9 / 10
第9話
しおりを挟む
奏絵はドライヤーで湿った髪を乾かされていた。
場所は恵梨果が営むヘアサロン。
佐奈子の連絡を受けて、急いでやってきた恵梨果によって連れてこられた。
コーヒーの染みができた服は着替えた後、恵梨果に手によって髪を洗われた。
――お姉ちゃんにも迷惑をかけてしまった。
――迷惑をかけるばかりの子供だ。
口に出したら否定されるのが目に見えていたから、言葉にはしない。
言葉にしないから、心の中でグルグル。
この気持ちがいつまでも残り続ける。
――いつまでもお姉ちゃんの世話になるばかりの子供ではいられない。
ドライヤーがオフにされた。
『もう最悪だよ! あたしがその場にいたら、その女、ぶん殴ってやったのに!』
などと言って、先ほどまでヘアサロンのスタッフと一緒に憤慨していた梨々花の声は聞こえない。妖精のドロシーは自由に飛び回っている。
「奏絵ちゃん。しばらく占いから離れる?」
「……なんで?」
鏡越しに恵梨果と目を合わせる。彼女の眼は憂いに満ちていた。
「奏絵ちゃんが傷ついているように見えるから」
「そんなことないよ。少しびっくりしただけ。占いをしていたら、こんなことは、よくあることではないけれど時々あること」
かつて、祖母と占いに行った先でナイフを突きつけられたり、他にも色々あったが、言葉にはしない。
恵梨果がドライヤーを片付けて、新しいヘアブラシを取り出した。
奏絵の髪をブラシで優しく丁寧にときながら、優しく声をかけてくる。
「なら、佐奈子さんのカフェで騒ぎをおこしたこと?」
「……とても後悔している」
「そっか。そうだよね。でも、佐奈子さんにも言われたと思うけど、奏絵ちゃんが気にすることじゃないよ」
「カフェのお客さんに一杯嫌な気持ちをさせた」
「大丈夫。佐奈子さんのカフェの常連さんたちは、少し嫌な気持ちになったって、佐奈子さんのカフェを嫌いになったりはしないよ」
「SNSにカフェの悪い評判も書き込まれる」
「それこそ大丈夫。今の世の中、お客さん商売をしていたら、そういう悪い評判の書き込みは避けられないもの。すべてのお客様に毎回100%満足してもらうのは、ほとんど不可能だから」
「……でも」
――インターネットの世界で、悪い評判がずっと残ってしまう。
「みんなに迷惑をかけてばかり。みんなに守られてばかり。これじゃあ、まるで子供」
「子供かあ。じゃあ、大人って何だと思う?」
「……? 何でもできる人? 何かあってもひとりで解決できる人」
「なら、この間話した商店街の再開発計画でみんなが力を合わせたことはどうかな。一人では何もできなかったよ。子供かな?」
首を大きく横に振る。
「大人だって、誰かに迷惑をかけるのはしょっちゅうだし、誰かに守られているんだよ」
「でも……」
自分は迷惑をかけて、守られてばかり、と言いかけたが、恵梨果の両腕によってふんわりと抱きしめられる。
「奏絵ちゃんも守っているんだよ。私もそう。梨々花ちゃんもそう。奏絵ちゃんが占いで満足した人はみんなそう」
恋人と一緒に笑顔を浮かべる沙羅の姿が脳裏に浮かぶ。この街に来てから奏絵が占った人たちの姿も。
凝り固まっていた心がほぐれていく。
「それに奏絵ちゃんは占いをしない普通の人になることもできるんだよ」
思わず、目を瞬かせてしまう。
「そんなこと考えたことも無かった」
鏡越しに、恵梨果が見つめてきていた。その心配げな表情は「考えてみて」と言っているようだった。
――お姉ちゃんの言った通り、占いを完全に止めたら、
――私は本当の白紙の人生を歩ける。
――……そうしたら、ドロシーはどうなる?
