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6その剣を抜く前にちょっとまちねぇお兄さん

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アーシャが働く姿を眺めて、エールを呑む。

トルガにこんな至福が他にあるだろうか、否!そんなものは存在しない。











小さなお尻に可愛く生えた尻尾が、右に左に揺れるのを目で追いかける。尻尾が、置いてあるグラスやテーブルの角に引っ掛かりそうになると、尻尾に目がついているのかと疑いたくなるくらいに器用にうごかしてすり抜けていく。

その動きが、酔って絡んでくる男達を華麗にかわすアーシャと重なってみえて、笑いだしたくなるほど愉快な気分になった。まるでアーシャの尻尾のさきに小さなアーシャがいて、一生懸命に椅子やテーブルを避けているようだ。疲れるとだらんとやる気をなくして力無く垂れるのも愛らしい。

この酒場で最も自由という名が似合うのは、酔っ払いや楽団の人ではなく、アーシャの尻尾に違いない。

子供みたいに、喜怒哀楽を表現して生きているさまは自由そのものだ。











おれがあまりにもその姿に釘付けになっていたせいで何度もアーシャと目が合うが、嫌な顔一つせず笑顔をみせて、小さな声でなにか言ってくる。けど周りの騒音がうるさくて聞き取れやしない。もしかしたら声にはださないで口だけ動かしているのかもしれない。

そう考えると最高な気分だ。声にだされるよりも、言葉を音にしないでこっそりおれだけに語り掛けてくれるほうが、この雑多な空間に二人だけの世界があるような気がして特別さを感じることができる。













「あの女が気になるのか?」











顔を伏せたまま、目の前の男が口を開いた。

古びた角砂糖を崩したときのような、ざらついた声だった。けれど不快な感じはなく、むしろ聞き手の心を落ち着かせるような優しいものだった。







てっきり、自分より外の世界に全く興味のない男だとばかり思っていたが、案外そうでもないのかもしれない。おれの惚けた視線なんかが気になるくらいだから、きっとこの男も一人で暇だったんじゃないかなと思う。やっぱり酒は基本的に楽しく飲むものだ。そうでなけりゃこんな騒がしい酒場にくる奴はいない。

だからおれも楽しい話相手になれるように振る舞おうではないか。





「ああ、かなりタイプだね。とてもキュートだ。そうおもわないか?」





男は少し体をひねり、アーシャのいる場所を観察する。

カウンターでアーシャが客に酒を手渡すのを見届けると、男は逆再生したかのようにまた同じ姿勢にもどった。相変わらずこちらとは目も合わせずに手元のジョッキをみている。ジョッキの中では酒と一緒に入れられた炭酸がパチパチと弾けている。









「おれには分からないが、気立てはよさそうだな。すこし元気すぎるきらいがあるが」









「獣人の女の子は元気があるほうが良い。気難しく考えないのが、あいつらの良い所さ」











そうかもしれないな、と男はあやふやな返事を返すと、また黙ってしまう。炭酸の泡が次から次へと弾けて消えるみたいに、男の興味も、呼吸と一緒に吐き出して霧散したらしい。

どうやら女の趣味は合いそうにもないな。











まわりはとても騒がしく、こんな近くに大勢の人がいるのに、この男のことをだれも気にも留めない。それどころか、腫物にふれないように、あえて無視しているように感じる。









男に話しかけようにも気の利いた言葉が一つも浮かばない。

だから必然とおれたちの耳は勝手に聞こえてくる会話に意識が向いてしまう。すると顔全体にひげをはやした背の低い赤毛の男が同じテーブルを囲む仲間達にひときわ大きな声で騒ぎ立てる。









