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外伝第1話 E面-1
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◇キャラクター紹介
三田和希/パワハラが原因で心の中に引きこもって、身体を憑依してきた荏田和樹に委ねていた。「E面」は彼の視点で進行する。
カズキ/和樹と和希の共同作業であること、あるいは2人両方を示す。
**********
これはカズキとして歩いた非凡な日々とは異なる、三田和希が一人で歩く平凡な日々の一部始終。
『三次元の嫁は要らないってさんざん言ってきたじゃないか! なのに、なんだ。嫁が来る? しかも、2人も? マジで信じらんないよ。そんな生活、耐えらんない! マジで耐えらんない。想像するだけでもダメ! だから、往く。文句ある? あっても言わせないよ。じゃあね。バイバーイ』
――それは8割がた嘘だ。
馬鹿正直に本音を話せば、和樹が後ろめたさを感じてしまうのは、和希には手に取るように分かっていた。伊達に10年、同じ身体で過ごしていたわけではない。むしろ、和樹自身より彼のことを分かっている自信があった。なにせ、ずっと心の奥から彼の行動も感情も見てきたのだから。
和希があの世に往った後、和樹が後ろめたさも引け目も感じることなく生きていけるように、ずっとタイミングを見計らってきた。隠れて、言い訳も考えて、何度もシミュレートを繰り返してきた。
今更だが、和希はいつでもあの世に往くことができた。そうしなかったのは、最初は怖かったから。次は、未練。
――だって、「ココロスター」をすぐ近くで見ることができるんだ。
和樹と出会う前からガチファンだったゆえに、カズキとして過ごした時間は夢のような毎日だった。
その夢に終止符を打つ時が来た。
「三次元の嫁は要らない」「嫁は二次元が至上」を原理主義として守るつもりは、和希にはなかった。美船悠希と天堂咲良の2人に女性として魅力を感じない、と言えば嘘になる。もっとも、彼女たちが「ココロスター」で演じるキャラクターの方がより魅力的ではあったが。それはさておいて。
和樹と彼女たちの関係にこっそり立ち入ることに、和希の方が引け目を感じていた。
そのことをポツリとこぼした時、
「俺は全然気にしていないぞ」
とキョトンとした顔をして和樹は返してきた。それが裏表無い本音であることは和希にも分かった。だからこそ、より強く引け目を感じた。
彼女たちに和樹と和希のことをどのように説明するのか、を聞いたときは、少し考えた後、
「全部ぶっちゃけるか?」
その答えに、和希は溜息を吐いてしまった。
悠希と咲良の2人が見ているのは、和樹であって、和希ではない。常に和樹の陰に隠れているから、和希の存在を彼女たちが知るわけがない。
第一、3人の間に割って入るつもりは和希にはなかった。堂々とであっても、陰からコッソリであっても。
だから、終止符を打つことにした。
打った。
「ゲホッ! ゴホッ! ゲホッ!」
激しい咳込みに襲われた。全身が酸素を欲する欲求と、喉に残る鈍い痛みも。
しばらくして、咳込みが収まり始め、床のひんやりとした冷たさを感じるようになって、ようやく周りの様子を見る余裕ができてくる。
場所は、住み慣れた部屋。
目に止まったのは、ドアノブに結び付けられていたはずだけど解けているネクタイ。
和希には心当たりがあった。
――もしかして、時間をさかのぼった?
慌てて、通信端末を探し出した。ディスプレイに示された日付は、10年前のあの日。
あの日、あの時、生きるのが嫌になって、首にネクタイを回した。そして、なぜかネクタイは消え、首に痛みも無く、代わりに自分の中にもう1人別の人間が入っていた。
違うのは、ネクタイが解けて、そこにあることと、
――和樹? 和樹!
彼がいないこと。
――夢?
