処女神の輪廻―前世で姫だった私がおじさん騎士に!?―

ミシタカガリ

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第3話「湯浴みをしよう」

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 ――私はどうなったのだろう。
 死んだはずだった。あの状況で生きていられるはずがない。『ドラゴンの咆哮』と名付けられたあの現象で、確かに絶命したはずなのに。
 あれは何かの悪い夢なのだろうか。そもそもドラゴンの咆哮なんてものが悪夢であって、私は今も勇者様と旅をしているのではないか。勇者様、強くて優しくて、トリル王国の救世主。私にとって、命よりも大切な人。
 悪夢でなければ、あれは死の間際に見る泡沫の夢だろうか。ユピテル教では、魂が輪廻を巡り、次の生に辿り着く前に二つの月と太陽によって自我が浄化されると説かれていた。ならば浄化される中で見る、一時の幻想だったのだろうか。
 それなら、もう十分だ。もう夢は終わり。だって、この世界には勇者様も、愛しい姉様も、トリル王国さえ存在しない。
 ああ、勇者様。次の生でも、貴方に出会えることを祈っております――。

 ――――――

 そこに居たのは、剃刀を持ったユーファだった。

「アッ!」
「――な、何をしているのですかぁああ!?」
 ――ハッ、もしかしてやはりここは七百年後などではなくユーファさんは敵国の人間だった!?

 ジュリエッタは必死で身体を後退させ、身を守るように腕を交差させた。こんなところでは死ねない!
 と、ジュリエッタが交差させた腕に何かが付着する。白い泡。ジュリエッタが怯えと困惑でそれを見ると、どうやら白い泡は口元に付着していたようだった。

「ご、ごめんなさい! 髭が邪魔そうだったので、起きる前にどうにかしてあげたいと思って……」
「ひ、髭……?」

 ジュリエッタは眉を八の字にして、ペタリと口元を手で触る。確かに、ジュリエッタが戦慄した好き放題に生えていた髭があった部分に白い泡がのっているようだった。どうやら、命を狙われているというのはジュリエッタの勘違いであったらしい。

「ですがその……寝ている相手に刃を向けるのは、良くないかと」
「そ、そうですよね……! すみません!!」
「い、いえ」

 未だに怯える心でどうにか注意を吐き出す。自分だったら良かったものの、もし勇者様にこんなことをしたらその場でひねり潰されてしまうだろう。

「あの、では、ひげ剃りをしてもいいでしょうか?」

 おずおずと尋ねてくるユーファに、ジュリエッタは暫し口を噤んだ。
 自分は死んだはずなのに、生きていた。夢でも悪夢でもなかったようだった。そして、殺されそうになっていると思い込んで――と思った。

「エヴァンさん?」
「……いえ、申し訳ありません。お願いしてもいいでしょうか」
「は、はい! 勿論です!!」

 元気よく答えたユーファに、遠ざけていた身体を近づける。
 遠い未来、死した愛しい人たち、滅びた祖国。ああ、でも――私は生きていたいのか。
 鋭い金属の刃を肌に添えられる。ひやりとした感覚が肌に伝わる。好き放題に伸びた髭が、刃にそって切り取られていく感覚が直に伝わってきた。身に覚えのない触感に、少し背筋がゾワリとする。
 数分間身を任せていれば、不愉快だった髭が顔から消えていた。濡れたタオルを渡され、ジュリエッタは涼しくなった顔に思わず感嘆の息をついた。

「どうですか! いつものエヴァンさんですよ!」
「はぁ、ありがとうございます。って、あれ。顎に髭が残っていますが……」
「はい! エヴァンさんはいつも顎髭を蓄えていました!!」
「そ、そうなのですね……」

