メフィストフェレスの心中

まさみ

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三話

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遥にちょっかいをかける傍ら、俺は大学の内外で色んなヤツと関係を持った。
その日マンションに連れ込んだのは、よく遊ぶジャズバーで知り合った自称シンガーソングライターだ。
「時任彼方がバイセクシャルってのはホントだったんだな、男も女もおかまいなしか。こないだのコンサート見たよ」
「チケットとれたのか?すぐ完売したはずだが」
「動画サイトにアップされてた」
「なんだただ見かよ」
「今日は生で聴かせてくれるか?それか俺の曲弾いて、お前のCD出してるトコに紹介してくれ」
とるにたらない軽薄な男だ。俺の顔と身体、コネめあてに近付いてきたのは明白だ。別にそれでかまわない、気持ちよくしてくれれば文句はない。
独り暮らしのマンションの部屋、練習室を兼ねたリビングには実家から持ちこんだグランドピアノがおいてある。物心付いた時から一緒だった、兄弟のような存在だ。
音楽を虚栄心の踏み台にする人間には邪魔でしかない。
「すっげ高そー。いくらすんの?」
「さあな。四桁か」
「マジ!?」
リビングに足を踏み入れた男の第一声だ。語彙の少なさに反比例し感嘆符が多い。俺は先行して椅子に座り、シャツのボタンを上から外していく。
「どっちが上になる?」
「じゃあ俺が。時任彼方を抱けるチャンスなんてめったにないからな」
男が生唾を飲んで歩み寄る。コイツに俺を弾きこなすのは無理そうだな、と頭の片隅の冷めた理性で惜しむ。男が俺を立たせて椅子に座り、シャツをはだけて脇腹をまさぐる。汗で湿ったてのひらが胸の突起をひっかいてぞくぞくする。
「ピアノでヤるなんて初めてだ、すげー興奮する。いい趣味してんな」
「汚したら弁償だぞ」
「おっかねえ」
抱かれるほうも抱くほうもどちらもこなす。男役も女役も柔軟に対応する。俺はわかりやすい快楽主義者で、気持ちいいか否かが行動の全てを決定する。男の手が身体に伸びてあちこちをまさぐりだす。
薄く目を瞑り前戯に集中、瞼の裏に今まで寝てきたヤツらの顔を思い描く。最初の教師、同級生、担任、ファン……『お前が誘ったんだ』『君が悪いんだ』『演奏を聴いてると昂って』『おかしくなる』
俺の演奏は麻薬だ。素人には刺激が強すぎる。
「あッぁ、あッはぁ」
熱っぽい吐息をだしてよがる。椅子に掛けた男の膝に跨り、背中をピアノに打ち付ける。赤黒い怒張が尻に埋まり、頭の中の五線譜が真っ白になっていく。
やっぱりピアノの上でするのが一番感じる。コイツと俺は一心同体だ。壊れたってかまうもんか所詮同じ穴のむじなだ、気持ちよければそれが全てだ。
「ッふっ、ッあぁっ、そこ、気持ちいい。もっとしてくれ」
「イイ声だすな、中もドロドロだ」
ピアノの蓋に乗り上げて快楽をねだる。俺の股間に屹立するペニス、鈴口から迸った精液がぱたぱたと蓋に飛び散る。目の前の男の顔が何故か遥にすりかわり、アイツを犯しながら犯されているような、奇妙な錯覚に興奮がいや増す。
「あっ……ふ」
「っ、すごい締まる……気持ちいいか彼方?」
「ああ、あっ、そこ、すごくいい……おかしくなりそうだ」
男と遥が二重になる。
繋いだ腰の動きがまた速くなりピアノがギシギシ軋む。気持ちよすぎて思考が濁る。
「こんな姿、ファンやマスコミには見せられない、なっ」
「リベンジポルノはよせよ、炎上する」
「ピアノの上で抱かれるのが好きなのかよ、変態め」
