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11.スマイルキラー
しおりを挟む佐奈は走っていた。
社会人になって三年。会社へ向かうのにも走った事が無いのに、今自分史上最速で走っている。
こんなマンガみたいな展開、想像してなかったよ!
昨夜、なんとか無難な一枚を発掘したのは日付の変わった一時過ぎ。さらに合わせる小物を考えるのに小一時間。引き出しの奥底に眠っていた美顔器を引っ張り出し、さらには爪を綺麗にして、寝たのは多分三時過ぎ。
いつもの時間に起きれば十分間に合うのに、佐奈は普通に寝坊した。
待ち合わせ場所は一番近い映画館のある駅。
それは佐奈の最寄り駅から十五分。人が多い主要駅では思うように歩けず、結局待ち合わせ場所へ向かう最後の道を走る事になった。
ちょっとでも早くついて、落ち着いて待ちたい!
そんな願いも虚しく。
五分前に到着した佐奈の目の前には、すでに待ち合わせ相手が立っていた。
「お待たせしました!!」
滑り込むように到着した佐奈に、「急がなくても、まだ時間前だよ?」と、滝川さんが微笑む。
ああっ、朝から眩しい!!
目つぶしを食らったようによろめく。
「映画まで時間あるから、喫茶店入る? それともぶらつく?」そう聞いてくる彼は相変わらず笑顔のまま。
この人、その効果を分かっているのだろうか。
歩美認定の可愛い系イケメンは何故かご機嫌で。このまま道を歩けば、乙女の心臓打ち抜きまくりである。それでも喫茶店に入ろうもんなら、もれなく自分が打ち抜かれてしまいそうなので、佐奈は後者に賛成した。
二人は数ヶ月前にリニューアルオープンした駅ビルへと入った。
「相変わらず女子ファッションは回転早いな」
女性ファッションフロアにて。
しつこいぐらいセールのPOPが立ち並ぶ一角を見て、滝川さんが感心したように言う。
佐奈もキラキラ光る売り場を見て、貴重な、自分でも着れる服を探しながら答える。
「年々地味に早くなっているみたいですよ。だからみんなセール狙いで、六月末はもう残業せずに一直線」
「お目当てを手に入れるためには、他に目もくれずってやつか」
「いや、実際そういう訳にもいかず、結構みんな散財に……」
「店の思うツボだな、それ」
「誘惑が多いんです。特にお正月の福袋と夏のバーゲンは」
「ふぅん、そういうもんか」
一応の理解を得て、二人でなんとなくフロアを眺めながら通り過ぎる。
先程歩こうと決めた佐奈に、「何かみたいモノある?」と聞いてきた滝川さん。
正直何にも考えずに答えた佐奈は咄嗟に「文房具!」と答えていた。一昨日、共通の話題が仕事になってしまうと、苦い顔をした彼はくすりと笑った。「やっぱ、そうなるよな」。はい。そうなります。
エスカレーターで様々な売り場を横目に、滝川さんが振り返った。「色々聞いても良い?」
「はい、答えられる事なら」
「うん。じゃあ、歳は?」
「うわ、それは普通駄目なヤツですよ!」
「知ってる。でも、俺ら歳近いだろ?」
俺は二十四だけどと、言う滝川さん。あ。たしかにと、「わたしは二十三です」と答える。
「やっぱりな。なら敬語はいらない」
「え。でも年上……」
「入社何年目?」
「三年です」
「俺二年」
ほら、どうする? と、言わんばかりの表情で、「じゃあ俺が敬語で……」と言い出した。佐奈は慌てて「お互いなしで!」と被せる。
滝川さんがにこっと笑う。
この人策士。油断せずに行こう。
文房具売り場は十一階にあった。
フロアを書店と半分に分けた状態でも、十分広く、佐奈は久しぶりに来た売り場にあっと目を輝かせる。
「滝川さん! わたし、ちょっとあっち見てきます!」
「え、ああ」
一瞬驚いた顔をした滝川さんを置いて、佐奈は文具売り場を横切ってゆく。
視界にはカラフルな文具コーナーの横に設置された、全体的に黄色っぽい売り場。
