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5.人の話を聞け!

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 お互いの話し方を確認した後は沈黙だけが流れた。
 そういった空間は時の流れが遅く感じるものだけど、それを除いてもスザンヌ先生の帰りは遅い。
 ……となると。思い浮かぶ事はひとつ。

(またあの子たちスザンヌ先生を捕まえてるのね)

 あたしは恐らく今起こっているだろう事を思い浮かべた。


 トレイに紅茶を乗せて運ぼうとしているスザンヌ先生。
 それを取り囲むようにしてやんちゃをするあの子達。

『こら! まだリサ先生の授業中でしょ? 早く教室に戻りなさい!』
『やーだよー! 先生こそ紅茶なんて入れて、お菓子でも食べるの?』
『まあ! お菓子を食べる時はみんな一緒よ』
『ならお客さんだ!! 見に行くぞー!!』
『おー!!』
『こら! まちなさーい!!』
 
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「…………やばいわ」

 あたしは危機感を覚えた。
 子供嫌いなフェイスリート様の相手に、あの子たちが初めてではハードルが高すぎる。
 最初はもっと、こう、素直な子達から徐々に……

 って、悠長に考えている場合じゃない!

「フェイス……じゃない。フェイ、逃げよう!!」
「? は?」
「説明している時間はないわ! とにかく早く!!」

 あたしは怪訝けげんな表情を浮かべるフェイスリート様の手を取り、辺りを見回す。
 部屋の扉は当然一つ。でも、ここからあの子たちが来る。となれば。

「こっちです!!」
「……って! 窓ですよ!!」
「かまいません!」

 あたしは腰かけていたイスを掴み窓際へと寄せた後、窓を開け放つ。そしてドレスの裾を軽くあげ、イスに飛び乗る。

「……っ!! なんて事を!!」

 フェイスリート様が声を上げるが、事は一刻を争う。
 あたしはそのまま窓枠を踏みつけ、ひらりと中庭に飛び降りる。

「フェイ!! 早く!」

 フェイスリート様が驚いた顔をしている。
 でもそんな事に構ってはいられないので、「早く!」と急かすと、観念して窓から飛び出してきた。
 意外と身のこなしは軽く、一瞬目を奪われる。しかし、今は呑気に見惚れている場合ではない。

「さあ、こっちよ!!」

 あたしは再びフェイスリート様の手を取り走る。
 中庭を横断するように走り抜け、今居た場所とちょうど反対側の建物に入る。
 そして左右を確認し、誰もいない事を見届けると窓よりも姿勢を低くして座り込んだ。

「……ビアンカ嬢」
「とりあえず、ここに隠れて……ああ! ここだとリサ先生に……」
「……あの」
「いやいや、待って。このまま時間を……」
「話を……」
「ちょっと待って! 今忙しい!!」
「…………」

 あたしはフル回転で正解ルートをはじき出す。

(あの子たちは真っすぐスザンヌ先生の部屋に来て、誰もいない時点で首を傾げる。……で、窓を見て……)

「ああっ!!」
「どうしました!?」
「窓閉めるの忘れたぁっ!!」
「…………ホントに話が見えないんですが」

 頭を抱えたあたしに呆れ声が振りかかり、ようやく我に返った。

「すみません! フェイスリート様!!」
「名前」
「すいません! フェイ!!」
「とにかく説明してください、ビアンカ嬢」

 あたしはとりあえず、ある人・・・から逃げている事を簡潔に説明する。もちろん、その人物がやんちゃ坊主であるという事は伏せつつ。
 すると、フェイスリート様が「……大体読めてきました」と言った。

「ほ、ほんと?」
「ええ。でも一応聞いておこうと思います」

 フェイスリート様が目をすぅっと細めた。
 蒼い瞳は一層暗くなり、一切の感情を排した表情を浮かべる。
 そして「貴女は、私をどこに連れて来たんだ?」と、言葉を発した。

 心が凍ってしまうような冷たい視線は呼吸を奪う。
 息を呑み、その視線に晒されながらも、あたしはフェイスリート様を見つめた。

 ……と。その時。


「「「みつけたー!!!」」」


 可愛らしい声が重なって聞こえた。
 慌てて振り返ると廊下の曲がり角からぴょこんっと、頭が三つ顔を出していた。

 やばい! もう気付いた!!
 子供の学習力はすごいな! あたしが窓を使う事なんてもう解っていたんだ!

