その土竜は己の爪を「鋭くない」と隠す ~臆病者の東京ダンジョン探索記

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20 その土竜、爪を振るう

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 槍が振り下ろされた。

 先程の「レッドフラッグ」のメンバーのような悲鳴は響かない。代わりに、

 鮮血がほとばしる。 

 陽太の口から罵り声は漏れない。出さない。代わりに、彼女たちを救えない無力さを悔いる。最後を見届けて、地上で待つ人たちにその様子を伝えることしかできない力不足を悔いる。 

 と、その時、ヘルメットシールドのディスプレイに着信の表示があることに気が付いた。 

 協会からの依頼を別に受けた探索者が自分たちのパーティーとの通信リンクを確立したことを知らせるものだった。これによって、互いの居場所を把握できるようになり、メッセージを直接やり取りできるようにもなる。だから、 

石引伸忠 : 現着した 

 この場にたどり着いたという連絡も入っていた。 

 ――あーあ。もう少し遅れていれば、この惨劇に立ち会わなくてすんだのに。 

 リンクで確認すると、丘の上に1人の男が立っていた。足元には猫が1匹。 

 石引伸忠。陽太の少し前までの認識は「探索者の間でちょっと知られた人物」。テイムしたシャドウフェリスを連れ歩いている珍しい者。ダンジョン配信にファンが1人も付いていない底辺配信者。深階層には行かず延々と浅階層に留まる臆病者。モンスターと直接立ち向かわず毒を使う卑怯者。これらが揃うと他の探索者に絡まれて虐められてダンジョンから追い出されそうだが、そうならない理由がある。有力探索者のヒモとかコバンザメとかいう評判。彼にちょっかいを出すと有力探索者がどこからか現れて〆られる、という意味。 

 とはいえ、これらを全部真に受ける探索者はほとんどいない。深階層に行かないのはそれぞれの自由だし、モンスターに立ち向かう方法・手段もそれぞれの自由だ。だから、陽太も話半分以下にしか聞いていなかった。 

 でも、「居酒屋までま」に初めて行った時、常連客としている姿を見て、嫉妬で心がざわついた。この店は、直章を慕っている陽太にとってはもちろん、他の探索者にとっても、特別の場所だったから。憧れの探索者たちが集う店であり、他業種の関係者も集まって様々な依頼が飛び交う場所でもあった。 

「石引がどんなヤツか、だって?」 

 彼が姿を消した後、酔いに任せて聞いてみた。 

「そりゃあ、頑固で偏屈で変わり者だろ」 

 30階層あたりをメインとするパーティー「懸かり乱れ龍」のリーダーが、日本酒が注がれた枡酒を片手に、酔いが回って軽くなった口で答えてくれた。 

「名字に『石』があるせいで石頭で頑固者で……」 

「おいおい。その辺にしておけ。悪口言っているのがバレて、あいつが怒ったら大変なことになるぞ」 

 直章が割って入ってきた。陽太が話しているからではない。伸忠のことを話していたからだ。それを察した陽太は心の中のざわつきが表に出ないように苦労する。

「分かってる、分かってる。でもな、いいか、覚えておけ。全人類はあいつに足を向けては寝られないんだ」 

「全人類は言いすぎだろ」 

「なら、東京ダンジョンに潜る新人探索者とポーションの世話になっている全員ならどうだ」 

「まあな」 

 あらためて、リーダーが陽太の顔を見て口を開く。その前に、枡酒を傾けて、中身を口に注いで。 

「どういうことか、って顔をしているな。なら、教えてやる。ここ数年でポーションの供給量が増えただろ。味もかなりマシになった。あれに石引が関わっている。新物質の発見に、生産工程の見直しで、使用期限も生産量も倍以上になった」 

「本人は全然大したことはしていないつもりだがな」 

「協会や国は褒美を出すべきだろ」 

「ああ、その類は全部断っているらしいぞ」 

「なんでだ?」 

「そんな評価されることはしていない。あと、面倒くさい」 

「最後が本音だろ!」 

 リーダーの笑い声が店に響く。この辺りの話は、全て協会の広報誌に書かれている。伸忠の名前こそ出ていないが、断片的な情報を繋ぎ合わせていくとたどり着く。もっとも、腕力重視の多くの探索者は広報誌に目を通さない。