その考えは、喉に残る鈍い痛みが否定する。
10年間片時も離れずにいた存在の喪失感で、心が深く沈みこむ。
ピピピッ
通信端末がアラームを鳴らした。
10年前は、会社に出社する時刻を告げるこのアラームが、和希は嫌いで仕方がなかった。
このアラームを合図に、拒否する心と体に鞭打って、会社に出かけていた。
けれど、今は、かつてほどではない。どうすればいいか分かっているから。
和希は沈み込んだ心を奮い立たせて、身体を起こした。
「すみません。少し時間をいただいてもよろしいでしょうか」
出社してすぐ、かつては勝手に「前の上司と同じ」「敵」と思い込んでいた新任の上司に声を掛けた。そして、和樹がしたのと同じように助けを求めた。
そして、会社から帰る電車の中で1つのニュースを探した。
見つけた。
『――の交差点で、自動走行中の無人送迎車と手動運転車が衝突する事故がありました。この事故で送迎車に乗っていた男性1人が病院に搬送されましたが、軽傷とみられるということです。場所は信号機がある交差点で、――。警察が詳しい事故の原因を調べています』
和希の心の中は様々な感情が入り乱れたが、最終的に1つの想いに収束した。
――生きていた。
と安堵の想いで。
半年後、和希は会社の人事担当に出していたエンターテイメントコンテンツ部への異動希望を取り下げた。
1人で仕事をして、和樹の優秀さを思い知らされた。特に、相手の懐に躊躇なく飛び込んでいく思い切りの良さと、そのことを相手に警戒させない人懐こさ、想定外のことが起きてもすぐに対処できる臨機応変さ。間近で見ていても和希には真似できなかった。
2度目であるにもかかわらず、2人でやった時の6割から7割の成果しか出来なかった。
――同じことはできない。
くじけかけたこともあった。そういう時は、和樹の背中を思い出して、自分を奮い立たせた。
「ま、何とかなるだろ」
彼の口癖も真似して、口ずさみながら。
最近は8割程度まで成果を上げられるようになり、自信もつき始めた。
異動希望を取り下げたのは、1度目をそのままなぞるのではなく、和希だけの道を進んでいくための、彼なりの決意表明。
ただし、和希には1つだけ見過ごせないことがあった。
ある夜、同期2人との飲み会をセッティングした。
1人は、同期の中でも出世株と目されていて、会社の中でもエリートが集まる戦略マネジメント部に配属されている大関。もう1人は、エンターテイメントコンテンツ部に配属された小畑。とりわけ、小畑は和希にとって憧れの「ココロスター」に運営に携わっていることから、かつては嫉妬の対象だった。
大関、小畑ともに同期の中でも共通点が無くそれほど親しいわけでもなかったから、和希から誘われて「なぜ?」の気持ちを2人に持たれているのは分かっていた。だから、営業で培われた話術によって空気をほぐしてから、本題を切り出した。
「最初に言っておく。僕は『ココロスター』のガチ勢だ」
「「お、おう」」
和希の力強い言葉に、「何をいきなり言い出すんだ」と言わんばかりの2人を反応を確認したうえで続ける。
「最近、気になる話を耳にした。戦略マネジメント部の戸川さんがエンターテイメントコンテンツ部に異動になって『ココロスター』のライブ担当プロデューサーになるって」
2人の顔が怪訝なものに変わる。ただし、2人の表情はそれぞれ少しだけニュアンスが違う。大関は「何が言いたいんだ?」と、小畑は「何の話だ?」と言った感じに。
特に大関の反応に、和希は少し安堵を覚える。彼もこの異動の話を知っていることが分かったから。
戦略マネジメント部の戸川。カズキの前任者で、「ココロスター」のライブの歴史の中で悪い意味の「伝説」を残した担当者だ。
和希にとって、「ココロスター」ガチ勢であるゆえに、「ココロスター」を汚した戸川はこれまで「悪」でしかなかった。だけど、「ココロスター」の黒歴史が繰り返されないように、1人で改めて調べてみると、少し違った景色が見えてきた。
確かに、「ココロスター」はシンクスフィアが社運をかけて世の中に送り出したコンテンツで、会社の稼ぎ頭でもある。社員はそのことに誇りを持っていて、その度合いはかかわりが深いほど大きい。