 姿を見られてしまったら逃亡確率がぐっと下がってしまう。
 それに子供達は足が早いので、ドレスのあたしが逃げるのは結構大変。
 でも、当然諦めたりはしない。

「ウォルト! ハンス! ビクトール! あたし達を捕まえてみなさい!」

 あおるように子供達の名前を呼び、フェイスリート様を振り返る。
 しかし彼は口をキュッと引き結び、視線は子供達と逆方向を見ていた。

「フェイ! 行こう!!」
「貴女一人でいけばいいでしょう」
「どうして!」
「私には関係ない」
「そんな!」

 フェイスリート様はこちらを見てはくれない。
 それどころか立ち上がってくれる気配も無く、腕を掴んでみても全く反応を示さない。そのせいか片腕を持ち上げただけなのに、その腕はやけに重かった。

「フェイ!!」
「関係ないと言っているだろ!!」

 いきなり強い口調で言われてビクッと震えた。
 怯えたとかそういう事じゃなくて条件反射。
 でも、フェイスリート様はそうは思わなかったようで、「すまない……」と謝ってくれた。

 お互いの間に気まずい空気が流れる。しかし。


「「「ビアンカ捕まえたっ!!」」」


 と、三人の声が聞こえ、その空気を吹き飛ばした。

「なんだ。あっけないぞ、ビアンカ。折角、先回りしといたのに」
「そうだぞ、ビアンカ。これじゃあ、つまらないじゃないか」
「それとも、今日はドレスだから逃げられないっていい訳するの? 大人なのに?」

 三人はあたしを見上げるように囲み、口々に言いたい事を言い放っている。
 そして、あたしの後ろにいたフェイスリート様に気が付いた。

「うわ!! ビアンカが男連れだ!!」
「あ、ありえない!! ビアンカと一緒にいるのは、ジェイスとトーマとカインと……!」
「明日は、雨ですかね?」

 ヒドイ言われようだ。
 この子たちからの評価はこんなもんなんだな……。
 ちょっとウルっときたよ。

 ちなみにジェイスは父様、トーマは弟、カインは庭師である。

「ねえ、おじさん! ビアンカの恋人なの?」
「ビアンカはお転婆だから、大変だよ。おじさん!!」
「この間はドレスのまま池に落ちましたね」

「ちょっと!! 何言ってるの!! ウォルト!!
 あとハンス!! なにあたしの保護者面してんのよ!
 そしてビクトール!! なにこっそりバラしてんのよ!! 内緒って言ったじゃない!」

「そ・れ・に!! 
 初めて会う方に名前も名乗らず、あまつさえは『おじさん』呼ばわりするなんて!」

 あたしが言い返すと三人はお互いの顔を見合わせニッと笑った。

「「「じゃあ紹介してよ、ビアンカ」」」

 息を揃えたようにやんちゃ三人組み――もとい、三兄弟 ――は言った。
 三人は全く似ていないが、こういう瞬間に兄弟だなって思う。

「えっと、この人は……って、フェイ!!」

 やんちゃ三人組に言われるままフェイスリート様を紹介しようとしたら、なんと! 彼は元来た道をスタスタ歩いているではないか。

(い、いつのまに!!)

