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第三話「土の中」

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「私にも妻にも手が届かなくなったあの子は、万引きや動物虐待を繰り返しては、私にやれと命令されたと訴えて騒いでいたらしい。だが、誰も信じなかったよ」

 それは当然だろう。

 それ以前は「親が悪い」と訴えていたものが、「奈村が悪い」に変わったのだ。奈村が、自分の思い通りにならなかったからか。

「誰も相手にしなかったからか、あの子の行動はエスカレートする一方で、野良猫を殺したり余所の飼い犬に煉瓦をぶつけたり、油を掛けて火をつけたこともあったらしい。

 さすがに、近所の人々も怒ってね……何度もあの子を捕まえて、警察も呼んだ。だが、あの子は捕まって咎められると、私が悪いと喚いて暴れて……それがあんまり異常なもので、警察もあの子の両親に医者にかかることを勧めたらしい」

 緑城小が見えてきた。道が細くなって通学路に出る。奈村は一度言葉を切って、唾を飲み込んだ。

「そして、あの日が来た……宮城社長の家で、妻は生まれたばかりのみくりをベビーベッドに寝かせて、自分もソファで寝ていたそうだ。お手伝いさんに起こされて、みくりの様子を見に行くと、どうやって入り込んだのか、あの子がみくりの首を絞めようとしていた」

 恐ろしい話だ。もしも、ほんの少しでも遅れていたらと、背筋が薄ら寒くなる。

「妻は大声で叫んだ。それで宮城社長の奥さんも駆けつけて、あの子は逃げ出した。
 もう放ってはおけないと、皆であの子の両親の元に行き、我々の見ている前で病院に収容してもらおうとした。だがその矢先、あの子が死んだ。電車に跳ねられたんだ」

 校門は閉まっているので、グランドの方へ車を回し、適当な位置に駐車する。

「それを聞いた時、一瞬、自殺かと思った。でも、違った。現場には近くの民家から盗んできた植木鉢やら煉瓦やらが落ちていて、どうも置き石をしようとしていたらしい。
 電車をひっくり返して、それも私のせいだと言うつもりだったのか……とにかく、自分が逃げ遅れて轢かれてしまったと思われた」

 想像を絶する話に、稔達は誰も口を挟むことが出来なかった。

 車を停めた後も、奈村はハンドルを握ったまま前を向いていた。

「……忘れてしまおうと思った。だが、奇妙なことばかり起きて……家のあちこちに土が落ちていたり、子供のおもちゃがバラバラに壊れたり、変な声が聞こえたり……妻はずっと怖がっていた」

 死んだ後も、梨波は奈村に執着し、つきまとい続けたのだ。

 妄執が、梨波の魂をこの世にとどめ、奈村とその家族を恐怖の底に突き落とした。

「みくりには怖い思いをさせたくなくて、何も言わなかった。何も気づかれないようにしようとした。
 だが、小学校に入った頃から、みくりが夢遊病のようになって、夜中に叫んだり暴れたりするようになった。そして、私を人殺しだと罵るようなった」

 奈村がふーっと深く重い息を吐いた。頭を落とし、ハンドルに額を擦り付ける。

「……あの子は、生きている間は誰にも信じてもらえなかったが、死んでから、私の娘には私が悪いと信じさせることが出来たようだ」

 奈村が無条件に愛を注ぐ存在であるみくりのことが、梨波には許せないのかもしれない。

 取り憑いて、恐怖を味わわせ、親子の間を引き裂こうとした。

「……みくりを救うためには、もう私があの子のところに行ってやるしかないのかと……」

 不穏な呟きを漏らした後、奈村は顔を上げて車から降りた。校門の周りをぐるりと周り、闇に沈む裏山に足を踏み入れた。

 大透の家から持ってきた懐中電灯を手に、稔達も奈村の後を追った。



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