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揺らぐ信念(※アルノー視点)
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『アルノー。私の一生のお願いを叶えて欲しいの』
オリーヴィアの願いは子供の頃からできる限り叶えるようにしてきた。それは、復讐を円滑に行う為に必要な信頼を得るための手段にしか過ぎない。
いつしか彼女の笑顔は、全てを失った俺の無色だった人生を、その瞬間だけ鮮やかな色に変えていった。
死んだ心に宿り始めたささやかな幸せを殺すように、俺はオリーヴィアとの間に不義の子を作り利用しようともくろんでいたのは事実。
だがオリーヴィアに純潔を奪ってほしいと、懇願された時、計画とは裏腹に彼女の言葉に驚き、傷付けてしまわないだろうかと心配した。
あれほどオリーヴィアに快楽を覚えさせておいて、罪悪感を覚えるなどと、おかしくなる。
俺は、彼女の覚悟を受け止め引き寄せられるように抱いた。
彼女と結ばれる時、俺は復讐の炎で己の心を滾らせ、冷えた心と身体で表向きは愛を囁いてやるのだろうと予想していたのに。
彼女に口付け、初めて裸になって抱き合うとその温もりと心地よさに夢中になったのだ。
――――肉体的な欲望が満たされたからか?
そうではないだろう。
女の温もりなんて、何度も経験している。
刹那の快楽を満たす行為に、特別な感情を抱いた事など一度もなかった。
遠い昔に感じたことのある、温かな何か。
親しい者同士を繋ぐ絆のようなもの。
俺が過去に感じ、それが何かを自覚する前に飛び立ってしまった感情だ。
俺はオリーヴィアを抱いた事を後悔した。
こんなはずでは無かったのに、一度欲望の炎を落ち着けても、まるであの感情に急かされ追い求め魘され、確かめるように彼女を求めた。
ベッドの上で泣いていたオリーヴィアを抱き寄せ胸に閉じ込めたあの瞬間、不安が襲った。
――――俺と一線を越えたことを、オリーヴィアは後悔しているのか?
ならばあの告白はなんだ。
俺を愛していると言葉にした彼女の瞳は真剣だった。人と、獣人は永遠にわかり合えぬものだと思っていた。
その言葉が耳に届いた瞬間に俺の信念は情けなく崩れ落ちそうになって、このか弱く美しいオリーヴィアにどんな魔力が宿っているのだろうと戸惑った。
朝方、昨晩の事など何事も無かったかのように美しい薄茶色の髪を梳くと俺は彼女の肩に手を置いた。
鏡に映る、オリーヴィアの表情はどこか昨日よりも大人びていて、城の外を恐れ貴族たちの醜聞に怯える少女の面影が消え失せたように感じられた。
俺たちは特に言葉を交わす事はなく、彼女は静かに俺の指に指先を重ねた。
わずかに指先が触れ合うと、扉をノックする音が聞こえて俺は彼女から距離を置く。
「どうぞ。お入りなさい」
「――――奥様。朝食のご用意ができました。ギルベルト様がご一緒するようにとご伝言があります」
「そう。分かったわ」
メイドが部屋に入ると、深々と頭を下げた。オリーヴィアの支度をする為に訪れたのだろう、彼女は義務的に答えると微笑んだ。
俺は紅茶を下げる素振りをし、メイドと入れ替わると部屋を退出する。
俺と一線を超えた事で、オリーヴィアはギルベルトと向き合う覚悟ができたのだろうか。
あの男の自尊心を満たし、リーディング家の妻として嫡男を生むために相手をするのか。
そう考えただけで、俺の心に波紋のようなざわめきと、復讐とは別のどす黒い感情が湧き上がりそうになる。
馬鹿馬鹿しい、嫉妬なのか?