 ジュリエッタが意識を失っている間に持ってきていたのか、鏡を持って顔を見せてくれる。そこに映ったのは顎髭の生えた男性。こうしてみると、思ったよりも老けていないようだった。四十代前半だろうか。目元に皺はあるが、全体を見ればまだ若々しさもある。
 しかし、髭を剃るだけでも随分印象が変わっていた。貧民窟の犯罪者然としていた姿は消え、意志の強そうな黒色の瞳が嵌る目元や、逞しい首元を見てみると、騎士であるというユーファの言葉が説得力を持つ。

「あの、それから……」
「はい、なんでしょうか」
「先ほどは、突然色々なお話をしてしまってすみませんでした」

 座った膝に鼻が付くほど深々と頭を下げられて、ジュリエッタは驚いた。何を謝ることがあるのだろうか、ユーファは自分の為に知識を与えてくれただけだというのに。

「ユーファさん、何故謝るんです。感謝しかありませんよ」
「でも! 目を覚ましたばっかりで安静にしないといけないのに、私、エヴァンさんが起きたのが嬉しくて、つい色々お世話を焼きたくなっちゃって……」

 ――確かに、ひげ剃りには驚きましたが……。

 その言葉は飲み込んで、ジュリエッタはできるだけ朗らかになるよう意識して笑みを浮かべた。

「いいえ。今の私に頼れるのは貴方だけですから。頼りにしています、ユーファさん」
「ッ、え、エヴァンだん――さん!」

 ――だん?

 謎の語尾が聞こえたが、感激に目を煌めかせているユーファに尋ねるのは忍びなく、ジュリエッタは二、三度頷くだけに留めた。
 しかし――感激しているユーファには悪いが、ジュリエッタは一つ大きな悩みを抱えていた。今、は記憶喪失ということになっている。しかし事実は異なるように思う。エヴァンに七百年前の己の魂が乗り移ったのか、それとも――輪廻の輪で自我の浄化を受けらておらず転生し、強い衝撃でそれが思い出されてしまったのか。しかも、エヴァンという以前の記憶を失う形で。
 告げるべき、なのだと分かっていた。こんなに親身になってくれているユーファに記憶喪失であるという嘘をつき続けるなど、明らかに不誠実だ。だが、なんと言えばいいのか。

 ――私は実は七百年前の人間で、あなた達の信仰している処女神であるジュリエッタ姫なのです――などと! 言えるわけがないではありませんか!!

 ジュリエッタは内心で頭を抱えていた。どうして神に祭り上げられているのか。そんなことになっていなかったら直ぐにでも打ち明けられたのに! ――いや、それでも狂ったと思われるかもしれないが。
 ジュリエッタが内心苦悩している間、ユーファは暫く頬を赤らめて浸っていたが、少しすると、あ! と大きな声を上げた。なんだろうかとジュリエッタが目を向ける。

「そうだ! あの、エヴァンさん、さっきから敬語を使ってくれてますけど、ため口で大丈夫ですよ!」
「え? いえ、しかし」
「私はエヴァンさんの部下ですから!! なんかこう、落ち着かないんですよ」

 部下を強調するユーファに、ジュリエッタの顔が引き攣る。
 嘘をついているのに加え、ため口などと。そもそも、ジュリエッタは普段敬語でしか喋っていなかった。突然敬語を外せと言われても、上手く喋れる気がしない。
 しかし真っ直ぐかつ煌めく瞳で見つめられ、ジュリエッタは何度か口を開閉し――不格好な咳払いをした。
 たくさん世話になり、おそらくこれからも世話になるであろう女性。そんな彼女からの頼みだ、叶えてあげたい。ジュリエッタは脳内で参考になりそうな人物を探していた。辿り着いたのは、旅の間寝食を共にしていた男性だった。

「では、その――こんな感じで良いかな。ユーファさん」
「はい!! 敬称もなしでお願いします!!」
「う……ええっと、ユーファ。で、いいのかな」
「はい!! 貴方の右腕、ユーファ・サルワーです!」