「こっちの方が興奮するだろ」
視線を感じて振り返る。廊下に遥が立っていた。愕然としている。そろそろ来る頃だと思っていた。ドアの嵌めガラス越しに流し目を送り、視線を絡めとって唇を引っ張る。不敵な弧を描く口元と眼差しに遥がうろたえ、あとじさった拍子にスリッパ立てに蹴っ躓く。
「誰だ!?」
「友達だよ。まざるか」
「時任!」
遥が苛立たしげに叫ぶ。第三者の介入にさすがにバツが悪くなったか、そそくさと服を着替えた男が逃げ出していく。
「またメールするわ」
すれちがいざまの男を冷ややかに見る遥。俺はジーンズ一枚だけ身に付けてピアノにもたれる。
「9時には行くってメールしたろ」
「生憎取り込み中でな」
「嘘吐け」
遥が怒るのは当たり前だ。そろそろ来る頃だろうと思ってあらかじめ鍵をかけずにおいたのだ。
「女役なのか」
「どっちもイケる。今日はたまたま抱かれたい気分だった」
男同士のセックスを初めて目撃したにしてはすぐ平常心を取り戻し、俺の非常識を咎める遥が面白く、軽い口調でからかってやる。
憤然とリビングに来た遥がピアノを一瞥、ポケットからティッシュをまとめて掴みだすや、さも忌々しそうに蓋に点じた白濁を拭いとる。
「ピアノの上で……汚したらどうするんだ」
少し驚いた。
他人の精液なんて汚い物を、コイツが拭き取るとは想像しなかった。同じ立場なら俺すら拭くのをためらうのに。
ピアノを粗末に扱ったのが恥ずかしくなるほど、遥の手付きは丁寧だった。ガラスの結露を拭うような、意図せずあざやかな自然さ。
「こんなのはただの道具だ。大事なのは弾く人間」
ピアノに嫉妬する心の働きが不可解だった。本心をごまかす雑さでピアノを叩けば、ティッシュをくずかごに捨てた遥が複雑そうな顔をする。
「機嫌を直せ。聴いてくだろ」
飄々とうそぶいて蓋を開けると、納得しきれないものの立ち去りがたい表情で遥が隣にやってくる。
「……ああ」
逃げる恋人を追いもしなかった癖に、俺が弾くピアノには未練たらたらな様子がおかしくもいじらしく、心をこめて一曲弾いた。

それからというもの、遥にセックスを見せるのが癖になった。
俺がしてるところを見せると遥はいい顔をする。とてもそそる顔だ。演奏とセックスは常にセットだった。遥が部屋を訪れる都度、俺は誰かを抱いていた。たまには抱かれることもあった。
倒錯した情事を見せ付けられた遥はどんな顔をしたらいいか迷い、帰るべきか居残るべきか悩み、事が終わるまで廊下に延々立ち尽くす羽目になる。
ドアの向こうで待ち惚ける遥が可愛くて、俺の遊びはどんどんエスカレートしていった。
俺のことが嫌いなくせにピアノを聞かせると言えば黙って付いてくる遥。ご褒美がほしいのだ。動画サイトの演奏じゃ物足りない、一度生で聴けば虜になる、それが時任彼方のピアノの本質だ。何回もくり返しピアノを聴かせるうちにアイツの耳はすっかり俺好みに調教され、精神からどっぷり毒されてしまった。
「これが本物の『熱情』だ」
「動画とは別物だな」
「当たり前だ、もっと近くにこい」
「パーソナルスペースはいいのか」
「俺とピアノは一心同体だからな。お前が蓋に座っても構わない」
「蓋に座ったら開かないだろ」
「言えてる」
演奏中はお互い言葉少ない。余計な会話はせず、俺は弾くのに集中し遥は聴くのに集中する。
遥に演奏を聴かせるのは官能的なひとときだった。心地よさそうに目を閉じて部屋を満たす旋律に身を委ねる遥。大学では見せない顔を独り占めする優越感。たまにごく淡く微笑が浮かぶ自覚があるのかないのか、そんな時はとても優しい顔をしていた。
