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8巻
8-3
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「はい。随分昔の異世界人ですが、彼女の能力はかなり特殊で強力ですので」
「……昔?」
神様基準での昔となると、相当なものだろう。数年じゃなくて、数十、数百という年月の可能性もある。
そこでハッと気づいたフォルミアルカは、勢いよく頭を抱えて唸りだした。
ぶつぶつと「シンさんになら……」「いや、でも」「だけど狙われているし」などと、かなり迷っている。
「……ワケアリってことですか?」
シンの問いに、フォルミアルカはほとんど項垂れるように頷く。
フォルミアルカが腹を決めて口を開こうとした時、シンに変化が起きた。
なんと指先から、ゆっくり体が透けて消えている。
「ああああー! 時間切れですぅ! 起きちゃいますー! とにかく気を付けて! シンさん、気を付けてぇええ!」
それだけ言うのが精一杯のフォルミアルカ。幼女女神らしいごったごたの終わりである。
シンは苦笑しながら、自分の視界がどんどん明るくなっていくのを感じた。
◆
シンの目が覚めた頃には、太陽は真上をとっくに通り過ぎていた。
夕暮れにはなっていないが、午後の麗らかな――というにはギンギンとした日差しが目に染みる。
シンは夢の出来事を思い返し、息を吐く。
(とりあえずは胸にしまっておこう)
唐突で、大ごとすぎて、まだシンの中でも整理しきれていない。
季節は夏。窓の景色は明るいが、街の外に出て狩りや採取をしている時間はなさそうだ。
(……『異空間バッグ』のスキルやマジックバッグにある在庫だけでも、ギルドに納品してくるか)
山村のタニキ村でスタンダードな食材であっても、王都エルビアでは珍味として扱われることがある。
エルビアは平野に築かれた城塞都市なので、動物や植物の生態系が違うのだ。
(うーん、あの二人は一応護衛だし……声をかけるべきか?)
そう考えたシンが両隣の部屋の扉をノックすると、ビャクヤとカミーユがぼんやりした目とぼさぼさ頭で出てきた。
二人とも魔性の寝具にやられて眠っていたようである。
「ちょっと外出するけど、二人はどうする?」
シンの問いに、ビャクヤとカミーユは目を頑張ってこじ開けた。
「護衛なんやし、付いていくのが当り前やろ。万一があったら、あの奥様に吊るされるわ」
「時間も時間なので、サクッと済ませて暗くなる前に帰った方がいいでござるな。エルビアは比較的治安の良い都市でござるが、人が多ければ悪人も紛れているものでござる。祭りが近づくにつれ、さらに人も増えそうでござる」
カミーユが言ったとおり、護衛の立場からすると、視界が悪くなる暗がりと人混みは避けるべきだ。
夕暮れ時になると、仕事終わりに一杯ひっかけに来る客が増える。酔っ払いやガラの悪い連中も増えるので、昼間より治安も悪化する。
だが、シンは首を傾げた。それよりも気になるワードがあったのだ。
「祭り?」
シンの反応に、ビャクヤが「知らんの?」と意外そうな声を漏らす。
かなり有名なお祭りらしい。
「『天狼祭』や。ティンパインでも一大イベントやで。年に一回、夏の終わりから秋あたりにやるお祭りや。国を挙げての豊穣祭みたいなもんやから、エルビア中が祭り一色になるって噂やで」
「げっ、そういやあったなぁ。そんなの」
天狼祭には、シンも出席しなくてはならない。シンとしてではなく、ティンパイン公式神子としてのお役目だ。
ド田舎のタニキ村にはあまり関係のない話だったが、エルビアは開催地として大盛り上がりするそうだ。
初仕事の規模の大きさに、シンは少々気が重かった。
渋い顔をするシンを見て、カミーユが不思議そうに問う。
「シン殿は祭りが嫌いでござるか?」
祭りといえば楽しいイベントなのに、意外な反応だったのだ。
「うーん、実はその天狼祭で、神子として仕事があるんだよ」
その時期はお役目を務めるために、手順を学びに王宮に通うことになるはずだ。
それを聞いて、カミーユとビャクヤは納得する。
「ティンパイン公式神子といえば、此度の神々の怒りを唯一避けさせた寵児でござる。各国の関心も高いでござろう」
「ほとんどが様子見やご機嫌伺いやろうけど、中には疚しい考えを持つ奴もおるかもしれんな」
少しだけ表情を引き締め、二人は騎士らしい顔つきで真剣に話している。
普段は愉快な金なしコンビだが、締める時は締めるのだ――ただ、滅多に機会がないだけで。
「ところで、今後について話すのも良いでござるが、ずっと部屋にいたら、本当に日が暮れてしまうでござるよ?」
珍しく建設的な意見を出し、カミーユが外を指さす。
それもそうだと頷いたシンとビャクヤは、さっさと用意をして出かけることにした。
◆
ドーベルマン邸を出たシンたちは、寄り道もせず、真っ先に冒険者ギルドに顔を出した。
