メフィストフェレスの心中

まさみ

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五話

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遥の口から告白された時、どう返せばいいかわからなかった。仕方なく無難な回答をする。
「医者に診せたのか」
「どこへ行けっていうんだ、精神科か?心と体どっちに異常があるんだよ。男も女も誰も好きになれない俺はおかしいんですか、結婚はおろか子供も作れず一生独りで過ごすんですか、なんとかしてください先生って縋ればいいのかよ」
俺は何もわかっちゃいなかった。遥の苦悩の深さや孤独も、今まで耐えてきた疎外感すら本当の意味では理解していなかった。
俺の性的嗜好を分類するならバイセクシャルだ。
男でも女でも奔放に関係を結ぶし、セックスは最高の娯楽と定義している。遥はアセクシャルと自己申告する。両者の溝がどれほど深いか、この時は何もわかっちゃいなかった。
「……思春期に入ってからその手の情報をあさった。一口にアセクシャルと言っても色々いる。普通に誰かを好きになるけどしたくないできない人間、誰も好きにならずできないしたくない人間……俺は後者だ。どんな子と付き合っても、その子がどんなに露骨なことをしても、全然ヤりたくならないんだ。身体が反応しない」
俯き加減に訥々と語る遥。横顔に苦悩の翳りがさす。
友人が本気で悩んで秘密を打ち明けてくれたのに、その顔に欲情していたのだから手に負えない。

同情より劣情を。
愛情より欲情を。

くだらない世の中の輪をかけてくだらない常識に固執するこの顔が、歪むところが見たい。
俺の手で歪ませたい。

「もともと結婚や子供に興味はない。幸か不幸か一人が苦にならないタイプだ。だけどな時任、自分の意志でそれを蹴るのと、最初から選択の権利が奪われてるのは全く別だよ」

めちゃくちゃにしたい。
ぐちゃぐちゃにしたい。
お前の顔が歪むところをもっと見たい。

「求めには応じる。望まれたら与える。ずっとそうやって生きてきた、そうする以外ほかなかった。俺自身が他人に何も望まず求めないなら受け身でいくしかないじゃないか、それがそんなに悪いことか、誰とでも寝れるお前やフツウにご立派な世間に嗤われなきゃいけないことなのか」

遥は器用に見えて不器用だ、上手くやってるようで全然やれてない。
コイツは潔癖すぎてマジョリティに属せないことを罪悪のように考えている。
アセクシャルならアセクシャルでそれを認めて好きに生きればいい、自分を肯定して好きに生きればいい。後ろめたく思う必要なんて全くないのに。

