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〜紫鏡と王太子の言い分〜
怪55
しおりを挟む「ふぅ……残りは食堂ね」
学校中の鏡を覆うと、アメリアはハンナと共に食堂へ向かった。すると、ちょうど向こうからやってきた花子とクラウスに行き会った。
「花子さん。こちらは終わりました」
「わかったわ。じゃあ先に正面階段に行っていて」
花子はアメリアとハンナを先に行かせると、自身は食堂の鏡の前に立った。他と同じように布をかけようとして、ふと手が止まる。
花子は鏡をじっと睨んだ。何の変哲もない鏡だ。だが、花子にはわかる。
「……何かしたわね?」
花子は手早く鏡を覆うと、何故か珍妙なダンスを始めたクラウスを放って正面階段へ向かった。
学園の鏡は一枚を残してすべて覆った。『紫鏡』は必ず踊り場の鏡に姿を現す。
だが、何か嫌な予感がした。
「アメリア! ハンナ!」
廊下を走りながら叫ぶと、階段の踊り場に立っていたアメリアとハンナが振り向いて花子の方を見た。
その彼女達の背後で、鏡が紫に染まる。
「後ろっ……!」
花子が叫んだ。だが、紫に染まった鏡の中から伸びてきた手が、アメリアの体を捕まえて鏡に引きずり込んだ。
「アメリア!」
花子は階段を飛ばして踊り場に降り立った。アメリアを飲み込んだ鏡は紫色に輝いたまま、沈黙している。ハンナは腰を抜かして踊り場にへたり込んだ。
(失敗した! 油断していたわ)
花子は内心で臍を噛んだ。
「アメリア! 聞こえる?」
鏡に向かって叫ぶ。
「真実を見せられても動揺しないで! 目をそらさないで、鏡を見るの!」
『真実を見せられても動揺しないで! 目をそらさないで、鏡を見るの!』
「……花子……さん?」
倒れたアメリアは、遠く聞こえる花子の声に目を開けた。
「ここは……」
アメリアは起き上がって辺りを見回した。辺りは真っ暗で、目の前に踊り場の鏡がある。ただし、階段も壁もなく、ただ鏡だけがそこにある。
「わたくし、誰かに引っ張られて……花子さん! ハンナ様! どこなのです!?」
異様な空間に心細くなり、アメリアは花子達の名を呼んだ。
すると、目の前の鏡に突然人の姿が映し出された。
四人の男女が、楽しそうに語り合っている。真ん中にクラウスとメルティ。その二人の横にショーンとユリアンが立っている。
そして、少し離れた物陰から、アメリアがじっと暗い目でそれを見ている。
アメリアは息を飲んだ。
自分はあんな目で彼らを見ていたのだろうか。嫉妬などしていなかったはずなのに。
鏡に映った姿が消え、別の像が浮かび上がる。小さなアメリアが、庭にうずくまって泣いている。
『姉上』
小さな少年が、ひょこひょことアメリアに近寄る。
『姉上は、殿下との婚約が嫌なのですか?』
そうだ。これはアメリアが十歳の時。クラウスの婚約が整った日、庭で一人で泣いていたアメリアの元に、ユリアンがやってきて言ったのだ。
『姉上が嫌なら、僕が助けてあげます』
アメリアはぎゅっと拳を握って震えた。駄目だ。違う。
また別の映像が浮かんだ。夕日色の髪の男性が、木陰に佇んでいる。
ユリアン、ではない。もっと大人の男性だ。
少し離れたところで、小さなアメリアが首を傾げて男性をみつめている。
男性の視線のずっと先には、先頃家にやってきた義母と異母弟の姿がある。男は目を細めて義母達をみつめていた。
偶然、その姿を見かけたアメリアは、不思議に思って男をみつめたのだ。
だって、男があまりにも、異母弟にそっくりだったから。
ユリアンに似ているな。と、思っただけだ。九歳のアメリアには、それがどういう意味なのかまではわからなかったけれど。
その意味がわかったのは、その一年後、クラウスとの婚約が決まり、庭で泣いていたアメリアにユリアンが『僕が助ける』と誓ったその時。
その時のユリアンの目が、あの男と同じ熱を帯びていることに気付いてしまったから。
「嫌!」
アメリアは目をつぶって頭を抱えて叫んだ。
「違うわ! わたくしは、何も知らない!」
違う。こんなことは知らない。あんな男など知らない。あんな目は知らない。
ユリアンはアメリアの異母弟だ。それ以外の何者でもない。
熱を帯びた目でずっとみつめられていたことなど、アメリアは知ってはいけない。
「やめて、わたくしは……」
もう王太子の婚約者ではない。だから、だからーー逃げたかったのだ。別の世界へ、逃げてしまいたかった。
自分の気持ちと向き合うのが、怖かったから。
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