けれど、稼いでいる額ほど会社に貢献していない。利益が少ないのだ。そのことを会社の中で問題視している人がそれなりにいることに和希は気付いた。
原因は、この頃「ココロスター」の派生ゲームを相次いでリリースしたために絶賛大混乱中の作業ラインと、その無駄によって生まれている経費の多さ。カズキとして取り組んだのがこの問題だった。今のところ、「ココロスター」の開発チームが解決に取り組んでいる様子は見られない。
だからと言って、部外者が直接そこに手を突っ込むのはまた別の問題があった。「ココロスター」という会社の看板を手掛けているという、開発チーム、ひいてはエンターテイメントコンテンツ部の高いプライドとガチンコになるから。
「俺たちの縄張りに手を出すな!」
と。
だから、それよりも目立つ赤字を上げていた「ライブイベント」に目を付けた。問題視している人、つまり、戦略マネジメント部の人たちが。
この頃のライブは資金面で構造的問題を抱えていた。会場のキャパシティと観客から払われるチケット価格から収入の限界は見えていたのに対して、「暴走特急」中西社長に歯止めをかけることが出来ずに支出が膨れ上がり続けていた。インターネット配信も行っていたが、同時配信を行う手間暇で、黒字どころか赤字をプラスする側だった。こうした構造を「ココロスター」運営はファンサービスの一環として見過ごしていたし、彼らを含むエンターテイメントコンテンツ部も必要経費と割り切っていた。
そこに送り込まれようとしていたのが、戸川。和希が彼のことを調べてみたら、確かに評判は良くなかった。上には媚びへつらい、横とは協調性が無く、下には強く辛く当たる。もっとも、和希のパワハラ元上司ほどではなかった。むしろ、会社のエリートが集まる戦略マネジメント部に配属されるだけあって優秀であった。その彼が手掛けて上手くいった例の共通点が「支出を極小化していたこと」。ただし、そのことには多くの社員が気付づいていない。だから、
「もしかして、戦略マネジメント部は戸川さんを『コストカッター』として送るつもり?」
和希の言葉に、また2人の表情が変わる。
「へえー。そこに目を付けたんだ」
感心したといった感じで大関が言葉を返した。だが、それを聞いた小畑が顔色が変わって、
「おい、本気か!」
大関に食って掛かった。掛かられた大関は「なぜそんなに興奮するのか?」と理解できていなかった。
「はいはい。小畑は落ち着いて」
そう言いながら、和希は2人を引き離すと、
「1ファンとして言わせてもらえれば、経費モリモリで豪華になろうが、コストカットされようが、はっきり言えば『関係ない』。ライブに満足できるか、そうでないか、が一番の問題なんだ」
ここで大関に視線を合わせる。
「ライブイベントを取り仕切る中西社長のことを大関は聞いたことがない? イベント業界の『暴走特急』とか呼ばれている人のこと。彼の一番嫌いな言葉が『コストカット』」
だから、カズキとして「コストカット」という言葉は1度も使わなかった。ただただ、頭を絞って、足を使って、無駄をなくしていくことに力を注いだ。過去に使って再利用できる資材を倉庫から引っ張り出してきたり、当初買う分がオーバースペックだったからスペックダウンした同等品を探して来たり、と。
「2人のことを知っていたら、『相性が最悪だ』というのはすぐに分かると思う」
「だがな……」
大関の言葉を和希はさえぎって、
「そっちの言い分は分かる。ライブ関連の赤字額が大きすぎる、と言うのは。だけど、相性最悪の2人を組ませた結果生まれるライブイベントの失敗が何を引き起こすか、想定出来ている?」
?マークを頭に浮かべる大関に対して、小畑の顔色が悪くなる。
「ライブに来るのは多くが『ココロスター』のヘビーユーザーなんだ。高いチケットを躊躇いなく買って、物販にも限界まで資金を投下する、そんな人たち。もちろん、ゲームにも普段から大量の課金をしている。僕も含めてね」
言葉を切る。大関の顔色も悪くなった。
