6 / 10
第6話 警察の怠惰。刑事の情熱
しおりを挟む
夜の暗闇から朝日によって照らされ始めたその公園は、警察によって封鎖されていた。
集っている多くの警察官は、皆、殺気立った険しい顔つきをしている。
当直の終わりが近づいて疲労困憊の者であっても、非番で寝室での微睡から叩き起こされた者であっても、例外はない。
正雄も、その公園が因縁がある夜月神社に隣接しているために、この8年間近寄っていなかったのだが、それでも例外ではなかった。
ブルーシートが何かを覆って盛り上がっている。
「堂坂。来たか」
脇に立って、周囲にいる刑事と鑑識に指示を出していた親一が、駆け付けた正雄に目を止めて、声を掛けてきた。
「確認していいか?」
親一が頷くのを見て、正雄は膝をついて、ブルーシートをめくった。
生気を失った健矢の顔が現れた。その顔には、恐怖と絶望が強く刻まれている。
斬られた右足が、犯人によって逃げ足を潰されたことを物語っている。
そして、何より目立つのが、左肩から大きく斜めに切り裂かれた傷口。
ブルーシートを元に戻すと、わずかな間、目をつぶって、彼の冥福を祈る。
「先週と昨日と同じか?」
立ち上がって、親一に確認すると同意の頷きが返ってきた。
「3件目か」
昨日の事件の捜査もほとんど進んでいない。防犯カメラのデータ提供もまだ揃っていない。
犯人像につながる手掛かりはゼロ。
それなのに、3件目が起きた。しかも、今度の被害者は警察官。自分たちの仲間。
――無残に殺された仲間の仇は必ず取る!
この想いは警察官なら誰もが抱いている。公園に集まった警察官は誰しも。正雄も。
ただし、例外はある。
「堂坂。ちょっと」
と言われて、正雄は親一に少し離れた所に連れ出された。
「俺はこれから真辺の周辺を探る。お前はどうする?」
囁かれた言葉に、驚きで目が見開く。思わず、「お前は殺された仲間を疑うのか?!」と叫んで、食って掛かろうとするが、親一の冷静な目を見て、グッと堪えた。代わりに、
「探るのはボスからの指示か?」
問いかけに、親一の顔が静かに縦に動いた。
正雄の心に親一への同情と憐れみが広がる。彼は、その人の好さ、敵の少なさから、仲間を疑うような損な役回りを押し付けられることがこれまでにもしばしばあった。その役を今回も押し付けられたということ。
「1件目の被害者は殺人犯。2件目も違法薬物の販売組織の元締め。どちらも、俺たちが事件を認知できなかったか、逮捕できる証拠を揃えられなかったか、の違いはあるが、犯罪者だった」
でも、流石に、この言葉は見逃せない。抑えられてはいるが、責める声が出てしまう。
「おい! 真辺も犯罪者だと言うのか!」
「流れで言ったらそうなる。彼が犯人につながる証拠か何かを握って、口封じをされた、その線も確かにある。だが、彼はそんな情報を握ったら黙っているタイプだったか?」
返ってきた冷たい言葉に反論が出来ない。握った情報を黙って抜け駆けする血気にはやるタイプとは真逆だった。正雄に反感は持っていたが、情報は黙って隠すのではなく、正雄に押し付けて、極力、自分の負担は少なくしようとするタイプだった。
「彼が情報を握っても口にできない事情があったかもしれない。そこも含めて、真辺が白である確証を、連続殺人犯の捜査にあたる前に、俺たちは持たないといけない。そうだろ?」
正雄は首を縦に振るしかできなかった。
「それで、堂坂、お前はこれからどうする?」
一緒に行動して健矢について調べるのか、それとも殺人犯の捜査に専念するのか、の問いかけだった。
本当なら、親一と行動を共にして、健矢の潔白の証明に動く。
なのだが、今日は土曜日。どちらも選べない。
「……すまない」
頭を下げる。正雄のこの反応は、親一には予想外だったらしく、彼の目が驚きで丸くなった。
「何かあったのか?」
「実は、……今日は妻との離婚協議に出ないといけない」
歯切れの悪い正雄の言葉に、親一の目に、今度は同情と「それ見たことか」といった感情が浮かぶ。以前から、
「行方不明の息子を探すお前の気持ちは分かる。だけどな、今いる奥さんと娘さんのことも大事にしろ」