会話はいらない。演奏中は鍵盤だけを見詰める。なのにくり返し隣を盗み見るのをやめられない。
遥の顔に微笑が過る貴重な瞬間を見逃したくなくて、その瞬間はまるでこっちがご褒美をもらえたみたいで、演奏が陽気に弾んだ。
『知ってる?斑鳩くんて勃たないんだよ、どんな子と付き合ってもデキないの』
『ホントに人を好きになったことないんだよ、きっと』
『心が冷たいんだ』
本当だろうか。取り巻き連中は好き勝手に言うが、隣で安らぐ遥を見ているととてもそうは思えない。俺のメフィストフェレスは穏やかな表情で演奏に聞き入り、一番気に入りのパートでは、無意識に指で脚を叩いてリズムをとる。
キスがしたいと思った。
だが演奏を途中でやめられない。プロが演奏を途切れさせるなど失格だ。演奏が終わるまで鍵盤から手を離せない代わりに、今この瞬間一番近くにいる遥を目の端で堪能する。
俺だけが知ってる、俺だけの遥。
ある日女を連れ込んで犯していると、玄関の扉を開けて遥がやってきた。
「あっあぁ、彼方ァすごいい、ィくっ、あぁっあ――ッ!」
気まずそうに顔をしかめ、ドアの向こうにたたずむ遥に一部始終を見せ付ける。
はしたない声を上げて果てた女に興味を失い、ミネラルウォーターのボトルを持って廊下にでれば、小一時間待ち惚けをくらった友人に早速皮肉を言われる。
「出直した方がいいか。あれじゃ身支度に時間がかかるだろ」
「いや。すぐ追い出す」
事が済んだら邪魔なだけだ。遥が何か言いたそうに口を開き、諦めて黙り込む。嫌な予感がした。毎日のように待ち惚けを食らい続けて溜め込んだ不満が沸点に達し、遥が踵を返す。
「やっぱり今日は……」
帰したくない。今帰したら意味がない。
咄嗟に手が伸びて、遥のズボンの中心をまさぐっていた。
「勃ってないな」
「ふざけるな!!」
普段の遥からは想像もできない過激な反応を示し、凄まじい勢いで手をふりほどく。
「怒るなよ、あんまり平然としてるから試したくなったんだ」
「覗きで興奮するわけないだろ」
「不能なのか?」
侮辱を受けて耳たぶまで赤くなる。
ああ、いい。
もっとコイツの顔を歪めたい、ぐちゃぐちゃにしたい、どうしようもなく辱めたい。
もっと狂え、もっとあがけ、俺と俺の演奏でおかしくなってしまえ。
感情を出した遥の顔はいい色に染まる。とてもそそる顔だ。
廊下で対峙した遥を底意地悪く嘲弄する。
「お前と別れた女たちが言っていた。大事な時に勃たなかったんだろ」
露悪的で嗜虐的な気分に拍車がかかる。一瞬だけ遥の顔が泣きそうに歪み、すぐまた鉄面皮の下に感情のブレを閉じ込める。
「……ほっといてくれ」
「待てよ」
きっぱりした拒絶を放ち、玄関へ赴く遥を引き止める。
「からかったのは謝る。例の噂を聞いて、本当かどうか気になったんだ」
「だったら直接聞けよ、なんでわざわざ見せ付けるようなまねしたんだ。お前が男や女と手あたり次第にしてるところを見て、ちゃんと勃ったら満足なのか」
眼鏡の奥の切れ長の瞳が揺れる。やりきれない表情にたまらなく嗜虐心が疼く。俺のメフィストフェレス。
「気付いてないのか遥」
「何をだよ」
「俺の演奏を聞いてるとき自分がどんな顔してるか」
おもむろに間合いを詰め、背けようとした顔を手挟んで固定する。
眼鏡のレンズの奥の気弱な瞳を覗き込み、囁く。
「すごくそそる顔だよ」
これまで抱いてきたどんな女よりも、あるいは男よりも欲情をかきたてる顔。すぐさま手を振りほどき玄関から駆け去る背中を黙って見送る。
自分が不毛な恋をしていると、この時初めて気付いた。
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