王都の冒険者ギルドは、タニキ村のものとは規模が違う。タニキ村のギルドが個人商店なら、王都は大型量販店くらいの差がある。
壁側の依頼ボードを確認する者、テーブル席には納品物の鑑定や数量確認を待つ者、護衛探しに来たらしい商人風の者と、多種多様な顔ぶれで賑わっていた。
シンの顔を見るとすぐに、受付職員の女性が愛想笑いではない笑顔で対応してくれる。
依頼達成率が高く、無茶な真似をしないシンは、優良冒険者として顔を覚えられているのだ。
「こんにちは、シン君。久しぶりね、元気そうでよかったわ」
そう言いながらも、受付職員は特に心配した様子もない。
冒険者は拠点とする街を変えると、ギルドに顔を出さなくなることはよくある。
それ以外にも護衛の依頼で遠出したり、採取や討伐対象が遠い場所だったりすると、しばらく顔を見なくなるものだ。
「ちょっと田舎に帰っていまして」
シンが答えると、なるほどと職員が頷く。
「ああ、シン君は出稼ぎなのね。シン君ほど腕が良かったら、どこでも困らなそうだけど」
「学園に通っているので、長期休暇以外は戻れないんです」
王都へ出稼ぎに来る若者はよくいる。
憧れだったり、家庭の事情だったりと、理由は様々。
人の多い王都は当然依頼の量も多い。種類も報酬もピンキリだが、選り好みをしなければ生活に困窮しない。
とはいえ、シンはお金に困っているわけではない。
大金持ちまではいかないが、タニキ村でも安定した生計を立てられる腕前がある。狩人ではなく、薬師でもやっていけるだろう。
しかし元社畜の性なのか、気づけばせっせと働いている。
もっとも、半分は趣味や楽しみみたいなもので、パワハラとは無縁のスローライフである。
ちょっとした合間に、狩猟や採取といったギルドの依頼もこなしていた。
今回もそうだ。夏の間に溜め込んでいた在庫を放出する機会である。
「ちょっと珍しい食材もあるので、レストランに納品をお願いします」
「ああ、例の依頼ね。ではこちらにどうぞ」
心得た受付職員は、頷きながら個室へシンを案内しようとする。
シンはレアアイテムのマジックバッグ持ちだが、防犯のため量の多い素材のやり取りはカウンターでしない。
高価なマジックバッグはその利便性もあり、持っていることがバレると強奪しようとする者が現れる可能性もあるからだ。
席を立った受付職員は、そこでシンと一緒に入ってきたカミーユとビャクヤの存在を思い出し、視線を向ける。
彼らは依頼ボードの近くにいた。
受付カウンターまで数歩という距離だが、別行動にも見えなくない。
気づいたカミーユがひらりと手を振って、行ってこいとばかりに合図をする。
ここは冒険者ギルドだ。ましてやそこの職員の案内だから、危険はないと判断したのだ。
「じゃ、少し行ってくる」
そう応えると、シンは職員に続いて別室に移動した。
今回シンが納品したのは、苔桃や木苺や山菜類。
一つ一つは小さなものとはいえ、それなりに量があった。
「大粒ですね! 色づきも綺麗! これは見栄えがするのでジャムやソースにするより、タルトやケーキの上にあったら素敵~!」
職員はホクホク顔で計量し、十万ゴルドで引き取った。
金額にぎょっとしたシンが尋ねると、職員は理由を説明してくれた。
「このベリー類は、この辺りではとっくに旬が終わって採れないんです」
これだけの大きさの粒と量を揃えるのは難しいらしい。
夏休みの初めあたりに収穫した分だが、劣化しない異空間バッグに保存していたので、見るからに摘みたての鮮度で、色艶も良いのが高評価のポイントになったようだ。
それにタニキ村は標高が高く、若干涼しいため、エルビア周辺より熟れる時期は遅れる。
シンが採ったのは、ちょうど旬の初めの特に美味しいベリーだった。
「シン君のご実家では、まだあるんですか?」
「小粒なら多少……ってところですね。甘くて美味しいから、鳥や動物にあっという間に食べられちゃうんです」
「確かに、目敏いですからね」
苦笑するシンに、職員がしみじみと頷いて同意した。
どこから見つけてくるのか、熟れた瞬間にかっさらっていくのだ。
学園の温室でシンが育てていた野菜も、鳥や昆虫にやられたことがある。
鳥は温室の小さな穴をどこからか見つけて侵入するし、虫もいつの間にか作物にくっついている。
レニと一緒に苦労して対策を考えたものだ。
(あ、そうだ。少しレニのお土産にとっておこう)
レニは果物が好きだし、異空間バッグにはまだ在庫がある。
そんなことを考えながら、シンはギルド職員に冒険者カードを渡して依頼達成の手続きをする。
レストランへの食材納品の依頼は以前から継続して引き受けているが、今のところクレームが入ったことはない。
シンにとっては実入りが良くて美味しい依頼である。
(特に珍しい食材を提供しているとは思わないけど、結構な額もらえるんだよね……うーん、プロの考えはわからない)
この依頼主は上流階級向けのレストラン。食材は、特に慎重で丁寧な扱いが求められる。
ところが、基本的に冒険者は、質より量と考えがちだ。採取品の扱いが雑なため、納品物が傷物になっている場合が多々あるのだ。