とことあるごとに正雄に忠告してきたからだ。
「周りには話しているのか?」
「上には相談して、今日は一日休みにしてもらっている。まあ、この事件が起きる前の話だが」
「分かった。今日は一日休め。そして、きっちりとケリをつけてこい。明日からはガンガン働いてもらうからな」
最後には、親一に両肩を掴まれて言われてしまい、再び首を縦にしか動かせなくなる。
そうして、後ろ髪を引かれる気持ちはあったが、正雄は現場を後にした。
*
翌日。
月渓警察署に出勤した正雄は、最初に刑事課に顔を出した。
案の定、事件の捜査に出払っていて、事務員以外誰もいない。
事務員に挨拶の言葉をかけた後、片隅に置かれた2枚の看板に目を止める。そこに書かれてあるのは、
「県立月渓高校1年B組失踪事件捜査本部」
「月渓市光村家一家殺人事件捜査本部」
警察署に来た時は、必ず、未解決のこの看板を目にして、誓いを新たにする。
――大志、絶対にお前を見つけだしてみせる。
――光村さん、大志を探し出すことが出来たら、犯した罪は必ず償います。
昨日のうちに、妻との離婚に関する全ての書類に署名をして、印鑑を押してきた。
正雄の家族は息子の大志だけになった。
帳場が立てられている講堂に移動する。
「月渓市連続殺人事件特別捜査本部」
入口の横には紙に墨書された真新しい看板が掲げられていた。
だが、正雄は首を傾げた。
入口の外にまで犯人逮捕に意気軒高な捜査員たちの熱気が漏れ出ているはずなのに、それが感じられない。仲間である警察官が殺された事件なのに。昨日、現場で感じた殺気じみた緊張感が全く感じられない。
以前、トップが捜査指揮でミスしたことで未解決事件になってしまった帳場の空気に似ていた。
(あったなー。そんなことがー)
「影」が姿を現す。
(東京から来た世間知らずのボンボンがあれやこれや口出ししてきて、ポシャったヤツ。あれはひどかったなー)
「世間知らずのボンボン」の言葉通りだったのではない。ただ、刑事捜査の経験がほとんどなかったのに、捜査指揮権を振りまわしたというだけ。結局、そのトップは事件のケリをつける前に東京に帰った。言い換えると東京に能力不足と判断されて戻されたということ。
入口から講堂の中の様子をうかがう。
同僚の刑事の顔を見つけた。一児の父親でもある彼の顔には苦々しさと腹立たしさと無力感が入り混じった表情が浮かんでいた。
彼に捜査の状況を聞こうとしたが、止めた。
親一の顔を見つけたから。彼から話を聞いた方が、より詳細で深い情報が得られる。
向こうも正雄に気が付いた。立ち上がり、手で合図を送ってくる。合図は「話がある。外で話す」。その顔色は暗い。
親一の後をついていくと、取調室に入った。その意味するところは、
(あーあ。面倒くせー)
「影」がボヤく。
ドカッと身体を投げ出すように、親一がパイプ椅子に座り込んだ。
(特級の面倒くせーことだー)
捜査に問題が生まれた時、不満を持った時に、親一が愚痴をこぼす際、今のように警察署内の取調室など、他人に聞かれない場所に連れてこられたのは、これまでにもあった。部屋の中に入った時の彼の振る舞いから、その深刻さも推しはかれる。
「昨日、真辺の自宅に行ってきた」
親一が俯き加減になりながら、零し始める。
「自宅には真辺の母親と10歳の男の子がいた」
正雄は首を傾げた。
「真辺は母親と二人暮らしと聞いているが」
「俺もそう聞いていたから、男の子について真辺の母親に尋ねたら、2年前に母親の従姉妹で男の子の母親が亡くなったため、引き取ったらしい。父親は分からない、とのことだった」
親一の言葉が一旦切れる。重苦しい空気が流れた後、彼の重い口が開く。
「男の子の身体には虐待の跡があった」
正雄の片眉が上がる。親一は視線を下に落としたまま。
「加害者は真辺だ。彼の自室にあったパソコンから虐待の様子を録画した動画データが大量に見つかった。男の子を引き取ってから2年間、日常的に虐待が行われていた」
思わず、天を仰いでしまった。
(おい! ヘボ刑事! お前の目は節穴か? 真辺の大馬鹿野郎の本当の顔を、お前は本当に見抜けなかったのか?)