「おい、聞いたかよ。古城の黒騎士が街道にでたらしいぞ!」





「バカ、そんなわけないだろ、奴は廃墟の主だぞ、草原にいるわけねぇ」





「本当だって、あしたギルドと追究者組合から報告があるらしい!!」





「どうせどっかの臆病者がフルメートの鎧を着こんだ大男と見間違えただけだろ」









赤毛の男の前に座る冒険者らしき男がからかうように笑い飛ばす。それにつられて他の男達も笑いころげて野次をなげる。古城の黒騎士がいるわけないと。







おれもこの目で見てなければ周りの男たちと同じような反応をしただろうな。自分の常識を外れる事態が起きれば簡単には信じられないのが人というものだ。特に酒の席で顔を真っ赤に染めてる奴が言ってることだからなおさらだろう。





しかしこの話が広まってるってことはローグ族のロブのおやっさんはもう冒険者ギルドに報告したってことだな。律儀なことだ。







「あんたはどうだ、ありえると話だと思うか?」



特に話す話題もないから、おれはだんまりを決めこんでいる男に聞いてみる。

男はたいした反応も示さず、ゆっくりとした動作で目の前のグラスをとり、酒を喉に流す。

口数のすくない男だ。どうやら気軽な話相手には向いてないらしい。これ以上話しかけるのは野望なのかもしれない。だから俺も黙りを決め込もうとしたら、その重い口がうごいた。





「かつて、もうかなり前の話だが、一部のモンスターが自らの縄張りを離れて暴れだしたことがあった。そして、最後には幻獣種まででっぱってきて、町が一つ消えた」





てっきり口に鉛でもいれてるのかと思ったがちゃんとしゃべれるじゃないか。

それにしてもまた物騒な話をしてきたもんだ。

軽い気持ちで聞いたのになんて重苦しい話をしてるんだよ。





「アラマの災厄か?」



「知ってるのかあのことを?」





男はまさかおれがそのことを知ってるとは思っていなかったらしい。驚いた様子で俺に問い返す。

もともと表情の変化がほとんどないせいで、本当に驚いているからわからないんだけど‥‥





「別に驚くことじゃないだろ、町一つが消えたんだ大事件じゃないか」



「たしかにそうだが、みんな噂ていどのものだと認識してるから本当にそんなことがあったと知っている奴はすくないからな、それにだいぶ前の話だ。見た様子じゃアンタがまだ子供の頃の話のはずだがよくしっていたな」





「たしかにな、おれははたまたまその町の近くの村まで旅をしたことがあるから、そこに住んでいたジイサンに聞いたんだ。それに皆がこの話を知らないのは仕方がないさ、一つの町が滅ばされたことよりも、その後にあったドラゴン討伐のほうが有名だからな」





「ああ、それが原因だろう。町を襲ったモンスターやドラゴンはその後に、王国に急襲したが、王国によって組まれた討伐隊に討たれた。人がドラゴンを倒すなんて歴史をみてもそんなに多くはない。だから世間は騒いだものだ。そのせいでアラマが消えたことは影に隠れちまってだれも知らないのさ」







そういって男はまた酒を飲んで何もないどこかを見つめる。おれや他の人達にはみえない場所を眺めているようにみえた。遠くを見ているかのようなその様は、哀愁を感じさせるものだった。このオッサンはアラマになにかしら思い入れがあるのかもしれないな。



「けど、アラマの件と今回のことは関係ないだろ、この近くでドラゴンクラスの化け物がいたり、暴れてるなんて話は聞かないからな」







「・・・・アラマが滅びたのはドラゴンの仕業じゃない。だれかがけしかけたんだ」





・・・・いきなり何言ってんだこのおっさん?