ギルドからすれば、素材の扱いが丁寧で、高品質な納品が多いシンには、安心して任せられる。
まめな日本人らしい気質の表れと言えるだろう。
シンには当たり前の感覚だが、この世界の基準ではかなり几帳面な方だ。
普通のことをしただけなのに、お金を多くもらえたという認識のシンは、嬉しいけどちょっと後ろめたいような気後れするような感情を持ちつつ、取引を終えるのだった。
双方満足な取引ができて、ギルドもシンもほっくほくの笑顔だ。
一仕事終えたシンはカミーユとビャクヤのもとへ戻るが、二人とも依頼ボードの前から動いていない。
「お待たせ。なんか良い依頼あった?」
「うーん、手堅いところでボアやな」
「そろそろ冒険者ランクをアップしたいところでござるが、難しいでござる」
ビャクヤとカミーユは腕組みをしながら、微妙な顔だ。
二人はシンの護衛とは別に冒険者稼業も続ける気満々だった。シンはすでにCランクになっているので、二人もそれに追いつきたいところだが、なかなか昇格しない現状である。
「お前はええやん。ちょっと前に上がったやろ」
特にビャクヤはランクを気にしていた。長らくEランクのまま停滞して、伸び悩んでいるのだ。しかも、夏休み中にランクアップしたカミーユに追いつかれてしまった。
「夏休みはシン君の狩りとかにくっついて採取や討伐もやっとったのに、なかなか難しいもんやな」
カミーユとビャクヤと違って、シンは弓や魔法の遠方攻撃が可能で、採取スキルが高い。女神にもらったスマホで『鑑定』ができるが、そもそも山で生活する狩人兼冒険者としての植物知識にもアドバンテージが十分だった。
どうしても討伐に偏りがちの二人と比べると、依頼達成量に違いが出る。
さらにギルドから信頼されているシンは、指名依頼などがあり、その点でもビャクヤたちとは一線を画している。
うかうかしていたらさらに引き離される可能性もある。
気落ちするビャクヤを見て、シンはふと思い出す。
以前、ギルド職員に教えてもらったランクアップの条件だ。
「ああ、なんか地域貢献的なのも評価基準になるみたいだよ。ドブさらいとか掃除とかするといいらしい」
「そういった依頼は受けたことあれへんな」
ビャクヤは汚れ仕事や地味な仕事を嫌い、未達成だ。自分でもそれがわかっているのか、狐耳をぴくぴく動かしながら視線を泳がせていた。
ちなみにカミーユは先にシンから教わっていたし、簡単なものは受けたことがある。
「基本、Iランクのビギナー向けなんだけど、討伐系ばっかりじゃなくて、満遍なくやってみた方がいいよ」
シンの追撃に、ビャクヤが肩を落とす。
「うう……下水掃除は嫌やぁ~。俺の鼻に汚水はやばいんや!」
獣人はその鋭敏な感覚のせいで、音や臭いが劣悪な環境に置かれると、人間より倍増しにダメージが大きくなるため、過酷なのだ。
感情そのままに狐耳もぺったりと下がり、尻尾もしなしなに垂れている。見るからにしょぼくれていた。
ビャクヤは想像しただけで頭を抱え、心底嫌そうに青い顔をする。
シンとは違って魔法を使えないビャクヤだと、達成後の汚れや臭い落としも大変そうだ。
シンもさすがにそれは可哀想だと思い、依頼候補に水路掃除を挙げるのはやめた。依頼条件が貼り付けられた掲示板を見ながら、他に良さげな依頼がないか物色する。
「あ、草むしりならよくない?」
「お子様のやることやんけー!」
ビャクヤが抗議するが、それは言わないお約束だ。
そもそも地域貢献の依頼は、ビギナー向けが多い。面倒でも根気さえあればなんとかなる系である。
「グダグダ言わないでやる! あとは……あ、貴族のペット捜索依頼は? 結構種類あるな。犬や猫、鳥……蛇とかもいるんだ。狼の言葉が少しわかるなら、犬の言葉もいけるんじゃないか?」
ビャクヤの我儘を叱って却下するシンに、ビャクヤが喚く。
「俺は狐や! 犬とは相性悪いんや!」
ギャーギャー不満を訴えるが、これはビャクヤのプライドや好悪の問題である。
先ほどの萎れた拒否とは違い、とても元気で威勢がいい。
これだけ元気なら大丈夫だろうと、シンとカミーユはめぼしい依頼カードを取っていく。
「時給千ゴルドで、達成すると五万ゴルドでござるよ?」
富裕層からの依頼なのだろう。かなり条件が良い。時給は微妙だが、達成時のリターンが大きいのは魅力的だ。
「………………………やる」
「「声ちっさ」」
長い沈黙にビャクヤのささやかな抵抗を感じられるが、それでも報酬の美味しさには敵わなかったらしい。
お金の力は偉大なのだ。
聖騎士見習いになって給金や多方面の補助が受けられるようになったといっても、自由に使える手持ちは多い方がいい。
ただでさえ、実技や遠征で武具が損壊したり使えなくなったりすることがある。消耗品の出費も少なくない。
「もう時間が微妙だし、今日のところは依頼だけ受けて、明日から動き出そうか」
シンの提案に、ビャクヤとカミーユが頷く。
草むしりは暗くなったらやりにくいし、ペットの捜索も同様である。
