裁かれない罪の償い方 ~刑事は罪を犯した。異世界帰りの元少年は罪を犯す。

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第2話 彼が犯してしまった罪

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(あーあ、不毛な集まりだったなー) 

 ボヤく「影」を横目に、正雄は自宅の玄関の鍵を開け、中に入った。 

 時刻は真夜中。居酒屋での4人の不毛な愚痴のこぼし合いに、最後まで付き合った。 

 ――これも仕事。 

 と割り切って。 

 玄関扉の内側は真っ暗闇。人の気配もない。 

 記憶を頼りに、暗闇の廊下をそのまま進んで、リビングの照明を点けた。 

 荒れ果てたリビングが正雄の目に飛び込んでくる。ダイニングテーブルはあるべき場所から移動し、イスは倒れている。旅行パンフレットを始め、様々な物が床に散乱している。 

 空き巣に入られたのではない。片づけをしていないだけ。 

 こんな状況にしたのは正雄自身。 

 少し前までは彼の妻が彼の帰宅を待っていた。一人娘の長女も大学に進学するまでは一緒に暮らしていた。 

 だけど、今は二人ともいない。 

(いい加減、この部屋も片付けたらどうだー) 

 「影」の軽い言葉に苛立ちを覚えてしまう。人目が無いため、我慢の許容量が下がっている。 

(パンフレットも踏んづけて、グチャグチャになっているしなー) 

 笑いながら「影」が床に散らばったパンフレットに視線を落としている。 

 ――……ムカつく。 

 さらに、「影」が部屋の様子を見渡す。いつの間にか、その姿を正雄の妻の姿に変えていた。 

(まあ、お前がいない時にあいつら妻と長女が様子を見に来ても、この有様を見たら、よりを戻す気持ちは消えちまうな) 

 ブチッ! 

 堪忍袋の緒が切れた。 

「お前に何が分かる!!」 

 正雄の口から怒声が突き出る。 

「俺は大志を探すために一生懸命やってきた! 警察官として、毎日毎日、手掛かりを探してきた! 刑事として、普段起きる事件を一件一件解決してきたことだって、大志を探すために周りの信頼と理解を得るためだ! 後輩を積極的に育てたのも、大志を探す手を少しでも増やすためだ! なのに! なのに、なぜ、あいつらは理解しない!」 

 妻の姿のままの「影」の表情と言葉から嘲笑が消える。 

(「理解」。「理解」ねー。でも、結局、お前は息子を探すかたわら、あいつら妻と長女にこの10年間何をしてきた?) 

 「影」の足元にある旅行パンフレットは妻と二人で出かけるために貰ってきたもの。長女が大学を卒業して就職したため、妻を労おうと考えた。仕事ばかりで、これまで家庭をかえりみてこなかった詫びを込めて。 

 けれど、家で待っていたのは、妻ではなく、彼女からの別れを告げる1通の置手紙。離婚に関する協議は全て弁護士に任せるとあった。 

 思わず、テーブルを蹴飛ばしていた。 

 荒くなった呼吸を整えたあと、彼女のスマホに電話をかけてもつながらなかった。送ったチャットも既読にならない。 

 代わりに、長女に話を聞こうとしても、彼女とも連絡がつかない。 

(お前はあの子長女がどこの会社に就職したか、知っているか?) 

 知らない。 

(あの子の大学進学を知ったのはいつだ?) 

 半年以上経ってからだった。進学のために家を出たことにも気が付かなかった。 

(お前が家にいない間、あいつが何をしていたのか知っているか?) 

 何も知らない。 

(息子がいなくなってから10年間、あいつらが何をして何を考えていたのか、お前は1つでも何か知っているか?) 

 何ひとつ知らない。 

(そういう人間をなんて言うか、分かるか?) 

 ――……。 

(父親失格、夫失格って言うんだ。そうだろ?) 

 言い返せなかった。 

 そんな正雄を「影」が嘲笑ってくる。姿が正雄に戻っている。 

(大体さー、事件解決のために奔走していたのだって、後輩を育ててきたのだって、本当に100%息子を探すためだけか?) 

 「影」が正雄の顔を覗き込んでくる。 

(違うだろ) 

 心を抉りに来る。 

(自分が犯した罪を償うためだろ。なあ、殺人犯) 

 思わず、言い返してしまう。 

「違う! あれは俺がやったものではない!」 

(違う? やったものではない? そんな御託を並べるヤツに向かって、お前は取調室でなんて言う?) 

