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三社祭・日本一周・悪役令嬢

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 会社を早期退職してから日本一周をしようと決めたのは妻の一言が原因だった。

『ちっとも旅行に連れて行ってくれなかったわよね』

 少なからずショックを受けた。不安を口にする妻の姿を見たことがなかったのだから余計そう思った。

 生活や娯楽には十分すぎる金を渡していた。それにある程度ではあるが満足していると思っていたし、直接あーだ、こーだ言われたことはなかった。不自由なことは一切なかったはずで、そんなことに頭を使ったことはなかった。

 けれど、そう言われてしまったらと必死にどうしたらいいのか考えた。

 そうして出した結論が日本一周だ。そのためにキャンピングカーを購入し準備を進めてきた。それもちゃんと妻と相談をしてだ。勝手にサプライズをして喧嘩をした例をいくつも知っている身としてはそこはちゃんとしておきたかった。

 それからしばらくの間、キャンピングカーで気ままに旅をした。ひんやりとした妻との関係もずいぶんと温かくなったとも思う。それもこれもキャンピングカーのおかげだ。

 しかし、そんな中で妻が悪役令嬢にハマるとは思っても見なかった。最初はなにかと思ったが最近のアニメや漫画で人気のジャンルらしい。どういう意味なのかはちっとも理解できなかったが。妻は暇を見つけてはスマホで漫画を呼んで盛り上がっている。

 そしてそんな妻が浅草の三社祭に行きたいと言い始めた。久しぶりの東京に都会が懐かしくなったのかと思ったらそうではないらしい。なんでも祭りに合わせて特別なイベントを行うカフェがあるというのだ。そこに悪役令嬢が関連してくる。

 悪役令嬢をコンセプトとしたカフェイベント。そこに参加したいというのだ。

 せっかくの日本一周中にわざわざとも思ったのだけれど、東京の浅草だって日本の中のひとつの場所だ。そこを観光がてら行くこと自体はなんの不思議もない。

 そこに最近お気に入りの悪役令嬢がプラスされているのだ。妻としては文句の付け所もないのだろう。

 まったく。結局、妻に振り回されっぱなしの人生になってしまっている。けれど、それは不思議と嫌ではなかったし会社では得られなかっった感覚を得られている。

 それはきっと充実した人生と言うのだろう。きっと。

 
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