あまりに遅く帰ると、ミリアが心配するのもあって、三人は早めに切り上げて帰路に就くのだった。
◆
翌日、シンたち三人は早速依頼に出発――と思いきや、朝食時にミリアに待ったをかけられた。
「制服を用意したから、試着してから行ってらっしゃい。ちゃんと合うか、確認が必要でしょう?」
育ち盛りなんだから、とミリアが微笑む。
そういえば、王都に早めに戻ったのはそのためだったと、三人は思い出す。やりたいことが多すぎて、みんなコロッと忘れていた。
三人の考えていることなど全てお見通しとばかりに、ミリアは穏やかに笑っている。
朝食が終わるとすぐに、三人はメイドの案内で一室に通された。
そこにはサイズ違いの制服が何枚も置いてあった。
夏冬両方のブレザーとズボン、シャツ、中に着るベストやセーターなども揃えてある。
お洒落な礼服をぴしりと着こなすテーラーらしき男性が中で待機しており、三人を見て、めぼしいサイズを差し出す。
「シン様とビャクヤ様はこのサイズで、カミーユ様はこの辺りがよろしいかと」
渡された制服はピッタリであるが、成長期の三人を考えるとすぐサイズアウトしてしまいそうだ。
「これ、来年とか着られますか?」
心配そうにシンが聞くと、テーラーは「難しいでしょうな」とあっさり言った。
「サイズもそうですが、お二人は騎士科、もう一人は冒険者向きの講義を受けているとお聞きしております。元気な若者が多い学園では、私闘や課外学習でのトラブルは日常茶飯事。しょっちゅう仕立て直しの依頼がきますからな。貴族科の淑女以外はほとんどが一年でダメにしてしまいます」
テーラーの鋭い指摘に思い当たる節があり、シンは微妙な顔になった。入学一年目の早々に厄介な伯爵子息のシフルトに決闘を申し込まれたのを思い出す。
優秀な少年少女が多く在籍する学園だが、アクティブな奇人変人も多かった。
シンは所属している錬金術部を思い出す。インドア派で、やっているのは調合ではなく料理ばかりなのに、材料調達や調理で服をダメにしている生徒が何人もいた。
「平民の生徒は古着を購入することが多いですが、お三方は宰相様のお顔を立てるためにも、中古はおやめになった方がよろしいでしょう」
何か安く入手する方法はないかとシンは考えていたが、テーラーから釘を刺された。
「うっ、わかりました……」
シンは表向き、ドーベルマン伯爵家の支援で学園に入っていることになっている。
貴族側のメンツ問題はよくわからないが、専門家がそう言うならば、従った方がいいだろう。
結局、三人はピッタリサイズと少し大きめサイズをそれぞれ夏冬一着ずつ頼んだ。
テーラーからはもっと作ってはどうかと言われたが、人様のお金でポンポン仕立ててもらうのは気が引ける、小市民のシンだった。
◆
王都に戻った本来の目的を達成した三人は、すぐに依頼人のもとへと向かった。
結論から言うと、ペットの猫捜しの依頼は一瞬で終わった。
名前と特徴を聞いてから出発すると、屋敷から百メートルも離れていないところで出てきたのである。
――時を遡ること、小一時間。
依頼主から話を聞いたシンたちは、家出猫を捜して練り歩いていた。
「ミケランジェロ(家出猫)の好物も聞いてくればよかったね」
「猫の好物いうたら、ネズミ?」
「貴族の猫にその辺のネズミを与えていいでござるか? 愛玩動物でござるよ?」
ビャクヤの言葉に、カミーユが首を捻った。
変な病気をもらって、損害賠償とか治療費とかを求められても困る。
ネズミは汚水や汚物の周辺にいる可能性が高いので、どんな病を持っているかわからない。街中のネズミは危険なのだ。
「うーん……じゃあ、ササミとか魚とかーぁああ?」
依頼主からもらった絵姿を見ていたシンは、思いがけない感覚に、素っ頓狂な声を上げる。
その足首に、するりと頭を擦り付ける小汚い毛玉が一匹。
だいぶ変わり果ててゴワゴワしていたが、依頼された猫と同じ長毛種であり、瞳の色と目印の首輪が合致した。
シンが立ち尽くしていると、ビャクヤとカミーユがすぐさま動いた。
「か、かくほー! カミーユ、捕まえるんやー!」
「了解でござ――あいったー!!」
カミーユはスパーンと猫パンチをくらい、見事に手の甲に三本ラインが出来上がった。
それをやった犯人ならぬ犯ニャンはイカ耳にしながら、全身の毛を逆立てる。やんのかステップをしつつ身を膨らませて「フシャアアアア!」と鳴く。
めちゃくちゃ威嚇している。
シンはあまりに近くかつ唐突に猫が出てきたので、戸惑っていた。
カミーユとビャクヤには威嚇しているのに、シンからは離れない。
「にゃんこー、おいでおいでー。ほーら、猫じゃらしやでー?」
「フギャーッ!」
尻尾のような穂の付いた草をその辺で毟ってきて揺らすビャクヤだが、それもベシーンと叩き落とされ、さらに激しい威嚇をされる。
言葉は喋らないが、猫は全身で「触んな!」と訴えている。
「コッワ! 愛玩動物やなくて肉食動物やん! 野性に目覚めとるやん!」
猫の尻尾が膨らんで、バットのように太くなっている。