 言い返せない。 

 「影」から笑いが消え、同情するようなものに変わる。ただし、その同情は薄い表面だけ。 

 正雄が取調室で被疑者に向かっていつも使う手段の一つ。心を寄せるふりをして供述を引き出すテクニック。 

(まあ、だけど、仕方ないよな。自称「神」なんていう説明がつかない存在に振り回されたんだから) 

 8年前、正雄がたまたま参拝した神社でのことだった。 

 子供の行方を捜すために、神頼みに走る家族は珍しくなかった。正雄も、ふとした拍子に寺社仏閣が目に止まると、その度に参拝して、賽銭を捧げて、息子の無事を願った。神社であれば、本殿だけでなく、小さな祠まで丁寧に祈りを捧げた。 

 このとき正雄が参拝した夜見神社でもそうだった。隣接する公園とともに市民の憩いの場所となっているその神社の本殿で祈りを捧げた後、境内に置かれている摂社・末社にも祈りを捧げた。 

 そこは境内の隅に設置された小さな祠だった。他と代り映えのしないごく小さな祠だった。 

 が、 

「子供が行方知らずとは、ほんに不憫よのう」 

 ゆっくりとした口調で話しかけられた。周りを見渡しても、それらしき人は見当たらない。 

「およ? 麿の言葉が聞こえるのかや? こちらよ。上を見よ」 

 後から思えば、空耳として聞かなかったことにすればよかったのだ。そうすれば、人として越えてはいけない一線を越えてしまうことはなかった。 

 なのに、見上げてしまった。 

 祠の屋根の上に座り、口元を扇で隠す狩衣姿のナニカがいた。 

 人の姿形はしているものの、一目見ただけで人ではないと分かる。 

「およおよおよ。姿も見えるのかや? 久しいの。麿の言葉を聞き、麿の姿も見える者が現れるとは」 

 扇で隠れきれていない唇の端が上を向く。 

 正雄を見るナニカの眼は、まるで新しく手に入れたおもちゃを見るような。 

「とりわけ、才があって見て聞いているわけでもなし。とりわけ、麿と縁があるわけでもなし。げに、奇縁よの」 

 得体の知れなさに、正雄の右足が思わず一歩下がる。 

「まあ、待て待て。急くでない。其方そちは麿にとって久しぶりの話せる相手よ。暇つぶしの話し相手となってたもれ」 

 ――鬼か、悪魔か。 

 と思わず考えてしまったら、 

「およおよおよ。鬼でも、異教の悪魔でもないぞよ。ここは神の坐す神聖なる場。そのような輩がいるわけなかろう」 

 見透かされた。 

 ますます、恐怖が募る。 

「まあ、そんなに恐れるでない。これでもこの日ノ本の国にいます八百万の神の末席に連なっておる。かつては地主神として崇められておったのだがのう。土地改良などとか工事をすると申して、この地に遷されてからは崇めに来る者もとんと姿を現さなくなってしもうた」 

 すると、神を自称するナニカの唇の端がさらに上を向いた。何か面白いことを思いついたかのように。 

「そうよのう。其方、麿の氏子になってたもれ。なに、損はさせぬ。麿の欲するものを麿に捧げよ。さすれば、其方の望むものを授けよう」 

 後から思えば、それは悪魔の囁きだったのだが、 

「例えば、其方の息子の行方、とか」 

 食いついてしまった。 

「およおよおよ。そう来なくては」 

 正雄は食いついてしまった。天から下りてきた蜘蛛の糸と思ってしまって。 

「其方の望むものを授けためには、麿の欲するものを捧げる必要がある。それは理解したな?」 

 行方を知る手掛かりが何ひとつない中、息子の行方の手掛かりが得られると。 

 でも、 

「今、麿が欲するものは命よ」 

 この一言で正雄は冷たい水を浴びせられた。掴んではならない糸を手に取ってしまったことが分かった。 

 自称「神」のナニカの目の色が変わっていた。 

「最近までこの祠に老婆が来て手入れをしてくれておったのだが、残念なことに黄泉の国に旅立った。以来、この祠には誰も訪れなくなってしもうた。寂しいことよ。一応、本殿に祀られる主祭神殿に仕える者たちが祠の手入れをするのだが、本来なら、老婆の肉親がその役目を引き継ぐべきであろう。なのに、その者たちは姿を見せぬ」 