妖精のドロシーが「呼んだ?」と言わんばかりの顔になって、奏絵の目の前に現れた。
「奏絵ちゃん。今、決める必要はないよ。そういう選択肢もある、ってだけ」
――そっか。占いに助けられていたのは私もなんだ。
――私は占いに頼り切っていた。
――けれど、……。
奏絵の顔を覗き込んでいたドロシーがニパッと笑うと、また自由に飛び始めた。
「占いは私の一部だから。占いをしないなんて考えられない」
「……そっか」
「でもね、お姉ちゃん。占いをしない私も、これから探していきたいんだ」
顔を恵梨果の体に寄せる。
――温かい。
でも、すぐに戻す。惜しくはない。温かさは心の中にちゃんとあるから。
「そっかあ」
恵梨果は包み込むような柔らかい笑顔を浮かべて、身体を離すと、またブラシを動かして髪をとかし始めた。
――お姉ちゃんのこの笑顔に私は何度も助けられてきた。
「だったら、私は奏絵ちゃんのことを全力でサポートするね」
「はい、はい、はい! あたしも奏絵を全力で応援する!」
横から梨々花の姿が鏡に映りこんでくる。いつもの明るい笑顔がまぶしい。
「まだいたんだ」
「いたよー」
「話を聞いていたんだ」
「聞いていましたー」
「そっか」
――梨々花の笑顔に何度も救われてきた。
だから、この言葉を紡ぐ。
――お姉ちゃんにはこれまでも何度も言ってきたけど、これからも言うだろう。
――梨々花には一度も口にしてこなかったけれど、これからは何度も口にするだろう。
この言葉を。
「……二人とも、ありがとう」
場所は恵梨果が営むヘアサロン。
佐奈子の連絡を受けて、急いでやってきた恵梨果によって連れてこられた。
コーヒーの染みができた服は着替えた後、恵梨果に手によって髪を洗われた。
――お姉ちゃんにも迷惑をかけてしまった。
――迷惑をかけるばかりの子供だ。
口に出したら否定されるのが目に見えていたから、言葉にはしない。
言葉にしないから、心の中でグルグル。
この気持ちがいつまでも残り続ける。
――いつまでもお姉ちゃんの世話になるばかりの子供ではいられない。
ドライヤーがオフにされた。
『もう最悪だよ! あたしがその場にいたら、その女、ぶん殴ってやったのに!』
などと言って、先ほどまでヘアサロンのスタッフと一緒に憤慨していた梨々花の声は聞こえない。妖精のドロシーは自由に飛び回っている。
「奏絵ちゃん。しばらく占いから離れる?」
「……なんで?」
鏡越しに恵梨果と目を合わせる。彼女の眼は憂いに満ちていた。
「奏絵ちゃんが傷ついているように見えるから」
「そんなことないよ。少しびっくりしただけ。占いをしていたら、こんなことは、よくあることではないけれど時々あること」
かつて、祖母と占いに行った先でナイフを突きつけられたり、他にも色々あったが、言葉にはしない。
恵梨果がドライヤーを片付けて、新しいヘアブラシを取り出した。
奏絵の髪をブラシで優しく丁寧にときながら、優しく声をかけてくる。
「なら、佐奈子さんのカフェで騒ぎをおこしたこと?」
「……とても後悔している」
「そっか。そうだよね。でも、佐奈子さんにも言われたと思うけど、奏絵ちゃんが気にすることじゃないよ」
「カフェのお客さんに一杯嫌な気持ちをさせた」
「大丈夫。佐奈子さんのカフェの常連さんたちは、少し嫌な気持ちになったって、佐奈子さんのカフェを嫌いになったりはしないよ」
「SNSにカフェの悪い評判も書き込まれる」
「それこそ大丈夫。今の世の中、お客さん商売をしていたら、そういう悪い評判の書き込みは避けられないもの。すべてのお客様に毎回100%満足してもらうのは、ほとんど不可能だから」
「……でも」
――インターネットの世界で、悪い評判がずっと残ってしまう。
「みんなに迷惑をかけてばかり。みんなに守られてばかり。これじゃあ、まるで子供」
「子供かあ。じゃあ、大人って何だと思う?」
「……? 何でもできる人? 何かあってもひとりで解決できる人」
「なら、この間話した商店街の再開発計画でみんなが力を合わせたことはどうかな。一人では何もできなかったよ。子供かな?」
首を大きく横に振る。
「大人だって、誰かに迷惑をかけるのはしょっちゅうだし、誰かに守られているんだよ」
「でも……」
自分は迷惑をかけて、守られてばかり、と言いかけたが、恵梨果の両腕によってふんわりと抱きしめられる。
「奏絵ちゃんも守っているんだよ。私もそう。梨々花ちゃんもそう。奏絵ちゃんが占いで満足した人はみんなそう」
恋人と一緒に笑顔を浮かべる沙羅の姿が脳裏に浮かぶ。この街に来てから奏絵が占った人たちの姿も。
凝り固まっていた心がほぐれていく。
「それに奏絵ちゃんは占いをしない普通の人になることもできるんだよ」
思わず、目を瞬かせてしまう。
「そんなこと考えたことも無かった」
鏡越しに、恵梨果が見つめてきていた。その心配げな表情は「考えてみて」と言っているようだった。
――お姉ちゃんの言った通り、占いを完全に止めたら、
――私は本当の白紙の人生を歩ける。
――……そうしたら、ドロシーはどうなる?