「そんな人たちの期待を裏切るとどうなるか、わかるよね。ヘビーユーザーの離脱は何を起こす? 収入は激減。『ココロスター』の勢いに急ブレーキがかかる。下手すると、会社そのものの評判にも傷がつくかも」
実際に起きたこと。赤字を大幅に小さくしたと得意満面のまま転職した戸川が、もうすこしだけシンクスフィアに残っていたら、血祭りにあげられていた。彼が去った後に顕在化したから。
ここで和希はアプローチを変える。
「それともう1つ。戸川さんって、バリバリの体育会系だよね。座学はとことん苦手、とも聞いたけど。異動に先立って、コミュニケーションに関する講習を受けている、って聞いたけど、本当に大丈夫?」
本当に「心配そう」な和希の言葉に、大関はサッと視線をそらしたから、
「おい。その反応はなんだ?」
と小畑から突っ込まれる。戸川の協調性の無さは、会社でも知られていたことから、戦略マネジメント部の方から、彼を送り出すにあたって、講習受講を条件にしていた。
知らないふりをして、止めを刺しに行く。
「もしかして、講習に落ちて、再受講が必要、なんて話があったりしないよね」
前回、戦略マネジメント部は戸川の落第を隠した。再受講していたら、定期異動に間に合わなかったから。「大事の前の小事」と人事まで巻き込んで隠蔽した。もっとも、こうしたことはすぐに表に出てしまうもので。しかも、ライブイベント失敗と同じタイミングで。
だから、エンターテイメントコンテンツ部は戸川がやったことが生み出す今後の影響に顔を真っ青にして頭を抱え、戦略マネジメント部がやらかしたことに激怒したのだ。「『ココロスター』を潰す気か!」と。
「このことは上に報告させてもらうからな」
小畑は大関にそう通告するが、彼に対しても和希は言いたいことがあった。
「小畑たちも、そろそろ、いい加減に自己改革をした方が良いよね」
いまいちピンと来ていない表情を浮かべる小畑に畳みかける。
「市場調査もやっているだろうし、カスタマーサポートから報告も来ているから、知っているだろうけど。そろそろ僕たちユーザーの我慢も限界だよ」
小畑の顔色がまた別の意味で悪くなる。
「バグ多すぎ。チョンボも多すぎ。この間のゲームバランス修正もすぐに無かったことにしたけど、本当にちゃんとテストランした? 挙句、周年イベントスタート直後に緊急メンテナンスなんて、本当は僕たちプレイヤーのこと舐めているんじゃない?」
言葉の刃で突き刺すたびに、小畑の顔色が悪くなっていった。
こうして「ココロスター」の「最悪ライブ」は回避された。
その結果。
和希はライブ会場にいた。カズキが初めて参加したライブであった回、「伝説」とユーザーたちから語り継がれていたライブの会場である。
今回、和希は関わっていない。一観客として来ていた。
アンコールが終わり、会場に退場をうながすアナウンスが流れている。
周りにいた観客たちが満足そうに会場を後にしているが、和希だけは顔から表情を一切落として、座席に座り込んでいた。
彼の耳には、再度のアンコールを求める観客たちの声と手拍子が聞こえていた。その時、カズキは直属の上司を飛び越えて自分が連絡先を知る一番上の村中に電話して、
「お願いします! 使わせてください!」
ライブイベント担当になる前に存在だけ知っていた楽曲「リ・スタート」の使用許可を願っていた。会場の熱気が電話越しに伝わった。村中の目の前にあったディスプレイにはライブ配信が表示されていて、そのチャット上でもアンコールを求める書き込みが猛烈な勢いでされていた。別のデイスプレイには、配信のサーバー使用量の逼迫具合も表示されていた。らしい。後から愚痴交じりに聞かされた。
この後の処理に内心溜息を吐きながら、許可を出して、音源データを送った。とも。
そして、江莉を先頭に美羽たちがステージの上に出て行く。完全に予定外のことだったため、演出も何もなかった。「リ・スタート」の音源はカズキも中西ももちろん会場にいたスタッフは誰も聞いたことが無かったから、アドリブの演出も出来なかった。ただ、カメラだけは彼女たちを撮るように指示した。
彼女たちが歌っている最中は、ライブ会場の施設管理者を始め関係各所に、ライブの終了時刻が大幅に超過することを詫びる電話をかけ続けていた。
だから、後日見た映像を元にした幻が和希の目に映っていた。
――今の「ココロスター」は、僕たちが関わった「ココロスター」とは違う。
その現実を突きつけられた実感と寂しさを噛みしめながら。
「『昨日に別れを告げて明日へ歩き出そう』」
「リ・スタート」のフレーズを誰にも聞かれないように小さな声で口ずさみながら、和希は座席から立ち上がった。
そして、幻の観客の歓声を背にして会場を後にする。
「ココロスター」への想いをそこに置いたままで。
三田和希/パワハラが原因で心の中に引きこもって、身体を憑依してきた荏田和樹に委ねていた。「E面」は彼の視点で進行する。
カズキ/和樹と和希の共同作業であること、あるいは2人両方を示す。
**********
これはカズキとして歩いた非凡な日々とは異なる、三田和希が一人で歩く平凡な日々の一部始終。
『三次元の嫁は要らないってさんざん言ってきたじゃないか! なのに、なんだ。嫁が来る? しかも、2人も? マジで信じらんないよ。そんな生活、耐えらんない! マジで耐えらんない。想像するだけでもダメ! だから、往く。文句ある? あっても言わせないよ。じゃあね。バイバーイ』
――それは8割がた嘘だ。
馬鹿正直に本音を話せば、和樹が後ろめたさを感じてしまうのは、和希には手に取るように分かっていた。伊達に10年、同じ身体で過ごしていたわけではない。むしろ、和樹自身より彼のことを分かっている自信があった。なにせ、ずっと心の奥から彼の行動も感情も見てきたのだから。
和希があの世に往った後、和樹が後ろめたさも引け目も感じることなく生きていけるように、ずっとタイミングを見計らってきた。隠れて、言い訳も考えて、何度もシミュレートを繰り返してきた。
今更だが、和希はいつでもあの世に往くことができた。そうしなかったのは、最初は怖かったから。次は、未練。
――だって、「ココロスター」をすぐ近くで見ることができるんだ。
和樹と出会う前からガチファンだったゆえに、カズキとして過ごした時間は夢のような毎日だった。
その夢に終止符を打つ時が来た。
「三次元の嫁は要らない」「嫁は二次元が至上」を原理主義として守るつもりは、和希にはなかった。美船悠希と天堂咲良の2人に女性として魅力を感じない、と言えば嘘になる。もっとも、彼女たちが「ココロスター」で演じるキャラクターの方がより魅力的ではあったが。それはさておいて。
和樹と彼女たちの関係にこっそり立ち入ることに、和希の方が引け目を感じていた。
そのことをポツリとこぼした時、
「俺は全然気にしていないぞ」
とキョトンとした顔をして和樹は返してきた。それが裏表無い本音であることは和希にも分かった。だからこそ、より強く引け目を感じた。
彼女たちに和樹と和希のことをどのように説明するのか、を聞いたときは、少し考えた後、
「全部ぶっちゃけるか?」
その答えに、和希は溜息を吐いてしまった。
悠希と咲良の2人が見ているのは、和樹であって、和希ではない。常に和樹の陰に隠れているから、和希の存在を彼女たちが知るわけがない。
第一、3人の間に割って入るつもりは和希にはなかった。堂々とであっても、陰からコッソリであっても。
だから、終止符を打つことにした。
打った。
「ゲホッ! ゴホッ! ゲホッ!」
激しい咳込みに襲われた。全身が酸素を欲する欲求と、喉に残る鈍い痛みも。
しばらくして、咳込みが収まり始め、床のひんやりとした冷たさを感じるようになって、ようやく周りの様子を見る余裕ができてくる。
場所は、住み慣れた部屋。
目に止まったのは、ドアノブに結び付けられていたはずだけど解けているネクタイ。
和希には心当たりがあった。
――もしかして、時間をさかのぼった?
慌てて、通信端末を探し出した。ディスプレイに示された日付は、10年前のあの日。
あの日、あの時、生きるのが嫌になって、首にネクタイを回した。そして、なぜかネクタイは消え、首に痛みも無く、代わりに自分の中にもう1人別の人間が入っていた。
違うのは、ネクタイが解けて、そこにあることと、
――和樹? 和樹!
彼がいないこと。
――夢?
