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特大
75 / 228
5巻
5-2
すっかり耳も尻尾もしょげ返らせたビャクヤは、そろそろとレニの方を見る。
そして心なしか同情気味の視線を投げかけられた。
「シン君、結構根に持ちますよ?」
「だって、こいつ悪質だろ。マウントの取り方が性格悪い」
鉄は熱いうちに打てと言わんばかりに、シンがズバリと指摘した。
それを受け、ビャクヤはさらにビビり散らす。彼としてはシンを懐柔するために、近しいレニを支配下に置こうとした。ところが、懐柔するどころかシンの逆鱗に触れてしまったのだ。
「お二人は付きおうとるん?」
恐々とビャクヤが問う。
シンが随分レニを大切にしているようなので、思わず口からまろび出たのだ。
「「いや、別に」」
ナイナイと互いに手を振る。この手の掛け合いは何度もされている。
仲は良いとは思うが、シンとレニは互いに友情と親愛しか持ち合わせていなかった。
男女の泥沼はタニキ村での騒動でお腹いっぱいで、胃もたれは継続中である。
カフェの席に戻ると、カミーユがハムやチーズを挟んだカスクートに似たサンドイッチを食べていた。
シンは美味しそうにかぶりつくカミーユを見て、軽く眉を上げる。先ほど別のサンドイッチを食べていたので、追加注文したということだった。
シンは冷静に分析する。
カミーユはまた週末あたりに腹を空かせてぴーぴー泣くだろう。料理の腕が壊滅的で、放火一歩魔手前のフランベ職人の火加減であるカミーユに、自炊は期待できない。
彼にも節約しようとする気はあるが、生まれが貴族なこともあってか、金勘定全般が苦手だった。
成長期という点を差し引いても、カミーユの燃費は良くないため、すぐに手持ちの金が底を突くだろう。
「話し合いは終わったでござるかー?」
問題児を紹介したというのに、カミーユは状況を全く呑み込めていない様子だ。
無表情のシンはともかく、すっきりとしたレニと、半泣きのビャクヤはスルーしている。
「とりあえず、要注意人物で、お前よりしっかり躾けた方がいいのはわかった」
シンがぴしゃりと言うと、隣で毛を逆立てた狐が一匹。
「ちょぉ、まっ! 待ちや、シンさ――」
ビャクヤが慌てて叫んで手を伸ばすが、サクッとそれを避けたシンは、冷たく見返す。
それでもカミーユにスネイクバードの討伐と、素材採取を了承したからには、今回は手伝うつもりだった。
「シンでいいです。様とか、うすら寒い」
そびえ立つ心の壁を感じ取ったのか、真っ青になったビャクヤはがっくりと項垂れた。
「~~~~~っ! シン君で、ええ?」
「それなら可。次にレニ……あとカミーユにもなんかしたら、マジで怒るからな」
どんなスキルや称号を持っているかわからないビャクヤは、その性格もあって、シンの中の危険人物ナンバーワンに一気にのし上がった。
どうやらビャクヤはシンとお近づきになりたいが、それを強要するのは避けたいようだ。
(僕の持っている加護が関係しているのか? 神様の依怙贔屓が付いているって聞くしな……)
ティンパイン王国の宰相チェスターや、ティルレイン王子の付き人のルクスから、その手の話はちょいちょい聞いているが、実感は薄い。
シンの不利益になるようなことをすると、神罰が下るなどするらしいが、まだ彼の目の前ではそういう事態は起こっていはいない。
嵐が去ってからとか、遠回りに起きるのだ。
幸い、今のところシンに近い人の中に、酷い大人は少ない。味方に権力者はちらほらいるが、シンの意思を尊重している。
「あ……お前、後でちょっと温室な。実家やテイランに余計な情報流したら、マジでチェスター様にチクるから。つーか、もう話が伝わっているかもしれないけど」
ビャクヤが権力に頼ろうとするなら、シンの方も権力で打って出るだけだ。
ホームはこちらにあるのだから、状況が不利なのはビャクヤの方だ。それを理解したのだろう、毛並みを膨らませたビャクヤが食い下がってくる。
「そな殺生な!? まだ出会ってそう経っとらんやん。そないなイケズなことせぇへんでも――」
縋るビャクヤの後ろで、事件が勃発した。
事件は会議室でも教室でもなく、現場で起きている――そんなフレーズがシンの頭をよぎる。
「何が〝アマリンだけ♡〟よぉ! 人の友達引っかけておいて!」
バシイイイン! と、プロレスラーも真っ青な平手打ちが決まった。とても良い音である。そして、物凄く痛そうだ。事実、叩かれた男子生徒は見事に体勢を崩した。
ビャクヤの大声は、後ろで平手打ちされてぶっ飛ばされた男子生徒によって掻き消された。どうやら、彼の前にいる三人の女子生徒は、彼女+浮気相手二人だったようだ。
修羅場の気配に周囲は唖然としたり、ワクワクしたり、顔をしかめたりしている。
「出会って五分で私を脅そうとした口が何を言いますか」
「オンナを馬鹿にしてんじゃないわよ、屑! 貧乏貴族のくせに、うちの援助切られたらどうなるかわかってんの!?」
「人が贈ったプレゼント、横流ししてるとか、最低! アンタのお姉さんにもチクってやりますわー!」
後ろの声と存在感が大きすぎて、ビャクヤとシンたちとの会話に殴り込み状態。
会話が玉突き事故されまくっている。
