メフィストフェレスの心中

まさみ

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八話

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「はぁっ……時任それ、変な感じだ」
「顔を隠すな」
片手で目元を遮ろうとしたら、容赦なく引っぺがされる。
時任は誰とでも自堕落に関係を結ぶ。俺に手を出したのは興味本位だ。拒もうと思えば拒めたのにそうしなかったのは、コイツの求めに一筋の希望を見出していたから。
時任の手は俺に惜しみない快楽を与えてくれる。
あの時任彼方の手が。自由自在に鍵盤を弾きこなす素晴らしい演奏を紡ぎ出す手が、俺の身体の裏表をまさぐって奉仕を施す。
俺は今、コイツを独占している。優位に立っている。
誰もが天才と憧れ羨む時任彼方のこんな淫らでぶざまな姿を見れるのは世界に俺だけ、俺の特権だ。
「今日は趣向を変えてみるか」
時任が黒い布を持ち出した時も、頷くよりほかなかった。
「お前は理性が強いからなかなか正直になれない、目を閉じても途中で開く癖がある。なら目隠ししてしまえばいい」
「変なことするんじゃないだろうな」
「疑うのか?心外だな、これまで尽くしてやったのに」
「それはそうだが」
「もっと気持ちよくなれるんだぞ、遥」
「…………」
「嫌なら帰るか。別に止めない、好きにしろ。だがよく考えろ、俺たちの関係がばれたら困るのはどっちだ。今さらスキャンダルの一個二個どうでもいいんだ俺は、お前はどうだ、吹っ切れるか?就職にも障るかもな」
「脅すのか」
「諭してるんだよ」
時任は俺の操縦法をよく心得ていた。時任との関係がばれて不利益を被るのは願い下げだ。

時任は主、俺は従。
二人の間には歪な主従関係ができあがっていた。
行為中の時任はひたすら俺に尽くし、俺は快楽を享受するが、一方で保身の弱みから脅迫まがいの頼みを断りきれず、どんどん倒錯の色を強めていく要求に応じざるえない。

ずるずると関係を続け、ずぶずぶ泥沼にはまっていく。

「……終わったらすぐとれよ」
視界に布裏の暗闇が被さる。視覚を奪われ不安が兆す。自由意志で開け閉めできる瞼と違い、光を遮断された心許なさはすごい。
時任が頭の後ろで布を縛り、俺の腕を掴んでどこぞへ誘導する。躓かないようゆっくりと歩き、腕を引かれて椅子に掛ける。ピアノの前に連れてこられた。
「時任、何を」
「力を抜け」
「ここでやるのか」
椅子の脚が床をひっかく音。時任が椅子を移動させ、ピアノの前面にぴたりとくっ付ける。背中にピアノの冷たく固い感触。時任の手が裸の股間にもぐりこみ、萎えたペニスをまさぐりだす。
「ッ……は……」
背中にピアノを感じる。
ピアノを弾く時任の幻影が瞼裏に浮かぶ。
現実と妄想、二重に犯される。
シャツとズボンの前をはだけたまま、椅子を掴んで時任の舌と手に乱される。爪先を窄めて開き、胸板を舐め回す舌に仰け反り、股間をもみほぐす手に息だけで喘ぐ。
床に跪いたらしい時任が、股に顔を突っ込んで舌を使いだす。
「!よせ」
「気にしなくていい、好きでやるんだ」
熱く潤んだ粘膜がペニスを飲みこむ。革張りの椅子に白く強張る指が食い込み、身体が硬直する。
目隠しの向こうでしめやかな衣擦れの音と荒い息遣い、唾液を捏ねる淫猥な水音が響く。
「強情だな、掴まる物が間違ってるぞ」
「いい、から、早くしてくれっ、もたない」
目隠しされた目が蒸れて気持ち悪い。
闇が閉ざす視界に発狂しそうになる。
時任の椅子で、時任のピアノの前で、時任に犯されている。その事実が俺をたまらなく興奮させ、ペニスを固くさせていく。
「じらすなよ、さっさとイかせてくれ」
汗と涙で薄っぺらい布が不快に湿り、べっとりと顔に張り付く。
嗚咽するような声でねだり、椅子に手を食いこませて懇願すれば、時任がやっと動きを再開しラストスパート。
「っぁあ」
「目隠しした方が反応いいな。次からはこうするか」

時任。
俺のメフィストフェレス。
洗面台の鏡を覗いても肩越しに亡霊が映りこんだりはしない。
壁に嵌め込まれた鏡に手をかざし、窶れた顔をなでて呟く。
「どっちが死人かわからないな」
葬儀の日を思い出す。棺の中の時任をまともに見れなかった。見る資格がなかった。
洗面所を抜けてリビングへ戻れば、蓋が開いた棺にも似たグランドピアノが待ち受ける。
壁際に片膝立て座り込み、目を閉じて回想を続ける。

大学を卒業してからも俺達の関係はずるずる続いた。

「お前はピアノ一本でやってくんだろ」
「そうだな。他にできることもないし」
「謙遜だか卑下だか。ああ嫌味か、気付かなくてすまない」
「毒舌だな。遥は心療クリニックのカウンセラーか」
「ちょうど空きがでてな、拾ってもらえてよかった」
「たまにはコンサート聴きに来い、チケットは友人割引でくれてやる」
「殆ど海外だろ、費用が馬鹿にならないよ」

大学四年間、俺と時任は関係を持ち続けた。
傍目にはただの不似合いな友人同士に映ったろうが、時任の部屋を訪れる都度俺はアイツに手ほどきを受け、何度もイかされるはめになった。

が、卒業してからはそうもいかない。
時任は世界中を股にかけコンサート活動を行い、俺はクリニックの仕事が多忙で、顔を合わせる機会はどんどん減っていた。

それでよかった。
それがよかった。
正直俺は怖かった。

大学を卒業してからも時任と関係を持ち続けることが、アイツのわがままに振り回される事が、気まぐれに人生を食い潰される事が。
このまま距離をとって自然消滅すれば、若い頃の過ちとして忘れ去れるかもしれないとまで考えた。

腐れ縁を断ち切りたい。
時任の束縛から逃れたい。
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