「普通じゃない。おかしいんだきっと」

せっかく巻いてやった包帯が力の入れすぎで赤く染まる。
普通になりたがるくせに同じ磁力で特別に憧れる遥。
ただ一人秘密を打ち明けられた恍惚感に酔い痴れ、念願叶って弱みを掴んだ優越感に酔いしれ、生真面目な遥が不憫で、ままならなさがもどかしくて、俺は囁く。
「遥、マスターベーションの経験はあるか」
遥がぎょっとする。当たり前だ。
「俺も一応男だからな。あるよ」
「ちゃんとできたのか」
「ああ……刺激すればちゃんと反応する、生理現象さ」
「何を想像しながらやった」
「何も。目を瞑ってひたすら手を動かすのに集中する、ただの作業で苦行だよ。普通なら好きな子の顔を思い浮かべてするんだろうな。芸能人でもいい、理想の異性を……同性を思い描いて」
「手伝ってもらった事は」
「話聞いてたか?言える訳ないだろ、本気で怒るぞ」
「怖がるな。目を閉じてリラックスしろ。一人でするときは何を考えてるんだ」
「何も考えてない」
「本当か?」
メフィストフェレスに囁く。
「完全に頭をからっぽにするのは難しい。何も考えない為に何かしてるだろ」
遥の太腿にそっと手をおき、徐徐に付け根へと移していく。
とうとう遥は白状した。
「……頭の中で音楽を流してる」
言質をとった。叫び出したいほどの歓喜。俺の調教は実を結んだ、斑鳩遥は音に欲情する変態に堕とされた。
「目を瞑れ遥。俺の手だけ感じてろ」
「離せ」
「動くと傷に響く」
利き手が使えないのをいいことに遥を蹂躙する。ねっとり股間を捏ね回してズボン越しに摩擦すれば、切なげに眉間を歪め、次第に息を荒げていく。艶っぽい表情の変化に生唾を飲む。俺だけが知ってる斑鳩遥、本当の遥。
「気持ちいいか」
「……ッぐ」
「固くなってきたぞ」
「時任っ、よせ、も……」
「勃ってるじゃないか」
眼鏡の奥でぎりぎり眇めた目に苦痛と快楽が瞬く。額に滲む脂汗が髪の毛を濡らす。奉仕の継続を拒む片手の抵抗は弱々しすぎて、ねだっているようにしか見えない。
「頭の中で音楽を流しておけ」
お前の潔癖な顔を歪めたい。
ズボンの前を寛げ、下着を脱がしてペニスをさらす。
「あっ、ぅっく、ァあ」
遥。俺の遥。可哀想で可愛いお前。
潔癖な顔を羞恥と快楽に染めて喘ぐ、俺の手と幻聴に振り回されて悪あがく、眉間に寄る皺も仰け反る咽喉もズレた眼鏡も全てが愛おしい、愛おしすぎて壊してやりたい。手が離せないのが残念だ、ピアノを弾いてやりたいのに。
理性の箍がいともたやすく弾け飛び、遥自身を手掴みでしごく。
「もっ、許せ、だす」
遥が呻いてぱたぱたと白濁が散る。淡白な顔に似合わず濃い精液……相当たまってたのか。
「偉いな遥。たくさん出たじゃないか」
汗でしっとり湿った頬を手で包んで褒めてやる。
遥は呆然としていた。目は虚ろで身体は弛緩、自分の身体に裏切られた絶望の表情。
「……こんな……異常だ」
「おかしくない。ちゃんと勃ったんだぞ、喜べよ。お前の身体は俺の手に欲情するんだ。俺ならお前を最高に気持ちよくしてやれる、何度だって絶頂にいかせてやれるんだ」
身体の変化を持て余して途方に暮れる遥に接近、頭の中でメトロノームを鳴らして暗示をかける。
「落ち着け遥、もっと割り切って考えろ。俺はお前が気持ちよくなる手伝いをしたい、お前は普通になりたい。じゃあいいじゃないか、俺の手なら問題なくイケるんだ。わかるか、反復練習だよ。ピアノだって基礎の繰り返しが大事だ、身体に条件反射を覚え込ませればいずれ他の子ともできるようになるかもしれない」
大嘘だ。
遥はだれにも渡さない。
俺だけの物だ。