「だって一番押さえどころやろ、レニちゃんは」
「そういうドクズな開き直りは良くないでござるよ、ビャクヤ。その、すぐに当たり前のように人に喧嘩を売る癖はやめた方がいいでござる」
「カミーユ、なんでこれを僕たちに紹介しようとした?」
「ビャクヤは外面がいい奴でな。気にならない相手にはそつなく対応するのでござるが、どうやらシン殿とレニには興味を持ってしまったようでござる……」
肩を竦めるカミーユの声を、男子生徒に詰め寄る少女の声が上書きする。
「ああ腹立つ! もう一発殴らせなさい!」
「口開けなさい、口! 馬術部から貰った騎獣用クッキーを食らわせて差し上げましてよおお!」
「ごちそうさまが! 聞こえない! そーれイッキイッキ!」
後ろの地獄絵図を軽やかにスルーしながら、シンとレニは飲み物を啜り、カミーユは手についたソースを舐めている。
男女の修羅場に他人が首を突っ込んで良いことなんてない。
地味に椅子がぶつかり、時々クッキーのカスが飛んでくるビャクヤは、複雑そうな顔だ。
「お三方、この修羅場の中でまだ話すつもりなん?」
「でも、この時間帯は混むから、他に空いている場所を探すのは大変ですし」
「なら温室行く? 少し早いけどその予定だったし」
シンがそう言ったのは、ビャクヤを助けるためではない。ただ、会話がしにくいし、傍にいて飛び火したら迷惑だからだ。
「ほな行きましょ! そーしましょ! 会計は自分がしますんで!」
一刻も早くその場を離れたかったのか、ビャクヤは逃げるように立ち上がった。
その後ろ姿を見ながら、シンは思案顔だ。
「なんかアイツさ」
シンのぽつりとした呟きを拾ったのはレニだった。
「どうしたんですか?」
「小悪党臭がするから、グラスゴーに頭毟られなきゃいいんだが」
シンの愛馬、デュラハンギャロップのグラスゴーは、ご主人過激派で、敵意や悪意には非常に敏感である。
ティルレインやカミーユといった害のないお馬鹿や、好意的なお馬鹿には、割と鷹揚に接してくれる。軽くシバくというか、襲ってくるが、それはあくまでからかいレベルだ。
だが、ビャクヤに関してもそうかと言うと、ちょっと微妙だった。
人はそれをフラグと言う。
◆
とぼとぼと歩きながらも、ビャクヤの内心では、はらわたが煮えくり返っていた。
シンの想像通り、彼は全く反省していなかった。
(なんやねん、あの坊主。大人しい思うとったら、えげつない性格しとるし……)
シンは黙っていれば大人しそうな童顔少年だ。
特に自分からは目立とうとせず――むしろ気配を殺し、周囲に同調しているタイプだと、ビャクヤは思っていた。
少し強めに押しながら周囲を巻き込めば転がせると踏んでいたのに、全く上手くいかない。
ビャクヤの家は代々巫覡を輩出していた。神殿や教会とは少し毛色が違い、彼自身の血筋には、異世界転移者の血が流れており、異世界転生者も多く生まれていた。
それゆえに神々からの加護を得る者は多く、テイラン王国の領土にありながらも、ビャクヤの故郷は独自の文化と風習を持っていた。
しかし、ここ数百年はその特異な血筋も薄くなり、異世界人の魂を持つ者は生まれず、近くに現れることもなくなっている。
一方、テイラン王国は異世界召喚を乱発して勢力を強めていた。
実はビャクヤの故郷が異世界人と縁が薄くなったのは、これが原因でもある。
度重なる異世界召喚のせいで、『龍脈』という、地に埋まる世界のエネルギーの大きな流れが枯れてしまったのだ。
ビャクヤの故郷は強大な大地のエネルギーが集まる『霊穴』と呼ばれる、いわゆるパワースポットなので、高次元能力者が現れやすかった。
異世界転生者や異世界転移者が現れやすいのも、そのエネルギーの強さゆえだ。
しかし、その流れから溜まるはずのエネルギーは、召喚魔法の儀式に乱用され、カスッカスになった。結果、ビャクヤの一族――ナインテイルの一族は、衰退の一途を辿っている。
ビャクヤは狐人と呼ばれる狐の獣人である。ナインテイルは、非常に強力な魔力を持っていたという、始祖たる狐人の尾の数に由来する。
しかし、最近は一族の短命化や能力の質の低迷があり、直系のビャクヤでも一尾しか持たない。
存命の中では最も尾が多い曽祖父ですら、三本しか持っていない。
その彼とて、体は最盛期をとうに過ぎて骨と皮ばかりのミイラのようなご老体。ぱっと見は既に御仏になっていそうな乾き具合だ。とても九尾の始祖に及ばない。
ビャクヤも一族では強い方だが、それでも一尾でしかない以上、天井は見えている。
〝力こそ全て〟のテイラン王国では、ナインテイル一族の発言権は失われつつあった。
ナインテイルは獣神や商売の神、自然にまつわる神などの加護を手広く信仰していたのも、一族が冷遇される理由の一つだ。日本の八百万信仰に近いものだが、テイランでは異端である。
当然、現役の異世界者をたくさん保有し、戦神バロスのみを祀っているテイラン王家とは折り合いが悪くなる。
バロスを唯一神のごとく崇めるテイラン王家とは徐々に不和が生じ、世代が交代するにつれてナインテイルの一族が弱体化すると、その待遇はさらに悪化していった。
(今はバロス神の力がガクッと下がっとる……俺らんとこが巻き返すには、加護持ちを家に迎えるしかあらへんのや。テイランの王侯貴族どもの鼻を明かしてやるんや!)
