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エピローグ 暁のシジル②

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   その姿に思わず噴き出しそうになった。
   しかし、すぐに顔に影が落ちる。

「…だが、お前達はまだそれほど期間が経っていないから違和感もないんだろう。…しかしナアマは何年と連れ添った相手だ。彼女だけが歳を取り、俺は今のままで歳を取らない。彼女にしてみれば、異様な光景だったはずだ」


ー… それはある日の夜だった。
   悪魔達と月夜の晩酌をしていたときだ。ナアマが来て、言ったんだ。

「…貴方はもう私の知っているソロモンじゃない…。悪魔そのものよ…!返して…あの人を返して!!」

   泣きながらそう叫んだ。
   彼女にはもう、同じ人には見えなかったんだろう。
   それが、彼女を追い詰めた。

   俺の存在も、俺を嫌う宮内の人間も、息子ですら彼女を追い詰める要素でしか無かった。
   次第に彼女は壊れた。

「…だから、俺は国を出たんだ。王であることを捨てたんだ」

「じゃあ、元はナアマの為だったの?」

   オルメカは宿屋の部屋に備え付けられているスリッパを履き、冷蔵庫から水を取り出しコップに分ける。そのコップをソロモンとアリスにも渡す。

「ありがとうございます」

「ああ、すまない」

   二人は受け取り、ソロモンはミニテーブルへ置き、アリスはこくこくと飲んでいる。オルメカも壁に備え付けられている机にもたれながら水を飲む。

「ナアマの為に姿を消したんでしょ?なら、なんで今になって…って、ねぇちょっと、ソロモンさん」

   コップを片手にちょいちょいと手で招く。ソロモンは、ん?と首を傾げる。

「ナアマって普通に死んだん…だよね?」

   確認するように問う。

「ああ、そうだ。…国を出たあと、付かず離れずの場所から国の、ナアマ達の行く末を見守っていたからな。…亡くなったのも知っている」

「じゃあ、ナアマって生前から魔法使えた?」

「いや…特にそんなことは無かったと思うが…」


   ソロモンは最初、何を聞きたいのかを図りかねていたが、アリスの言葉で明らかになった。

「あれ?でも核があったんですよね?あの核があったからナアマさん自身、泥の体を手にして会いに来たんですよね?じゃあ、どうやって泥の体を手に入れたんですか?」

   ソロモンは目を見開いた。言われてみればそうだ。突然、死んだはずの妻が現れてすっかり失念していた。

「そう!それなんだよ!」

   オルメカが大きな声で指摘する。

「私の疑問はそこ!ソロモンが悪魔と契約してても、とっくに国を出てて、しかも亡くなるのを見届けたんだよね?じゃあ、誰がナアマを甦らせたの?そんで誰がソロモンに仕向けたのさ?」

「本で読んだことがあります。魔法を使うには個人の内包する魔力と自然界にあるエネルギー、このふたつが必要だって。でも亡くなった人間には魔力は無いですよ。それなのに、いくら泥の体を手に入れても、あの空間ごと魔法で作って戦うなんて…」

「不可能」

   オルメカが手にしていたコップの中の水を鋭い目付きで睨む。

「…だよね。…どう考えたって裏に手引きした人物がいるよ」

   しばらくの沈黙が続く。
   ソロモン自身、当然、違和感を覚えていたが、深く追及するよりも前に傀儡の魔法を掛けられてしまったので特に情報は持っていない。

「…傀儡の魔法なんて上級魔法を使えていたのも、裏の人間が手引きしたから、か」

「そう考えるのが自然だよね。生前から魔法が使えてたわけじゃないなら」

   再び沈黙が下りる。
   オルメカがコップを机に置き、アリスが持っていたコップも預かってそれを机に置く。それからベッドの上に腰掛けた。
   その後にソロモンも立ち上がり、オルメカの隣に腰掛ける。

   隣に座るオルメカを見ると、視線に気付いたオルメカは微笑んでいた。バチッと目が合い、ソロモンは視線を反らした。
   その代わりか、ソロモンはオルメカの肩にもたれる。オルメカは振り払うでもなく、そのままで足をぶらぶらさせる。

…肩、に!ソロモンさん!が!甘えていらっしゃる…!!!女神が…!!!まつげ長い!!!
   写真を撮りたくて仕方ないが、動くとソロモンが肩にもたれるのを止めてしまうので、ぐっと血涙を流しながら我慢する。