思い返してみれば、嗜虐的な一面を垣間見せることはあった。かつての事件被害者への対応しかり、一昨日の智尋に対する言動しかり。だが、児童虐待を行っていることには結びつけられなかった。
(だから、お前は三流刑事なんだ! この無能!)
「影」の罵り声が辛い。それで、こう言ってしまう。
「真辺の母親と男の子は被害は訴え出なかったのか? 男の子の通う学校の先生は気づかなかったのか?」
(自分は見抜けなかったのに、その責任を別の人間に擦り付けるのか? この無責任野郎!)
親一の首が横に振られる。
「男の子は小学校には通っていなかった。真辺の母親が言うには、真辺が学校側に男の子が母親を失ったショックで塞ぎがちなため登校を控えると連絡していたらしい。その母親も、真辺から暴力を振るわれていて、逆らえない状態だったようだ」
親一の口から大きな溜息が漏れ出た。溜息に合わせて、その顔が下を深く向く。
「昨日は最悪だった。ヤツが警察官だったから、向こうは、特に男の子は警察を信用していない。違うな。警察に絶望しているんだ。だから、SOSも出さなかった。それでいて、別れ際に男の子がこんなことを言うんだ。ヤツを殺した犯人を捕まえないでくれ。その人は僕を助けてくれたヒーローだから、ってな」
(っかー!! きっついな、その台詞は!)
「影」の言葉がいたたまれない気持ちを増やす。だから、
「すまん。昨日は俺も一緒に行くべきだった」
詫びに対して、「気にするな」と言わんばかりに親一の右手が振られる。
――真辺の指導役として、進退伺を書かないといけないな。
でも、この思考は見透かされる。
「ヤツの件で、お前が責任を取ることは出来ないぞ」
親一の顔が上を向き、正雄の方を向いていた。その顔には、明らかに、やるかたない憤懣の感情が浮かんでいる。
「上はこの件を公にはしない」
正雄の目が驚きで大きく丸くなるが、
(あーあ、そうくるかー)
「影」が嘲笑うように口にする。
「現役の警察官が児童を監禁したうえ深刻な虐待を行っていた。このことが表に出たら、警察への県民の信用と信頼は失墜する」
親一の言葉は自分に言い聞かせるような響きを持っていた。ゆえに、正雄の言葉を親一は否定する。
「だから、隠蔽するのか」
「隠蔽とは違う。表に出さないだけだ。表に出すのは『現役警察官が殺害された。犯人は現在捜査中』。それだけだ」
取調室が重苦しい空気で満たされる。
(詭弁だな。でも、警察組織を守るためには必要だよなー。けっけっけ)
「影」が囁いてくる。
理屈では理解できるが、感情では受け入れられない部分がある。警察官人生が長くても、「仕方がない」とすんなり受け入れてしまうほど、良心はすり減らされてはいない。正雄も親一も。
けれど、
(警察への信用と信頼がないと、いざという時に通報が来ないもんな。……例えば、大志が見つかった時とか)
正雄はキュッと唇を噛み締める。
その様子を見たのか、親一が重苦しい空気を動かす。
「それと今回の連続殺人事件について、上は東京から犯人を検挙できなくても問題視しないと内々に伝えられているようだ」
「……どういうことだ?」
意外な情報に、正雄は虚を突かれた。
「詳しくは俺も分からん。だが、上はこのお達しで胸をなでおろしている。犯人につながる手掛かりが1つも見つかってないからな。昨日も含めて、3件とも現場に犯人につながる遺留物はゼロ。先週のを除いてすべて揃ったわけではないが、今のところ、犯人らしき人影が映った防犯カメラの映像はまだ確認できていない。被害者の3人の共通点も見つからない。殺害方法の推測を除いて、犯人像の予測すら立てられないのが現状だ」
つまり、3件目の事件発生翌日にして、迷宮入りの様相を漂わせ始めている。
親一の刑事としての降伏宣言でもある。
(真辺の被害者の男の子の言葉も影響してんかね?)