そんなことより今の生活を大事にしろと周りは言うが、ビャクヤにはナインテイル一族としてのプライドがあった。
ティンパインには強力な加護持ちがいると、占いが得意な巫女たちも口を揃えて言っていた。明確な背景や人相までは把握できないが、有益な情報である。
ビャクヤは相手の称号やスキルを見抜く鑑定系の能力は持っていない。しかし、巫覡の家系なので、勘は鋭い方だ。
シンを見た瞬間、ピンとくるものがあった。
地味で埋没しそうな少年だが、態度ばかりでかくて中身はスッカラカンのボンボンたちとは違うナニカを感じたのだ。
だからビャクヤは、前哨戦としてシンの傍にいるレニにマウントを取ろうとした。
レニは才女として学園でも有名だったし、従わせることができれば有利と踏んだ。教会と関わり合いがあると聞いたし、うまくすればティンパインにいる加護持ちの情報を得られるかもしれないとも思っていた。
なお、お気楽なカミーユは、社交的な面ではダメなので、純粋な戦力としての期待値から少しつるんでいただけだ。そんな海老で鯛を釣れたのは僥倖と言えただろう。
しかし、あともう一息のところでしくじった。あんな地雷になるとは。
絡め手でじわじわ行こうと考えていたら、即行で悪行がバレて怒られた。
(なんやねん、アイツ! かーちゃんか!? 仲良くしましょーってか? ハッ、アホらしか! 世の中、蹴落とし合いや。利用し、利用される中で最も上前をはねた奴だけが人生を楽しめるんや! これだから田舎育ちの小僧はなってな――)
不意に視線を感じ、ビャクヤはそーっとそちらに視線をやる。
持ち前の勘の良さがビンビンに警報を鳴らしていたが、向かないともっとヤバい気がしたのだ。
むしゃくしゃした気持ちが一気にしぼみ、穴の開いた風船のようにぺちゃんこになっていく。
ぱちり、と黒い澄んだ目と視線がかち合う。
シンが見ていた。
それも、ただ見ていたのではなく、呆れたような、僅かに怒っているような、どことなく冷え冷えとした、アンニュイともアルカイックスマイルとも言える微妙な表情である。
ただ、良くない方に転んだ気がした。
(なななな、なんやのあの坊主? もしかして心読や心眼系のスキルでもあるん!?)
やましいことを考えまくりだったビャクヤは、戦々恐々とした。
へらっと誤魔化しの笑みを浮かべるビャクヤに、ニコッと人畜無害そうな微笑みを返すシン。
目が合って微笑を交わすというだけだったら、和やかに感じるかもしれない。
しかし、ビャクヤの心臓はバックバクに暴れていたし、シンはずっとニココニコしているものの、心の壁が滅茶苦茶分厚く要塞のようになっている。
気まずすぎて、先に目をぱっと逸らしたのはビャクヤだった。
どこかで梵鐘が鳴った気がした。
◆
しょぼーんと垂れ下がった耳と尻尾は、体積が先ほどの三分の一くらいになっている。
(なんかちょっと諦めたっぽいな)
先ほどまでは、ビャクヤの表情や丸まった背中は、さも「落ち込んでいます」と言わんばかりだったが、時折尻尾がボッと広がり、耳が不機嫌そうにピコピコ動いていた。
尻尾や耳は、その速さや、動き方によって多種多様な感情を表現するのだ。
シンは騎獣屋でアルバイトをしていたので、魔獣や動物が不機嫌な時の仕草を覚えていた。
ビャクヤは、言動はちゃんと繕えていたが、尻尾や耳に感情がはみ出てしまっていたので、モロバレモロダシ状態だった。
しかし、今はビャクヤの表情や空気と、尻尾が完全に連動している。
てろんと力なく垂れ下がったモフ尻尾を見て、シンはふと思う。
(そういや、狐って稲荷寿司や油揚げとかが好きって定番だけど、こいつもそうなのかな? 本当は鼠の天ぷらが好物とか聞いたことあるけど)
魔物や魔獣も食べるこの世界では、鼠を食用とするのは珍しくない。さすがに溝鼠などは臭みが強くて食べないが、ある程度大きくて食べでのあるモノなら普通に食用になる。
むしろ、たっぷり太った山鼠なんかは美味の部類と言えるだろう。
狐が油揚げを好むという考えは日本独自のもの。こちらの世界でどの程度一緒なのかはわからない。もしかしたら、逆に顰蹙を買うかもしれない。
ビャクヤはカミーユよりも貴族っぽいというか、独特の雰囲気がある。それなりな身分の出自なのだろうと、シンは想像していた。
(あっちから絡んでくるなら追い払うけど、こっちから喧嘩を売るほど暇じゃないし)
さすがに進んで恨みを買いたくはなくて、油揚げの件は保留にするのだった。
その後、四人でスネイクバードの討伐についての話し合いをした。
スネイクバードの生態を調べて、棲息地から出現場所を特定する。念のため、冒険者ギルドでも聞き込みなどをして情報収集した。
幸い、シンは良い意味で顔が知られている。おかげで、カウンターにいた女性職員がとても丁寧に教えてくれた。
とはいえ、若干怪しい目で見られていたので、必要な情報を貰ったらすぐに退散した。