「…お兄さん…?」

   オルメカの肩にもたれて目を閉じたソロモンを心配そうにアリスが見つめる。

「まぁ、今、考えても仕方ないね!これ以上は」

   そう努めて明るい声でオルメカは言う。

「とりあえず、この件はメイジーちゃんにも伝えておこうか。あっちの方が人数も多いし、他の情報も仕入れやすい筈だし」

「そ、そうですね。それがいいと思います」

   閉じていた目をうっすらと開けるソロモンは、オルメカとアリスに問う。

「…俺は、ここに居てもいいと思うか?」

   理由はどうであれ、二人を巻き込んだのは事実で、国を捨てたのも事実だ。妻でさえ、その前から姿を消して行く末を遠くから見守るだけに留まった。その結果がこれだ。最初に拒絶したのは彼女の方だった。それでも、夫として傍にいなければならなかったのかもしれない。そんな後悔が無いわけじゃない。
…それでも、あのときの自分には耐えられる状態じゃなかったのも確かだ。

ー お前の我儘でどれだけの人が犠牲になったと思うんだ?国を王が捨ててしまえば、そこに生きる人間を殺すことと変わらねーだろ!! ー 

   シャアムの言葉が何度も頭を過る。その通りだ。自分の後を息子が継いだが、結果、国は後に滅んでいる。悪政というやつだった。国は分裂した。
   後悔は、どうしてこう、先にたたないものなのだろうか。

   ソロモンが呟いたその質問に、オルメカとアリスは驚いた。

「え?何?何で?居ていいに決まってるじゃん!」

「そうですよ!お兄さんも一緒がいいです!」

   二人はびっくりしたように言葉を返す。
   オルメカはソロモンの背中に手を回し、ポンポンと落ち着かせる様に優しく叩く。その仕草にソロモンは安堵するように少し微笑む。

「あのねぇ、ソロモンさん?何を心配してるのか知らないけど、私は美男子愛好家なんですよ?その私が、美男子が歳を取らないって聞いて不気味がったりすると思う?そんな事あるわけないじゃん。むしろ…」

   目の前で拳を作ってガッツポーズをする。

「ご褒美ですよ!?」

   にこやかに笑う。その姿にアリスも喜んだ。

「ふふっ。お姉さんは、そうですよね。僕も、お兄さんが綺麗なままなのは嬉しいです」

「そうそう。美男子が美しいままっていうのは奇跡じゃない!?てか奇跡以外の何者でもないじゃん!てか、それより問題なのは…」

   一旦、そこで言葉を区切ってから、寂しそうな声で続けた。

「私らの方が歳を取るって事だよ。…その姿を、ソロモンが見続けることになっちゃう…それが、ソロモンが辛くないかなって」

   アリスも同じように思っていたのか、オルメカの肩にもたれているソロモンの方に寄っていき、その背中をぎゅーっと、抱き締める。

「…そうだな…確かに…それは辛いかもしれないな。また、誰かの死を見届けるのはー…」

   と、そこまで言ってから、ソロモンはバッ!と身体を起こし、オルメカとアリスを見て言った。
   その顔は少し照れくさそうでもあった。


「…と言うか、お前達、いつまで一緒にいる気なんだ?死が別つまで、とか言うんじゃないだろうな?」

   その質問に、オルメカとアリスはきょとんとする。

「…え?違うの?私の美男子を捜す旅は永遠に終わらないよ???」

   実に真剣な顔で大真面目にそう言うものだから、ソロモンは思わず噴き出しそうになり、それを堪える。

「ふ…っ」

「あ、お兄さん笑いましたね!」

   それを見ていたアリスは嬉しそうだ。天使のように微笑むので、その姿を見たオルメカは思わず鼻血が垂れた。
   それにアリスはぎょっとした。

「お、お姉さん!?血が…血が……!?」

   大慌てでベッドから飛び降り、机の上にあるティッシュケースを持ってオルメカに渡す。
   受け取ったオルメカはティッシュで鼻を押さえた。

「あ、ありがと…」

   アリスは青ざめているが、ソロモンは呆れたように起き上がり、溜息をつきながらオルメカの眼前に手をかざす。

「…お前という奴は…」

ポウ…。

   ソロモンの手から白い光が生まれ、それがオルメカの鼻血を止める。

「…?治癒魔法…ですか?」

「ああ。…ったく。オルくらいだぞ。鼻血で治癒魔法を使うはめになるやつは」

   以前行った大聖堂での事を思い出す。あの時も急に鼻血を噴き出して治癒魔法を使った。

「ふふっ。その方が気楽でしょ?」

   鼻血の止まったオルメカは、ティッシュを丸めてゴミ箱に捨てる。それから、靴を履き直して、軽く荷物を纏める。カバンを持って扉の前へ。
   ドアノブに手を掛けて振り向く。

「…さ、お腹も空いたでしょ?そろそろご飯食べに行こ!」

   そう言って部屋を出た。
   アリスとソロモンはお互いに目を合わせると、ふふっと笑い合い、荷物を持って彼女の後を追った。


   こうして、また日常が戻る。
   彼女の旅はまだまだ続くー…。
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