 ――押しが強いですユーファさん……。

 ぐいっと近寄ってくるユーファに、身体を若干後ろへ倒しながらもジュリエッタは笑みを浮かべる。喜んで貰えたのなら良かった。

「あ! そうだッ! 厨房でお腹に優しい食事を作ってきますね! お腹空いてらっしゃいますよね!?」
「え」
「ちょっと待っててください!!」

 ユーファはそう言い残し、扉へと駆け抜けていった。弾けるような音を立てて閉まった扉と、一人になって静かになった部屋。

「……騒がしい、お茶目な方ですね」

 今はジュリエッタには、そのぐらいが丁度良かった。

 ――――――――

「ユーファ、は料理が上手なんだな。とても美味しかったよ」
「そ、そうですか? え、えへへ」

 敬語で喋られないというのは慣れない。王族として、礼儀がなっていなけらばならないと幼少時に一連の所作はたたき込まれていた。何か無礼になっていないかとジュリエッタは心配したが、頬を赤らめて喜んでいるユーファを見ると問題はなさそうだった。

 ――というか、ユーファさん可愛いですねぇ。

 ジュリエッタは享年二十歳だったので、おそらくユーファより年下だと思われるが、こうして年下ので話していると愛らしく思えてきてしまう。そう、まるで大人しく小さな亜獣を見ているような――ちなみに、亜獣というのは人間に躾され人と共存している魔獣のことである。
 つかの間の癒しにほっこりしていれば、食器を片付けながらユーファが尋ねてきた。

「もし、よろしければなんですが」
「なんだい?」
「外に出てみませんか? もしかしたら、何か思い出すことがあるかもしれませんし」

 そう言われて、ジュリエッタはふと視線を窓の外へと向けた。日の光が降り注ぐ先は街中で、ユーファが調理のために出て行き、一人になった際にジュリエッタも眺めていた。
 七百年が経過しているのだから、当然見知らぬものばかりだった。そして何より、戦争で荒れていない街中では人々が楽しげに、平穏に、退屈そうに歩き、走り、馬車が通っていた。

「……行ってみたい、な」

 久しく見ていない光景だった。戦火の中では皆、疲弊し、苛立ち、苦しんでいた。それ故に協力しあい強い絆があったが、命の危険を凌ぐための決死の団結などない方がいい。

「よかった! まだ色々とお伝えしなくちゃいけないこともあるので……」
「そうだな。しばらく色々とお世話になるけれど」
「いいえ! 私、人のお世話をするの大好きですから!!」

 ――だ、大好きなのですか……。

 それはそれで、大変そうだな。などと思いながら、ジュリエッタは感謝の言葉を述べた。

「そうだっ、今までは看護係が身体を拭いたりしてくれていたと思いますが、流石に外に出るなら湯浴みをしないとですね。服を持ってくるので、少々お待ちください!!」
「……湯浴み?」
「はい!!」

 エヴァンは二十日間眠り続けていた。それは確かに、身体を洗わないと不衛生だろう。ジュリエッタの時代にも湯浴みという概念はあったし、戦火の中でも頻繁にとは言えずとも村や駐屯地に寄った際は身体を清めさせてもらっていた。
 しかし――今の身体は二十歳の女性の姿ではない。


 ジュリエッタは立ちすくんでいた。
 ユーファに案内され、湯浴みが出来るという部屋まで連れてきてもらった。ジュリエッタが寝ていたのは騎士兵舎の医務室の一室だったらしく、金属の桶にタオルや衣服などを詰め込んだものを用意され、やってきた。しかし、ジュリエッタの頭にあったのは湯浴みが出来る喜びとか、広い兵舎への驚愕とかではなかった。

 ――お、お、男の人の身体、なのですが……!!??

 ユーファは簡単に浴室の説明をしてくれた。
 この蛇口を捻れば水が出るなど、水道施設の充実に驚く余裕もなかった。ユーファは『では、誰かが入ってこないように見張っていますので!』と謎の気遣いをみせ、さっさと出て行ってしまった。

 ――いや、いてもらっても困るのですが、困るのですがぁ……!!
 一人にされても、どうしていいか、分かりません!!