俺に誰かを愛する暇など与えられていない。
これは決められた運命だ。
俺が甘い愛の言葉を囁やけば、俺の境遇に同情したオリーヴィアが、復讐に手を貸すかも知れないだろう。
――――だが、彼女は何も知らない。
――――そうだ、何も知らなくていい。
――――オリーヴィアが手を汚す必要はない。
――――彼女はなんの罪も無い。
――――俺は彼女を……。
「アルノー様」
「っ……クラウスか」
突然声をかけられて、俺は窓辺に座る男を見た。この男はシュタウフェンベルク家での伝書鳩として飼われている奴隷だ。
一日の多くを鳩の姿で過ごし、空を飛んで国王や役人に手紙を運んでいるのだが、その道中でこの俺に会いに来たと言うことになる。
「―――計画は順調に進んでおります」
「そうか。この俺に直接会いに来たのは、レジスタンスの金の事か。心配するな、リーデンブルクの家令は年老いてお前が思うよりも、もうろくしている」
この男は『獣の火』という獣人解放運動をしているレジスタンスに所属していた。その名の通り、人間たちからすべての獣人達を開放し祖国を取り戻すという運動だ。
人間の中にもその運動を指示している者たちもいるのだが、彼らの本心は貴族制度の崩壊と国王の追放。
度重なる戦争の借金で、重税に苦しむ人間たちの我慢も限界に達しているようだった。
そのために獣人と言う存在に手を貸しているとも言える。
クラウスは、俺がシュタウフェンベルク家に潜り込んだ事を知って近付いてきた者だ。
俺がヘイミル王の忘れ形見だと言うこと確信すると、レジスタンスの原動力となるように祭り上げてきた。
奴隷として売られた時から、俺は自分以外の者を信用することは無かったが、滅びの王の一族や民のためにも彼らと手を組むことにした。
シュタウフェンベルク家で貯めた金を渡し、リーデンブルク家に移ってから、家令の目を盗んで、レジスタンスの活動資金として財産を横領している。
「アルノー様から十分な資金は頂いておりますのでご心配はありません。明々後日の集会で、我々にそのお姿を見せて頂きたいのです。貴方様は我々の最後の希望、群れの結束を強めるためにも」
「……急な話だなクラウス。都合がつけば駆けつけよう。今の俺はオリーヴィアの下僕だからな」
クラウスは顔をあげると、俺の顔を見つめて目を細めた。
「オリーヴィア……。アルフレッドの娘とは思えないほど美しく成長しましたね。ですが、あの娘も人族。シュタウフェンベルク家の血を引く女です。どうかお気を付け下さい」
「…………もう行け」
クラウスの目はまるで俺と彼女の秘事を知っているかのようだった。
彼女との行為は復讐ではなく、穏やかな火を灯すようなもので俺の中で宿った感情を見透かされたような気分になる。
鳥の羽音がして、クラウスが飛びだつと俺は職務へと戻った。
食堂には一足早く席についていたギルベルトが居たが、辺境伯婦人はまだベッドの上だろう。リーデンブルクは息子夫婦と朝を共にする事は少なく、婦人と過ごした後にユーディトは伯爵と共に狩りに出掛ける。
酒がまだ抜けきれていないのか、ギルベルトは水を飲むと、メイドに変わりオリーヴィアの食事の用意をする俺に声をかけてきた。
「アルノー、オリーヴィアは大丈夫かい? 昨日は済まなかったね。少し飲みすぎてしまったようだよ」
メイドがまだいるせいか、ギルベルトは紳士を装い、抜け抜けと俺に薄笑いを浮かべながら謝罪をする。
オリーヴィアを気遣うふりをしているが、その笑顔は、妻に対しての卑劣な行動を恥じているようには思えなかった。
この男は、政略結婚とはいえ妻に対して尊敬の念も無ければ、慈しみの心もない。
まさに、あのユーディトの血を引く男だと俺は内心憎々しげに吐き捨てた。
「――――ギルベルト様、お酒はほどほどになさってくださいませ。お体を壊しかねません」