「すでに、昨日の3件目の事件は1件目と2件目の事件とは別の事件として報道発表がされている。マスコミ対策も進んでいる」
「それで、捜査本部の熱気が失われていたわけか」
「東京からのお達しは伏せられているが、上の捜査へのやる気がゼロなのはバレバレだ。俺が出していた科警研への捜査協力依頼も却下された」
この無力感に満ちた言葉に、正雄は天を仰ごうとしたが、続いた言葉によって動きを止められる。
「これは8年前の『光村家一家殺人事件』と一緒だな」
正雄の顔色が変わる。
「あれも犯人の手がかりが1つも見当たらなかった。そして、迷宮入りさせたにもかかわらず、捜査に関わった捜査員の人事評価はマイナスにならなかった。当時の本部長にいたっては栄転している。つまり、東京はあの事件を問題視しなかった。今回のと同じように……ああ、すまない」
最後の詫びは、正雄が今も事件の捜索にあたっているから。あの事件が、行方不明の正雄の息子の捜索に悪影響を与えたことも知っているから。ただし、正雄は事件発生当初から捜査に加わってはいなかった。加わったのは、迷宮入りがほぼ確定した最終盤。「体調不良」で捜査に加わるのが遅れた。
それで、親一が今話したことを正雄は今まで知らなかった。
「いや、いい。かまわない」
必死に動揺を抑える。
(けけけっ! 良かったなあ。動揺したのは大志のことと勘違いしてくれてるぜ、殺人犯さんよ)
「影」の嘲笑には耳を閉ざす。
動揺を抑え込む。警察官の誇りによって。
「そうだとしても、今回の事件の犯人を捜すのは問題ないな」
「……問題ないが、手掛かりは何もないぞ」
「上等だ」
警察官としての、刑事としての誇りに火をつける。
「手掛かりがない? 上等だ。大体、事件がこれで終わりだという保証はどこにもないぞ、鵜木。4件目が起きるかもしれない。5件目も起きるかもしれない。俺はそれを口をくわえて待っているつもりはない」
親一を正面から見据える。
「事件の犯人を逮捕する。これは警察官として、刑事としての最大の使命だ。違うか?」
一昨日の智尋の顔が正雄の脳裏にちらつく。家族を殺した犯人を探してビラを配り続けている彼の。
大志の顔も浮かんでくる。息子が帰ってきた時に、胸を張って迎えるために、刑事としての情熱を燃やす。
「……分かった。こちらでも何か情報が入ったらすぐに伝える。だから、好きにやってこい」
「おう! 絶対に犯人につながる情報を見つけてくる!」
集っている多くの警察官は、皆、殺気立った険しい顔つきをしている。
当直の終わりが近づいて疲労困憊の者であっても、非番で寝室での微睡から叩き起こされた者であっても、例外はない。
正雄も、その公園が因縁がある夜月神社に隣接しているために、この8年間近寄っていなかったのだが、それでも例外ではなかった。
ブルーシートが何かを覆って盛り上がっている。
「堂坂。来たか」
脇に立って、周囲にいる刑事と鑑識に指示を出していた親一が、駆け付けた正雄に目を止めて、声を掛けてきた。
「確認していいか?」
親一が頷くのを見て、正雄は膝をついて、ブルーシートをめくった。
生気を失った健矢の顔が現れた。その顔には、恐怖と絶望が強く刻まれている。
斬られた右足が、犯人によって逃げ足を潰されたことを物語っている。
そして、何より目立つのが、左肩から大きく斜めに切り裂かれた傷口。
ブルーシートを元に戻すと、わずかな間、目をつぶって、彼の冥福を祈る。
「先週と昨日と同じか?」
立ち上がって、親一に確認すると同意の頷きが返ってきた。
「3件目か」
昨日の事件の捜査もほとんど進んでいない。防犯カメラのデータ提供もまだ揃っていない。
犯人像につながる手掛かりはゼロ。
それなのに、3件目が起きた。しかも、今度の被害者は警察官。自分たちの仲間。
――無残に殺された仲間の仇は必ず取る!
