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お金の増える生活習慣や心の持ち方
自分の心に神を持つ ユダヤ人の蓄財
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あるユダヤ人の方の蓄財の本を読んでいたときだ。
どんな宗教でも良いのだが、自分の信じる神を心の中に持つことがその人の精神を強くして、ビジネスでも蓄財でも上手くいきやすいということを書いてあった。
通常、土地を追われると民族自体が消滅することが多いが、ユダヤの民の土地を追われても尚生き残る脅威的な強さの所以は信仰心、精神性にあるのかもしれないと感じる。
大学時代、歴史学の講義で、1945年に日本が太平洋戦争に負けて、アメリカのマッカーサー氏がやってきて、日本をGHQの管理下においたわけだが、そのGHQが日本でやったことの一つに全国に公民館をつくるってことがあったという話を聞いた。
なんで公民館なの?って話なのだが。
日本は東アジアの中で自力で植民地になることを防いだ、とても珍しい国である。
それは陸続きの国と違い、海に囲まれた島国だからという地形的特徴もあったのかもしれないが、なぜ小国である日本が欧米の大国に対して、これほどまでに抵抗できるのか? ということがアメリカ人には不思議だったわけである。
そして一つの仮説を立てた。
戦時中、日本人は神社に集まって話し合いをする風習があった。
日本古来の神々への崇拝、天皇崇拝、畏敬の念、結束力、団結力。
小国である日本の底力は、神社に集う風習、強い信仰心があるのではないか?
そう考えたGHQは日本人を宗教から切り離せば、日本は弱体化するだろうと考え「でも何か集まるところがないと、やっぱり神社に集まるよね」ってな話で、公民館をいたるところにつくったという。
これ、織田信長が手こずった一向宗の一揆とか、江戸幕府が恐れた天草四郎率いるキリシタンの一揆とか、そういう信仰する宗教を持っている人間のほうがしぶとく手強いから脅威に感じるってのと同じ論理だと思うのだが。
今、日本って宗教を信仰している人を好意的な目で見ない風潮もあると感じる。
私は主人が古風な人で赤坂見附にある有名な神社で結婚式を挙げたのが、そのときに記念品として神社から小さな神棚を戴いた。
それをリビングの高いところに置いていて、いつも朝起きたときと「今日も一日宜しくお願いします」と手を合わせ、夜寝る前に「今日も一日ありがとうございました」と手を合わせるようにしている。
友達に「神社に行こうぜ!」と勧誘することはないのだが、一日の習慣として神棚に手を合わせて感謝の気持ちを伝えるのは、自分の心がとても落ち着くので好きだ。
宗教じゃなくても、産んで育ててくれた親や家族、尊敬する人、対象はどんな人でも物でもいいけれど、一日の生活の中に感謝を伝えられる習慣をつくるのは自分の心が整ってとても良いのではないかと勝手に思っている。
大学時代、宿題のレポートを書いているときに、日本の天皇のことをスメラミコトというが、これはヘブライ語で「サマリアの王」(サマリアは現イスラエルの北の地方)という意味で、スメル→シュメールから来た尊い人だと知った。
アレクサンダー大王の遠征で西側から攻められた民は土地を追われ、東へ東へと逃げていった。
逃げることが可能な一番端の地は日本であとは太平洋が広がるばかり。
日本は単一民族と言われるが、正確には他民族国家だ。
藤原は唐の同胞(とうのはらから)、源氏は元(騎馬民族)、平氏はペルシャ(ぺい→へい)、橘は契丹などと言われるが。
様々な民族が入り混じっても平和なのは多神教国家だからかもしれない。
イエス生誕のクリスマスにケーキを食べ(キリスト教)、お盆に墓参りに行き(仏教)、神社に初詣に行く(神道)、何でもありな日本人。
何でも良いところは受け入れちゃう。
文化的には高い水準の国だが、資源は少なく、人口も少なく、戦争になったら不利な農耕民族だと思う。
日本人は武力よりも知性、話し合いによって平和を保ってきた民族だ。
どうかどうかずっと平和でありますように。
どんな宗教でも良いのだが、自分の信じる神を心の中に持つことがその人の精神を強くして、ビジネスでも蓄財でも上手くいきやすいということを書いてあった。
通常、土地を追われると民族自体が消滅することが多いが、ユダヤの民の土地を追われても尚生き残る脅威的な強さの所以は信仰心、精神性にあるのかもしれないと感じる。
大学時代、歴史学の講義で、1945年に日本が太平洋戦争に負けて、アメリカのマッカーサー氏がやってきて、日本をGHQの管理下においたわけだが、そのGHQが日本でやったことの一つに全国に公民館をつくるってことがあったという話を聞いた。
なんで公民館なの?って話なのだが。
日本は東アジアの中で自力で植民地になることを防いだ、とても珍しい国である。
それは陸続きの国と違い、海に囲まれた島国だからという地形的特徴もあったのかもしれないが、なぜ小国である日本が欧米の大国に対して、これほどまでに抵抗できるのか? ということがアメリカ人には不思議だったわけである。
そして一つの仮説を立てた。
戦時中、日本人は神社に集まって話し合いをする風習があった。
日本古来の神々への崇拝、天皇崇拝、畏敬の念、結束力、団結力。
小国である日本の底力は、神社に集う風習、強い信仰心があるのではないか?
そう考えたGHQは日本人を宗教から切り離せば、日本は弱体化するだろうと考え「でも何か集まるところがないと、やっぱり神社に集まるよね」ってな話で、公民館をいたるところにつくったという。
これ、織田信長が手こずった一向宗の一揆とか、江戸幕府が恐れた天草四郎率いるキリシタンの一揆とか、そういう信仰する宗教を持っている人間のほうがしぶとく手強いから脅威に感じるってのと同じ論理だと思うのだが。
今、日本って宗教を信仰している人を好意的な目で見ない風潮もあると感じる。
私は主人が古風な人で赤坂見附にある有名な神社で結婚式を挙げたのが、そのときに記念品として神社から小さな神棚を戴いた。
それをリビングの高いところに置いていて、いつも朝起きたときと「今日も一日宜しくお願いします」と手を合わせ、夜寝る前に「今日も一日ありがとうございました」と手を合わせるようにしている。
友達に「神社に行こうぜ!」と勧誘することはないのだが、一日の習慣として神棚に手を合わせて感謝の気持ちを伝えるのは、自分の心がとても落ち着くので好きだ。
宗教じゃなくても、産んで育ててくれた親や家族、尊敬する人、対象はどんな人でも物でもいいけれど、一日の生活の中に感謝を伝えられる習慣をつくるのは自分の心が整ってとても良いのではないかと勝手に思っている。
大学時代、宿題のレポートを書いているときに、日本の天皇のことをスメラミコトというが、これはヘブライ語で「サマリアの王」(サマリアは現イスラエルの北の地方)という意味で、スメル→シュメールから来た尊い人だと知った。
アレクサンダー大王の遠征で西側から攻められた民は土地を追われ、東へ東へと逃げていった。
逃げることが可能な一番端の地は日本であとは太平洋が広がるばかり。
日本は単一民族と言われるが、正確には他民族国家だ。
藤原は唐の同胞(とうのはらから)、源氏は元(騎馬民族)、平氏はペルシャ(ぺい→へい)、橘は契丹などと言われるが。
様々な民族が入り混じっても平和なのは多神教国家だからかもしれない。
イエス生誕のクリスマスにケーキを食べ(キリスト教)、お盆に墓参りに行き(仏教)、神社に初詣に行く(神道)、何でもありな日本人。
何でも良いところは受け入れちゃう。
文化的には高い水準の国だが、資源は少なく、人口も少なく、戦争になったら不利な農耕民族だと思う。
日本人は武力よりも知性、話し合いによって平和を保ってきた民族だ。
どうかどうかずっと平和でありますように。
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