 だから、笑いを収めると、酔いでさらに口の回りが良くなったリーダーは、 

「だが、あいつのおかげで、俺たちはポーションをがぶ飲み出来るようになった。少し前までは、飲めた味じゃなかったが、それでも残りを数えながら慎重に進むしかなかった。でも、今じゃあガンガン奥に進める。ウチのパーティーでもポーションの自家生産をしているが、そのマニュアルを回しているのがあいつ。生産を任せているヤツなんか、あいつのことを『神』と崇めているぞ。それこそ、ラボに神棚まで作って祀っているくらいだ」 

「マジか?」 

 初めて聞いた話に、直章の目が丸くなった。 

「大マジだ。あの界隈であいつのことを知っているヤツなら全員崇めているんじゃないか?」 

「今度聞かせてやろう。どんな顔をするか、楽しみだ」 

「そうしろ、そうしろ」 

 おっさん2人が悪戯小僧の顔になる。その様子をバックヤードから見ていた夕香里が客の個人情報を漏らすなと旦那直章の口を絞めるための怒りの角を頭に生やしていることに、そんな姉を見て妹の万理華がヒュッと顔を青ざめさせていることに、3人は気付かない。 

 そのまま、また枡酒を傾けてから、リーダーが口を開く。 

「あと、新人探索者のことだな。ダンジョンの地形マップがあるだろ。あれ、かなり適当なんだが、3階層までなら完璧なんだ。なぜだと思う? 石引が全部書き直したんだよ。おかげで、新人が足を滑らせて、下の階層に落ちてしまうことが無くなった。道に迷うこともほとんど無くなった。方向音痴は知らんがな」 

「4階層も8割がたできたらしいぞ」 

「そうか、そうか」 

 直章の言葉にリーダーは顔を緩ませて、三度枡酒を傾ける。でも、次の瞬間には、陽太に送る視線が鋭くなった。 

「でもな、生産系で浅階層をメインにしているからって、あいつのことを甘く見るなよ」 

 視線と言葉で太い釘をさすように、下手な考えをめぐらすなと警告するように。 

「あいつが本気出したら、俺たちとタメを張るからな」 

 「お前たちが襲い掛かっても返り討ちにされるぞ」とその目は告げて来ていた。冗談と笑ったり、否定したりすることは許されなかった。 

 そんな記憶を陽太が、眼下の惨劇から逃避するために思い返していたら、再び、連絡が入った。 

石引伸忠 : 攻撃を開始する 

 ――は? 

 慌てて、視線を上げると、丘の上に立った伸忠が手に持ったコンパウンドボウに矢をつがえ、弦を引き絞っていた。 

 ゾクリ

 陽太の背筋に冷たいものが走る。距離が離れていて、その顔はゴーグルで覆われているにもかかわらず、伸忠の酷薄な目が見えた気がした。

 矢が放たれた。 

 放たれた矢はかすかな風切り音とともに飛び、槍持ちのゴブリンの首を貫く。 

 ゴブリンの手から鮮血に塗れた槍が地面に落ちた。

 カラン

 ダンジョンに乾いた音が響く。 

 再び風切り音が走る。と、先程氷魔法を放ったゴブリンの胸に矢が刺さっていた。

 ドサッ

 何かが倒れる音がしたから目を向けると、槍持ちのゴブリンが地面に仰向けに倒れていた。

 苦しみもがき、白目をむく恐怖の形相。丘の上からでも、息絶えているのが分かった。顔や首に苦しさで自ら付けた掻き傷とそこから流れる血が、恐怖をさらに強く伝えてくる。

 再び音がする。今度は炎魔法を放ったゴブリンの背中に矢が刺さっていた。横には倒れた氷魔法のゴブリン。 

 ようやく、下のゴブリンたちが自分たちの身に何が起きているのかが分かり、騒ぎ始めたが、意味をなさない。 

 それぞれ1本ずつ、ゴブリンたちの身体に矢が刺さる。

 最後の1体がようやく丘の上の伸忠の存在に気が付いたが、はるかに遅すぎる。

 外れた矢は無い。動かない的に向けて単純に飛ばすだけならまだしも、動く目標に矢を当てるのは至難の業。 

 しかも、刺さった矢が1本だけでは、ゴブリンが命を落とすことはない。 

 ――毒だ。しかも、かなり強い致死力がある、えげつない毒だ。 

 ゴブリンたちの命を奪った仕掛けに、陽太は戦慄する。死んだゴブリンたちの恐怖の形相を目にすると、自分が呪われるような怖さすら感じた。 

 と、別の音がしたから、再び視線を動かすと、今度は目を疑った。 

 ――マジかよ。 

 陽太の仲間たちが迂回した丘の上から急斜面を駆け下りていく伸忠の姿があった。後ろから、フェリも付いてきていたが、そこは視界に入らない。 

 故郷が神戸の陽太の脳裏に、源平合戦の鵯越ひよどりごえの逸話が浮かんだ。源義経率いる騎馬武者たちが断崖絶壁を駆け下りるものだが、あれは人が馬に乗っている。 

 ――動物じゃねえぞ。生身の人間だろ、あんたは! 

 それでも、あっという間に谷底に下り立っていた。当然、伸忠の足は無傷ではない。左膝から下が不自然に曲がっていた。

 なのに、そのまま、血の海に身体を倒し身動きひとつしない晴菜たちの下に駆け寄ると、ポーションを取り出し、封を切り、彼女たちに中身をかけ始めた。でも、ポーションはかけるだけだと効果が薄い。だから、

 中身が無くなれば、次のポーションの封を開ける。

 1本。2本。3本。4本。 

 ――おいおい、マジかよ! なんでそんなに持ってんだよ! 

 まだまだ伸忠はポーションを空にする。5本。6本。次の1本は自分で飲み干した。さらに8本目も彼女たちに掛ける。 

 使われたポーションの量と価格を考えると、陽太の背に、先程とはまた別の意味で、寒気が走った。「サイバーヴァイカルズ」で確保しているポーションはダンジョン保険で使える2本。2本目は保険の特約でギリギリ確保した。本当ならメンバー全員分用意したいが、今の稼ぎでは無理。ポーションを保険を使わずに自前で用意するなんて到底無理。使ってしまうと、次回ダンジョンに入る時の保険料が高騰してしまう。探索者からの引退も考えなければならないレベルで。

 そんな貴重で高価なポーションを湯水のように惜しげも無く使う様子に、狂気すら感じられた。

 恐れと怖さと驚きで、陽太は自分の心が凍り付くような気がした。

 でも、同時に、「居酒屋までま」で最後にしたやりとりが記憶として浮かび上がってくる。

「そんな実力があるなら、なんで、深い所に潜らないんすか?」 

「そりゃあ、ソロだからだよ。パーティーを組んでいたら仲間がフォローしてくれるが、ソロだと1つのミスが命取りになる。あいつには絶対に地上に戻らなければならない理由があるんだ」 

 ――地上に戻る理由。

 陽太の仲間たちにもある。推しだったり、恋人だったり、家族だったり。

 陽太にもある。子供の頃からの幼馴染で、「腐れ縁」と罵り合っていた時もあったが、いつもそばにいて支えてくれた大切な人が。近いうちにプロポーズしようと考えている。

 その彼女のことを思い出したら、また1つの考えが思い浮かんできた。

 ――根拠はない。でも……。

 凍るように冷たくなっていた心が温かく溶けだしてくる気がした。

 そして、自分たちが流した血の海の中で、互いをかばい合うように……、

 ――「ように」ではない。
 ――探索者でもない一般人なのに、本当に守り合っていた。
 ――本当に、本当に、……。

 意識を失くしている彼女たちを見て、

 ――その子たちがあんたの地上に戻る理由なんだな。
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