この想いは警察官なら誰もが抱いている。公園に集まった警察官は誰しも。正雄も。
ただし、例外はある。
「堂坂。ちょっと」
と言われて、正雄は親一に少し離れた所に連れ出された。
「俺はこれから真辺の周辺を探る。お前はどうする?」
囁かれた言葉に、驚きで目が見開く。思わず、「お前は殺された仲間を疑うのか?!」と叫んで、食って掛かろうとするが、親一の冷静な目を見て、グッと堪えた。代わりに、
「探るのはボスからの指示か?」
問いかけに、親一の顔が静かに縦に動いた。
正雄の心に親一への同情と憐れみが広がる。彼は、その人の好さ、敵の少なさから、仲間を疑うような損な役回りを押し付けられることがこれまでにもしばしばあった。その役を今回も押し付けられたということ。
「1件目の被害者は殺人犯。2件目も違法薬物の販売組織の元締め。どちらも、俺たちが事件を認知できなかったか、逮捕できる証拠を揃えられなかったか、の違いはあるが、犯罪者だった」
でも、流石に、この言葉は見逃せない。抑えられてはいるが、責める声が出てしまう。
「おい! 真辺も犯罪者だと言うのか!」
「流れで言ったらそうなる。彼が犯人につながる証拠か何かを握って、口封じをされた、その線も確かにある。だが、彼はそんな情報を握ったら黙っているタイプだったか?」
返ってきた冷たい言葉に反論が出来ない。握った情報を黙って抜け駆けする血気にはやるタイプとは真逆だった。正雄に反感は持っていたが、情報は黙って隠すのではなく、正雄に押し付けて、極力、自分の負担は少なくしようとするタイプだった。
「彼が情報を握っても口にできない事情があったかもしれない。そこも含めて、真辺が白である確証を、連続殺人犯の捜査にあたる前に、俺たちは持たないといけない。そうだろ?」
正雄は首を縦に振るしかできなかった。
「それで、堂坂、お前はこれからどうする?」
一緒に行動して健矢について調べるのか、それとも殺人犯の捜査に専念するのか、の問いかけだった。
本当なら、親一と行動を共にして、健矢の潔白の証明に動く。
なのだが、今日は土曜日。どちらも選べない。
「……すまない」
頭を下げる。正雄のこの反応は、親一には予想外だったらしく、彼の目が驚きで丸くなった。
「何かあったのか?」
「実は、……今日は妻との離婚協議に出ないといけない」
歯切れの悪い正雄の言葉に、親一の目に、今度は同情と「それ見たことか」といった感情が浮かぶ。以前から、
「行方不明の息子を探すお前の気持ちは分かる。だけどな、今いる奥さんと娘さんのことも大事にしろ」
とことあるごとに正雄に忠告してきたからだ。
「周りには話しているのか?」
「上には相談して、今日は一日休みにしてもらっている。まあ、この事件が起きる前の話だが」
「分かった。今日は一日休め。そして、きっちりとケリをつけてこい。明日からはガンガン働いてもらうからな」
最後には、親一に両肩を掴まれて言われてしまい、再び首を縦にしか動かせなくなる。
そうして、後ろ髪を引かれる気持ちはあったが、正雄は現場を後にした。
*
翌日。
月渓警察署に出勤した正雄は、最初に刑事課に顔を出した。
案の定、事件の捜査に出払っていて、事務員以外誰もいない。
事務員に挨拶の言葉をかけた後、片隅に置かれた2枚の看板に目を止める。そこに書かれてあるのは、
「県立月渓高校1年B組失踪事件捜査本部」
「月渓市光村家一家殺人事件捜査本部」
警察署に来た時は、必ず、未解決のこの看板を目にして、誓いを新たにする。
――大志、絶対にお前を見つけだしてみせる。
――光村さん、大志を探し出すことが出来たら、犯した罪は必ず償います。