妖精のドロシーが「呼んだ?」と言わんばかりの顔になって、奏絵の目の前に現れた。
「奏絵ちゃん。今、決める必要はないよ。そういう選択肢もある、ってだけ」
――そっか。占いに助けられていたのは私もなんだ。
――私は占いに頼り切っていた。
――けれど、……。
奏絵の顔を覗き込んでいたドロシーがニパッと笑うと、また自由に飛び始めた。
「占いは私の一部だから。占いをしないなんて考えられない」
「……そっか」
「でもね、お姉ちゃん。占いをしない私も、これから探していきたいんだ」
顔を恵梨果の体に寄せる。
――温かい。
でも、すぐに戻す。惜しくはない。温かさは心の中にちゃんとあるから。
「そっかあ」
恵梨果は包み込むような柔らかい笑顔を浮かべて、身体を離すと、またブラシを動かして髪をとかし始めた。
――お姉ちゃんのこの笑顔に私は何度も助けられてきた。
「だったら、私は奏絵ちゃんのことを全力でサポートするね」
「はい、はい、はい! あたしも奏絵を全力で応援する!」
横から梨々花の姿が鏡に映りこんでくる。いつもの明るい笑顔がまぶしい。
「まだいたんだ」
「いたよー」
「話を聞いていたんだ」
「聞いていましたー」
「そっか」
――梨々花の笑顔に何度も救われてきた。
だから、この言葉を紡ぐ。
――お姉ちゃんにはこれまでも何度も言ってきたけど、これからも言うだろう。
――梨々花には一度も口にしてこなかったけれど、これからは何度も口にするだろう。
この言葉を。
「……二人とも、ありがとう」
0
あなたにおすすめの小説
【完結】【ママ友百合】ラテアートにハートをのせて
千鶴田ルト
恋愛
専業主婦の優菜は、夫・拓馬と娘の結と共に平穏な暮らしを送っていた。
そんな彼女の前に現れた、カフェ店員の千春。
夫婦仲は良好。別れる理由なんてどこにもない。
それでも――千春との時間は、日常の中でそっと息を潜め、やがて大きな存在へと変わっていく。
ちょっと変わったママ友不倫百合ほのぼのガールズラブ物語です。
ハッピーエンドになるのでご安心ください。
身体だけの関係です‐原田巴について‐
みのりすい
恋愛
原田巴は高校一年生。(ボクっ子)
彼女には昔から尊敬している10歳年上の従姉がいた。
ある日巴は酒に酔ったお姉ちゃんに身体を奪われる。
その日から、仲の良かった二人の秒針は狂っていく。
毎日19時ごろ更新予定
「身体だけの関係です 三崎早月について」と同一世界観です。また、1~2話はそちらにも投稿しています。今回分けることにしましたため重複しています。ご迷惑をおかけします。
良ければそちらもお読みください。
身体だけの関係です‐三崎早月について‐
https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/500699060
せんせいとおばさん
悠生ゆう
恋愛
創作百合
樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。
※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。
春に狂(くる)う
転生新語
恋愛
先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/
カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761
小さくなって寝ている先輩にキスをしようとしたら、バレて逆にキスをされてしまった話
穂鈴 えい
恋愛
ある日の放課後、部室に入ったわたしは、普段しっかりとした先輩が無防備な姿で眠っているのに気がついた。ひっそりと片思いを抱いている先輩にキスがしたくて縮小薬を飲んで100分の1サイズで近づくのだが、途中で気づかれてしまったわたしは、逆に先輩に弄ばれてしまい……。
義姉妹百合恋愛
沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。
「再婚するから」
そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。
次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。
それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。
※他サイトにも掲載しております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる