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46【王太子の仕事】

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 アレクシスは案内された小部屋に入る。そこには懐かしい人がいた。
「これは、これは。木登りをしていたおてんば様が、これはまた見事な令嬢様になられましたなあ……」
 将軍は長い間王都不在であったが、アレクシスについての事情は知っているようだ。
「それはとっくの昔に卒業しておりますわ」
「はははっ、これは失礼いたしました。昔話でありましたな」
 アレクシスのおじ様はそう言って破顔した。他意はない。かつてのアレクシスそのままの批評であった。
「私もマティアスから、そなたの武勇伝は聞いておる」
「嫌ですわ、殿下。お久しぶりです。カールシュテイン将軍」
「息子がお世話になっているそうで――。お元気そうで何よりです」
 二人は一瞬だけあの夏休み、両家の家族たちと庭に出てガーデンパーティーをし、アレクシスとマティアスが競って木を登っていた日に戻った。
「私がこのような場所に同席しても、よろしいのですか?」
「もちろんだ。その為に呼んだ。将軍、久しぶりだな。我が婚約者を紹介する」
「リンドブロム・アレクシスでございます」
 挨拶はそこまでにして、三人は着席する。世間話に来たのではないのだ。メイドがお茶を入れ退出した。
「ところで――」
 ヴィクトルの言葉に将軍は真顔になる。これからは仕事の肩書き同士の話となるのだ。
「――ここは狙われているのか?」
「ご報告申し上げます。東の国境には相変わらず大軍勢が張り付いていますが、どうやら相手はうまくのせられたようですね。私が王都に帰還すると情報を流しましたが、おそらくもう引くでしょう」
「うむ、偽情報に踊らされたと悟ってな」
「他の情報もありますな。各国の王都で暗躍する輩がおるようです。どこも隠していますがね」
「ふむ、その兆候が我が庭でも起こっているか……」
「こちらでも一騒ぎあったとか?」
「マティアスにも働いてもらった。ちょっかいを出してきている輩がいる。アレクシス、申してみよ」
「呪いの夢使いと魔獣使い。そして防御魔法を使う三名です」
 アレクシスは乞われるままにファーレンから説明された内容を説明する。情報の共有は重要だ。
「その別荘を持つ貴族とやらは?」
「調べたが問題はない。単に無断使用されただけのようだ」
「王都に内通者がいるのですかな?」
「わからん……。そう簡単に尻尾は出さんだろう」
「要警戒ですね。冒険者ギルドのマスターにそれとなく話しておきましょう。それから現有勢力も再編いたします」
「よろしく頼む」
 二人はあえて聞かせているとアレクシスは感じた。それならばこちらも動かなければならない。
「アレクシス。王都のおけるリンドブロム家が抱える冒険者の数は」
「二十三名です」
「イェムトランド地域には?」
「およそ五十数名ほどですわ」
「王都に動員できる日数は?」
「二十人ほどならば三日、他の者も一週間以内には……」
「どうだ? リンドブロム家の戦力はなかなかであろう」
 これは、あくまでも家として動員できる人数である。冒険者自体、ギルドに登録している実働数は数えようがないほどいる。この事情はどこの地方でも同じであろう。
「仮面を王都で夜な夜な暴れさせておる。民衆も、もう馴れて楽しんでいるようだ」
「策士ですなあ。冒険者なら目立ちませんし、仮面が現われてもいつものこと、で済むわけですな」
「うむ、大事にならないに越したことはないがな」
「王様のお考えはいかがですか?」
「穏便に済めばそれに越したことはないと――、それは私も同じだ」
「軍も同意いたします」
「しかし、相手がそうだとは限らない。落としどころを探らねばならん。戦力を移動させようと思っている」
「ふむ――、東にですか……」
 将軍はしばし考えた。隣国が兵を引く場に兵を増強する? 常識的にはありえないとアレクシスも首を捻る。
「マティアスも送ろうと思うがどうか?」
「……あいつに何か問題でも?」
「護衛任務に何度も失敗しておる。向かないのであろうか? このままでは自信を無くす一方だ」
「お心遣い感謝いたします。そうですなあ……。一度大軍勢同士のにらみ合いを見せるのも経験でしょう。分かりました。国境へと連れていきましょう」
「将来の大将軍となるよう鍛えてくれ」
「しかし、この地が手薄になりますが?」
「力のある令嬢たちで、臨時の騎士団を組織しようかと思う」
「それはまた酔狂な」
「そうだろ? 面白いじゃないか」
 ヴィクトルは軍の力を借りずに、謎の敵勢力から王都を守る腹づもりのようだ。
「王宮はもう、いく度かの攻撃を受けている。アレクシスだけではない。他国の連中とて奴らの影響を受けているかもしれん。領土あってこその王都だ。国境を越えなだれ込まれたら、地方の貴族とて我らに弓引くかもしれん」
「最悪の想定ですな……」
「私にとってのな。しかし立場として最悪に備えねばならん。戦力を移動しよう」
「……苦渋の決断ですな。王都の兵力を再編し、秘密裏に事を進めます。マティアスも移動させましょう」
「頼む」
 密談を進める男とは魅力的だ。アレクシスにはこの二人の表情から自然と真実を読み取ろうとする。
 マティアスが王都から去る。それも危険と思われる場所にだ。アレクシスは少し気が遠くなった。この意識はどこに行こうといているのか?
(マティアス様は私のことを殿下に話していたのね……)

 密談は終わり、二人は席を立ってカールシュテイン将軍を見送った。
「今日はお会いできて嬉しかったですぞ。アレクシス様」
「また、いつの日かお隣同士になりましょう」
「わははっ。あの頃が懐かしいですなあ。では……」
 将軍は一礼して去っていった。
「マティアスは国境沿いにいる、田舎貴族の娘でももらい受けるのがお似合いだろう」
「なんという……。わたくしも田舎娘の令嬢です」
「そなたにはそなたの運命がある。本人の幸せを考えてやるのだな」
(私は二百年前の聖女様とは違うのです……)
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