その考えは、喉に残る鈍い痛みが否定する。
10年間片時も離れずにいた存在の喪失感で、心が深く沈みこむ。
ピピピッ
通信端末がアラームを鳴らした。
10年前は、会社に出社する時刻を告げるこのアラームが、和希は嫌いで仕方がなかった。
このアラームを合図に、拒否する心と体に鞭打って、会社に出かけていた。
けれど、今は、かつてほどではない。どうすればいいか分かっているから。
和希は沈み込んだ心を奮い立たせて、身体を起こした。
「すみません。少し時間をいただいてもよろしいでしょうか」
出社してすぐ、かつては勝手に「前の上司と同じ」「敵」と思い込んでいた新任の上司に声を掛けた。そして、和樹がしたのと同じように助けを求めた。
そして、会社から帰る電車の中で1つのニュースを探した。
見つけた。
『――の交差点で、自動走行中の無人送迎車と手動運転車が衝突する事故がありました。この事故で送迎車に乗っていた男性1人が病院に搬送されましたが、軽傷とみられるということです。場所は信号機がある交差点で、――。警察が詳しい事故の原因を調べています』
和希の心の中は様々な感情が入り乱れたが、最終的に1つの想いに収束した。
――生きていた。
と安堵の想いで。
半年後、和希は会社の人事担当に出していたエンターテイメントコンテンツ部への異動希望を取り下げた。
1人で仕事をして、和樹の優秀さを思い知らされた。特に、相手の懐に躊躇なく飛び込んでいく思い切りの良さと、そのことを相手に警戒させない人懐こさ、想定外のことが起きてもすぐに対処できる臨機応変さ。間近で見ていても和希には真似できなかった。
2度目であるにもかかわらず、2人でやった時の6割から7割の成果しか出来なかった。
――同じことはできない。
くじけかけたこともあった。そういう時は、和樹の背中を思い出して、自分を奮い立たせた。
「ま、何とかなるだろ」
彼の口癖も真似して、口ずさみながら。
最近は8割程度まで成果を上げられるようになり、自信もつき始めた。
異動希望を取り下げたのは、1度目をそのままなぞるのではなく、和希だけの道を進んでいくための、彼なりの決意表明。
ただし、和希には1つだけ見過ごせないことがあった。
ある夜、同期2人との飲み会をセッティングした。
1人は、同期の中でも出世株と目されていて、会社の中でもエリートが集まる戦略マネジメント部に配属されている大関。もう1人は、エンターテイメントコンテンツ部に配属された小畑。とりわけ、小畑は和希にとって憧れの「ココロスター」に運営に携わっていることから、かつては嫉妬の対象だった。
大関、小畑ともに同期の中でも共通点が無くそれほど親しいわけでもなかったから、和希から誘われて「なぜ?」の気持ちを2人に持たれているのは分かっていた。だから、営業で培われた話術によって空気をほぐしてから、本題を切り出した。
「最初に言っておく。僕は『ココロスター』のガチ勢だ」
「「お、おう」」
和希の力強い言葉に、「何をいきなり言い出すんだ」と言わんばかりの2人を反応を確認したうえで続ける。
「最近、気になる話を耳にした。戦略マネジメント部の戸川さんがエンターテイメントコンテンツ部に異動になって『ココロスター』のライブ担当プロデューサーになるって」
2人の顔が怪訝なものに変わる。ただし、2人の表情はそれぞれ少しだけニュアンスが違う。大関は「何が言いたいんだ?」と、小畑は「何の話だ?」と言った感じに。
特に大関の反応に、和希は少し安堵を覚える。彼もこの異動の話を知っていることが分かったから。
戦略マネジメント部の戸川。カズキの前任者で、「ココロスター」のライブの歴史の中で悪い意味の「伝説」を残した担当者だ。
和希にとって、「ココロスター」ガチ勢であるゆえに、「ココロスター」を汚した戸川はこれまで「悪」でしかなかった。だけど、「ココロスター」の黒歴史が繰り返されないように、1人で改めて調べてみると、少し違った景色が見えてきた。
確かに、「ココロスター」はシンクスフィアが社運をかけて世の中に送り出したコンテンツで、会社の稼ぎ頭でもある。社員はそのことに誇りを持っていて、その度合いはかかわりが深いほど大きい。
けれど、稼いでいる額ほど会社に貢献していない。利益が少ないのだ。そのことを会社の中で問題視している人がそれなりにいることに和希は気付いた。