 あたしは慌ててフェイスリート様を追いかけた。
 背後から「振られてるー!」「しょうがねーなービアンカ」「ビアンカにはおじさんは無理ですね」などと、突っ込みたいようなコメントが寄せられているが、まずはフェイスリート様を止めるが先決。

「フェイ!! 待って!!」

 声をかけ腕を掴むと、フェイスリート様があたしを見下ろすように視線を向ける。
 ヒヤリ。と、寒くないはずなのに背筋が冷たかった。

 これは……嫌悪だ。
 ありったけの嫌悪感を向けられている。それがはっきりと分かった。

「どうして……そんなに拒絶されるのですか?」

 あたしが嫌われるのはいい。でも、どうしても子供達を好きになって欲しかった。

「貴女には関係ないと言ったはずです」

 同じ事を言われた先程は、『お見合中なのに!』と食い下がったが、もうお断りが決まっているあたしには全くその通り。だから、あたしには返す言葉がなかった。
 無理やり連れて来て、子供好きにさせようという事自体が無謀だったのかもしれない。
 そう考えれば、あたしにフェイスリート様を引き止める力など……

 目の前が少しぼやけた。
 景色が輪郭りんかくを失い、ゆらゆらと視界をにじませる。
 ああ、ダメダメ。それは、反則だから。絶対にこぼしちゃダメ。


「「「 待って!!!」」」


 ハモッた声が後ろから聞こえた。
 振り返ると三人が中庭へなだれ込んで来るではないか。

「おれ……僕はウォルト。さっきは冷やかしてごめんなさい」
「ごめんなさい、おじさんなんて言って……僕、ハンスって言います」
「ビクトールです。怒らせたなら謝ります。ごめんなさい、お兄さん」

 あたしは静かに目を閉じた。
 三人ともちゃんとわかってる。
 自分が悪いと思ったなら、きちんと謝る。それは簡単そうに見えて、とても難しい。

(やっぱり、みんないい子……!!)

 改めて感動し、また視界が滲みかける。
 困った涙腺るいせんかつを入れるように、皆から見えないところをつねってみる。
 しかし滲んだ視界は元には戻らず、視線を上に向けなんとか誤魔化そうと頑張ってみた。しかし。

「「「 あー!! ビアンカが泣いてる!!」」」
「やだ! 泣いてなんか!!」

 子供たちの洞察力は鋭い。
 もっと涙を散らす良い方法を考えておかないと、からかわれてしまう……って、そもそもまだ流れてないからセーフでしょう!

「涙もろいな、ビアンカ! 歳だな」
「俺達がいい子すぎて感動した?」
「まあ、そうでしょう。僕らほどいい子なんてここにいませんからね」

 さっきまでのしおらしさはどこへやら。
 口々に言いたい事を言う、減らず口はあっさりと復活していた。

「ア・ン・タ・達!! いい加減にしなさい! 大人をからかうんじゃありません!!」
「え? 大人ってどこ?」
「ビアンカは俺達と一緒だろ?」
「まあ、ドレスで池に落ちる大人はいませんね」

 三人は顔を見合わせ笑った。
 くぅー!! このクソガキ!!
 あたしの感動を返せ!!

 あたしがやんちゃ坊主たちに向かって口を開こうとしたら「……ふっ」と、三人とは違う声が聞こえた。
 驚いて顔を上げるとフェイスリート様が口元を押さえて笑っているではないか。
 声を押し殺してはいたけど、確かに笑っている!

「フェイ……!!」

 あたしは嬉しくなってフェイスリート様の手を握った。
 すると彼はハッと気付いたようにあたしを見て、顔を背けるようにして視線を逸らす。
 その様子は秘密にしていた事がばれてしまった子供のようだった。

「……フェイ、今日一日あたしに付き合ってくれませんか?」

 あたしは勇気を出して言ってみる。
 少しでも笑ってくれたフェイスリート様を見たら、やっぱり諦めきれなかった。

 『子供好きにする』

 そこまではいかなくても、きっと『大嫌い』からは抜け出せると確信したから。

 フェイスリート様がゆっくりと視線を戻してくれる。
 その表情は先程までの無表情ではなく、少し迷惑そうな顔だったけれど、あたしはじっと彼を見つめた。
 まるで懇願こんがんするように見つめ返すあたしに、フェイスリート様が溜息をつく。

「……今日一日だけですよ」

 ポツリとつぶやかれた言葉に嬉しくなって、あたしは「はい!」と満面の笑みで返事をした。



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