イーサン卿の結婚

きむらきむこ

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イーサン卿の結婚

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イーサン・ギネス侯爵令息は、ため息をついた。

 何もかも思うように行かない。こんな日は、寝る前に家令に酒でも用意させよう、そんな事を考えながらイーサンは夜会の賑やかさを背に歩いていた。

 パティオの暗がりに人影が見えた。多分ご令嬢だ。イーサンは我が身を守る為に、後退りして進む方向を変えた。

 イーサン・ギネスは、ギネス侯爵家の嫡男で、おそらく同世代の最後の独身男だった。時折、強引なご令嬢の身を挺しての攻撃の的になることがあった。

「…グスッ…」どうやら、レディは泣いているようだった。尚更近寄ってはいけない、と防衛本能は囁いた。

 その時、夜会の会場からパティオに出るフランス窓が開き、人が出てきた。

「グロリア嬢は居られるか?」

「…はい、こちらに」先程泣いていた令嬢が慌てて立ち上がった。

 男は、マヌエル・スコット子爵だった。あまり評判の良くない年嵩の男で、妻を探しているが、難航しているらしいとの噂だった。

 スコット子爵がグロリアの泣き顔と後ろにいたイーサンに、気がついた。

「どう言うことです!グロリア嬢、婚約前から不貞ですか?」
 全く近頃の令嬢は!とブツブツ文句を言いながらスコット子爵は、「ご両親にも苦情を申し入れますからね」と更に言い立てた。

「待ってください、私はたまたま通りかかっただけで…」とイーサンが言った。

「この方とは、ご挨拶すらしたことはありません」と、グロリアは言い募ったが、スコット子爵は既に立ち去った後だった。

「失礼、お嬢さん、今夜は先程の方のエスコートで会場まで来られたのですか?」イーサンはため息を呑み込んで、紳士としてマナーに則り尋ねた。

「…左様でございます。申し訳ありませんが、馬車を呼んでもらえるところまでご一緒願えませんでしょうか」

 遠慮深く答える令嬢に、内心のため息はさらに深くなったが顔には出さず、家までお送りしましょう、とイーサンは言った。

「名前も知らない男では不安でしょうから、私はイーサン・ギネスと申します。ギネス侯爵家の者です」

「お顔とお名前は以前から存じております。ご丁寧にありがとうございます。グロリア・クレアと申します」と言って、彼女は綺麗なカーテシーをした。

 クレア子爵令嬢か、ジェイムズの元の婚約者の妹の方か。出来が良いと評判だったが、あの婚約解消の余波で、スコット子爵のエスコートか…気の毒に。

 イーサンは、仕事で付き合いのあるコノーヴァー家の婚約解消の顛末を聞いていた。元の婚約を解消して、ジェイムズの初恋相手と婚約を結びなおしたとか…

 馬車でクレア邸に向かいながら、イーサンはグロリアに尋ねた。 

「不躾で申し訳ないが、グロリア嬢はスコット子爵と婚約をされる予定だったのですか?」

「きっとそうはならないでしょうね、今となっては」グロリア嬢は、暗い口調でそう言った。

「そうしたかったのですか?」

「いいえ、いいえ、それはありません。ただ…恥を忍んで申しますと、申し込んで下さったのが、あの方だけだったんです」

「…それは…なんというか…」イーサンは驚いた。

「済まない、私はジェイムズと付き合いがあるので、少しばかり事情を知っているが、それは姉君とジェイムズとの婚約解消が原因か?」

 グロリア嬢は、開き直ったようにはっきりと言った。
「コノーヴァー様との婚約解消は、元々婚約自体を知らない方のほうが多かったので、そうではありません。どちらかと言うと、姉の友人達が原因なんです」

「それは?」

「今となっては本当に友人だったのか分からないんですが、姉が婚約解消となったのを面白がって話題にする方々がいらっしゃって…」

「コノーヴァー家は、そういうことを良しとはしない人たちだと思うんだが」

「ええ、コノーヴァー様の家の方々はもちろんですが、婚約者のソフィア様も、何かの機会にはお声を掛けてくださいます。問題は子爵家や男爵家の集まりなんです」

 グロリア嬢が言うには、姉のキャスリーンが伯爵家に嫁ぐのを良く思ってなかった令嬢たちが、嫌がらせのようにコノーヴァー家の婚約を「初恋の成就」等と褒めそやして、キャスリーンを貶めにかかるそうだ。グロリア嬢は言わないが、きっとグロリア嬢も同じ目にあっているのだろう。