シンたちはむさくるしさとは程遠いメンバーだ。
小柄で童顔のシンに、紅一点の物静かな美少女レニ、黙っていればクールな細身のイケメンのカミーユ、神秘的な風貌の狐人のビャクヤ。
中身は割と濃いが、全員外面の良いタイプだった。メッキの厚さは違うとはいえ、露骨なオラオラ系ではない。
そんなメンバーが集まれば、荒くれ者が多い冒険者ギルドで浮くのは当然だ。
「シン君、Cランクなんかい……」
カウンターでの話を切り上げると、ビャクヤが呟いた。
「依頼の種類をネチネチ拘らなきゃ上がるよ」
「ぐぅうう……俺かて、剣も魔法も自信あるんやで? 遠距離攻撃は得意やあらへんけど、接近戦ならその辺のには負けへんもん」
「もしかして討伐系ばっかりやってる?」
「当然や。一番実入りがよろしいやろ」
「お前、採取依頼とドブ掃除やれ」
シンの脳裏には、ランクアップの隠し条件が蘇っていた。
しかし、ビャクヤは拗ねるようにプイッとそっぽを向く。
「イヤや、俺はそんなんせぇへん。掃除なんてガキの小遣い稼ぎや。俺はその辺の盆暗とは違うんや。誇り高きナインテイルがそないな下賤なことするなんて、死んでもあり得へんわぁ」
ちなみに、ビャクヤはEランク、レニとカミーユはFランクだった。
カミーユの場合、肉欲しさに討伐系を重視しているのもあるだろう。あと、薬草などを見分けるのに自信がないと言っていた。
一方レニは、シンとの付き合いの延長だ。彼女は特に金には困っていないし、冒険者業に本腰を入れていない。
(……一応、アドバイスなんだけど、まあいっか)
そんなシンの気も知らず、ビャクヤは苛立たしげに尻尾を揺らして、一人で先に冒険者ギルドから出て行ってしまった。
実はこの中で一番精神年齢が低いのはビャクヤなのかもしれない。
シンは冷静に分析しつつ、カミーユとレニにも同じアドバイスをした。
「ドブ浚いでござるかー……実入りが微妙なのでござるが」
「ああいう地域貢献型の依頼をやると、特別な評価やコネができやすいんだよ。生活魔法の洗浄や浄化があると楽なんだけど」
魔法が得意でないカミーユは、手作業でやるしかないだろう。かなり体力を使うはずだ。
「シン君はどんな依頼やったんですか?」
「五番街の下水掃除。ただ、あそこは依頼があっても、やばいからやめた方がいい」
レニの質問に、苦々しげにシンは答える。
あれは悪夢と言っていい、地獄の作業だった。感謝はされたが、だいぶ骨の折れる仕事だった。主に精神的に。
酷い臭気というのは、静かに――しかしゴリゴリとメンタルを削ってくる。
シンがやった時の状況は、埃を被りまくった状態の依頼だったので、余計に悪かったとはいえ、それにしても酷かった。
「まあ、二人がやる時は先輩として手伝うよ。我流だけどノウハウはわかっているから。依頼って、種類に拘らず満遍なくやった方がランク上がりやすいし、ステップアップが早いんだよ」
シンの言葉に、なるほどと二人は頷き合った。
二人ともランクをガンガン上げたいと燃え上がっているわけではないが、将来的にも幅広い依頼をと考えておけば、やっておいた方がいいという方向になったらしい。
◆
翌日、準備を整えたシンたちは、スネイクバード狩りに向かっていた。
目指すは湿地。以前、シンがビッグフロッグやポイズンフロッグという魔物たちに散々襲われた、蛙天国だ。
冒険者ギルドで得た情報から、その場所がスネイクバードの狩りに適しているという結論に至った。
最初はスネイクバードが巣を作ることが多い岩壁を狙っていたのだが、餌場にしている湿地の方が近いし、戦いやすいと判断したからだ。
シンとレニはグラスゴーに、カミーユとビャクヤはジュエルホーンのピコに乗った。
それぞれの体重を考えれば逆の組み合わせの方が良いが、グラスゴーはシンと彼の親しい人間以外が乗ろうとすると簡単に殺意の波動に目覚める恐れがある。
背中を許す人間はシビアに選び抜くグラスゴー・首刈り族・パイセン。
無論、ピコはピコでシンを乗せたがったが、その辺は弁えているようだ。最初は微妙な感じだったものの、シンが騎手であるカミーユに「ピコが疲れたらすぐ飲ませろよ」と、ポーションを渡したら、わかりやすくやる気を出した。
シンはグラスゴーをなるべくビャクヤに近寄らせないようにしていたので、出発してからも特に問題は起きていない。
以前湿地に行った時は、それらしき魔物は見なかったのだが、今回は近づいた時点で無数のスネイクバードを見つけた。
そして心なしか同情気味の視線を投げかけられた。
「シン君、結構根に持ちますよ?」
「だって、こいつ悪質だろ。マウントの取り方が性格悪い」
鉄は熱いうちに打てと言わんばかりに、シンがズバリと指摘した。
それを受け、ビャクヤはさらにビビり散らす。彼としてはシンを懐柔するために、近しいレニを支配下に置こうとした。ところが、懐柔するどころかシンの逆鱗に触れてしまったのだ。
「お二人は付きおうとるん?」
