とハーニッシュなら釣り合いが取れていると思うわけだ?」
抱擁が解かれて安心したのもつかの間、目の前にはグレンの震え上がるほどの暗黒的な笑みが。
思わず「ひぇ」と声を上げるミアに、グレンは大袈裟に嘆息した。
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