「それでキャスリーン嬢はどうされているんですか?」

「姉は、コノーヴァー様との話の前に、出ていた婚約話が進んでおります」

「どこかの家の次男でしたか?」

「ええ、よくご存知ですね。そのキャンベル家のクロード様が騎士爵を取られたので、有り難いことにそのまま婚姻と言うことになりそうです」

 グロリア嬢がニッコリと笑いながらそう言ったので、姉との仲は良いのだろうとイーサンは思った。

 馬車がクレア邸に着いた。イーサンは馬車から降りて、グロリアに手を貸した。

「ご両親に今夜の話を私から簡単に説明しておくよ、知らない男にお嬢さんが送られて帰宅するんだから、きっと驚くだろうし」

「重ね重ねご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 クレア邸で子爵夫妻に夜会の顛末を簡単に話し、スコット子爵に誤解させたことを謝罪した。夫妻からは、「ギネス卿のせいではなく、我々の不徳の致すところでございます」と頭を下げられた。

 思いがけず長くなった夜は、帰宅しても余韻を残した。家令に用意してもらった寝る前の1杯を嗜みながら、クレア子爵令嬢を取り巻く状況を思い返した。そして、自らの立ち位置を確認することとなった。

 数年前に当時の王太子殿下とその側近数人が、やらかしたのだ。
 あれはどう言うことだったのか、今でも理解不能だ。1人の男爵家の庶子の女性を、高位貴族男性数人で囲い込み、いつの間にやらみんな儚くなっていた。

 誰もアレに関しては口を閉ざすし、詳しく語るものは誰一人としていない。しかし、その影響は大きかった。

 数件の解消された婚約に、嫡子の変更など、お家騒動に巻き込まれまいとした高位貴族の女性たちは先を読んで早々と、自分と家に都合の良い婚約を決めたり、隣国に留学に出たりした。

 イーサンも、本来兄が継ぐ予定だった、ギネス侯爵家を相続することとなった。問題は、ちょうど良い婚姻相手が居ないことだった。イーサンと釣り合う高位の貴族女性が軒並み婚約済みだったり、国外に出たりしていて見当たらないのだ。

 夜会に出ると、婚約者の居ない令嬢たちに取り巻かれはするものの、たいてい彼女たちは「弁えない」令嬢だった。高位貴族に嫁ぐのを期待しているのに、それに相応しいマナーや能力をイーサンに示してはくれなかった。

 そうして妻を求めて夜会に行くのに、近寄ってくるのは女豹のような令嬢ばかりと言うのが、現在のイーサンを取り巻く状況だった。

「グロリア嬢は綺麗なカーテシーをしていたな、うん」イーサンは最後の一口を飲み干して、眠りに就いた。

 

「私が仲人役をするんですか?」ジェイムズ・コノーヴァーが言った。
「そう。そうしたらコノーヴァー家がクレア家に含むところがないって知らしめることが出来るだろう?」イーサンはコノーヴァー家の応接室で目の前に座っているジェイムズに答えた。

「グロリア嬢には婚約の話も無いようだし、今ならきっとすぐにまとまるはずだよ」
「それはそうなるでしょうね。まぁ、私もクレア家と言うかグロリア嬢には負い目があるので、良いお話を伝えに行くのはやぶさかでは有りませんが」

 ジェイムズは自分の婚約話が原因で、社交界でクレア家の姉妹、特に妹が辛い目にあっているのを申し訳なく思っていたので、イーサン卿の申し出をすぐにクレア家に伝えに行った。

「うちとは爵位にかなり差があるんですが、その辺はよろしいのでしょうか?」クレア子爵は、ジェイムズに尋ねた。
「そこは私もイーサン卿に確認してみたんですが、数年前にファビアン侯爵家に同じように子爵令嬢が入った前例があるので、良いだろうとの事でした」

 ファビアン侯爵家にアドリアーナ子爵令嬢が嫁ぎ、今は上手く家政を取っている。侯爵は2、3年前に亡くなったが、前侯爵が後ろ盾となって爵位は幼い息子に引き継がれた。もう10年もすれば息子も成人して、家も落ち着くだろうと周囲は見ている。