鋭い目でビャクヤとカミーユを睨みつけながら、これでもかと毛を逆立てて、全身で威嚇していた。
「……昔?」
神様基準での昔となると、相当なものだろう。数年じゃなくて、数十、数百という年月の可能性もある。
そこでハッと気づいたフォルミアルカは、勢いよく頭を抱えて唸りだした。
ぶつぶつと「シンさんになら……」「いや、でも」「だけど狙われているし」などと、かなり迷っている。
「……ワケアリってことですか?」
シンの問いに、フォルミアルカはほとんど項垂れるように頷く。
フォルミアルカが腹を決めて口を開こうとした時、シンに変化が起きた。
なんと指先から、ゆっくり体が透けて消えている。
「ああああー! 時間切れですぅ! 起きちゃいますー! とにかく気を付けて! シンさん、気を付けてぇええ!」
それだけ言うのが精一杯のフォルミアルカ。幼女女神らしいごったごたの終わりである。
シンは苦笑しながら、自分の視界がどんどん明るくなっていくのを感じた。
◆
シンの目が覚めた頃には、太陽は真上をとっくに通り過ぎていた。
夕暮れにはなっていないが、午後の麗らかな――というにはギンギンとした日差しが目に染みる。
シンは夢の出来事を思い返し、息を吐く。
(とりあえずは胸にしまっておこう)
唐突で、大ごとすぎて、まだシンの中でも整理しきれていない。
季節は夏。窓の景色は明るいが、街の外に出て狩りや採取をしている時間はなさそうだ。
(……『異空間バッグ』のスキルやマジックバッグにある在庫だけでも、ギルドに納品してくるか)
山村のタニキ村でスタンダードな食材であっても、王都エルビアでは珍味として扱われることがある。
エルビアは平野に築かれた城塞都市なので、動物や植物の生態系が違うのだ。
(うーん、あの二人は一応護衛だし……声をかけるべきか?)
そう考えたシンが両隣の部屋の扉をノックすると、ビャクヤとカミーユがぼんやりした目とぼさぼさ頭で出てきた。
二人とも魔性の寝具にやられて眠っていたようである。
「ちょっと外出するけど、二人はどうする?」
シンの問いに、ビャクヤとカミーユは目を頑張ってこじ開けた。
「護衛なんやし、付いていくのが当り前やろ。万一があったら、あの奥様に吊るされるわ」
「時間も時間なので、サクッと済ませて暗くなる前に帰った方がいいでござるな。エルビアは比較的治安の良い都市でござるが、人が多ければ悪人も紛れているものでござる。祭りが近づくにつれ、さらに人も増えそうでござる」
カミーユが言ったとおり、護衛の立場からすると、視界が悪くなる暗がりと人混みは避けるべきだ。
夕暮れ時になると、仕事終わりに一杯ひっかけに来る客が増える。酔っ払いやガラの悪い連中も増えるので、昼間より治安も悪化する。
だが、シンは首を傾げた。それよりも気になるワードがあったのだ。
「祭り?」
シンの反応に、ビャクヤが「知らんの?」と意外そうな声を漏らす。
かなり有名なお祭りらしい。
「『天狼祭』や。ティンパインでも一大イベントやで。年に一回、夏の終わりから秋あたりにやるお祭りや。国を挙げての豊穣祭みたいなもんやから、エルビア中が祭り一色になるって噂やで」
「げっ、そういやあったなぁ。そんなの」
天狼祭には、シンも出席しなくてはならない。シンとしてではなく、ティンパイン公式神子としてのお役目だ。
ド田舎のタニキ村にはあまり関係のない話だったが、エルビアは開催地として大盛り上がりするそうだ。
初仕事の規模の大きさに、シンは少々気が重かった。
渋い顔をするシンを見て、カミーユが不思議そうに問う。
「シン殿は祭りが嫌いでござるか?」
祭りといえば楽しいイベントなのに、意外な反応だったのだ。
「うーん、実はその天狼祭で、神子として仕事があるんだよ」
その時期はお役目を務めるために、手順を学びに王宮に通うことになるはずだ。
それを聞いて、カミーユとビャクヤは納得する。
「ティンパイン公式神子といえば、此度の神々の怒りを唯一避けさせた寵児でござる。各国の関心も高いでござろう」
「ほとんどが様子見やご機嫌伺いやろうけど、中には疚しい考えを持つ奴もおるかもしれんな」
少しだけ表情を引き締め、二人は騎士らしい顔つきで真剣に話している。
普段は愉快な金なしコンビだが、締める時は締めるのだ――ただ、滅多に機会がないだけで。
「ところで、今後について話すのも良いでござるが、ずっと部屋にいたら、本当に日が暮れてしまうでござるよ?」
珍しく建設的な意見を出し、カミーユが外を指さす。
それもそうだと頷いたシンとビャクヤは、さっさと用意をして出かけることにした。
◆
ドーベルマン邸を出たシンたちは、寄り道もせず、真っ先に冒険者ギルドに顔を出した。
王都の冒険者ギルドは、タニキ村のものとは規模が違う。タニキ村のギルドが個人商店なら、王都は大型量販店くらいの差がある。
壁側の依頼ボードを確認する者、テーブル席には納品物の鑑定や数量確認を待つ者、護衛探しに来たらしい商人風の者と、多種多様な顔ぶれで賑わっていた。