「だ、ダメですジュリエッタ。しっかりしなさい。私に出来ることをするのです……!」

 そう、今、ジュリエッタが出来ること――それは、湯浴みなのだ!
 ジュリエッタは桶を床に置き、恐る恐るシャツのボタンを外し始めた。待たせているのだし、早くしないとと思いながらも、手は衣服を脱ぐのが初めての子供のようにおぼつかない。
 ようやく衣服の半分のボタンを外せたとき、しっかりとした胸筋の下、腹部に白い包帯を見つけた。
 そういえば、エヴァンは魔獣討伐で重傷を負ったと聞いていた――つまり、この下には傷があるのだ。様々な出来事が連続して起きて、身体をしっかりと確認する暇もなかったが、確かに動くと鈍い痛みがあった。頭部も、既に包帯は取れていたようだったが触ると凸凹としている部分があり、触りすぎると強い痛みが走る。
 ふと、自身の魔法を使用して傷を治してみようか。ともジュリエッタは思った。だが、外ではユーファも待っている。傷も治りかけているのだし、魔法を使わなければ死ぬと言うこともない。

「よし、身体を清めましょう」

 別のことを考えて気が紛れたせいか、ボタンを外す手も滑らかになった。
 シャツを脱ぎ終えて、上半身が露わになる。騎士というだけあって、かなり筋肉質だった。

 ――勇者様より立派かもしれません……。

 といっても、勇者の身体など恥ずかしくてしっかりとジュリエッタは見たことがなかった。あっても応急手当の時ぐらいだ。
 エヴァンの身体は立派であったが、同時に多くの古傷があった。切り傷から抉られたような少しグロテスクな傷、火傷のようなものまで。手の平を見てみると、節くれ立った指に、硬質な皮膚。

 ――勇者様に手を見せてもらった時も、こんな感じでしたね。

 剣を握り、振るい、鍛錬し続けてきた人の手だ。ユーファはエヴァンを随分慕っていたようだったが、その理由がジュリエッタにも少し分かるような気がした。
 しかしそんな感傷に浸っている場合でもない。ジュリエッタはズボンに手をかけ――手をかけ、固まった。

「ず、ずず、ズボンも脱がなくてはならないのですか――!?」

 ジュリエッタは掠れた悲鳴を上げた。ズボンを脱ぐ、つまりそれは――所謂生殖器を見てしまうということではないのか。

 ――し、信じられません! だ、だって、私、ゆ、勇者様のすら見たことないのですよ!!

 長年旅をしてきた人物のすら見たことがないのに、今は自分の身体だとはいえ、男性器を見なければならないことにジュリエッタは恐れおののき震えていた。

 ――む、無理です! 無理です、私には出来ません! だって、一度も見たこと――。

 ジュリエッタはふと、戦火の中を思い出していた。人々は皆、生死の境目。剣や槍、魔術が飛び交う中で手足の一、二本なくなることはよくあった。
 そんなとき、ジュリエッタは走った。手足が吹き飛び、死にかけた者を救えるのはジュリエッタだけだったからだ。しかし、凶器が飛び交う中で治療などできない。ジュリエッタは応急手当のために手を施し、背後へ後退しなければならなかった。
 その中で、太ももあたりから足が吹き飛んでしまった男性がいた。意識もなく、直ぐに対処しなければならなかった。血を止めるため、足の根元を縛ろうとしたがズボンが邪魔で紐がしっかりと縛れないことが経験上直ぐに分かった。
 ジュリエッタは躊躇しなかった。ボロボロのズボンを剥ぎ取って、根元を紐で縛り付けた。そして魔術を使用し、兵を持ち上げ後退したのだった。

「……見たことありましたね」

 しかも一度や二度ではない。確かに、勇者のそれは見たことはないが、それだけだ。戦火の中で、恥などなんの助けにもならないのだ。

「湯浴み、しましょう……」
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