泥棒と探偵

射谷友里

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ひきこもりと泥棒

運命がドアを開けた

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 他人の感情に敏感で、自分に向けられる悪意が怖くて、小学校に入学してすぐ引きこもりになったまま、二年の歳月が過ぎようとしていた。そんな私を救ってくれたのは、一人の声真似の得意な泥棒だった。
「つぐみ、朝ご飯くらい一緒に食べよう」
 母は毎朝、私を気にかけて声をかけてくれる。それなのに、私はすっかり意固地になっていて、母にすら素直になれなくなっていた。
「……そこに置いておいて」
 それでも母はため息一つつかず、無理に部屋を開けてきたりしなかった。
「分かったわ。お母さん、今日は仕事だから、お弁当作っておいたからね。食べてね」
「……うん」
 母に対していくら不機嫌な態度をとっても、愛情をかけ続けてくれていた。母が家を出た音を確認して、そっと部屋のドアを開ける。
「おにぎり……」
 もっと小さい頃、食欲のない私に作ってくれたミニサイズの丸いおにぎりだった。わかめごはんや、鮭、おかかなどの色々な具材が入っていた。カーテンを閉め切った部屋の中でおにぎりを頬張ると、自然と涙が溢れた。こんなに応援してくれているのに、どうして私は人と同じ様に出来ないのだろうか。この時の私は、母の気持ちが痛いほどに分かっていただけに、自己嫌悪に苛まれていた。  
 突然、すっと風が流れた。母でさえも無断では開けない部屋のドアが開いた。部屋を覗いたマスク姿の男に心底驚いて咄嗟に声が出なかった。泥棒に入った家で住人と遭遇したら、叫ばない様に口を塞ぐなりするだろう。なのに、この泥棒ときたら全く真逆の反応をした。
「なんだ、いたのか! 暗い部屋でぼんやりとしてるから幽霊かと思ったぞ! いるならいると全力でアピールしろ」
「……えっ」
「くそ。ぬかったな……」 
 独り言の様に言う泥棒と目が合う。
「……どうするの? 私の事……」
 口封じの為に殺すのかと言おうとして、自分の身体が震えているのに気付く。引きこもりになってから、自分は死んでいる様なものだと思っていたはずなのに、震える身体はまだ死にたくないと言っている。
「いや、怖い思いをさせて悪かった。すぐに出て行くから。ここを出て行ったら、通報もしてくれていい。その前に逃げ切るけどな」
 部屋を出て行こうとする泥棒の背中に、思った事が口からこぼれた。
「泥棒なんて、なんでやってるの?」
「え?」
 振り向いた泥棒の透き通った茶色の目が、驚くほど優しい人間に見えた。
「一人だった俺を救ってくれた人がたまたま泥棒だった、からかな」
「救ってくれた人?」
「ああ。お前にはいないのか? この部屋から出してくれるやつ」
 両親の事を言っているのだと思い、少しムッとした。
「……お母さんもお父さんも優しいよ」
 泥棒は少し考えるふりをして、それからにやりと笑った。
「でも、ここから無理やり引っ張り出さないんだろ?」
「それは、私の事を思ってくれてるからだもん」
「……俺が出してやろうか」
「え?」
「こういうのは一つのきっかけがあるかどうかなんだ。本当は、このままでいいなんて思っていないんだろ?」
「何でそう思うの?」
「ん? これだよ」
 泥棒が指差したのは本棚だった。
「探偵小説、好きなんだ」
「……うん」
 泥棒が一冊手に取ってぱらぱらとページをめくる。
「助手を従えて、探偵が縦横無尽に駆け回る。羨ましいんだろ?」
「……うん。でも、外に出るのが怖い」
「小学校には行ってないのか。教科書、綺麗だもんな」
「……たまに家でやってるよ」
「いじめか?」
「普通、もう少し気を遣わない?……別に良いけど。あのね、私なんとなく相手の気持ちが分かっちゃうの。怒ってるとか、嘘ついてるとか……私の事を嫌い、とか」
「おお、それは凄い特技だな!」
「特技?」
「そうだよ。探偵の助手に向いてるんじゃないか?」
「……本当?」
「ああ。実はな、俺にも特技があってさ。カケスって鳥を知ってるか?」