原因は、この頃「ココロスター」の派生ゲームを相次いでリリースしたために絶賛大混乱中の作業ラインと、その無駄によって生まれている経費の多さ。カズキとして取り組んだのがこの問題だった。今のところ、「ココロスター」の開発チームが解決に取り組んでいる様子は見られない。
だからと言って、部外者が直接そこに手を突っ込むのはまた別の問題があった。「ココロスター」という会社の看板を手掛けているという、開発チーム、ひいてはエンターテイメントコンテンツ部の高いプライドとガチンコになるから。
「俺たちの縄張りに手を出すな!」
と。
だから、それよりも目立つ赤字を上げていた「ライブイベント」に目を付けた。問題視している人、つまり、戦略マネジメント部の人たちが。
この頃のライブは資金面で構造的問題を抱えていた。会場のキャパシティと観客から払われるチケット価格から収入の限界は見えていたのに対して、「暴走特急」中西社長に歯止めをかけることが出来ずに支出が膨れ上がり続けていた。インターネット配信も行っていたが、同時配信を行う手間暇で、黒字どころか赤字をプラスする側だった。こうした構造を「ココロスター」運営はファンサービスの一環として見過ごしていたし、彼らを含むエンターテイメントコンテンツ部も必要経費と割り切っていた。
そこに送り込まれようとしていたのが、戸川。和希が彼のことを調べてみたら、確かに評判は良くなかった。上には媚びへつらい、横とは協調性が無く、下には強く辛く当たる。もっとも、和希のパワハラ元上司ほどではなかった。むしろ、会社のエリートが集まる戦略マネジメント部に配属されるだけあって優秀であった。その彼が手掛けて上手くいった例の共通点が「支出を極小化していたこと」。ただし、そのことには多くの社員が気付づいていない。だから、
「もしかして、戦略マネジメント部は戸川さんを『コストカッター』として送るつもり?」
和希の言葉に、また2人の表情が変わる。
「へえー。そこに目を付けたんだ」
感心したといった感じで大関が言葉を返した。だが、それを聞いた小畑が顔色が変わって、
「おい、本気か!」
大関に食って掛かった。掛かられた大関は「なぜそんなに興奮するのか?」と理解できていなかった。
「はいはい。小畑は落ち着いて」
そう言いながら、和希は2人を引き離すと、
「1ファンとして言わせてもらえれば、経費モリモリで豪華になろうが、コストカットされようが、はっきり言えば『関係ない』。ライブに満足できるか、そうでないか、が一番の問題なんだ」
ここで大関に視線を合わせる。
「ライブイベントを取り仕切る中西社長のことを大関は聞いたことがない? イベント業界の『暴走特急』とか呼ばれている人のこと。彼の一番嫌いな言葉が『コストカット』」
だから、カズキとして「コストカット」という言葉は1度も使わなかった。ただただ、頭を絞って、足を使って、無駄をなくしていくことに力を注いだ。過去に使って再利用できる資材を倉庫から引っ張り出してきたり、当初買う分がオーバースペックだったからスペックダウンした同等品を探して来たり、と。
「2人のことを知っていたら、『相性が最悪だ』というのはすぐに分かると思う」
「だがな……」
大関の言葉を和希はさえぎって、
「そっちの言い分は分かる。ライブ関連の赤字額が大きすぎる、と言うのは。だけど、相性最悪の2人を組ませた結果生まれるライブイベントの失敗が何を引き起こすか、想定出来ている?」
?マークを頭に浮かべる大関に対して、小畑の顔色が悪くなる。
「ライブに来るのは多くが『ココロスター』のヘビーユーザーなんだ。高いチケットを躊躇いなく買って、物販にも限界まで資金を投下する、そんな人たち。もちろん、ゲームにも普段から大量の課金をしている。僕も含めてね」
言葉を切る。大関の顔色も悪くなった。
「そんな人たちの期待を裏切るとどうなるか、わかるよね。ヘビーユーザーの離脱は何を起こす? 収入は激減。『ココロスター』の勢いに急ブレーキがかかる。下手すると、会社そのものの評判にも傷がつくかも」
実際に起きたこと。赤字を大幅に小さくしたと得意満面のまま転職した戸川が、もうすこしだけシンクスフィアに残っていたら、血祭りにあげられていた。彼が去った後に顕在化したから。
ここで和希はアプローチを変える。