シンの顔を見るとすぐに、受付職員の女性が愛想笑いではない笑顔で対応してくれる。
依頼達成率が高く、無茶な真似をしないシンは、優良冒険者として顔を覚えられているのだ。
「こんにちは、シン君。久しぶりね、元気そうでよかったわ」
そう言いながらも、受付職員は特に心配した様子もない。
冒険者は拠点とする街を変えると、ギルドに顔を出さなくなることはよくある。
それ以外にも護衛の依頼で遠出したり、採取や討伐対象が遠い場所だったりすると、しばらく顔を見なくなるものだ。
「ちょっと田舎に帰っていまして」
シンが答えると、なるほどと職員が頷く。
「ああ、シン君は出稼ぎなのね。シン君ほど腕が良かったら、どこでも困らなそうだけど」
「学園に通っているので、長期休暇以外は戻れないんです」
王都へ出稼ぎに来る若者はよくいる。
憧れだったり、家庭の事情だったりと、理由は様々。
人の多い王都は当然依頼の量も多い。種類も報酬もピンキリだが、選り好みをしなければ生活に困窮しない。
とはいえ、シンはお金に困っているわけではない。
大金持ちまではいかないが、タニキ村でも安定した生計を立てられる腕前がある。狩人ではなく、薬師でもやっていけるだろう。
しかし元社畜の性なのか、気づけばせっせと働いている。
もっとも、半分は趣味や楽しみみたいなもので、パワハラとは無縁のスローライフである。
ちょっとした合間に、狩猟や採取といったギルドの依頼もこなしていた。
今回もそうだ。夏の間に溜め込んでいた在庫を放出する機会である。
「ちょっと珍しい食材もあるので、レストランに納品をお願いします」
「ああ、例の依頼ね。ではこちらにどうぞ」
心得た受付職員は、頷きながら個室へシンを案内しようとする。
シンはレアアイテムのマジックバッグ持ちだが、防犯のため量の多い素材のやり取りはカウンターでしない。
高価なマジックバッグはその利便性もあり、持っていることがバレると強奪しようとする者が現れる可能性もあるからだ。
席を立った受付職員は、そこでシンと一緒に入ってきたカミーユとビャクヤの存在を思い出し、視線を向ける。
彼らは依頼ボードの近くにいた。
受付カウンターまで数歩という距離だが、別行動にも見えなくない。
気づいたカミーユがひらりと手を振って、行ってこいとばかりに合図をする。
ここは冒険者ギルドだ。ましてやそこの職員の案内だから、危険はないと判断したのだ。
「じゃ、少し行ってくる」
そう応えると、シンは職員に続いて別室に移動した。
今回シンが納品したのは、苔桃や木苺や山菜類。
一つ一つは小さなものとはいえ、それなりに量があった。
「大粒ですね! 色づきも綺麗! これは見栄えがするのでジャムやソースにするより、タルトやケーキの上にあったら素敵~!」
職員はホクホク顔で計量し、十万ゴルドで引き取った。
金額にぎょっとしたシンが尋ねると、職員は理由を説明してくれた。
「このベリー類は、この辺りではとっくに旬が終わって採れないんです」
これだけの大きさの粒と量を揃えるのは難しいらしい。
夏休みの初めあたりに収穫した分だが、劣化しない異空間バッグに保存していたので、見るからに摘みたての鮮度で、色艶も良いのが高評価のポイントになったようだ。
それにタニキ村は標高が高く、若干涼しいため、エルビア周辺より熟れる時期は遅れる。
シンが採ったのは、ちょうど旬の初めの特に美味しいベリーだった。
「シン君のご実家では、まだあるんですか?」
「小粒なら多少……ってところですね。甘くて美味しいから、鳥や動物にあっという間に食べられちゃうんです」
「確かに、目敏いですからね」
苦笑するシンに、職員がしみじみと頷いて同意した。
どこから見つけてくるのか、熟れた瞬間にかっさらっていくのだ。
学園の温室でシンが育てていた野菜も、鳥や昆虫にやられたことがある。
鳥は温室の小さな穴をどこからか見つけて侵入するし、虫もいつの間にか作物にくっついている。
レニと一緒に苦労して対策を考えたものだ。
(あ、そうだ。少しレニのお土産にとっておこう)
レニは果物が好きだし、異空間バッグにはまだ在庫がある。
そんなことを考えながら、シンはギルド職員に冒険者カードを渡して依頼達成の手続きをする。
レストランへの食材納品の依頼は以前から継続して引き受けているが、今のところクレームが入ったことはない。
シンにとっては実入りが良くて美味しい依頼である。
(特に珍しい食材を提供しているとは思わないけど、結構な額もらえるんだよね……うーん、プロの考えはわからない)
この依頼主は上流階級向けのレストラン。食材は、特に慎重で丁寧な扱いが求められる。
ところが、基本的に冒険者は、質より量と考えがちだ。採取品の扱いが雑なため、納品物が傷物になっている場合が多々あるのだ。
ギルドからすれば、素材の扱いが丁寧で、高品質な納品が多いシンには、安心して任せられる。
まめな日本人らしい気質の表れと言えるだろう。
シンには当たり前の感覚だが、この世界の基準ではかなり几帳面な方だ。