「カケス? 名前くらいは」
「カケスって鳥は、他の動物の鳴き真似や身近な音の真似をするのが得意なんだ。俺も、同じ名前なだけあって声真似が得意なんだ。聞いてろよ」
 そして、私の声で下手くそな歌を歌った。
「私ってそんな声なんだ」
「ああ。いい声だな」
 そんな風に言われたことが無かったから、嬉しさで顔が熱くなった。泥棒は本を興味深そうにめくり、その間もヘンテコな歌を歌い続けていた。
「何の歌?」
「小学校の校歌だよ」
「変な歌詞だね」
「うろ覚えだからな。お前の小学校の校歌も歌ってみろよ」
「歌えないよ」
「音痴なのか」
「泥棒のあなたよりはマシ。鳥のカケスも音痴なの?」
「言うねえ。俺も学校が嫌で殆ど行かなかったけど、こんなに立派な泥棒に……睨むなよ。嘘だよ」
「そんな特技があるなら普通にモテたでしょ」
「根が暗いからかな。気持ち悪がられた」
「イヤなやつばっかりだね」
 クラスメイトの表情や話す声にいちいち反応しないようにすれば、通えない事もなかった。でも、それだといつまでたっても友達と呼べる関係性を築けないのも分かっていた。
「無理に行くことはないけど、カーテンは開けようぜ。閉め切ってたら見えるものも見えないよ」
 泥棒はカーテンを勢いよく開けた。真っ赤な夕焼け空を背にして飛行機が飛んで行く。
「あっ。そろそろお母さん帰ってくるかも」
「それはまずいな」
 そう言いながらもしばらく二人は空を見つめていた。彼の顔は穏やかで、とても犯罪を犯して来た人間に見えなかった。
「毎日、少しでもいいから外の空気吸えよ」
「泥棒のくせに最後まで偉そうだね」
「泥棒は二十歳になった今日で終わりだ」 
「え?」
「自首する。お前と話していたらそんなふうに思えたんだ」
「お前じゃない、原田つぐみ」
「ツグミか。俺達、二人とも鳥の名前だな。これも縁ってやつかな」
「縁?」
「そうだ。また会えるってことだ」
「友達って事?」
「そうだな。友達だ」
 カケスはぎこちない笑みを浮かべた。
「なあ。この本、借りてもいいか?」
「探偵小説?」
「ああ、泥棒から探偵になるのも面白そうだ。いつになるか分かんないけど必ず返すからさ」
「いいよ」
「ああ、じゃあな」
 また私の声で歌を歌いながら出て行った。
「ねえ、カケス!」
 衝動的に追いかけて、閉まりかけたドアを勢いよく開けた。外へ出ると冬の匂いがして、くしゃみが出た。
「つぐみ! 裸足でどうしたの」
 すでにカケスの姿は無かった。
「お母さん。私、決めた。小学校に行く」
「え?」
 校歌のメロディーを覚えるために行ってみる。それくらいの気持ちで行ってみろとカケスは言ってくれたのだ。下手な歌が脳内で再生された。
「なあに、笑ったりして」
「ううん」
 母は私の急な心の変化に驚いているようだったが、ほっとしてもいたのだろう。
 最初はカケスの言った通りに、集会で校歌を歌うだけで帰った事もある。でも少しずつ、自分と他人の気持ちに折り合いをつける事が出来るようになっていった。中学、高校と何度となく辛い思いをしたが、大学入学までこぎつけることが出来た。嫌な事があった時は小学校の校歌を歌った。
 大学生活は、常に友人達と一緒にいなくていい気楽さから、それなりに居心地が良かった。勧められたアルバイトに精を出し、少しだけ貯金が出来た。アルバイトで得たお金を殆ど使わなかったのは、カケスをいつか探し出してお礼を言いたいと思っていたからだ。それに本も返してもらっていない。
「子供の頃に出会った恩人を探したいんだけど、探偵に頼むってアリかな?」
「それで、アルバイト代を使ってなかったんだ。探偵ねえ……あ、そういえば大学の近くにあったよね?」
「えっ。本当?」
「ええと、確か……」
 名前を聞いて心臓がどきんと跳ねた。
 懸巣カケス探偵事務所、彼は本当に探偵になったのだ。ならば、私は助手になりにいかねばならない。
「どうしたの? 嬉しそうだね」
「そう? 今度、行ってみるね。教えてくれてありがとう」
 カケスに会ったら、どんな言葉でお礼の気持ちを伝えようかと考えていた。
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