「クレア子爵令嬢も異存はないだろうか」 

「ございません。ありがたくお受け致します」

「ここからは、私の謝罪なんだが、婚約解消の件でクレア家に、特にグロリア嬢に迷惑をかけたことを申し訳なく思っています」ジェイムズは、謝意を示し一礼した。

「いえ、こちらこそ周囲に適切に対処出来ずに、コノーヴァー家にお気を使わせてしまって、申し訳ありません」クレア子爵が深く頭を下げた。

「キャスリーン嬢はクロード殿と婚約されたそうで、お幸せにとお伝え下さい」

「ありがとうございます」クレア子爵とグロリアは、揃って答えた。



 イーサン・ギネス侯爵令息とグロリア・クレア子爵令嬢の婚約は整い、一年後には華燭の典の運びとなった。


「本日は誠におめでとうございます」集まった面々は、口々に祝を述べた。既に花嫁は引き揚げて、今頃は今夜の為に磨き上げられていることだろう。

「ありがとう」イーサンは周りを見回し杯を掲げて言った。

 披露宴を終えてから個別に集められた面々、前ファビアン侯爵、友人のブレナン伯爵に、コノーヴァー伯爵、スタンリー伯爵達も、再度杯を掲げて飲み干した。

 数年前の王太子殿下の交代に伴って、嫡子を失ったり不利益を被った家の者が顔を揃えていた。ほとんどは亡くなった王太子殿下の側近を出していた家だったが、当主または嫡子を失い家督の立て直しのために、力を削られた。

「ジェイムズのお陰で、クレア家と縁が出来た。感謝してるよ」イーサンは、ジェイムズに向かって言った。

「クレア家に繋がることになったのは、偶然ではありましたが、私としてはグロリア嬢、いやグロリア夫人に良縁をお世話できたことは嬉しく思っています」

 コノーヴァー伯爵家は、王国の食糧庫と言われる農業地帯で、クレア家は国内に小規模ではあるものの各地に商店を持っていた。ジェイムズとクレア家でかつて婚約を結ばれていたのは、政略とは言わないまでも、今後に少なからず期待を込められていたからだった。ジェイムズの兄が亡くなったのは全くの偶然だったが、数年前の件が理由で流通が滞り、財政に不利益が生じていた。

 ギネス家は、何度か王家から降嫁や婿入りが行われた歴史ある侯爵家で、王家の「青い血」の控えとしての役割を担っていた。二代前の王子の婿入りで、ギネス家は王国内の交通網を手にした。乗合馬車を全国各地に通したのだ。王家としては、ギネス侯爵家にある程度の財力を期待しつつも、必要以上の権力を持たせるのを良しとしなかったのだろう。

 数年前のあの茶番は、ギネス侯爵家だけでなく他の貴族家の力を削ぐために行われたのでは、と言うのが、今この場に集まった者たちの真意だった。

 王国に余計な波風をたてるつもりは無いが、王家の心づもりがそうであるならば、我々も身は守らねばなるまい。

 ヒューバート・スタンリー伯爵は自身も軍閥の一員でやはり嫡男だった兄を失っていた。先頃結婚した夫人のメアリーを通じて、ウェルズリー家と縁を繋いだ。
 ウェルズリー家は織物等を扱い、更に馬を生産するホランド家と姻戚になっている。しかもメアリー夫人は自らも下位貴族向けのドレス店を盛り立てている。これで軍の上下を問わず、かなり太い伝が出来ていた。

 イーサンとは学友で盟友のブレナン伯爵は、王国のほぼ真ん中に位置する領地を持っている。婚姻によって隣のタウンゼント領とも友好な関係にある。何もなければ、ただそれだけの話だが、もし事が起こった場合、まっすぐに王都を目指せる位置に友軍を置くことが出来た。

 前ファビアン侯爵は、長く王宮の政治に身を置いた強者だ。嫡男を失い力を落としたが、次期王太子を盛り立てる政敵達が権力をその手に握り込むまで、時間を稼いでくれることだろう。

 夫人たちは、夫たちの権力争いについて、知らされていない。しかし彼女たちも貴族だ。自分たちの価値を、貴族の婚姻を理解している。自分に価値がある限り、妻として母として尊重されるのが当たり前の世界だ。

 もちろん夫たちは、それぞれの妻を愛している。お互いの家の為になる、それだけではなく結婚相手が愛し愛せる人である幸運に心から感謝していた。


 夜も更けて、祝言に集まった人々も帰宅の途に就いた。
 イーサンは、愛しい妻との新床へ向かった。

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