普通のことをしただけなのに、お金を多くもらえたという認識のシンは、嬉しいけどちょっと後ろめたいような気後れするような感情を持ちつつ、取引を終えるのだった。
双方満足な取引ができて、ギルドもシンもほっくほくの笑顔だ。
一仕事終えたシンはカミーユとビャクヤのもとへ戻るが、二人とも依頼ボードの前から動いていない。
「お待たせ。なんか良い依頼あった?」
「うーん、手堅いところでボアやな」
「そろそろ冒険者ランクをアップしたいところでござるが、難しいでござる」
ビャクヤとカミーユは腕組みをしながら、微妙な顔だ。
二人はシンの護衛とは別に冒険者稼業も続ける気満々だった。シンはすでにCランクになっているので、二人もそれに追いつきたいところだが、なかなか昇格しない現状である。
「お前はええやん。ちょっと前に上がったやろ」
特にビャクヤはランクを気にしていた。長らくEランクのまま停滞して、伸び悩んでいるのだ。しかも、夏休み中にランクアップしたカミーユに追いつかれてしまった。
「夏休みはシン君の狩りとかにくっついて採取や討伐もやっとったのに、なかなか難しいもんやな」
カミーユとビャクヤと違って、シンは弓や魔法の遠方攻撃が可能で、採取スキルが高い。女神にもらったスマホで『鑑定』ができるが、そもそも山で生活する狩人兼冒険者としての植物知識にもアドバンテージが十分だった。
どうしても討伐に偏りがちの二人と比べると、依頼達成量に違いが出る。
さらにギルドから信頼されているシンは、指名依頼などがあり、その点でもビャクヤたちとは一線を画している。
うかうかしていたらさらに引き離される可能性もある。
気落ちするビャクヤを見て、シンはふと思い出す。
以前、ギルド職員に教えてもらったランクアップの条件だ。
「ああ、なんか地域貢献的なのも評価基準になるみたいだよ。ドブさらいとか掃除とかするといいらしい」
「そういった依頼は受けたことあれへんな」
ビャクヤは汚れ仕事や地味な仕事を嫌い、未達成だ。自分でもそれがわかっているのか、狐耳をぴくぴく動かしながら視線を泳がせていた。
ちなみにカミーユは先にシンから教わっていたし、簡単なものは受けたことがある。
「基本、Iランクのビギナー向けなんだけど、討伐系ばっかりじゃなくて、満遍なくやってみた方がいいよ」
シンの追撃に、ビャクヤが肩を落とす。
「うう……下水掃除は嫌やぁ~。俺の鼻に汚水はやばいんや!」
獣人はその鋭敏な感覚のせいで、音や臭いが劣悪な環境に置かれると、人間より倍増しにダメージが大きくなるため、過酷なのだ。
感情そのままに狐耳もぺったりと下がり、尻尾もしなしなに垂れている。見るからにしょぼくれていた。
ビャクヤは想像しただけで頭を抱え、心底嫌そうに青い顔をする。
シンとは違って魔法を使えないビャクヤだと、達成後の汚れや臭い落としも大変そうだ。
シンもさすがにそれは可哀想だと思い、依頼候補に水路掃除を挙げるのはやめた。依頼条件が貼り付けられた掲示板を見ながら、他に良さげな依頼がないか物色する。
「あ、草むしりならよくない?」
「お子様のやることやんけー!」
ビャクヤが抗議するが、それは言わないお約束だ。
そもそも地域貢献の依頼は、ビギナー向けが多い。面倒でも根気さえあればなんとかなる系である。
「グダグダ言わないでやる! あとは……あ、貴族のペット捜索依頼は? 結構種類あるな。犬や猫、鳥……蛇とかもいるんだ。狼の言葉が少しわかるなら、犬の言葉もいけるんじゃないか?」
ビャクヤの我儘を叱って却下するシンに、ビャクヤが喚く。
「俺は狐や! 犬とは相性悪いんや!」
ギャーギャー不満を訴えるが、これはビャクヤのプライドや好悪の問題である。
先ほどの萎れた拒否とは違い、とても元気で威勢がいい。
これだけ元気なら大丈夫だろうと、シンとカミーユはめぼしい依頼カードを取っていく。
「時給千ゴルドで、達成すると五万ゴルドでござるよ?」
富裕層からの依頼なのだろう。かなり条件が良い。時給は微妙だが、達成時のリターンが大きいのは魅力的だ。
「………………………やる」
「「声ちっさ」」
長い沈黙にビャクヤのささやかな抵抗を感じられるが、それでも報酬の美味しさには敵わなかったらしい。
お金の力は偉大なのだ。
聖騎士見習いになって給金や多方面の補助が受けられるようになったといっても、自由に使える手持ちは多い方がいい。
ただでさえ、実技や遠征で武具が損壊したり使えなくなったりすることがある。消耗品の出費も少なくない。
「もう時間が微妙だし、今日のところは依頼だけ受けて、明日から動き出そうか」
シンの提案に、ビャクヤとカミーユが頷く。
草むしりは暗くなったらやりにくいし、ペットの捜索も同様である。
あまりに遅く帰ると、ミリアが心配するのもあって、三人は早めに切り上げて帰路に就くのだった。
◆
翌日、シンたち三人は早速依頼に出発――と思いきや、朝食時にミリアに待ったをかけられた。
