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四話
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以降、お嬢様は春虎に執拗に付き纏い始める。
父や下女の目を盗んで頻繁に使用人部屋を訪れ、または人を使って呼び出し、春虎と親しく語らった。
その大半が他愛もない用事、新しく仕立てた着物の自慢やら屋敷に出入りする商人の噂ではあったが、眼力あるものはお嬢様が恋していると一目で見抜く。
春虎がお嬢様の簪を見付けた噂はたちどころに広がり、お嬢様のお気に入りとして召し抱えられた春虎を朋輩たちは妬み、前にも増してキツく当たった。
「いっそ首元から飛ばしちまえばすっきりすらあな」
「やめてよ、そういうの」
「相変わらずの殺生嫌いか」
「喧嘩は嫌いなんだ」
「臆病者の言い訳だな」
「血を見たくない」
庭の片隅の木陰、蓮池のほとりが鬼神と春虎の憩いの場所。
休憩の都度、春虎はここで鬼神と話す。
春虎にとっては一日のどの刻限より心安らぐ貴重な時間。
枝葉が折り重なって四阿を成す木陰は涼しく、蓮の花が咲き乱れる水面では鯉の鱗が輝きを散らす。
鬼神は弁が立ち、古今東西漫遊してきた様々な土地の話を春虎に面白おかしく聞かせてくれた。
くわえて存外博識で、彼が脚色し話す都の人々の暮らしぶりは、お屋敷の塀の中だけしか知らぬ春虎をすっかり夢中にさせた。
擦り剥いた膝小僧を指さし、春虎は聞く。
「気になったんだけど、怪我もなおせる?」
「俺様に不可能はねえ……と豪語してえが、自然治癒に任せたほうがいいぜ」
「なんでさ、便利なのに」
「人の身体に干渉するのと物を直すなア勝手がちがうんだ、万一のことがあっちゃいけねえ」
やっぱり優しい。
「柱の疵や割れた花瓶はあっというまになおったよね。どんな術を使ったの?」
「知りたいか?」
「うん」
春虎の目が好奇心に輝く。
じらし上手な鬼神はもったいぶって間をとる。
「遡風だ」
「遡風?」
「時を遡る風と書く。察しの通り、俺は風を操る魔物。ごく小せえ竜巻を起こし、その範囲内でだけ時を巻き戻すことができる」
「時間を巻き戻す……どうりで継ぎ目が見当たらないはずだ」
完璧に復元された花瓶を思い出し感嘆の吐息をつく。
「あとこないだの……どうして簪のありかがわかったの?」
「風は俺の目だ」
急きこむ春虎に悪戯っぽく種を明かす。得意げな響きがあった。
「天網恢恢祖にして漏らさず、千里を翔る風は千里を知る」
「千里眼?凄い」
「ひらたくいやそんなとこだな。風は俺の分身、風が吹いてるとこで俺が知らねえことはねえ。恐れ入ったか、崇め敬え」
春虎は口を噤む。
埒なき事を思いあぐね、伏せた顔に翳りが射す。
抱えた膝に顎を埋め、呟く。
「その力で死んだ人を生き返らせたりもできる?」
「両親を生き返らせたいとか考えてやがんだろ?」
図星だ。
たじろぐ春虎に寄り添い、鬼神は殊更さばけた口調で断言。
「俺の力で時を遡れるのは命のねえ器だけ。生き物は無理」
「どうしてさ」
「時を遡るってなあ、即ち因果律を捻じ曲げてんだ。壊れたもんは元に戻せる、が、死んじまったもんはどうにもなんねえ。器と魂魄が完全に分離しちまったんじゃお手上げだ。くわえて、生き物は腐る。むりやり魂を呼び戻したところで肝心の器が腐ってたら意味ねえだろうが。想像してみろ春虎、骨と皮に蛆の沸いた母ちゃんに抱っこされてえか?乳も干乾びちまってんぞ」
「………意地悪」
キツく膝を抱く。
「聞いただけじゃないか」
そう、聞いただけ。
もしやと縋っただけ。
一瞬でいいから夢を見せてほしかっただけなのに。
俯く頬を優しい風がなでる。
「まだ乳離れできねえのか。初めて会ったときから成長のねえガキだな」
「ガキじゃない」
「さいですか」
「……どうして一緒にいてくれるの?恩返しは時効だろ」
友達だからという答えを期待して、案の定裏切られる。
「!っ、」
させるかと下穿きを押さえ付ける。
「畜生、いつのまにか勘がよくなりやがった」
下穿きをずりおろそうと風を吹かせるも報われず、不機嫌な鬼神に胸が透く。
春虎の憂いが晴れるのを見とどけ風が和らぐ。
「いい加減鬼神じゃ呼びにくい。本当の名前教えてくれる?」
「ねえよ」
「ないの?」
「お互いをべたべた名前で呼び合うのは人間だけだ。俺からすりゃ噴飯ものの悪習だね」
「じゃあ僕が付けていい?」
どうして疑問に思わなかったのだろう。
終ぞ名を聞く発想がなかったのは、異端にして異質の存在として分け隔てていた証。
友人になってほしいと乞いながら名前すら聞こうとしなかった自分は、実はとんでもなく薄情ではないか。
先日、木から落ちた春虎を抱きとめた腕はしっかりと実体を伴ってぬくもりさえ錯覚した。
以来、声だけの彼を意識してしまう。
素顔を見たいと切に願ってしまう。
饒舌な鬼神が珍しく言葉に詰まる。唐突な提案に戸惑っているらしい。
春虎は掌中の珠を明かすようにはにかみ、生まれて初めて得た友人に命名する。
「鬼風はどうだろう」
鬼は人から名を貰う。
人は声さえ恋い慕う。
翌春、春虎はお嬢様のいいなずけになった。
父や下女の目を盗んで頻繁に使用人部屋を訪れ、または人を使って呼び出し、春虎と親しく語らった。
その大半が他愛もない用事、新しく仕立てた着物の自慢やら屋敷に出入りする商人の噂ではあったが、眼力あるものはお嬢様が恋していると一目で見抜く。
春虎がお嬢様の簪を見付けた噂はたちどころに広がり、お嬢様のお気に入りとして召し抱えられた春虎を朋輩たちは妬み、前にも増してキツく当たった。
「いっそ首元から飛ばしちまえばすっきりすらあな」
「やめてよ、そういうの」
「相変わらずの殺生嫌いか」
「喧嘩は嫌いなんだ」
「臆病者の言い訳だな」
「血を見たくない」
庭の片隅の木陰、蓮池のほとりが鬼神と春虎の憩いの場所。
休憩の都度、春虎はここで鬼神と話す。
春虎にとっては一日のどの刻限より心安らぐ貴重な時間。
枝葉が折り重なって四阿を成す木陰は涼しく、蓮の花が咲き乱れる水面では鯉の鱗が輝きを散らす。
鬼神は弁が立ち、古今東西漫遊してきた様々な土地の話を春虎に面白おかしく聞かせてくれた。
くわえて存外博識で、彼が脚色し話す都の人々の暮らしぶりは、お屋敷の塀の中だけしか知らぬ春虎をすっかり夢中にさせた。
擦り剥いた膝小僧を指さし、春虎は聞く。
「気になったんだけど、怪我もなおせる?」
「俺様に不可能はねえ……と豪語してえが、自然治癒に任せたほうがいいぜ」
「なんでさ、便利なのに」
「人の身体に干渉するのと物を直すなア勝手がちがうんだ、万一のことがあっちゃいけねえ」
やっぱり優しい。
「柱の疵や割れた花瓶はあっというまになおったよね。どんな術を使ったの?」
「知りたいか?」
「うん」
春虎の目が好奇心に輝く。
じらし上手な鬼神はもったいぶって間をとる。
「遡風だ」
「遡風?」
「時を遡る風と書く。察しの通り、俺は風を操る魔物。ごく小せえ竜巻を起こし、その範囲内でだけ時を巻き戻すことができる」
「時間を巻き戻す……どうりで継ぎ目が見当たらないはずだ」
完璧に復元された花瓶を思い出し感嘆の吐息をつく。
「あとこないだの……どうして簪のありかがわかったの?」
「風は俺の目だ」
急きこむ春虎に悪戯っぽく種を明かす。得意げな響きがあった。
「天網恢恢祖にして漏らさず、千里を翔る風は千里を知る」
「千里眼?凄い」
「ひらたくいやそんなとこだな。風は俺の分身、風が吹いてるとこで俺が知らねえことはねえ。恐れ入ったか、崇め敬え」
春虎は口を噤む。
埒なき事を思いあぐね、伏せた顔に翳りが射す。
抱えた膝に顎を埋め、呟く。
「その力で死んだ人を生き返らせたりもできる?」
「両親を生き返らせたいとか考えてやがんだろ?」
図星だ。
たじろぐ春虎に寄り添い、鬼神は殊更さばけた口調で断言。
「俺の力で時を遡れるのは命のねえ器だけ。生き物は無理」
「どうしてさ」
「時を遡るってなあ、即ち因果律を捻じ曲げてんだ。壊れたもんは元に戻せる、が、死んじまったもんはどうにもなんねえ。器と魂魄が完全に分離しちまったんじゃお手上げだ。くわえて、生き物は腐る。むりやり魂を呼び戻したところで肝心の器が腐ってたら意味ねえだろうが。想像してみろ春虎、骨と皮に蛆の沸いた母ちゃんに抱っこされてえか?乳も干乾びちまってんぞ」
「………意地悪」
キツく膝を抱く。
「聞いただけじゃないか」
そう、聞いただけ。
もしやと縋っただけ。
一瞬でいいから夢を見せてほしかっただけなのに。
俯く頬を優しい風がなでる。
「まだ乳離れできねえのか。初めて会ったときから成長のねえガキだな」
「ガキじゃない」
「さいですか」
「……どうして一緒にいてくれるの?恩返しは時効だろ」
友達だからという答えを期待して、案の定裏切られる。
「!っ、」
させるかと下穿きを押さえ付ける。
「畜生、いつのまにか勘がよくなりやがった」
下穿きをずりおろそうと風を吹かせるも報われず、不機嫌な鬼神に胸が透く。
春虎の憂いが晴れるのを見とどけ風が和らぐ。
「いい加減鬼神じゃ呼びにくい。本当の名前教えてくれる?」
「ねえよ」
「ないの?」
「お互いをべたべた名前で呼び合うのは人間だけだ。俺からすりゃ噴飯ものの悪習だね」
「じゃあ僕が付けていい?」
どうして疑問に思わなかったのだろう。
終ぞ名を聞く発想がなかったのは、異端にして異質の存在として分け隔てていた証。
友人になってほしいと乞いながら名前すら聞こうとしなかった自分は、実はとんでもなく薄情ではないか。
先日、木から落ちた春虎を抱きとめた腕はしっかりと実体を伴ってぬくもりさえ錯覚した。
以来、声だけの彼を意識してしまう。
素顔を見たいと切に願ってしまう。
饒舌な鬼神が珍しく言葉に詰まる。唐突な提案に戸惑っているらしい。
春虎は掌中の珠を明かすようにはにかみ、生まれて初めて得た友人に命名する。
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鬼は人から名を貰う。
人は声さえ恋い慕う。
翌春、春虎はお嬢様のいいなずけになった。
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