「それともう1つ。戸川さんって、バリバリの体育会系だよね。座学はとことん苦手、とも聞いたけど。異動に先立って、コミュニケーションに関する講習を受けている、って聞いたけど、本当に大丈夫?」
本当に「心配そう」な和希の言葉に、大関はサッと視線をそらしたから、
「おい。その反応はなんだ?」
と小畑から突っ込まれる。戸川の協調性の無さは、会社でも知られていたことから、戦略マネジメント部の方から、彼を送り出すにあたって、講習受講を条件にしていた。
知らないふりをして、止めを刺しに行く。
「もしかして、講習に落ちて、再受講が必要、なんて話があったりしないよね」
前回、戦略マネジメント部は戸川の落第を隠した。再受講していたら、定期異動に間に合わなかったから。「大事の前の小事」と人事まで巻き込んで隠蔽した。もっとも、こうしたことはすぐに表に出てしまうもので。しかも、ライブイベント失敗と同じタイミングで。
だから、エンターテイメントコンテンツ部は戸川がやったことが生み出す今後の影響に顔を真っ青にして頭を抱え、戦略マネジメント部がやらかしたことに激怒したのだ。「『ココロスター』を潰す気か!」と。
「このことは上に報告させてもらうからな」
小畑は大関にそう通告するが、彼に対しても和希は言いたいことがあった。
「小畑たちも、そろそろ、いい加減に自己改革をした方が良いよね」
いまいちピンと来ていない表情を浮かべる小畑に畳みかける。
「市場調査もやっているだろうし、カスタマーサポートから報告も来ているから、知っているだろうけど。そろそろ僕たちユーザーの我慢も限界だよ」
小畑の顔色がまた別の意味で悪くなる。
「バグ多すぎ。チョンボも多すぎ。この間のゲームバランス修正もすぐに無かったことにしたけど、本当にちゃんとテストランした? 挙句、周年イベントスタート直後に緊急メンテナンスなんて、本当は僕たちプレイヤーのこと舐めているんじゃない?」
言葉の刃で突き刺すたびに、小畑の顔色が悪くなっていった。
こうして「ココロスター」の「最悪ライブ」は回避された。
その結果。
和希はライブ会場にいた。カズキが初めて参加したライブであった回、「伝説」とユーザーたちから語り継がれていたライブの会場である。
今回、和希は関わっていない。一観客として来ていた。
アンコールが終わり、会場に退場をうながすアナウンスが流れている。
周りにいた観客たちが満足そうに会場を後にしているが、和希だけは顔から表情を一切落として、座席に座り込んでいた。
彼の耳には、再度のアンコールを求める観客たちの声と手拍子が聞こえていた。その時、カズキは直属の上司を飛び越えて自分が連絡先を知る一番上の村中に電話して、
「お願いします! 使わせてください!」
ライブイベント担当になる前に存在だけ知っていた楽曲「リ・スタート」の使用許可を願っていた。会場の熱気が電話越しに伝わった。村中の目の前にあったディスプレイにはライブ配信が表示されていて、そのチャット上でもアンコールを求める書き込みが猛烈な勢いでされていた。別のデイスプレイには、配信のサーバー使用量の逼迫具合も表示されていた。らしい。後から愚痴交じりに聞かされた。
この後の処理に内心溜息を吐きながら、許可を出して、音源データを送った。とも。
そして、江莉を先頭に美羽たちがステージの上に出て行く。完全に予定外のことだったため、演出も何もなかった。「リ・スタート」の音源はカズキも中西ももちろん会場にいたスタッフは誰も聞いたことが無かったから、アドリブの演出も出来なかった。ただ、カメラだけは彼女たちを撮るように指示した。
彼女たちが歌っている最中は、ライブ会場の施設管理者を始め関係各所に、ライブの終了時刻が大幅に超過することを詫びる電話をかけ続けていた。
だから、後日見た映像を元にした幻が和希の目に映っていた。
――今の「ココロスター」は、僕たちが関わった「ココロスター」とは違う。
その現実を突きつけられた実感と寂しさを噛みしめながら。
「『昨日に別れを告げて明日へ歩き出そう』」
「リ・スタート」のフレーズを誰にも聞かれないように小さな声で口ずさみながら、和希は座席から立ち上がった。
そして、幻の観客の歓声を背にして会場を後にする。
「ココロスター」への想いをそこに置いたままで。
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