「制服を用意したから、試着してから行ってらっしゃい。ちゃんと合うか、確認が必要でしょう?」
育ち盛りなんだから、とミリアが微笑む。
そういえば、王都に早めに戻ったのはそのためだったと、三人は思い出す。やりたいことが多すぎて、みんなコロッと忘れていた。
三人の考えていることなど全てお見通しとばかりに、ミリアは穏やかに笑っている。
朝食が終わるとすぐに、三人はメイドの案内で一室に通された。
そこにはサイズ違いの制服が何枚も置いてあった。
夏冬両方のブレザーとズボン、シャツ、中に着るベストやセーターなども揃えてある。
お洒落な礼服をぴしりと着こなすテーラーらしき男性が中で待機しており、三人を見て、めぼしいサイズを差し出す。
「シン様とビャクヤ様はこのサイズで、カミーユ様はこの辺りがよろしいかと」
渡された制服はピッタリであるが、成長期の三人を考えるとすぐサイズアウトしてしまいそうだ。
「これ、来年とか着られますか?」
心配そうにシンが聞くと、テーラーは「難しいでしょうな」とあっさり言った。
「サイズもそうですが、お二人は騎士科、もう一人は冒険者向きの講義を受けているとお聞きしております。元気な若者が多い学園では、私闘や課外学習でのトラブルは日常茶飯事。しょっちゅう仕立て直しの依頼がきますからな。貴族科の淑女以外はほとんどが一年でダメにしてしまいます」
テーラーの鋭い指摘に思い当たる節があり、シンは微妙な顔になった。入学一年目の早々に厄介な伯爵子息のシフルトに決闘を申し込まれたのを思い出す。
優秀な少年少女が多く在籍する学園だが、アクティブな奇人変人も多かった。
シンは所属している錬金術部を思い出す。インドア派で、やっているのは調合ではなく料理ばかりなのに、材料調達や調理で服をダメにしている生徒が何人もいた。
「平民の生徒は古着を購入することが多いですが、お三方は宰相様のお顔を立てるためにも、中古はおやめになった方がよろしいでしょう」
何か安く入手する方法はないかとシンは考えていたが、テーラーから釘を刺された。
「うっ、わかりました……」
シンは表向き、ドーベルマン伯爵家の支援で学園に入っていることになっている。
貴族側のメンツ問題はよくわからないが、専門家がそう言うならば、従った方がいいだろう。
結局、三人はピッタリサイズと少し大きめサイズをそれぞれ夏冬一着ずつ頼んだ。
テーラーからはもっと作ってはどうかと言われたが、人様のお金でポンポン仕立ててもらうのは気が引ける、小市民のシンだった。
◆
王都に戻った本来の目的を達成した三人は、すぐに依頼人のもとへと向かった。
結論から言うと、ペットの猫捜しの依頼は一瞬で終わった。
名前と特徴を聞いてから出発すると、屋敷から百メートルも離れていないところで出てきたのである。
――時を遡ること、小一時間。
依頼主から話を聞いたシンたちは、家出猫を捜して練り歩いていた。
「ミケランジェロ(家出猫)の好物も聞いてくればよかったね」
「猫の好物いうたら、ネズミ?」
「貴族の猫にその辺のネズミを与えていいでござるか? 愛玩動物でござるよ?」
ビャクヤの言葉に、カミーユが首を捻った。
変な病気をもらって、損害賠償とか治療費とかを求められても困る。
ネズミは汚水や汚物の周辺にいる可能性が高いので、どんな病を持っているかわからない。街中のネズミは危険なのだ。
「うーん……じゃあ、ササミとか魚とかーぁああ?」
依頼主からもらった絵姿を見ていたシンは、思いがけない感覚に、素っ頓狂な声を上げる。
その足首に、するりと頭を擦り付ける小汚い毛玉が一匹。
だいぶ変わり果ててゴワゴワしていたが、依頼された猫と同じ長毛種であり、瞳の色と目印の首輪が合致した。
シンが立ち尽くしていると、ビャクヤとカミーユがすぐさま動いた。
「か、かくほー! カミーユ、捕まえるんやー!」
「了解でござ――あいったー!!」
カミーユはスパーンと猫パンチをくらい、見事に手の甲に三本ラインが出来上がった。
それをやった犯人ならぬ犯ニャンはイカ耳にしながら、全身の毛を逆立てる。やんのかステップをしつつ身を膨らませて「フシャアアアア!」と鳴く。
めちゃくちゃ威嚇している。
シンはあまりに近くかつ唐突に猫が出てきたので、戸惑っていた。
カミーユとビャクヤには威嚇しているのに、シンからは離れない。
「にゃんこー、おいでおいでー。ほーら、猫じゃらしやでー?」
「フギャーッ!」
尻尾のような穂の付いた草をその辺で毟ってきて揺らすビャクヤだが、それもベシーンと叩き落とされ、さらに激しい威嚇をされる。
言葉は喋らないが、猫は全身で「触んな!」と訴えている。
「コッワ! 愛玩動物やなくて肉食動物やん! 野性に目覚めとるやん!」
猫の尻尾が膨らんで、バットのように太くなっている。
鋭い目でビャクヤとカミーユを睨みつけながら、これでもかと毛を逆立てて、全身で威嚇していた。
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