マヨヒガ

荒瀬ヤヒロ

文字の大きさ
96 / 107

九十五、

しおりを挟む





「俺達はどっちにいこうか」

 空を見つめたまま、広隆が呟いた。

「トハノスメラミコトは一体どこにいるんだろうな」
「うん。僕は、きっとトハノスメラミコトは僕らのすぐそばにいると思うよ。兄さん、覚えてる?地下の暗闇で僕の姿を見た時のこと。僕も、森の中で兄さんの姿を見たんだ。幻を。きっとトハノスメラミコトは……」

 そこまで言いかけた時、急に背後から強い風が吹き付けて、広也の背中が押された。わずかによろけつつ慌てて振り返った二人の目に入ったのは、風船がしぼむように急速に厚みをなくしていく大蛇の死体だった。
 何が起こっているのかを考える間もなく、大蛇の死体はぺしゃんこになっていく。吹き付ける風の正体は大蛇の口から噴出される空気の塊だった。たちまちのうちに大蛇の体は紙のごとき薄さになり大地の表面にぱさりと広がった。吐き出すものをなくしたのか、厚みがゼロになるのと同時に風は止んだ。

 あっけに取られてその様子を見守っていた広也と広隆は、風が止んであたりがしんと静まり返るとお互いに顔を見合わせてごくりと唾を飲んだ。まるで打ち捨てられた蛇の抜け殻のようになってしまった大蛇がひどく不気味だった。

「あっ」

 広隆が何かに気付いて声を上げた。彼が指さした方に目をやった広也は、低空をふわふわと飛んでくる白い光を見つけた。白い光は二人の目の前をふわっと通り過ぎると、ぺしゃんこになった大蛇の口があった辺りに近寄っていき、そのまま中に潜り込んでしまった。あっと声を上げた二人の前で、大蛇の抜け殻は一瞬白い光の形に膨らんだ後、再びぺしゃんこになって地面と一体化した。

 しばらくの間声もなく立ち尽くしていた広也と広隆だったが、やがて観念したように広隆が口を開いた。

「どう思う?」

 そう尋ねられて、広也は恐らく広隆も自分と同じことを考えているのだろうと悟った。
 白い光はいつも自分達を導くように飛んでいた。今もまた、そうなのだとしたら——

 沈黙から広也の答えを察したらしい広隆が、ずかずかと大蛇の抜け殻に近付いた。広也もその後を追う。足下に広がった黒い布のようなそれを見下ろし、一瞬躊躇した後、広隆は思い切った様子で抜け殻の口をがばりと広げて持ち上げた。
 あっと短く叫んで絶句した広隆の肩越しに抜け殻の中を覗き込んで、広也もまた小さくあっと叫んだ。
 抜け殻の中身は大蛇の体表と同じく真っ黒だった。ただし、どこまでも続いているような真っ黒な空間の奥行き、そのずっと奥に人影が見えた。
 真っ黒い空間なのにはっきりと浮かび上がるその姿を見て、広也は確信を持った。

「兄さん……。兄さんには、何が見える?」

 広也は真っ黒い空間から目を離さずに傍らの広隆に尋ねた。

「僕には、兄さんが見える。ここにいる兄さんじゃなくて、僕がいた世界の、大人になった兄さんが」
「俺には、俺の弟が見える。俺がいた世界の、小さい弟が」
「幻だよ。あれこそ、幻なんだ」

 広也は広隆の手をぎゅっと握った。広隆は少し驚いたふうに広也を見た。広也は抜け殻の奥に向かって叫んだ。

「トハノスメラミコトっ!」

 その声が届いたのか、幻はふっと身を翻して、真っ黒い空間のさらに奥へと走っていってしまった。こちらに背中を向ける寸前、かすかに笑みを浮かべたように見えた。
 幻の姿が見えなくなって、抜け殻の奥に広がるただの真っ黒になった空間を見つめて広也は言った。

「僕たち、幻を捕まえなくちゃいけないんだよ」

 幻か……と、広隆が呟いた。広也は広隆の手を握る手に力をこめた。広隆は一度深く息を吸って、それから力強く広也の手を握り返してきた。

「よし、行こう」

 二人は手を握り合ったまま、抜け殻の中に潜り込んだ。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート

谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。 “スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。 そして14歳で、まさかの《定年》。 6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。 だけど、定年まで残された時間はわずか8年……! ――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。 だが、そんな幸弘の前に現れたのは、 「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。 これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。 描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。

クールな幼なじみの許嫁になったら、甘い溺愛がはじまりました

藤永ゆいか
児童書・童話
中学2年生になったある日、澄野星奈に許嫁がいることが判明する。 相手は、頭が良くて運動神経抜群のイケメン御曹司で、訳あって現在絶交中の幼なじみ・一之瀬陽向。 さらに、週末限定で星奈は陽向とふたり暮らしをすることになって!? 「俺と許嫁だってこと、絶対誰にも言うなよ」 星奈には、いつも冷たくてそっけない陽向だったが……。 「星奈ちゃんって、ほんと可愛いよね」 「僕、せーちゃんの彼氏に立候補しても良い?」 ある時から星奈は、バスケ部エースの水上虹輝や 帰国子女の秋川想良に甘く迫られるようになり、徐々に陽向にも変化が……? 「星奈は可愛いんだから、もっと自覚しろよ」 「お前のこと、誰にも渡したくない」 クールな幼なじみとの、逆ハーラブストーリー。

グリモワールなメモワール、それはめくるめくメメントモリ

和本明子
児童書・童話
あの夏、ぼくたちは“本”の中にいた。 夏休みのある日。図書館で宿題をしていた「チハル」と「レン」は、『なんでも願いが叶う本』を探している少女「マリン」と出会う。 空想めいた話しに興味を抱いた二人は本探しを手伝うことに。 三人は図書館の立入禁止の先にある地下室で、光を放つ不思議な一冊の本を見つける。 手に取ろうとした瞬間、なんとその本の中に吸いこまれてしまう。 気がつくとそこは、幼い頃に読んだことがある児童文学作品の世界だった。 現実世界に戻る手がかりもないまま、チハルたちは作中の主人公のように物語を進める――ページをめくるように、様々な『物語の世界』をめぐることになる。 やがて、ある『未完の物語の世界』に辿り着き、そこでマリンが叶えたかった願いとは―― 大切なものは物語の中で、ずっと待っていた。

とある旅行の話

森永謹製
絵本
ハリネズミのウーフーと、モグラのルベンが、海を見るために旅行に行くお話。

童話絵本版 アリとキリギリス∞(インフィニティ)

カワカツ
絵本
その夜……僕は死んだ…… 誰もいない野原のステージの上で…… アリの子「アントン」とキリギリスの「ギリィ」が奏でる 少し切ない ある野原の物語 ——— 全16話+エピローグで紡ぐ「小さないのちの世界」を、どうぞお楽しみ下さい。 ※高学年〜大人向き

「いっすん坊」てなんなんだ

こいちろう
児童書・童話
 ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。  自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・           

処理中です...