「……そうだね。彼女はどうも私に対して恥じらいを捨てる事が出来ないようだ。素直になれば女の喜びを知れるというのに。
オリーヴィアは君のように軟弱な男がいいのかな? それとも人より獣人の男の方が相性が良いのか」
娼婦と獣人を交わらせ、余興として、それを楽しんでいる貴族がいることは知っている。
獣人に気がある娼婦のような女だと言いたいのか。
俺に対する皮肉や侮辱はどうでもいいが、彼女の名誉を傷つけるような言葉は、怒りを感じずにはいられなかった。
「オリーヴィア。遅かったね」
振り向こうとした時、ギルベルトが声をかけた。
オリーヴィアの願いは子供の頃からできる限り叶えるようにしてきた。それは、復讐を円滑に行う為に必要な信頼を得るための手段にしか過ぎない。
いつしか彼女の笑顔は、全てを失った俺の無色だった人生を、その瞬間だけ鮮やかな色に変えていった。
死んだ心に宿り始めたささやかな幸せを殺すように、俺はオリーヴィアとの間に不義の子を作り利用しようともくろんでいたのは事実。
だがオリーヴィアに純潔を奪ってほしいと、懇願された時、計画とは裏腹に彼女の言葉に驚き、傷付けてしまわないだろうかと心配した。
あれほどオリーヴィアに快楽を覚えさせておいて、罪悪感を覚えるなどと、おかしくなる。
俺は、彼女の覚悟を受け止め引き寄せられるように抱いた。
彼女と結ばれる時、俺は復讐の炎で己の心を滾らせ、冷えた心と身体で表向きは愛を囁いてやるのだろうと予想していたのに。
彼女に口付け、初めて裸になって抱き合うとその温もりと心地よさに夢中になったのだ。
――――肉体的な欲望が満たされたからか?
そうではないだろう。
女の温もりなんて、何度も経験している。
刹那の快楽を満たす行為に、特別な感情を抱いた事など一度もなかった。
遠い昔に感じたことのある、温かな何か。
親しい者同士を繋ぐ絆のようなもの。
俺が過去に感じ、それが何かを自覚する前に飛び立ってしまった感情だ。
俺はオリーヴィアを抱いた事を後悔した。
こんなはずでは無かったのに、一度欲望の炎を落ち着けても、まるであの感情に急かされ追い求め魘され、確かめるように彼女を求めた。
ベッドの上で泣いていたオリーヴィアを抱き寄せ胸に閉じ込めたあの瞬間、不安が襲った。
――――俺と一線を越えたことを、オリーヴィアは後悔しているのか?
ならばあの告白はなんだ。
俺を愛していると言葉にした彼女の瞳は真剣だった。人と、獣人は永遠にわかり合えぬものだと思っていた。
その言葉が耳に届いた瞬間に俺の信念は情けなく崩れ落ちそうになって、このか弱く美しいオリーヴィアにどんな魔力が宿っているのだろうと戸惑った。
朝方、昨晩の事など何事も無かったかのように美しい薄茶色の髪を梳くと俺は彼女の肩に手を置いた。
鏡に映る、オリーヴィアの表情はどこか昨日よりも大人びていて、城の外を恐れ貴族たちの醜聞に怯える少女の面影が消え失せたように感じられた。
俺たちは特に言葉を交わす事はなく、彼女は静かに俺の指に指先を重ねた。
わずかに指先が触れ合うと、扉をノックする音が聞こえて俺は彼女から距離を置く。
「どうぞ。お入りなさい」
「――――奥様。朝食のご用意ができました。ギルベルト様がご一緒するようにとご伝言があります」
「そう。分かったわ」
メイドが部屋に入ると、深々と頭を下げた。オリーヴィアの支度をする為に訪れたのだろう、彼女は義務的に答えると微笑んだ。
俺は紅茶を下げる素振りをし、メイドと入れ替わると部屋を退出する。
俺と一線を超えた事で、オリーヴィアはギルベルトと向き合う覚悟ができたのだろうか。
あの男の自尊心を満たし、リーディング家の妻として嫡男を生むために相手をするのか。
そう考えただけで、俺の心に波紋のようなざわめきと、復讐とは別のどす黒い感情が湧き上がりそうになる。
馬鹿馬鹿しい、嫉妬なのか?