 逃げ出すなら最後のタイミングだった。けれど、逃げられなかった。 

 自称「神」の目を見てしまったがために。 

「見せぬなら、罰を与えなければならぬ」 

 気が付くと、正雄は知らない家の中にいた。 

 右手には包丁。べったりと血が付いた。 

 血が付いているのは包丁だけではない。包丁を持っている右手も、着ているシャツも、履いているズボンも。 

 血が付いていなかった左手で違和感があった顔を触ってみれば、左手にも血がべったりと付いた。 

 辺りを見渡せば、床に倒れ込んだ身体が3つ。ピクリとも動かない。 

 うつ伏せで顔が見えない身体は女の子。横には真新しいピンク色のランドセルが血で真っ赤に染まっている。 

 女の子に手を伸ばしている母親は横向きで事切れている。 

 あおむけで倒れている父親も血の海の中。その顔に正雄は見覚えがあった。 

 光村寛之。3日前にも会っていた。「県立月渓高校1年B組集団失踪事件」で行方不明となっている生徒たちの家族の取りまとめ役。 

 そして、光村智尋の父親。 

 彼の近くで、自称「神」がソファの背もたれに腰を下ろしていた。扇で隠した口の中には何かを含んでいるようで、時折呟きをこぼしていた。 

「甘露。甘露。ほんに甘露よの」 

「……何をした?」 

 正雄の右手にあった包丁が床に落ちた。 

「お前は俺に何をした!?」 

 怒声に、神を自称するナニカは動じる様子を欠片も見せなかった。それどころか、 

「『何をした?』のう。麿は何もしてないぞよ。其方が勝手に……およ? 記憶が飛んでいるのかや。ならば、戻してやろう。この程度は造作もない。さあびすサービスよ」 

 瞬間、正雄にフラッシュバックが生まれた。事切れている寛之たち3人の命を刈り取る瞬間の。 

 膝が崩れる。 

「なに、そんなに悔いるでない。麿に供え物を捧げた。それだけのことではないか」 

 ナニカへの憎しみが生まれる。 

 だが、自称「神」へ目をやれば、憎しみはかき消えてしまう。全てを見透かすかのようなその眼差しを受けてしまうと生まれた恐怖によって。 

「さて、其方の供え物は受け取った。麿は満足ぞよ。ならば、其方の求めるものを授けなければならぬのう」 

 正雄はその瞬間、逃げ出した。 

 駆けて、駆けて、駆けた。 

 次に気が付いた時には、自宅の一室の片隅で息を切らしながらガタガタ震えていた。 

 ところが、しばらくして呼吸と身体の震えが落ち着いてから、奇妙なことに気がついた。 

 身体に付いていた血がなくなっていることに。 

 シャワーも浴びていない。手も洗っていない。 

 慌てて、洗面所に移動して、鏡に映った自分の姿を見ても、血が付いていなかった。 

 映るのは、くたびれた男の姿。 

 そもそも、血まみれの姿で街を走り回っていたら、絶対に110番通報されて、同僚警察官に取り囲まれる。 

 なのに、光村家から自宅まで帰り着いている。 

 ――白昼夢でも見たのか。 

 とも思ったのだが、県警本部から届いた事件発生の一報が否定した。 

(でも、あれは本当に何だったんだろうなあ) 

 過去に犯した罪の重さで床に座り込んでいた正雄の横で「影」がボヤく。 

 結局、正雄の前に殺人罪で逮捕状を取った仲間の刑事たちが現れることはなかった。 

 事件現場に残された凶器から正雄の指紋は検出されなかった。それどころか、指紋は1つも見つからなかった。 

 事件現場に、正雄と自称「神」のナニカがいた痕跡は1つも検出されなかった。被害者以外の痕跡は何も見つからなかった。 

 被害者の誰かによって無理心中を強いられた。その可能性は真っ先に否定された。 

 遺体に残された傷は明らかに第三者によるものだった。 

 でも、事件現場周辺の防犯カメラに、正雄と自称「神」のナニカは映っていなかった。犯人らしき人影を映した映像は全くなかった。 

 血まみれの男と狩衣姿の男という不審人物の目撃情報も無かった。 

 犯人に繋がる手掛かりは何1つ見つからなかった。 

(自首も考えたなあ) 

 当然考えた。だけど、 

(自首して捕まっちまうと、息子の行方を探すことは出来ない。なにせ、3人も殺したんだ。無期懲役。死刑だってありうる。当然、大志の行方を探すことは出来ない。大志が助けを求めていても、助けに行くことは出来ない) 

 「影」の姿が大志の姿に変わる。 

(大志が帰ってきた時に迎えることもできない。そうだよな?) 

 警察官としての良心、人としての良心が、反対側には行方不明の息子を探し求める親心が、天秤にかけられた。 

「……そうだ。だから、俺は自首しなかった」 

(もっとも、自首したって、お前がやった証拠が無いから有罪には出来ないよなー) 

 再び、「影」の姿が正雄に戻る。 

「だから、俺がやった証拠も探してきた。いつの日か、大志が帰ってきたら、見つけた証拠とともに告白して罪を償う、そのつもりだ。絶対する」 

 でも、罪を償う意志を固める正雄に対して、「影」は手加減することなく、再度、彼の心を抉ってくる。 

(だけど、因果なもんだよなあ。智尋が見つかるなんてよ) 

「……っ!」 

(大志だったら万々歳だったよな。お前が殺した証拠はまだ見つけきれていないから、捕まらない。自首する必要はない) 

「違う! そんなことはしない!」 

 「影」が正雄を見てくる。「本当か?」と。 

 そして、「まあ、どっちでもいい」と言わんばかりに首を振って、言葉を続けた。 

(どうして、35人いる生徒のなかで、よりによって智尋だけが見つかったんだか。お陰で、大志の行方の手がかりを得るために、あいつのご機嫌伺いをしなければならない。あいつが記憶を思い出せるように、丁寧に優しく扱わなければならない。どんな気持ちだ? イラつくよなー。ムカつくよなー。「さっさと全部吐き出せ!」って力づくでもいいから手がかりを手に入れたいよなー) 

 「影」が覗き込んでくる。 

(でも、仕方ないよな。これもお前の罪の償いの1つなんだから) 

 正雄は言い返さなかった。それが正しかったから。 
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