恐々とビャクヤが問う。
シンが随分レニを大切にしているようなので、思わず口からまろび出たのだ。
「「いや、別に」」
ナイナイと互いに手を振る。この手の掛け合いは何度もされている。
仲は良いとは思うが、シンとレニは互いに友情と親愛しか持ち合わせていなかった。
男女の泥沼はタニキ村での騒動でお腹いっぱいで、胃もたれは継続中である。
カフェの席に戻ると、カミーユがハムやチーズを挟んだカスクートに似たサンドイッチを食べていた。
シンは美味しそうにかぶりつくカミーユを見て、軽く眉を上げる。先ほど別のサンドイッチを食べていたので、追加注文したということだった。
シンは冷静に分析する。
カミーユはまた週末あたりに腹を空かせてぴーぴー泣くだろう。料理の腕が壊滅的で、放火一歩魔手前のフランベ職人の火加減であるカミーユに、自炊は期待できない。
彼にも節約しようとする気はあるが、生まれが貴族なこともあってか、金勘定全般が苦手だった。
成長期という点を差し引いても、カミーユの燃費は良くないため、すぐに手持ちの金が底を突くだろう。
「話し合いは終わったでござるかー?」
問題児を紹介したというのに、カミーユは状況を全く呑み込めていない様子だ。
無表情のシンはともかく、すっきりとしたレニと、半泣きのビャクヤはスルーしている。
「とりあえず、要注意人物で、お前よりしっかり躾けた方がいいのはわかった」
シンがぴしゃりと言うと、隣で毛を逆立てた狐が一匹。
「ちょぉ、まっ! 待ちや、シンさ――」
ビャクヤが慌てて叫んで手を伸ばすが、サクッとそれを避けたシンは、冷たく見返す。
それでもカミーユにスネイクバードの討伐と、素材採取を了承したからには、今回は手伝うつもりだった。
「シンでいいです。様とか、うすら寒い」
そびえ立つ心の壁を感じ取ったのか、真っ青になったビャクヤはがっくりと項垂れた。
「~~~~~っ! シン君で、ええ?」
「それなら可。次にレニ……あとカミーユにもなんかしたら、マジで怒るからな」
どんなスキルや称号を持っているかわからないビャクヤは、その性格もあって、シンの中の危険人物ナンバーワンに一気にのし上がった。
どうやらビャクヤはシンとお近づきになりたいが、それを強要するのは避けたいようだ。
(僕の持っている加護が関係しているのか? 神様の依怙贔屓が付いているって聞くしな……)
ティンパイン王国の宰相チェスターや、ティルレイン王子の付き人のルクスから、その手の話はちょいちょい聞いているが、実感は薄い。
シンの不利益になるようなことをすると、神罰が下るなどするらしいが、まだ彼の目の前ではそういう事態は起こっていはいない。
嵐が去ってからとか、遠回りに起きるのだ。
幸い、今のところシンに近い人の中に、酷い大人は少ない。味方に権力者はちらほらいるが、シンの意思を尊重している。
「あ……お前、後でちょっと温室な。実家やテイランに余計な情報流したら、マジでチェスター様にチクるから。つーか、もう話が伝わっているかもしれないけど」
ビャクヤが権力に頼ろうとするなら、シンの方も権力で打って出るだけだ。
ホームはこちらにあるのだから、状況が不利なのはビャクヤの方だ。それを理解したのだろう、毛並みを膨らませたビャクヤが食い下がってくる。
「そな殺生な!? まだ出会ってそう経っとらんやん。そないなイケズなことせぇへんでも――」
縋るビャクヤの後ろで、事件が勃発した。
事件は会議室でも教室でもなく、現場で起きている――そんなフレーズがシンの頭をよぎる。
「何が〝アマリンだけ♡〟よぉ! 人の友達引っかけておいて!」
バシイイイン! と、プロレスラーも真っ青な平手打ちが決まった。とても良い音である。そして、物凄く痛そうだ。事実、叩かれた男子生徒は見事に体勢を崩した。
ビャクヤの大声は、後ろで平手打ちされてぶっ飛ばされた男子生徒によって掻き消された。どうやら、彼の前にいる三人の女子生徒は、彼女+浮気相手二人だったようだ。
修羅場の気配に周囲は唖然としたり、ワクワクしたり、顔をしかめたりしている。
「出会って五分で私を脅そうとした口が何を言いますか」
「オンナを馬鹿にしてんじゃないわよ、屑! 貧乏貴族のくせに、うちの援助切られたらどうなるかわかってんの!?」
「人が贈ったプレゼント、横流ししてるとか、最低! アンタのお姉さんにもチクってやりますわー!」
後ろの声と存在感が大きすぎて、ビャクヤとシンたちとの会話に殴り込み状態。
会話が玉突き事故されまくっている。
「だって一番押さえどころやろ、レニちゃんは」
「そういうドクズな開き直りは良くないでござるよ、ビャクヤ。その、すぐに当たり前のように人に喧嘩を売る癖はやめた方がいいでござる」
「カミーユ、なんでこれを僕たちに紹介しようとした?」
「ビャクヤは外面がいい奴でな。気にならない相手にはそつなく対応するのでござるが、どうやらシン殿とレニには興味を持ってしまったようでござる……」
肩を竦めるカミーユの声を、男子生徒に詰め寄る少女の声が上書きする。
「ああ腹立つ! もう一発殴らせなさい!」
「口開けなさい、口! 馬術部から貰った騎獣用クッキーを食らわせて差し上げましてよおお!」
「ごちそうさまが! 聞こえない! そーれイッキイッキ!」
後ろの地獄絵図を軽やかにスルーしながら、シンとレニは飲み物を啜り、カミーユは手についたソースを舐めている。
男女の修羅場に他人が首を突っ込んで良いことなんてない。
地味に椅子がぶつかり、時々クッキーのカスが飛んでくるビャクヤは、複雑そうな顔だ。
「お三方、この修羅場の中でまだ話すつもりなん?」
「でも、この時間帯は混むから、他に空いている場所を探すのは大変ですし」
「なら温室行く? 少し早いけどその予定だったし」
シンがそう言ったのは、ビャクヤを助けるためではない。ただ、会話がしにくいし、傍にいて飛び火したら迷惑だからだ。
「ほな行きましょ! そーしましょ! 会計は自分がしますんで!」
一刻も早くその場を離れたかったのか、ビャクヤは逃げるように立ち上がった。
その後ろ姿を見ながら、シンは思案顔だ。
「なんかアイツさ」
シンのぽつりとした呟きを拾ったのはレニだった。
「どうしたんですか?」
「小悪党臭がするから、グラスゴーに頭毟られなきゃいいんだが」
シンの愛馬、デュラハンギャロップのグラスゴーは、ご主人過激派で、敵意や悪意には非常に敏感である。
ティルレインやカミーユといった害のないお馬鹿や、好意的なお馬鹿には、割と鷹揚に接してくれる。軽くシバくというか、襲ってくるが、それはあくまでからかいレベルだ。
だが、ビャクヤに関してもそうかと言うと、ちょっと微妙だった。
人はそれをフラグと言う。
◆
とぼとぼと歩きながらも、ビャクヤの内心では、はらわたが煮えくり返っていた。
シンの想像通り、彼は全く反省していなかった。
(なんやねん、あの坊主。大人しい思うとったら、えげつない性格しとるし……)
シンは黙っていれば大人しそうな童顔少年だ。
特に自分からは目立とうとせず――むしろ気配を殺し、周囲に同調しているタイプだと、ビャクヤは思っていた。
少し強めに押しながら周囲を巻き込めば転がせると踏んでいたのに、全く上手くいかない。
ビャクヤの家は代々巫覡を輩出していた。神殿や教会とは少し毛色が違い、彼自身の血筋には、異世界転移者の血が流れており、異世界転生者も多く生まれていた。
それゆえに神々からの加護を得る者は多く、テイラン王国の領土にありながらも、ビャクヤの故郷は独自の文化と風習を持っていた。
しかし、ここ数百年はその特異な血筋も薄くなり、異世界人の魂を持つ者は生まれず、近くに現れることもなくなっている。
一方、テイラン王国は異世界召喚を乱発して勢力を強めていた。
実はビャクヤの故郷が異世界人と縁が薄くなったのは、これが原因でもある。
度重なる異世界召喚のせいで、『龍脈』という、地に埋まる世界のエネルギーの大きな流れが枯れてしまったのだ。
ビャクヤの故郷は強大な大地のエネルギーが集まる『霊穴』と呼ばれる、いわゆるパワースポットなので、高次元能力者が現れやすかった。
異世界転生者や異世界転移者が現れやすいのも、そのエネルギーの強さゆえだ。
しかし、その流れから溜まるはずのエネルギーは、召喚魔法の儀式に乱用され、カスッカスになった。結果、ビャクヤの一族――ナインテイルの一族は、衰退の一途を辿っている。
ビャクヤは狐人と呼ばれる狐の獣人である。ナインテイルは、非常に強力な魔力を持っていたという、始祖たる狐人の尾の数に由来する。
しかし、最近は一族の短命化や能力の質の低迷があり、直系のビャクヤでも一尾しか持たない。
存命の中では最も尾が多い曽祖父ですら、三本しか持っていない。
その彼とて、体は最盛期をとうに過ぎて骨と皮ばかりのミイラのようなご老体。ぱっと見は既に御仏になっていそうな乾き具合だ。とても九尾の始祖に及ばない。
ビャクヤも一族では強い方だが、それでも一尾でしかない以上、天井は見えている。
〝力こそ全て〟のテイラン王国では、ナインテイル一族の発言権は失われつつあった。
ナインテイルは獣神や商売の神、自然にまつわる神などの加護を手広く信仰していたのも、一族が冷遇される理由の一つだ。日本の八百万信仰に近いものだが、テイランでは異端である。
当然、現役の異世界者をたくさん保有し、戦神バロスのみを祀っているテイラン王家とは折り合いが悪くなる。
バロスを唯一神のごとく崇めるテイラン王家とは徐々に不和が生じ、世代が交代するにつれてナインテイルの一族が弱体化すると、その待遇はさらに悪化していった。
(今はバロス神の力がガクッと下がっとる……俺らんとこが巻き返すには、加護持ちを家に迎えるしかあらへんのや。テイランの王侯貴族どもの鼻を明かしてやるんや!)
そんなことより今の生活を大事にしろと周りは言うが、ビャクヤにはナインテイル一族としてのプライドがあった。
ティンパインには強力な加護持ちがいると、占いが得意な巫女たちも口を揃えて言っていた。明確な背景や人相までは把握できないが、有益な情報である。
ビャクヤは相手の称号やスキルを見抜く鑑定系の能力は持っていない。しかし、巫覡の家系なので、勘は鋭い方だ。
シンを見た瞬間、ピンとくるものがあった。
地味で埋没しそうな少年だが、態度ばかりでかくて中身はスッカラカンのボンボンたちとは違うナニカを感じたのだ。
だからビャクヤは、前哨戦としてシンの傍にいるレニにマウントを取ろうとした。
レニは才女として学園でも有名だったし、従わせることができれば有利と踏んだ。教会と関わり合いがあると聞いたし、うまくすればティンパインにいる加護持ちの情報を得られるかもしれないとも思っていた。
なお、お気楽なカミーユは、社交的な面ではダメなので、純粋な戦力としての期待値から少しつるんでいただけだ。そんな海老で鯛を釣れたのは僥倖と言えただろう。
しかし、あともう一息のところでしくじった。あんな地雷になるとは。
絡め手でじわじわ行こうと考えていたら、即行で悪行がバレて怒られた。
(なんやねん、アイツ! かーちゃんか!? 仲良くしましょーってか? ハッ、アホらしか! 世の中、蹴落とし合いや。利用し、利用される中で最も上前をはねた奴だけが人生を楽しめるんや! これだから田舎育ちの小僧はなってな――)
不意に視線を感じ、ビャクヤはそーっとそちらに視線をやる。
持ち前の勘の良さがビンビンに警報を鳴らしていたが、向かないともっとヤバい気がしたのだ。
むしゃくしゃした気持ちが一気にしぼみ、穴の開いた風船のようにぺちゃんこになっていく。
ぱちり、と黒い澄んだ目と視線がかち合う。
シンが見ていた。
それも、ただ見ていたのではなく、呆れたような、僅かに怒っているような、どことなく冷え冷えとした、アンニュイともアルカイックスマイルとも言える微妙な表情である。
ただ、良くない方に転んだ気がした。
(なななな、なんやのあの坊主? もしかして心読や心眼系のスキルでもあるん!?)
やましいことを考えまくりだったビャクヤは、戦々恐々とした。
へらっと誤魔化しの笑みを浮かべるビャクヤに、ニコッと人畜無害そうな微笑みを返すシン。
目が合って微笑を交わすというだけだったら、和やかに感じるかもしれない。
しかし、ビャクヤの心臓はバックバクに暴れていたし、シンはずっとニココニコしているものの、心の壁が滅茶苦茶分厚く要塞のようになっている。
気まずすぎて、先に目をぱっと逸らしたのはビャクヤだった。
どこかで梵鐘が鳴った気がした。
◆
しょぼーんと垂れ下がった耳と尻尾は、体積が先ほどの三分の一くらいになっている。
(なんかちょっと諦めたっぽいな)
先ほどまでは、ビャクヤの表情や丸まった背中は、さも「落ち込んでいます」と言わんばかりだったが、時折尻尾がボッと広がり、耳が不機嫌そうにピコピコ動いていた。
尻尾や耳は、その速さや、動き方によって多種多様な感情を表現するのだ。
シンは騎獣屋でアルバイトをしていたので、魔獣や動物が不機嫌な時の仕草を覚えていた。
ビャクヤは、言動はちゃんと繕えていたが、尻尾や耳に感情がはみ出てしまっていたので、モロバレモロダシ状態だった。
しかし、今はビャクヤの表情や空気と、尻尾が完全に連動している。
てろんと力なく垂れ下がったモフ尻尾を見て、シンはふと思う。
(そういや、狐って稲荷寿司や油揚げとかが好きって定番だけど、こいつもそうなのかな? 本当は鼠の天ぷらが好物とか聞いたことあるけど)
魔物や魔獣も食べるこの世界では、鼠を食用とするのは珍しくない。さすがに溝鼠などは臭みが強くて食べないが、ある程度大きくて食べでのあるモノなら普通に食用になる。
むしろ、たっぷり太った山鼠なんかは美味の部類と言えるだろう。
狐が油揚げを好むという考えは日本独自のもの。こちらの世界でどの程度一緒なのかはわからない。もしかしたら、逆に顰蹙を買うかもしれない。
ビャクヤはカミーユよりも貴族っぽいというか、独特の雰囲気がある。それなりな身分の出自なのだろうと、シンは想像していた。
(あっちから絡んでくるなら追い払うけど、こっちから喧嘩を売るほど暇じゃないし)
さすがに進んで恨みを買いたくはなくて、油揚げの件は保留にするのだった。
その後、四人でスネイクバードの討伐についての話し合いをした。
スネイクバードの生態を調べて、棲息地から出現場所を特定する。念のため、冒険者ギルドでも聞き込みなどをして情報収集した。
幸い、シンは良い意味で顔が知られている。おかげで、カウンターにいた女性職員がとても丁寧に教えてくれた。