ドラゴンを操る?そんなの不可能にきまってるじゃないか。

あれらはプライドの塊みたいな生き物だ。群れなければ生きて行けない矮小な人間の言葉なんて聞くはずがないというのに。

確かに一時期アラマ災厄のとき暴れるドラゴンの上に人がいたとという噂を聞いたことがある。

しかしあくまで噂だ。そんなものを目の前に座る無口で渋いナイスガイが真に受けていたなんて。





「おい、酔っ払っているのか、誰に聞かされたのか知らないがまだそんなことを言う奴がいるなんてな。あれは一時期噂ていどでながれた都市伝説だろ?」





すると、いままで静に飲んでいた男が突然力一杯腕を降り下ろしテーブルを叩いた。





「違う!!!なぜ誰も信じない!!!おれは確かに見たんだドラゴンやモンスターを操る奴の姿をな!!!」







あまりにも力強いテーブルを叩いてしまったせいでおれと男の酒がその拍子にこぼれてしまった。

さっきまで何を言ってもあまり反応しなかったのに、いきなり怒鳴ったせいで、場の空気が行き場を失ったかのようにあたりはしんとしてしまった。





まわりを見ると先程までやかましく騒いでいた連中がみなこちらを静観していた。



勘弁してくれよまったく。

















男が怒鳴ったせいで、周りの酔っ払いどもがこちらを注視している。

おれ達の間にはにはなんとも言い難い冷たい空気がながれている。





「おい、飲み過ぎたんじゃないのか、いきなりどうしたんだ?」









「おれはまともだ、たしかにこの目でみたんだ。ドラゴンにまたがり操る男を。そしてそいつはドラゴンが討伐されるとき逃げてその身をくらました。あの犯人を殺さなければまた同じことの繰り返しだ。なのに‥‥‥‥なぜ誰も信じようとしないのだ!!」







興奮し、顔を真っ赤に染めた男が叫ぶ。

男の口から出てくる息にはは濃いアルコールの匂いが染み付いている。

ただ酔っぱらっているだけとも思えたが、男の表情は強い憤怒に覆われていて、とても嘘や妄言ででてくるものには見えない。







しかしこのまま暴れられてもこまるから、男を落ち着かせるため声をかけたが、返事は返ってこない。ただその美しくも獣のように獰猛な瞳が俺を見定めている。

きっといままで何度も同じ話を色々な場所でして、そのたびに信じてもらえず憤ってきたのだろう。

出会ったばかりの俺に信じてくれと訴えかけている様を見ていると、路地裏で痩せ細ったどぶねずみを見つけた時のような気持ちになり、その姿はどこか燐肥を含むものだった。













どうにかしてやりたい気持ちはあるが、あいにく俺はこの男の事情なんて知らないし、過去になにかあったかなんてわからない。だからこれ以上かける言葉もみつからず、口をつぐんだ。

せめて、言いたいことがあるなら聞いてみようとこの男の声に耳を傾けるが、それは空っぽのバケツをひっくり返したように無意味なことだった。











やがて男の体から諦めたように力がぬけて、また顔を伏せてしまった。伏せた時に、覇気もなく、「すまん飲み過ぎたようだ忘れてくれ」と言った。とても疲れた様子で、一気に老けたように感じる。















そんな俺達のやりとりを見ていた奴等は、最初は大人しく静観していたが、次第ににやついて、男が顔を伏せた時には声を出して笑いはじめた。

どこからともなく、またホラ話がでたぞと聞こえて、俺がそちらを振り向くと古城の黒騎士が出たことを嘘だと冷やかしていた奴の1人が立ち上がってこちらに近づいてくる。











「また幻覚の話をしているのか、ド・ラ・ゴ・ン・ス・レ・イ・ヤ・ー・のグレイさん?ああ自称だったか!アンタがモンスターを狩っているところなんて誰もみたことないもんな!」