昨日のうちに、妻との離婚に関する全ての書類に署名をして、印鑑を押してきた。
正雄の家族は息子の大志だけになった。
帳場が立てられている講堂に移動する。
「月渓市連続殺人事件特別捜査本部」
入口の横には紙に墨書された真新しい看板が掲げられていた。
だが、正雄は首を傾げた。
入口の外にまで犯人逮捕に意気軒高な捜査員たちの熱気が漏れ出ているはずなのに、それが感じられない。仲間である警察官が殺された事件なのに。昨日、現場で感じた殺気じみた緊張感が全く感じられない。
以前、トップが捜査指揮でミスしたことで未解決事件になってしまった帳場の空気に似ていた。
(あったなー。そんなことがー)
「影」が姿を現す。
(東京から来た世間知らずのボンボンがあれやこれや口出ししてきて、ポシャったヤツ。あれはひどかったなー)
「世間知らずのボンボン」の言葉通りだったのではない。ただ、刑事捜査の経験がほとんどなかったのに、捜査指揮権を振りまわしたというだけ。結局、そのトップは事件のケリをつける前に東京に帰った。言い換えると東京に能力不足と判断されて戻されたということ。
入口から講堂の中の様子をうかがう。
同僚の刑事の顔を見つけた。一児の父親でもある彼の顔には苦々しさと腹立たしさと無力感が入り混じった表情が浮かんでいた。
彼に捜査の状況を聞こうとしたが、止めた。
親一の顔を見つけたから。彼から話を聞いた方が、より詳細で深い情報が得られる。
向こうも正雄に気が付いた。立ち上がり、手で合図を送ってくる。合図は「話がある。外で話す」。その顔色は暗い。
親一の後をついていくと、取調室に入った。その意味するところは、
(あーあ。面倒くせー)
「影」がボヤく。
ドカッと身体を投げ出すように、親一がパイプ椅子に座り込んだ。
(特級の面倒くせーことだー)
捜査に問題が生まれた時、不満を持った時に、親一が愚痴をこぼす際、今のように警察署内の取調室など、他人に聞かれない場所に連れてこられたのは、これまでにもあった。部屋の中に入った時の彼の振る舞いから、その深刻さも推しはかれる。
「昨日、真辺の自宅に行ってきた」
親一が俯き加減になりながら、零し始める。
「自宅には真辺の母親と10歳の男の子がいた」
正雄は首を傾げた。
「真辺は母親と二人暮らしと聞いているが」
「俺もそう聞いていたから、男の子について真辺の母親に尋ねたら、2年前に母親の従姉妹で男の子の母親が亡くなったため、引き取ったらしい。父親は分からない、とのことだった」
親一の言葉が一旦切れる。重苦しい空気が流れた後、彼の重い口が開く。
「男の子の身体には虐待の跡があった」
正雄の片眉が上がる。親一は視線を下に落としたまま。
「加害者は真辺だ。彼の自室にあったパソコンから虐待の様子を録画した動画データが大量に見つかった。男の子を引き取ってから2年間、日常的に虐待が行われていた」
思わず、天を仰いでしまった。
(おい! ヘボ刑事! お前の目は節穴か? 真辺の大馬鹿野郎の本当の顔を、お前は本当に見抜けなかったのか?)
思い返してみれば、嗜虐的な一面を垣間見せることはあった。かつての事件被害者への対応しかり、一昨日の智尋に対する言動しかり。だが、児童虐待を行っていることには結びつけられなかった。
(だから、お前は三流刑事なんだ! この無能!)
「影」の罵り声が辛い。それで、こう言ってしまう。
「真辺の母親と男の子は被害は訴え出なかったのか? 男の子の通う学校の先生は気づかなかったのか?」
(自分は見抜けなかったのに、その責任を別の人間に擦り付けるのか? この無責任野郎!)