とはいえ、若干怪しい目で見られていたので、必要な情報を貰ったらすぐに退散した。
シンたちはむさくるしさとは程遠いメンバーだ。
小柄で童顔のシンに、紅一点の物静かな美少女レニ、黙っていればクールな細身のイケメンのカミーユ、神秘的な風貌の狐人のビャクヤ。
中身は割と濃いが、全員外面の良いタイプだった。メッキの厚さは違うとはいえ、露骨なオラオラ系ではない。
そんなメンバーが集まれば、荒くれ者が多い冒険者ギルドで浮くのは当然だ。
「シン君、Cランクなんかい……」
カウンターでの話を切り上げると、ビャクヤが呟いた。
「依頼の種類をネチネチ拘らなきゃ上がるよ」
「ぐぅうう……俺かて、剣も魔法も自信あるんやで? 遠距離攻撃は得意やあらへんけど、接近戦ならその辺のには負けへんもん」
「もしかして討伐系ばっかりやってる?」
「当然や。一番実入りがよろしいやろ」
「お前、採取依頼とドブ掃除やれ」
シンの脳裏には、ランクアップの隠し条件が蘇っていた。
しかし、ビャクヤは拗ねるようにプイッとそっぽを向く。
「イヤや、俺はそんなんせぇへん。掃除なんてガキの小遣い稼ぎや。俺はその辺の盆暗とは違うんや。誇り高きナインテイルがそないな下賤なことするなんて、死んでもあり得へんわぁ」
ちなみに、ビャクヤはEランク、レニとカミーユはFランクだった。
カミーユの場合、肉欲しさに討伐系を重視しているのもあるだろう。あと、薬草などを見分けるのに自信がないと言っていた。
一方レニは、シンとの付き合いの延長だ。彼女は特に金には困っていないし、冒険者業に本腰を入れていない。
(……一応、アドバイスなんだけど、まあいっか)
そんなシンの気も知らず、ビャクヤは苛立たしげに尻尾を揺らして、一人で先に冒険者ギルドから出て行ってしまった。
実はこの中で一番精神年齢が低いのはビャクヤなのかもしれない。
シンは冷静に分析しつつ、カミーユとレニにも同じアドバイスをした。
「ドブ浚いでござるかー……実入りが微妙なのでござるが」
「ああいう地域貢献型の依頼をやると、特別な評価やコネができやすいんだよ。生活魔法の洗浄や浄化があると楽なんだけど」
魔法が得意でないカミーユは、手作業でやるしかないだろう。かなり体力を使うはずだ。
「シン君はどんな依頼やったんですか?」
「五番街の下水掃除。ただ、あそこは依頼があっても、やばいからやめた方がいい」
レニの質問に、苦々しげにシンは答える。
あれは悪夢と言っていい、地獄の作業だった。感謝はされたが、だいぶ骨の折れる仕事だった。主に精神的に。
酷い臭気というのは、静かに――しかしゴリゴリとメンタルを削ってくる。
シンがやった時の状況は、埃を被りまくった状態の依頼だったので、余計に悪かったとはいえ、それにしても酷かった。
「まあ、二人がやる時は先輩として手伝うよ。我流だけどノウハウはわかっているから。依頼って、種類に拘らず満遍なくやった方がランク上がりやすいし、ステップアップが早いんだよ」
シンの言葉に、なるほどと二人は頷き合った。
二人ともランクをガンガン上げたいと燃え上がっているわけではないが、将来的にも幅広い依頼をと考えておけば、やっておいた方がいいという方向になったらしい。
◆
翌日、準備を整えたシンたちは、スネイクバード狩りに向かっていた。
目指すは湿地。以前、シンがビッグフロッグやポイズンフロッグという魔物たちに散々襲われた、蛙天国だ。
冒険者ギルドで得た情報から、その場所がスネイクバードの狩りに適しているという結論に至った。
最初はスネイクバードが巣を作ることが多い岩壁を狙っていたのだが、餌場にしている湿地の方が近いし、戦いやすいと判断したからだ。
シンとレニはグラスゴーに、カミーユとビャクヤはジュエルホーンのピコに乗った。
それぞれの体重を考えれば逆の組み合わせの方が良いが、グラスゴーはシンと彼の親しい人間以外が乗ろうとすると簡単に殺意の波動に目覚める恐れがある。
背中を許す人間はシビアに選び抜くグラスゴー・首刈り族・パイセン。
無論、ピコはピコでシンを乗せたがったが、その辺は弁えているようだ。最初は微妙な感じだったものの、シンが騎手であるカミーユに「ピコが疲れたらすぐ飲ませろよ」と、ポーションを渡したら、わかりやすくやる気を出した。
シンはグラスゴーをなるべくビャクヤに近寄らせないようにしていたので、出発してからも特に問題は起きていない。
以前湿地に行った時は、それらしき魔物は見なかったのだが、今回は近づいた時点で無数のスネイクバードを見つけた。
感想
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