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私は何も知らない

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 その日、私が東の森に到着したらグレコが急いでやってきた。私の気配を感知したからだろう。グレコの様子から緊急の要件であることは分かる。
 グレコは「ちょっと、まずいことになりまして」と言いながら私の方へ駆け寄ってくる。
「どうしたの?」と私はグレコに尋ねる。

「昨夜、数名の人間が森に侵入しまして、その侵入者が森に火を放ったのです」
「え? その侵入者は捕らえたの?」
「捕らえました」
「不可侵条約があるのに何を考えているのかしら? その者たちが放火をした証拠はある?」
「あります。自衛団が写真を取りましたから」
「そう。証拠がないと人間は信用しないでしょうから。ところで、侵入者はどこの誰か分かったの?」
「それが・・・何も言おうとしません。拷問して吐かせることも考えましたが、後々問題になると面倒ですから・・・」
「確かに・・・。じゃあ、私が聞いてみましょう」

***

 私は捕らえられた侵入者に会いに、岩場に作られた簡易な留置場に向かった。私が留置場に着くと、中には4人の侵入者がいた。
 4人の侵入者の身なりは庶民が着る粗末な衣服ではない。貴族か貴族の従者のような衣服を着ている。庶民であればいたずらで放火した可能性もあるが、貴族や貴族の従者は不可侵条約のことを知っている。つまり、この侵入者は何か目的があって事件を起こしたはずだ。
 私はこの調査を慎重に進める必要があると考えた。

 まず、侵入者に質問する前に衣服、持ち物を確認したのだが、4人とも所属や身元を示す本人確認情報を保持していなかった。捕まったときに身元が分からないように衣服の紋章も切り取っている。用意周到に放火を行ったことが分かる。

 私は4人の侵入者に「東の森の警備責任者をしているアリス・フィッシャー女男爵です」と自己紹介した。4人に名前を聞いたものの、誰も口を開こうとはしない。黙秘を貫いている。
 貴族が自ら放火するような馬鹿な真似はしないだろうから、侵入者は貴族の従者と考えるのは自然だ。主人を庇(かば)って黙秘している。忠誠心が強そうだから、拷問しても白状しないかもしれない。
 通常の尋問を行うと時間が掛かりそうだったから、私は自白をさせるために精神操作系の魔法を使った。

 効き目はあったようだ。4人はすぐに昏睡状態に陥った。
 しばらくしてから私は、侵入者の一人に話しかけた。

「あなたの名前は?」
「・・・ドミニクです」
「あなたはなぜ東の森を放火したの?」
「火を付けて騒ぎを起こすよう・・・命令されたからです」
「誰に命令されたの?」
「クリスティ王女・・・です」

―― クリスティ王女が放火を指示?

 何のためか分からないが、とにかく王族を糾弾するには情報が必要だ。私は他の侵入者にも質問する。

「他の侵入者もクリスティ王女の指示で放火したの?」
「「そう・・・です」」
「あなたたちに放火を依頼した理由は?」
「わかりません・・・」

 クリスティ王女が東の森で騒ぎを起こそうとしたことは分かった。ただ、森の被害はちょっとした小火だ。これくらいで騒ぎが起きるとは思えない。もっと大掛かりな火災を目論んでいたのか? それとも、他に目的があるのか?
 クリスティ王女の目的が分からないのだが、私にはもう一つ懸念事項がある。

―― カール王子に報告するべきだろうか?

 私の東の森の警備責任者としての業務は、カール王子に報告することになっている。こういうレポーティングラインになった経緯は分からないが、カール王子はハース王国における私の直属の上司。だから、東の森で起こった事件はカール王子に報告しなければいけない。
 でも、放火事件の黒幕であるクリスティ王女はカール王子の妹。カール王子に報告すると、二人の関係性が悪化するかもしれない。


―― カール王子に事前相談せずに侵入者を突き出すべきだろうか?

 証拠は押さえてあるから、侵入者の罪を追求することは容易い。ただ、この場合はカール王子に何も言わずにクリスティ王女の悪事を晒すことになるから、カール王子が事実を知ったときに後味が悪い。『突き出したときは、クリスティ王女が犯人だとは知らなかった』と言えば信じてもらえるのだろうか?

 良い案が思い浮かばないので、カール王子に報告する前にクリスティ王女に会って真意を確認することにした。侵入者の一人を連れて証拠写真を持っていけば、誤魔化せないはずだし。

 そう考えた私は、グレコに侵入者の一人を連れてくるように言った。
 グレコが侵入者を連れてきたら、私はグレコと侵入者を連れて転移魔法でクリスティ王女の部屋へ移動した。

***

 クリスティ王女の部屋の壁は豪華な装飾が施されている。壁に沿って飾り物を置く棚があり、女性的な物が陳列されていた。
 急に部屋に現れた私たちを見て、クリスティ王女は「きゃ!」と悲鳴を上げた。悲鳴は大きくはなかったから、誰かが見回りにくるほどではない。

「クリスティ王女、こんにちは」
「アリス・・・どこから現れたの?」
「転移魔法です。東の森からこの部屋に移動しました」
「そう」

 もっと驚くと思ったのだが、クリスティ王女の反応は冷静だった。転移魔法を見たことがあるのだろうか?

「そんなことよりも、お尋ねしたいことがあって参りました。この人をご存じですよね?」

 私が隣に立つ侵入者を指して尋ねると、クリスティ王女は表情を変えずに「誰かしら?」と答えた。

「この者はクリスティ王女の指示で東の森に放火したと言っています。他の3人の侵入者も同じです。放火の証拠写真もあります」
「知らないわね。何のことかしら? 私は指示していないわよ」
「目的は何ですか?」
「だから、知らないって言ってるでしょ!」クリスティ王女は大声で言った。

 クリスティ王女はあくまで白を切るつもりだ。私はこの件を大事にしたくないのだが、このままでは埒が明かない。

「私は東の森の警備責任者ですから、今回の放火事件を国に報告する義務があります。もし、事情があるのであれば、仰ってください」
「私は何も知らない。アリスはさっき、私の指示でその者たちが放火したと言ったわね?」
「はい」
「私は指示をしていない。放火事件について聞かれればそういうわ」
「・・・」
「誰か分からない人の発言と、私の発言。みんなはどっちを信じると思う?」

 クリスティ王女は黙ったまま何も話そうとしない。
 私はしかたなくグレコと侵入者の一人を連れて部屋から退出した。

***

 クリスティ王女の部屋から出た私たちは、その足で城の警備部隊の詰所に訪問して侵入者の一人を警備部隊に引き渡した。その侵入者が東の森に放火をしたことを伝え、その証拠写真を提出した。
 さらに、私は、東の森の留置所にいる3人の侵入者を明日ハース城に連れてくることを伝えた。

 警備部隊にはクリスティ王女が放火事件を首謀していたことを伝えなかった。私が伝えなくても侵入者が口を割れば一緒だ。それに、クリスティ王女はカール王子の妹だ。クリスティ王女の罪を私の口から伝えるのは罪悪感がある。

―― せめて、カール王子には伝えるべきだろうか?

 私は迷ったものの伝えないことにした。私の仕事は侵入者を警備部隊に引き渡すこと。犯人の特定は警備部隊の仕事だ。私は自分をそう納得させた。
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