どうやらこの男の名はグレイというらしい。



嫌味たらしく笑う冒険者らしい見た目のその男は手垢でよごれた汚い手を、顔を伏せて無反応のグレイの肩においた。爪の隙間には黒ずんだ垢などのゴミが詰まっている。

肩に手を置かれてもグレイはピクリとも反応しない。





それにしても蒼眼に名前がグレイ・・しかも自称ドラゴンスレイヤー・・・・んー、どっかで聞いたことがあるような気がする。

でもアラマ災厄を襲ったドラゴンを倒したのはミナス王国の騎士カーネラルだったはずだし・・・カーネラルは白髪に金眼。グレイとは全然違う。





んー、答えがすぐそこまで出かかっているのにでてこない。



ロブが言っていたトルガの街にいるドラゴンスレイヤーってグレイのことなんだろうな。

たしか誰もドラゴンどころかモンスターと戦っている所を見たこともなく、酒場で飲んだくれているだけの男だとか。



飲んだくれの男ってのは間違いないか合ってるんだけどなんか違和感があるな。







俺が考えるてる間も冒険者の男はグレイに突っかかっていく。



「そろそろ目を覚ましてみたらどうだ?なにも俺は馬鹿にしたくて言ってるんじゃないんだぜ、親切で言ってやってんだ。誰もそんな嘘にはだまされやしない恥をかくだけだ。だってみてみろよその出っ張った腹を!!!」







そういってグレイの腹を音がでるように手の平で叩く。

ポンポンとグレイの見た目とはかけ離れた可愛らしい音が鳴り響いた。

それを聞いて周りの奴等も声を出して笑った。







「こんな腹じゃモンスター退治どころか餌を与えにいくようなものだもんなぁ!!?」







冒険者の男と酒場にいる奴等がグレイを小馬鹿にしているが、グレイは虐められている小動物のようにプルプル震えて何も言い返さない。

それをみて冒険者の男は、目の前の偉丈夫が自分に怯えているのが面白かったのか、暴言がどんどんエスカレートしていく。







だが俺は知っていた。グレイが怯えて震えているのではないことを。











そうこれは・・・・・・・・キレる数秒前というやつだ。

俺以外この事態に気がついている奴はいない。

それも仕方ないだろう。なんせグレイは歴戦の戦士よろしく巧妙に殺気をかきけして悟られないようにしている。



そして俺はグレイから僅かに漏れてくる殺気を浴びせられた時、背筋が震えた。





強い、なんて殺気だ。只者じゃないぞ。

このままでは間違いなく死人がでると直感で理解できた。





なにも知らない冒険者の男はなおも小馬鹿にし続けている。

そしてグレイは誰にも気付かれないようにテーブルの下で腰の剣にゆっくりと手を伸ばしている。







マジかよ!本格的に不味いぞ!

なんかとめる方法はないのか?

俺は必死になにかないか探すがわからない。もうダメかと諦めようとしたとき、冒険者の男が話す声が聞こえた。







「まったくアラマ出身だかなんだか知らんがホラ吹きはやめろっての、ドラゴンを倒したのは英雄カーネラルって誰でもしってんだよ」







アラマ・・・・・グレイはアラマ出身なのか。あの災厄のあった場所。



アラマ、アラマ。なにか引っ掛かるぞ。

たしか・・・・そうだあれはアラマの隣の村まで旅したとき、アラマ災厄の生残りの老人がいて、そこで聞いたはなし。



アラマ・・・・蒼眼・・・・グレイ・・・ドラゴン・・・





そしてさっきからのどの奥で突っかかってたものがストンと落ちた。



そうか、そういうことだったか。









グレイを見ると腰の剣に手を置いて抜く寸前のところだった。

だが、それが抜かれることはない。

なぜなら・・・











グレイが剣を引き抜こうとするといきなり、ごうっと激しい音が聞こえてその後酒場にいた奴らに熱風が叩きつけられた。



誰もがその炎に目を向ける。

その炎はボロボロの刃が潰れた剣に纏うように燃えている。

誰もが唖然としてその炎と剣を握りしめている人物を見た。











ほらね、グレイが剣を抜くことはなかった。

俺の超絶すごい特殊なスキル未来予知を使えばこんなの朝飯前だ。











え?なぜわかったかだって?



それはな・・・・・



















グレイより先に俺が引き抜くからだぁぁ!!!!





「やい!者ども聞けぇーーーーーーーい!我こそは小さな大冒険家ルーク様だ!名字もなにもないただのルーク様だ!よろしくぅぅぅ!!!!!!」
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