親一の首が横に振られる。
「男の子は小学校には通っていなかった。真辺の母親が言うには、真辺が学校側に男の子が母親を失ったショックで塞ぎがちなため登校を控えると連絡していたらしい。その母親も、真辺から暴力を振るわれていて、逆らえない状態だったようだ」
親一の口から大きな溜息が漏れ出た。溜息に合わせて、その顔が下を深く向く。
「昨日は最悪だった。ヤツが警察官だったから、向こうは、特に男の子は警察を信用していない。違うな。警察に絶望しているんだ。だから、SOSも出さなかった。それでいて、別れ際に男の子がこんなことを言うんだ。ヤツを殺した犯人を捕まえないでくれ。その人は僕を助けてくれたヒーローだから、ってな」
(っかー!! きっついな、その台詞は!)
「影」の言葉がいたたまれない気持ちを増やす。だから、
「すまん。昨日は俺も一緒に行くべきだった」
詫びに対して、「気にするな」と言わんばかりに親一の右手が振られる。
――真辺の指導役として、進退伺を書かないといけないな。
でも、この思考は見透かされる。
「ヤツの件で、お前が責任を取ることは出来ないぞ」
親一の顔が上を向き、正雄の方を向いていた。その顔には、明らかに、やるかたない憤懣の感情が浮かんでいる。
「上はこの件を公にはしない」
正雄の目が驚きで大きく丸くなるが、
(あーあ、そうくるかー)
「影」が嘲笑うように口にする。
「現役の警察官が児童を監禁したうえ深刻な虐待を行っていた。このことが表に出たら、警察への県民の信用と信頼は失墜する」
親一の言葉は自分に言い聞かせるような響きを持っていた。ゆえに、正雄の言葉を親一は否定する。
「だから、隠蔽するのか」
「隠蔽とは違う。表に出さないだけだ。表に出すのは『現役警察官が殺害された。犯人は現在捜査中』。それだけだ」
取調室が重苦しい空気で満たされる。
(詭弁だな。でも、警察組織を守るためには必要だよなー。けっけっけ)
「影」が囁いてくる。
理屈では理解できるが、感情では受け入れられない部分がある。警察官人生が長くても、「仕方がない」とすんなり受け入れてしまうほど、良心はすり減らされてはいない。正雄も親一も。
けれど、
(警察への信用と信頼がないと、いざという時に通報が来ないもんな。……例えば、大志が見つかった時とか)
正雄はキュッと唇を噛み締める。
その様子を見たのか、親一が重苦しい空気を動かす。
「それと今回の連続殺人事件について、上は東京から犯人を検挙できなくても問題視しないと内々に伝えられているようだ」
「……どういうことだ?」
意外な情報に、正雄は虚を突かれた。
「詳しくは俺も分からん。だが、上はこのお達しで胸をなでおろしている。犯人につながる手掛かりが1つも見つかってないからな。昨日も含めて、3件とも現場に犯人につながる遺留物はゼロ。先週のを除いてすべて揃ったわけではないが、今のところ、犯人らしき人影が映った防犯カメラの映像はまだ確認できていない。被害者の3人の共通点も見つからない。殺害方法の推測を除いて、犯人像の予測すら立てられないのが現状だ」
つまり、3件目の事件発生翌日にして、迷宮入りの様相を漂わせ始めている。
親一の刑事としての降伏宣言でもある。
(真辺の被害者の男の子の言葉も影響してんかね?)
