白昼夢

芙月みひろ

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 夫が早逝した。
 彼とは恋愛結婚だった。三年ほどの交際期間を経て夫婦となった。しかし、幸せな新婚生活は短かった。

「今夜はしょうが焼きが食べたいな」

 いつものようにいつもの時間に会社へ出かけていったはずの彼が、事故に遭ってしまったのだ。生死の境を彷徨い、結局その後回復することなく、彼は空の彼方へと旅立ってしまった。
 彼を失ってからまだ間もない今、私は悲しみから立ち直れずにいる。
 その日も彼の墓参に出掛けた。墓前に花を手向け、両手を合わせながら、心の中で語り掛ける。どうしてこんなに早く、私を一人にして逝ってしまったのかと。
 そこに彼は居ないのに、立ち去りがたい思いでずっとしゃがみこんでいると、少し強めの生暖かい風が吹いてきた。線香の煙が激しく揺れ、その先端が熱を失いかける。空を見上げれば、灰色の雲がゆっくりと広がり出していた。

 雨が来る――。

 私は急いで立ち上がった。傘の用意はない。雨を凌ぐためにひとまず寺の方へ向かおうとした。ところが私が動くよりも早く、雨が勢いよく降り出した。これはまずいと、休憩用に設置されているこぢんまりとした東屋に逃げ込む。
 濡れた髪や足をハンカチで拭き、スマホでこの後の雨の推移予測を確かめた。そんなに長くは降り続かないようだ。この後特に急ぐ用事はない。私はここでしばらく雨宿りすることにした。
 降り続く雨は、東屋の屋根を規則正しいリズムで叩いている。
 その音に耳を傾けながら、私は雨の降るさまをぼんやりと眺めていた。雨降る薄暗い中その視線の先に、人影が揺らいだような気がした。その正体をはっきりさせたくて目を凝らす。
 降りしきる雨のカーテンの向こう、次第にそれは小さな子供の姿に見えてきた。傘をさしているふうでもなく、その周りに親らしき人の姿もない。
 近所の子供が寺の境内で遊んでいるうちに、雨に降られてしまったのだろうか。そう思った私は、自分のいる東屋に招き入れようと子供に声をかけた。

「早くこっちにいらっしゃい」

 子供は私の声に気づいたらしく、 たたたっと小走りでやってきた。
 幼い男の子だった。思っていたほど濡れてはおらず、それを不思議に思いながらもほっとする。
 私は余分に持っていたハンカチを取り出して、子供に差し出した。改めて顔を見てドキリとする。以前に見たアルバム写真に写っていた幼い頃の夫に似ている。
 動揺のためハンカチが手から滑り落ちた。慌ててそれを拾い、再び顔を上げた時にはもう、子供の姿はなかった。
 どこに行ったのかと辺りをきょろきょろと見回す私の耳に、雨音に混じり私に向けて聞こえてきた声があった。

 お母さん、待っててね――。

 その声を聞いたと思った時、吐き気を催した。ハンカチで口元を覆っていると、私を呼ぶ者がいる。傘をさした妹が立っていた。

「遅いから迎えに来たよ」
「ありがとう……」

 礼を言い、立ち上がる。先ほどの吐き気が気になり、もしやと思いながら自分のお腹に手を当てた。そう言えば毎月来るべきものが来ていない。
 弱まってきた雨脚をぼんやりと眺めながら、先程の男の子を思い出す。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 妹の怪訝そうな声にはっとする。
 私はなんでもないよと首を振り、小さく笑みを浮かべながら傘を受け取った。 
 雨音が弾ける傘の下で願う。
 夢か現かわからないあの不思議な白昼夢。それが示すものが、私のお腹にあの人と愛し合った証があるかもしれないという希望でありますように。


(了)
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