俺に誰かを愛する暇など与えられていない。
これは決められた運命だ。
俺が甘い愛の言葉を囁やけば、俺の境遇に同情したオリーヴィアが、復讐に手を貸すかも知れないだろう。
――――だが、彼女は何も知らない。
――――そうだ、何も知らなくていい。
――――オリーヴィアが手を汚す必要はない。
――――彼女はなんの罪も無い。
――――俺は彼女を……。
「アルノー様」
「っ……クラウスか」
突然声をかけられて、俺は窓辺に座る男を見た。この男はシュタウフェンベルク家での伝書鳩として飼われている奴隷だ。
一日の多くを鳩の姿で過ごし、空を飛んで国王や役人に手紙を運んでいるのだが、その道中でこの俺に会いに来たと言うことになる。
「―――計画は順調に進んでおります」
「そうか。この俺に直接会いに来たのは、レジスタンスの金の事か。心配するな、リーデンブルクの家令は年老いてお前が思うよりも、もうろくしている」
この男は『獣の火』という獣人解放運動をしているレジスタンスに所属していた。その名の通り、人間たちからすべての獣人達を開放し祖国を取り戻すという運動だ。
人間の中にもその運動を指示している者たちもいるのだが、彼らの本心は貴族制度の崩壊と国王の追放。
度重なる戦争の借金で、重税に苦しむ人間たちの我慢も限界に達しているようだった。
そのために獣人と言う存在に手を貸しているとも言える。
クラウスは、俺がシュタウフェンベルク家に潜り込んだ事を知って近付いてきた者だ。
俺がヘイミル王の忘れ形見だと言うこと確信すると、レジスタンスの原動力となるように祭り上げてきた。
奴隷として売られた時から、俺は自分以外の者を信用することは無かったが、滅びの王の一族や民のためにも彼らと手を組むことにした。
シュタウフェンベルク家で貯めた金を渡し、リーデンブルク家に移ってから、家令の目を盗んで、レジスタンスの活動資金として財産を横領している。
「アルノー様から十分な資金は頂いておりますのでご心配はありません。明々後日の集会で、我々にそのお姿を見せて頂きたいのです。貴方様は我々の最後の希望、群れの結束を強めるためにも」
「……急な話だなクラウス。都合がつけば駆けつけよう。今の俺はオリーヴィアの下僕だからな」
クラウスは顔をあげると、俺の顔を見つめて目を細めた。
「オリーヴィア……。アルフレッドの娘とは思えないほど美しく成長しましたね。ですが、あの娘も人族。シュタウフェンベルク家の血を引く女です。どうかお気を付け下さい」
「…………もう行け」
クラウスの目はまるで俺と彼女の秘事を知っているかのようだった。
彼女との行為は復讐ではなく、穏やかな火を灯すようなもので俺の中で宿った感情を見透かされたような気分になる。
鳥の羽音がして、クラウスが飛びだつと俺は職務へと戻った。
食堂には一足早く席についていたギルベルトが居たが、辺境伯婦人はまだベッドの上だろう。リーデンブルクは息子夫婦と朝を共にする事は少なく、婦人と過ごした後にユーディトは伯爵と共に狩りに出掛ける。
酒がまだ抜けきれていないのか、ギルベルトは水を飲むと、メイドに変わりオリーヴィアの食事の用意をする俺に声をかけてきた。
「アルノー、オリーヴィアは大丈夫かい? 昨日は済まなかったね。少し飲みすぎてしまったようだよ」
メイドがまだいるせいか、ギルベルトは紳士を装い、抜け抜けと俺に薄笑いを浮かべながら謝罪をする。
オリーヴィアを気遣うふりをしているが、その笑顔は、妻に対しての卑劣な行動を恥じているようには思えなかった。
この男は、政略結婚とはいえ妻に対して尊敬の念も無ければ、慈しみの心もない。
まさに、あのユーディトの血を引く男だと俺は内心憎々しげに吐き捨てた。
「――――ギルベルト様、お酒はほどほどになさってくださいませ。お体を壊しかねません」
「……そうだね。彼女はどうも私に対して恥じらいを捨てる事が出来ないようだ。素直になれば女の喜びを知れるというのに。
オリーヴィアは君のように軟弱な男がいいのかな? それとも人より獣人の男の方が相性が良いのか」
娼婦と獣人を交わらせ、余興として、それを楽しんでいる貴族がいることは知っている。
獣人に気がある娼婦のような女だと言いたいのか。
俺に対する皮肉や侮辱はどうでもいいが、彼女の名誉を傷つけるような言葉は、怒りを感じずにはいられなかった。
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