「すでに、昨日の3件目の事件は1件目と2件目の事件とは別の事件として報道発表がされている。マスコミ対策も進んでいる」
「それで、捜査本部の熱気が失われていたわけか」
「東京からのお達しは伏せられているが、上の捜査へのやる気がゼロなのはバレバレだ。俺が出していた科警研への捜査協力依頼も却下された」
この無力感に満ちた言葉に、正雄は天を仰ごうとしたが、続いた言葉によって動きを止められる。
「これは8年前の『光村家一家殺人事件』と一緒だな」
正雄の顔色が変わる。
「あれも犯人の手がかりが1つも見当たらなかった。そして、迷宮入りさせたにもかかわらず、捜査に関わった捜査員の人事評価はマイナスにならなかった。当時の本部長にいたっては栄転している。つまり、東京はあの事件を問題視しなかった。今回のと同じように……ああ、すまない」
最後の詫びは、正雄が今も事件の捜索にあたっているから。あの事件が、行方不明の正雄の息子の捜索に悪影響を与えたことも知っているから。ただし、正雄は事件発生当初から捜査に加わってはいなかった。加わったのは、迷宮入りがほぼ確定した最終盤。「体調不良」で捜査に加わるのが遅れた。
それで、親一が今話したことを正雄は今まで知らなかった。
「いや、いい。かまわない」
必死に動揺を抑える。
(けけけっ! 良かったなあ。動揺したのは大志のことと勘違いしてくれてるぜ、殺人犯さんよ)
「影」の嘲笑には耳を閉ざす。
動揺を抑え込む。警察官の誇りによって。
「そうだとしても、今回の事件の犯人を捜すのは問題ないな」
「……問題ないが、手掛かりは何もないぞ」
「上等だ」
警察官としての、刑事としての誇りに火をつける。
「手掛かりがない? 上等だ。大体、事件がこれで終わりだという保証はどこにもないぞ、鵜木。4件目が起きるかもしれない。5件目も起きるかもしれない。俺はそれを口をくわえて待っているつもりはない」
親一を正面から見据える。
「事件の犯人を逮捕する。これは警察官として、刑事としての最大の使命だ。違うか?」
一昨日の智尋の顔が正雄の脳裏にちらつく。家族を殺した犯人を探してビラを配り続けている彼の。
大志の顔も浮かんでくる。息子が帰ってきた時に、胸を張って迎えるために、刑事としての情熱を燃やす。
「……分かった。こちらでも何か情報が入ったらすぐに伝える。だから、好きにやってこい」
「おう! 絶対に犯人につながる情報を見つけてくる!」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
最弱無双は【スキルを創るスキル】だった⁈~レベルを犠牲に【スキルクリエイター】起動!!レベルが低くて使えないってどういうこと⁈~
華音 楓
ファンタジー
『ハロ~~~~~~~~!!地球の諸君!!僕は~~~~~~~~~~!!神…………デス!!』
たったこの一言から、すべてが始まった。
ある日突然、自称神の手によって世界に配られたスキルという名の才能。
そして自称神は、さらにダンジョンという名の迷宮を世界各地に出現させた。
それを期に、世界各国で作物は不作が発生し、地下資源などが枯渇。
ついにはダンジョンから齎される資源に依存せざるを得ない状況となってしまったのだった。
スキルとは祝福か、呪いか……
ダンジョン探索に命を懸ける人々の物語が今始まる!!
主人公【中村 剣斗】はそんな大災害に巻き込まれた一人であった。
ダンジョンはケントが勤めていた会社を飲み込み、その日のうちに無職となってしまう。
ケントは就職を諦め、【探索者】と呼ばれるダンジョンの資源回収を生業とする職業に就くことを決心する。
しかしケントに授けられたスキルは、【スキルクリエイター】という謎のスキル。
一応戦えはするものの、戦闘では役に立たづ、ついには訓練の際に組んだパーティーからも追い出されてしまう。
途方に暮れるケントは一人でも【探索者】としてやっていくことにした。
その後明かされる【スキルクリエイター】の秘密。
そして、世界存亡の危機。
全てがケントへと帰結するとき、物語が動き出した……
※登場する人物・団体・名称はすべて現実世界とは全く関係がありません。この物語はフィクションでありファンタジーです。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜
のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、
偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。
水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは――
古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。
村を立て直し、仲間と絆を築きながら、
やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。
辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、
静かに進む策略と復讐の物語。
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
ぽっちゃり女子の異世界人生
猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。
最強主人公はイケメンでハーレム。
脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。
落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。
=主人公は男でも女でも顔が良い。
そして、ハンパなく強い。
そんな常識いりませんっ。
私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。
【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる