Re:LIFE 〜永久の惨劇を彩って〜

如月笛風

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第1章 『木漏れ日に願う』

第4話 『すくう者』

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「こ、来ないで……!」

 必死に両手で背後をまさぐるが、2体の化け物はもうすぐそこまで来ていた。

 ── アアァァ……アァ……アアァァ……ァア……

 ──ォォオオ……オォ……オオオォ……オォォォ……

 延々と嗄声を繰り返す2体の化け物は、当然少女の声を聞き入れることなどなく、徐々にその蕩けた身体を近づけてくる。

「……どうして……!…………どうして……なの……」

 転生してもなお、どうして自分に不幸が訪れるのか。
 しかも、普通に死ぬよりももっと恐ろしいことが行われようとしている。

 流す涙こそ覚えていなかったが、少女は泣いた。
 呼吸を小刻みに行い、啜り泣いていた。
 そんな少女の様子を見ても、化け物達は止まる気配が無い。
 凡そ、獲物が鳴いているだけにしか見えていなかったに違いない。

 ──オォ……ォォ……

 ──ァァ……アアァァ……アァ……ァァァァ……ァァアア……

 少女が紐を解くのを諦め、全身の筋肉が弛緩する。
 同時に、捕食範囲まで近づいた化け物達は、その頭部が横に裂け、捕食器官が顕になった。
 それぞれ垂れ下がった少女の両腕に這い寄り、歯の無いその口で噛み付く。

 ──瞬間、痺れるような痛みが少女の両腕を襲った。
 しかし、少女からは苦しみ悶える声の1つも上げられない。
 焼かれようと切られようと、腕の皮膚の表面が溶かされようと、全て少女にとって無意味なことなのだから。

「…………どうして……?」

 少女は思い出した。
 何故痛みが少女にとって無意味なのか。
 何故腕が溶かされているのに、何も思わないのか。
 そして、何故この世界に転生したのか。
 その全ての原因は、少女にいつも痛みが、苦しみが、不幸が付き纏っていたから。
 その苦痛を全て取り払って、『新たな人生』を始めるために、元の人生を捨てた。
 なのにどうして、この変わらない現状を良しとするだろうか。
 自身の心の本音に気づいた少女の瞳には、漸く浮かぶ一雫の想いがあった。

「──嫌だ……!!」

 重い想いを言葉に乗せ、瞳に溜まった涙を瞼で切り落とす。
 即座に瞬き、目の前の困難に立ち向かうべく、その瞳にも想いを宿らせたその時だった──

 ──飛び散る血潮と肉塊。いつもに増して遅く見えた光景にも関わらず、理解はいつまでも追いつこうとしなかった。

「──えっ…………?」

 固まる首を無理やり動かすと、自分の腕に食いついていた化け物達がいないことに気づく。
 腐食する両掌の背景に、紅の水面が延々と広がる。

「……何が…………起きて…………」

 あまりの驚愕により涙は自然と止まり、視界はより鮮明になる。そして、時間をかけた末に理解した。
 たった今、1人の女の子の両親が死んだ。
 キーラの知らない所で、最も大切であろう2人の命が失われた。
 言葉の通り、瞬く間に。

 爆発したかのように散乱する肉片は、僅かにまだ揺れている。
 そして、少女の衣服や手足にまで、その血は及んでいた。

「……私が…………殺した……の……?」

 脳が考える前に、意識の外で言葉が紡がれていた。
 その答えは、あり得ないにしろ明確なものだった。
 思考が巡れば巡るほど、少女の腐食した指先が震え出す。
 化け物に襲われ、抵抗が不可能だったのは少女。
 しかし同時に、化け物を殺すことのできる動機と可能性を持ち合わせていたのもまた、少女なのである。
 だがどうして少女は化け物を殺せたのだろうか。
 少女はただ、決意を胸に瞬いただけなのに──

「…………パー……?……マー……?」

 その言葉と同時に、石槍が床に落ちた音がした。
 少女が今最も会いたくない存在が、部屋の扉を開いて佇んでいたのだ。
 この時のキーラの瞳に、一体何が映っていたのか、少女には想像もできない。

「……ち、違うの……!……わ、私は……違う…………」

 その言葉は何を訴えたかったのだろうか。
 保身か、説得か、少女も分からないまま、ただ否定をした。

「……パー……!……マー……! ……どこ……いったんだよ……!」

 目の前の現実を受け入れられないキーラは、何度も何度も、両親を呼ぶ。
 その気持ちに相反して、キーラの瞳からは涙が零れ始めていた。
 少量に抑えていた涙は、徐々に量を増す。

「ぱぁぁ──!! まぁぁ──!!」

 声も震え始め、身体が崩れ落ちる。
 哭するキーラの精神は、既に限界を迎えていた。
 そんな泣き崩れるキーラを、少女は見ていることしかできなかったのだ。

「…………」

 両親を、自分が最も愛していた2人を同時に失った悲哀など、少女には黙って想像することしかできず、理解はできなかった。
 とにかく哭泣するキーラの姿を、痛ましく思うばかりである。

「──なんでぇっ!! なんでころしたぁ!!」

 肉塊の1つを握り、キーラは鋭い視線を向ける。
 2つの意味で、その怒声は少女の耳を痛めた。
 自分にも分からない。状況証拠が語る限り、自分が殺したに違いないが、その殺害方法も、殺害の瞬間も、何も分からない。

「…………ごめん…………分からない……」

 謝罪をして、目を背ける。
 涙を流しながら怒りを曝け出すキーラの眼を見ることなど、少女には到底不可能だった。

「……ゆるさない!! ぜったいにゆるさない!!」

 瞬時に床に落としていた石槍を拾い、照準をこちらへと合わせる。
 その動きに、一切の迷いは無かった。

「──ま、待って!……やめてっ!!」

 しかし、少女は要求を無視して投げられる石槍の先端を見てしまった。
 そして、自身の身体を貫く瞬間を、視覚の遮断によって反射的に拒絶する。

 ──肉が穿たれ、裂ける音。勢いよく液体が繁吹く音。
 凡そ数秒の後で、部屋は沈黙に包まれた。
 既に充満していた血腥い臭いは強烈さを増し、それだけで情景が脳裏に過ぎる。

「………………あ……れ……?」

 慎重な五感の確認は、少女にそのを伝えた。
 封印していた視覚を解放すると、ぼやけた視界のまま、真っ先に自分の胸に突き刺さる黒い棒状の物体を確認する。
 しかし、痛覚──胸には何の痛みも伴っていない。
 そして、視界が鮮明になるにつれ、より詳細な情報が直接少女の脳に送り込まれてくる。

 ──出血をしていない。キーラの両親の返り血により、衣服の一部は紅く染まっているが、胸部はその例から漏れていた。
 更には、目を凝らして見るほど、突き刺さっていたのだと思われた棒状の物体は、少女のしたもののように見えるのだ。
 指先以外は至って健康体の少女は、その棒状の物体を自然と目で辿っていた。

「…………あがっ……はっ……はぁ……」

 その時の光景は、少女の瞳には果たしてどのように映ったのだろうか。

 ──貫かれたのは自分ではなく、節足動物の足のように屈折しうねくる黒い棒状の物体が、キーラを胸を貫いていたという真実。

 少女の想いに呼応するが如く、は現れていたのだ。

「……嘘……嘘……だ……」
 
 少女は死を望まなかった。それは、自分の命のみにならず、キーラとその両親の命もまた同様に。
 先に少女に訪れたのは、本来自分を貫いていたはずの石槍が、柄から穂にかけていとも容易く破壊されていることによる安堵ではなかった。
 正当防衛という都合のいい理由で、徒に3人の命を奪ってしまったことの後悔である。
 少女は決して、元来人の命を重んじずにはいられないというほど、特別優しいわけではない。
 ただ、この血に塗れた部屋と、親孝行を尽くした女の子の悲惨な姿を目の前にして、後悔せずにはいられないだけ。

「…………ぱ……ぁ…………まぁ……あ……」

 棒状の物体がすぐに少女の内に収納されると、凶器が身体から抜けた反動でキーラは血を吐き、くり抜かれたかのように空いた胸の穴をそのままに倒れ込んだ。
 そこから数秒、少女もキーラも、寸分たりとも動くことはなかった。

「……違う……違う…………違う違う!」

 頭を抱え、現実から目を背けるように少女は蹲った。
 どうにも少女の『生きる』という行動には、とても重い代償が付きまとうらしい。
 自らが苦しい思いをするか、相手に苦しみを与えるか、そのどちらかを必要としてしまう。
 今回少女が行ってしまったのは、まさに後者──少女が前世、拒絶し続けた存在と何も変わらない行動である。
 たとえ相手が、自分を捕食しようとした者だろうと、槍で貫こうとした者だろうと、その命を奪い、のうのうと『生きる』ことを選んだのは少女だった。

「……はぁっ……!……はぁっ──!」

 自分の膝で口が塞がっているにも関わらず、荒い呼吸が治まらない。
 は、少女の意思ではないにしろ、少女の意志を代行した。
 だからこそ、少女には自分の罪の所在がどこにあるのか分からなかったのだ。
 過呼吸により、次第に頭は霧がかかるように思考できなくなり、瞼の裏を見ている瞳も、曇り始める。
 いつの間にか身体が横に倒れていたことに少女が気づくまで、そう時間はかからなかった。

 ──そして偶然か否か、曇る視界にぼんやりと、しかしはっきりと、キーラの持っていた石槍の穂が映った。
 冷静を欠き、まともな思考ができない今の少女は、に意味など求めなかった。
 ただ、無意識の意志で、その穂を手に取っていた。

「──はぁっ!……はぁ……!」

 切腹する武士の如く、穂の尖端を自身に向ける。
 償いというわけでも、自暴自棄というわけでもなく、何となくそうしなければならない気がした。
 自分は加害者かどうか、未だに判断がついてはいないが、自分の存在がこの事件の原因である以上、その使命を感じた。

 震える手先を少しでも落ち着かせ、心臓部をよく狙う。
 決意を固めた時の少女には、とても考えられない行動だろう。このまま死ぬのが嫌だった、普通に生きてみたかった。
 その願いが生んだ結末が、これである。

「──ッ!」

 その決意を思い出す前に、少女は穂を引いた。
 自分の人生を、これで終わらせるべきなのだと、その瞬間だけは迷わなかった。
 その後に確実に悔いることになるだろうということも、頭のどこかで理解していた。
 これでいい、これでいい、と何度も言いつけて、無理やり手を動かしたのだ。

 ──少女は少女の人生に、幕を下ろした。

「……………………」

 そこから、暫く少女は動かなかった──動けなかったのだ。

「…………どうして……なの……」

 少女の想いに反発するが如く、は現れた。
 既の所で、物体は穂に絡み付き、そこからの進行を許さなかった。
 力を込めて引き寄せることが、ただの徒労に過ぎないと気づくまで、ものの数秒。
 少女の意志で発動したそれが、今度は少女の意思に反したのだ。
 少女の身体から、力という力が抜けていくのが、ひしひしと伝わってきた。
 穂もどこかへ落とし、絶望に暮れる。この絶望も、どこか懐かしく感じた。

「……もう…………どうしたら…………私は……」

 どうしようもない、という考えは、少女の心を軽くした。それは決して良い意味ではない。
 立ち上がり、部屋を出る。そして、目に入ったのはあのテーブルとイス。
 そのテーブルの片隅に、いつの間にか外されていた淡紫のヘッドホンが寂しそうに放置されている。

 ──この世界にも、自分の座る席は用意されていない。

「……ははっ……はははっ……」

 込み上げてきた笑いは、乾いていた。
 自分の現状が、可笑しくて可笑しくて堪らない。
 絶望して、希望を見つけて絶望する。
 何と波のある贅沢な人生だろうか。
 こんな自分には余りある……それはそれはな人生──

《今期の世界を終了します》

「──えっ……?」

 自分を前世から救ってくれた、懐かしいシステム音声だった。
 同時に、自分をこの世界に陥れた、無機質な諸悪の根源だ。

 ──と、認識した瞬間に、少女の首は熱を帯びた。

「……あ……つ……」

 熱の原因を探ろうと、首元に手を持っていく。
 ──つもりが、次に瞬いた時には床に倒れていた。

「…………ぇ……?」

 声が出ない。腕が動かない。脳もまるで仕事をしない。
 何も分からない。分からない。分からない分からない分からない。

 ──ただ、薄れゆく意識の中、映った景色には、飛び散る鮮明な血色と、小さな女の子がいた。

《異世界転生を開始します》
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