佐奈がこよなく愛する、『ピヨ太』のコーナーだ。
ピヨ太とは黄色いひよこのキャラクターだ。
発売当初は鳴かず飛ばずで、きっとひっそりと消えてゆくだろうキャラクターだったのだが、発売一周年記念――おそらく、最後の餞――にセリフ付きメモ、価格百五十円が発売。
ピヨ太の可愛らしい日常と作者の愛も感じられる一言セリフにファンが急増。
もともと小鳥などの小動物は人気になりやすいという要素も相まって、ついに先日、五周年を迎えた。
佐奈はこのピヨ太の最初っからのファンで、グッズのコーナーが縮小されるたびに、がんばれと応援しながら文具を買っていた一人だ。
「アニバーサリーだよ……。おめでとうピヨ太」
こんなに立派になって。
売り場を見つめる佐奈は親鳥のようだ。
佐奈は賑わう売り場に足を踏み入れ、ほんわか癒されながら商品を手に取る。
付箋、ブロックメモ、セリフ付きシール。先日ありがとうをたくさん使ったので、補充も忘れずに。
通常デザインも大好きだけど、アニバーサリーデザインもかなりツボ。
佐奈はうんうん悩みながら、文具を吟味してゆく。
しばらく没頭して、脳内一杯にピヨ太を補充した佐奈。
ご機嫌で会計を済ませ、再び文具売り場を見回した。探し人は近くのペン売り場で様々なデザインを手に取っていた。
「お待たせしました!」
「ん? もういいの?」
「はい! 身体中にピヨ太を補充しました!」
「ピヨ太……?」
勉強熱心な滝川さんも、キャラグッズまでは詳しくないらしい。
佐奈はピヨ太の事を熱心に説明して、それから彼の持っているペンに話題を振った。
滝川さんは定番が定番である理由を改めて考えていたのだとか。やっぱり勉強熱心。
「上達する上で真似は重要だけど、それだけでは決して一番にはなれないからな」
一番。
その意味を正しく理解して頷く。
佐奈には好きだなあと思えるキャラクターがいくつかある。
それでもいざ購入となれば、やっぱり手が伸びるのはピヨ太だけ。それをそのまま考えれば、二番三番の好きは売れない事になる。売れない商品は消えるだけ。
誰かの好きを、一番を、得る事の難しさ。
佐奈達はその得難い好きを目指して、日々仕事をしている。
ペンを握ったまま眺めていた滝川さんが、ハッと顔を上げた。
「ごめん、また仕事の話」
「大丈夫です。わたし仕事大好きですから」
ニッコリ笑って返せば、滝川さんはふっと顔を横に向けて、片手で目元を覆った。
「? どうしましたか?」
「いや……」
口ごもった彼は、一拍の後「また敬語になってる」と、手の隙間からジト目を向けてきた。
「慣れない? 普通にしゃべるの?」
「うーん。そういう訳じゃないんですけど、なんか敬語になっちゃいます」
「じゃあ、敬語一回につき、脇腹くすぐり一回」
「うえ、それは困ります!」
「はい、一回目!!」
「わっ、駄目ですよ!」
「二回目!」
身の危険を感じて身体をよじると、滝川さんが愉快そうに笑う。
それはやっぱり眩しくて。佐奈の心はドキドキ忙しくなる。これは、どう考えても乙女の心臓打ち抜きまくりだ。
「……滝川さんって、殺し屋ですね」
「は?」
「スマイルキラー滝川みたいな。乙女達は皆、心臓に鎖帷子が必須になる感じの」
自分にとって好ましい笑顔の持ち主は一瞬呆気に取られたかと思うと、次の瞬間吹きだした。
「なんだそれ、意味分かんねっ!」
「いま多分五人ぐらいはヤリましたよ」
「ははっ、そんな売れねー芸人みたいな名前の奴に五人!」
「あ、追加で三人」
「最早すごいのか微妙なのか、わかんねーな!」
けらけら笑う少年のような笑顔。
佐奈はそれを身近で見る事が出来て嬉しく思う。だからもう、脇腹を捻るのは止めておく事にした。
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