あの夜から俺達の関係は決定的に変わってしまった。
「部屋で待ってる」
「わかった。シャワーを浴びてから行く」
「うちのを使えばいい」
「線引きは大事だろ」
あの日から遥は何かを諦めた。体面を繕うのをやめた、と言い換えてもいい。
「身体は好きに使え。でも挿れないでくれ」
「どうして。怖いのか」
「汚いじゃないか」
その一点さえ守れば、遥はとても従順だった。
聡明なアイツが俺のでまかせを鵜呑みにしたはずがない。一方で詭弁にさえ縋りたいほど追い込まれていたのだ。
遥は普通になりたい。故に普通から外れることはしたくない。筋は通っている。
毎日大学で顔を会わせる遥がどんな色っぽい顔で喘ぐか他の誰も知らない、どんな艶っぽい声で泣くか誰も知らない、俺と遥だけの秘密だ。
約束を破ればばらすと脅した。遥は全部受け入れた。
どんなに忙しくても最低週一、部屋にやってくる遥を好きにもてあそんだ。
アイツは音楽に欲情する。俺の手とピアノに興奮する。
「あっ、ぁッあ、っく、ときとッよせ」
まるでパブロフの犬だ。もてあそんでいる間は手が離せないので大音量でレコードをかけた。遥がイくまで演奏が何回リピートするか、賭けて遊んだこともある。
「今日は3回。結構もったほうだな、喜べよ」
「っは……は……」
回数を重ねるごと遥の目と心が死んでいく。目隠しを持ち出せば冷静な顔が強張った。視覚を奪われる恐怖には慣れないらしい。
色んなことを試した。色んなことに挑戦した。目隠しをした方が反応がいいのがわかった。
「外せ時任……」
「もっと頑張れるだろ」
ピアノの上で犯すのが一番興奮した。俺と一緒だ。服は脱がさず椅子に座らせ、ピアノに寄りかからせてフェラチオをする。無理矢理開かせた脚の間に跪き、股ぐらに顔を突っ込んでしゃぶる。
遥はとても頑固だ。行為中も絶対に縋り付いてこない。俺の首ったまにかじり付いてこないか期待したが、革張りの椅子に白く強張る指をめりこませて耐えぬいた。
「っは……熱……」
爪先を窄めて開き、また閉じてこみ上げる快感の荒波をやりすごす。目隠しで顔の上半分を覆っていても、表情が切なく歪むのがよくわかる。
今すぐ目隠しをとって素顔を暴きたい。もっともっとめちゃくちゃにしたい。
コイツは俺の音楽に隷属してる。
「ピアノを汚しちゃだめじゃないか、遥」
「してないぞ……」
「嘘を吐け。蓋をさわってみろ、お前の出した物でぬれてるだろ」
宙をさまよう手をとって蓋に導き、わざと白濁を拭わせる。耳たぶまで赤らめて唇を噛むのが愛しくて、もっともっと酷くしたくなる。
「今日は賭けをしようか」
「ろくでもないこと企んでるな」
「よくわかるな」
諦めて立ち尽くす遥に歩み寄り、後ろ手に隠した布を見せる。
「まずは目隠しをする。俺がピアノを弾く。一曲弾き終わるまでにイけるかどうか賭ける」
「何をすれば」
「とぼけるなよ」
眼鏡の奥の切れ長の眸が揺れる。俺がさしだす布を大人しく受け取り、代わりに眼鏡を外す遥。
「性悪だな。ピアノの腕前と見た目以外に褒める所がない」
「尽くしてやってるじゃないか」
遥から預かった眼鏡をシャツのポケットにひっかける。受け取る間際、ちらりと右てのひらの傷痕が見えた。
自ら顔に布を巻いた遥が、床に直接座り込んで準備をする。
視覚を奪われた遥にも合図が伝わりやすいように、椅子に深く掛けて軋ませる。
「行くぞ」
軽く深呼吸して鍵盤に両手をおく。遥の白く繊細な手が股間へ伸び、おずおずとジッパーを下ろしていく。
俺は耳がいい。鍵盤と向き合っていても研ぎ澄まされた聴覚は逐一息の喘ぎや衣擦れを拾い上げ、視界の外の興奮を伝えてくる。
「ッく、ッぅ」
豊饒な旋律と絡み合い加速する息遣い、脚を開き膝を立てた遥がオナニーをする、下唇を血がでるほど噛んで快楽を貪るのに集中する、遥の出す音が演奏と二重の音楽になる。
摩擦の間隔は演奏の盛り上がりに比例する。
遥の性感帯は鼓膜だ。聴覚だ。俺は熱を入れて遥を追い立てる、鍵盤に手を叩き付けて狂った旋律を紡ぐ、息遣いが呼応して荒くなりしめやかな衣擦れが響く。
マスターベーションの経験が少ない遥は気持ちよくなる近道がわからず、先走りでぬめる手を惨めに滑らせ、延々回り道をする。
「あぁッ」
床にぱたぱた白濁が散る。遥がびくびく痙攣、ぐったり突っ伏す。俺は演奏をやめない。射精の余韻で動けない遥を無視し、演奏は最高潮に達する。
「もうよせ……ッあぁ」
俺はやめない。たるんだ目隠しで目元を半端に隠したまま、すっかりバテた遥が床を掻き、弱々しく呻く。一度は果てたペニスが微痙攣して汁をたらす。鼓膜は無防備だ。粘膜は鍛えられない。一度達してもなお演奏が終わるまで苛まれ続け、可哀想な遥が息も絶え絶えに身もがく。
漸く最後の一音を弾き終えて蓋を閉めると、遥はこうべを深くたれて喘いでいる。
「一回聞きたかったんだが、それってイッたあとも玩具で嬲られる感覚に近いのか?」
目隠しをもぎとった遥が、殺したそうな眼光で睨んでくるのにぞくぞくした。
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